第2章 餌食

100年現役アイドル

 その3人に少し近づいてみると、立っていた女がいち早くこちらに気づき無言でペコリと頭を下げた。彼女はピンク色のメイド服のようなものを着ている。


「あ、えーっと、こんにちはー」


 僕は歩きながら頭を下げて声を掛けてみた。


「あら……」


 するとこちらに背を向けていたワンピースを着た女が座ったまま振り向いた。その姿を見て僕は衝撃を受けた。彼女は目が覚めるほどに美しい顔立ちをしていたのだ。


「もしかしてあなたが噂の人?」


「えっと……僕のこと知ってるんですか」


「えぇ、ミツル君。あなたは有名人だからね」


「そうなんですか……?」


「200年も寝ていたんでしょ?」


「え、えぇ、そうらしいですね」


 僕は昔コールドスリープの資金を集めるためにテレビに出演するなどして有名になったが、まさか今もその知名度は続いているのか。


「ふふ、お主も目覚めて早々運がいいでござるな。彼女と同じ船に乗ることになるとは」


「え……?」


 その時、痩せた和服姿の男が口を挟んできた。その姿にその口調、よく見ると腰に刀のようなものを下げている。


 サムライ……?


 僕よりも長い時間をタイムスリップしてきた感が強いが、そんな昔に人をコールドスリープさせることなど出来たわけもない。何かのコスプレをして役になりきっているのか。未来人の感性は一体どうなっているのだろう。


「お主は知らぬと思うがセイラさんは世界的に有名なアイドルなのでござる」


「アイドル……?」


 サムライの対面に座る彼女の名前はセイラというらしい。

 確かに彼女の目鼻立ちは非常にくっきりしている。そして机の下に伸びているスラっとした脚、細いウエストとは不釣り合いにも思えるボリューミーな胸。どこを見ても完璧でどこか人間離れしているようにさえ感じられる。


「しかもその人気はもう100年間も続いてるでござるよ!」


「ひゃ、100年ですか……? へぇ、それはすごいですね……」


 ってことはこのセイラという女、一体何歳なんだ。見た目的には20歳そこらという感じだが。


「もう、そんな大げさに言わないでくださいよー」


「いやいや、百年というのは事実であろう」


 サムライ男は見かけによらずアイドル好きなのか。2人は楽しそうに談笑している。何だかミスマッチな光景だ。

 しかし、確かにサムライ男の言う通り僕は運がいいかもしれない。こんな美人な、世界的なアイドルと10日間も一緒にいられるのだから。


「地球に帰ったら私のライブ見に来てね」


 彼女は僕にウインクをしてきた。


「え、えぇ、はい」


 そんな分かりやすくあざとい仕草にも関わらず少し胸が躍りそうになる。


 その時僕は気づいた。そういえば、このメイド服の子は全然喋らないが、一体どうしたのだろう。


「あぁ、彼女は私の付き人よ」


 メイド服の子に視線を向けている僕の疑問に気付いたのか、セイラが僕に説明してきた。


「付き人?」


 マネージャー的な存在ということか。


「ど、どうも始めましてこんにちは。モモと申します」


 モモというらしい彼女はペコリと再び僕に頭を下げてきた。


「あ、こちらこそ始めまして。ミツルと申します」


 って僕の名前はみんな知っているんだったか。

 彼女は垂れ目で、少し太めの眉も少し困ったように両端が下がっている。しかしなかなか顔自体は整っていてかわいらしい。


 それにしても何だか言葉がたどたどしい。マネージャーといえばコミュ力が重要な気がするが、彼女に勤まるのだろうか。


「ミツル君もここに座ったら?」


「あ、はい」


 セイラが開いている席を指差す。


「モモ、彼にコーヒーでも買ってきてあげて」


「は、はい!」


「え……」


 モモは命令されるがまま、カウンターの方へと向かって行ってしまった。


「そ、そんな悪いですよ」


 なんだか僕が彼女を動かしてしまっているようで申し訳ない。たぶん彼女も僕よりかなり年上なのだろうし。


「やさしいのねミツル君。でも大丈夫よ。あれも彼女の仕事なんだから」


「はぁ……」


 まぁ、下手に反論すべきことでもないのかもしれない。それぞれの立場というものがあるのだから。それに一応僕は彼女たちからしたら子供もいいところなのだ。素直におごられることにしよう。本当にお金もないことだし。


「まぁまぁ、とにかく席に座ってよ」


「はい……」


 僕が彼女に言われた通り席に座ろうと移動すると、


「ん……?」


 食堂内に新たな人物が目に入った。全然気配というものを感じなかったがいつの間にこんな近くまでやってきていたのだろう。

 その姿に僕は見覚えがあった。マナの部屋に入る直前に通路で見かけた人物だ。

 黒いローブをまといフードが完全に頭を覆ってしまっている。前回よりも距離が近いがそのご尊顔は拝めない。


 しかし顔はよくわからないが、背は曲がっており、袖から垂れ下がるように見えるその手の甲は青白い肌に血管が強く浮き出ていてシワくちゃだ。やはりその人物は老人であるように伺えた。


「え……?」


 その時僕はおかしなことに気づいた。その人物の足が地面から完全に離れている。特に推進剤を背中から噴出しているとか、プロペラがついていてそれが高速で回転しているとか、そういう機構も見当たらない。完全な無音だ。

 すごい。これはつまり個人レベルで重力制御が出来てしまうということなのか? ついでに言っておくとその人物は靴を履いておらず裸足だった。まぁ常に浮いているのなら靴なんていらないのかもしれないが。


 それにしても人類は老いを克服したのだとマナは言っていたが、これはどういうことだろう。その人物は老人にしか見えない。老化を克服したということは、別に全員が老化しないということではなく、老化に抗わないという選択をする人間も一定数存在するということなのだろうか。


 その時、後方からボトンと何かが落ちる音が聞こえてきた。振り返るとモモが僕のために購入したであろう飲み物をその場に落としてしまったようだった。


「……どうしたのモモ?」


「あっ……あっ……!」


 モモは老人のほうを指さして顔面蒼白、まるで幽霊でも見たような顔をしていた。何か言葉を発したいが発せていないようだった。

 この驚きっぷり、もしかして現代人にとっても自由に浮くことは普通出来ないのか? いや、だからと言ってそんなに驚くことはないと思うのだが。


「ロ、ロウジンですぅッ!」


 次の瞬間彼女は失礼なことを叫んだ。確かにその人物は老人なのだが。なぜそんな分かり切ったこと言うのだろう。


「ま、まさか……!」


 次の瞬間、座っていた二人も目の色を変え老人の方を向いた。ガタリと席を立って身構える。


「えー、えーっと?」


 3人は一体何をそんなに怯えているのだろう。確かにその老人の顔はフードのせいでよく見えないし不気味な雰囲気を醸し出しているが。そんなに老人が飛んでいるのが怖いのか?


「こ、こんにちは」


 僕はとりあえずその老人に向かってあいさつをしてみた。しかし反応はない。そのまま老人は無言のままでゆっくりとこちらに向かってきた。


「ひッ……! こ、来ないで!」


 その動きに恐怖したのか、セイラがいきなりきびすを返して食堂の奥へと向かって走っていってしまった。


「セイラさん……?」


 その怯え方はなんだか普通ではなかった。彼女は机や椅子に自分の体がぶつかっても気にする様子なく、一刻もはやく老人から離れたいといった意志が感じ取れた。


 何なんだ一体、全然分からない。もしかして何かヤバい状況なのかこれ。


 僕はヤバい奴なのかもしれない老人に体を向き直した。すると老人はこちらを向いてはいなかった。なんだかセイラに狙いを定めているように見えた。

 そして次の瞬間、老人はセイラに向かって急加速した。


「きゃああああッ!」


 セイラとモモがその光景に同時に悲鳴を上げた。

 セイラは本気で逃げまどっていたが、その老人の移動スピードは尋常ではなく、一瞬にしてセイラに追いつくと、二人の体はそのままぶつかってしまった。


「えっ」


 2人はぶつかってしまったと思った。しかし次の瞬間老人の姿が消えてしまっていた。

 いや、消えたというよりはセイラの体の中に入り込んだように見えた。一体どうなっているのだ。たとえここが200年後の未来だからといって、あんなこと可能なものなのだろうか?


 僕はセイラのもとに駆け寄った。少し遅れて他の二人も駆け寄ってくる。


「だ、大丈夫ですか!?」


「あ、あぁ……体が……」


「え……」


「私の体がぁッ!」


 彼女は自身の両手に注視しているようだった。その時僕は彼女の異変に気づいた。

 ぴかぴかつるつるだった彼女の肌から張りが失われ、小じわが目立ち始めた。次第に陰りのようなものが生まれ、それは茶色いシミへと成り代わった。


「な、なんだ……!?」


 次第にしわは深さを増していき法令線がくっきりと浮かびあがる。サラサラでしっとりしていたはずの髪からも水分が失われていき、根本から白いものに変化していっている。そして髪は抜け落ち、その量も減ってきてしまっている。


「こ、こんな……こんなことって……!」


 彼女は片手で顔を抑えながら僕たちを無視するようにふらふらとした足取りで歩いて行った。彼女が向かっているのは先ほどまで自身が座っていた席のようだ。そこまでたどり着くと彼女は自分の席に置いてあったポーチに手を突っ込み中から手鏡を取り出した。自分の顔を確認している。


「あ、あぁ……! 私が、この私が老化するなんてぇぇぇッ!」


 そうだ、信じられないことだったが彼女の体は急激に老いていっているのだった。

 変化はそこで終わらなかった。床に何か白く輝くものがコロン落ちたのだ。


「え……」


 彼女はその場にしゃがみこむと、その白いものを拾上げた。


「こ、これは歯……!? もしかして私の歯なのぉッ!?」


 天使のように柔らかく透き通るようだったその声が先ほどよりしゃがれ低くなってしまっている。そしていつの間にか彼女の身長がなんだか低くなっているように思えた。おそらくこれは背骨が曲がり、さらに各関節の骨の隙間のクッションとなる軟骨がなくなっていっているからだろう。そしてあんな張りのあったおっぱいの位置が大分下に垂れてしまっている。


 こうなってしまったのは十中八九あの老人が彼女の中に入り込んだせいだろう。ならあいつを体から追い出せばいいのか? しかし、そんなのどうやって。


「あ、あぁ……」


 彼女は歯を拾い上げたはいいが再び立ち上がることは出来なかったようでその場に倒れてしまった。


「セ、セイラさん……!」


 僕達3人は彼女のもとへと駆け寄った。モモは何をどうすればいいか分からないようで、セイラに近づきながらもただ左右を見回し、手をその場でわたわたとさせていた。


「と、とにかくセイラさんを近くの部屋にあるベッドまで運ぶことにするでござるよ!」


「そ、そうですね!」


 サムライ男が上半身を、僕は両足を持ち、彼女を食堂からホールへと運び出した。


「モモさん」


 通路へと向かう途中でサムライ男が後方を歩くモモに話しかけた。


「は、はい!」


「モモさんはシュレイ博士を呼んで来るでござる。彼女なら何かセイラさんが助かる手立てを知っているかもしれぬ」


「わ、わかりました!」


 博士? そんな人物がいるのか。よく分からないが、モモはその人物を呼びに僕たちが向かう反対側の通路へと駆けていった。


 そして僕はサムライと共に通路を入ったすぐの場所に彼女を運び入れた。中は僕やマナの部屋と完全に同じだ。彼女を下段のベッドへと寝かせる。

 改めてセイラの姿を見ると、その時には完全に老婆と化していた。


「一体どうしたら……」


 しかしどんなに考えても僕に出来ることは何もなさそうだ。モモが博士とやらを呼びに行ったが、その人物ならこの症状を治すことが出来るのだろうか。


「……拙者は博士とモモさんに居場所を知らせるために部屋の外に立っているでござる。お主は彼女の様子を見ていてくれ」


「は、はい」


 そう言い残すとサムライは廊下に出ていってしまった。


「セイラさん……」


 床にヒザをついてセイラの様子を見る。彼女は少し衰弱しているようだったが、眉をひそめながらも僕に微笑みかけた。


「はは……私、おばあちゃんになっちゃった」


 何か励ましの言葉でもかけようかと思ったが何も浮かんでこなかった。このまま老化が進行すればセイラは一体どうなってしまうのだろう。

 まさか死ぬ? これから何かが始まる予感だったのに、まさか出会った途端にこんなことになってしまうなんて。世界的なアイドルだったはずの彼女が、こんな姿になってしまうなんて。


「ライブにも……呼べなくなっちゃったね」


 彼女は低い天井を見上げ少し震える手を天空へと伸ばすようにして言った。


「行きますよ」


 絶望感溢れる彼女の言葉に僕は迷いなくそう答えた。


「え……」


「僕、絶対セイラさんのライヴ見に行きますから。楽しみにしてますから」


「……ありがとう。ミツル君はやさしいんだね」


「シュ、シュレイ博士を呼んで来ました!」


 その時、大きな声と共にモモとサムライ男の2人が部屋へと入ってきた。


「え……」


 2人の後から現れた博士らしき人物は白衣を着て銀縁のメガネをかけていた。しかしそれ以外は全く博士というイメージからかけ離れていて、博士っぽいコスプレをした小学生女児にしか見えなかった。

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