調査ファイル6 対馬不動産の場合

 僕は尼寺務。H税務署勤務の税務調査官だ。最近、ようやく仕事に自信が持てるようになった。

 そして今日も業務である法人の調査に出かける。

 そこは以前から脱税をしていると噂の不動産会社だった。社長がいくつもの法人を設立し、それをうまく動かして利益の操作をしていると聞いた事がある。但し、それはあくまで噂であって、関連法人や取引先法人を調査して、何かが出て来た訳ではない。

「尼寺、焦らなくていい。何か一つでもいいから、見つけてくれ」

 先輩にそう言われた。かなりのプレッシャーである。

「はい」

 そう返事をするしかない。胃に穴が開きそうだ。


 調査対象法人は、対馬つしま不動産。社長は対馬つしま暢之のぶゆき氏。四十五歳。不動産業界では、やり手と評されている。昔は地上げ紛いの事もしていたようだ。只、今は至って温厚な仕事をしているようだが。それも表面上だけかも知れない。

 そして、関連企業は壱岐建設。こちらは、対馬社長の義兄である壱岐いき忠則ただのり氏が社長を勤めている。関連企業と言っても、株は互いに有してはおらず、法律上は全くの別企業である。そこがまたたちが悪いのだ。

 税法は、子会社や同一役員がいる法人に対する規制を設けているのだが、この二社はそれに該当していない。壱岐建設を調査した調査官の話では、実権は壱岐氏にはなく、対馬氏にあるらしい。しかし、対馬氏は株主にもなっていないし、役員にも入っていない。とにかく、一筋縄ではいかないのだ。

 関連企業はそれだけではない。伊都いと設備。これは水周りの設備を販売取り付けする会社だ。壱岐建設の下請け会社だが、これも子会社ではない。株の持ち合いはしていないし、役員の重複もないのだ。しかし、伊都設備の代表取締役は、対馬社長の奥さんの妹の夫である伊都いと真澄ますみ氏。関連性は自明なのだが、法律上何もできない。

 普通、そういった親族繋がりの法人は、誰かが欲を出したり、裏切ったりで、大概綻びが生じるものだが、彼らに限ってはそれはない。対馬社長が余程怖いのか、それとも本当に団結力があるのか、崩れそうにないのだ。

 更に、それらの法人は、全て管轄の税務署が違うのだ。それも大きなネックになっている。縦割り行政の弊害。自分達が勤務する官庁をそんな風に言うのもどうかと思うが、僕は間違いなく縦割り行政が彼らを利するものとなっていると考えている。

 そしてもう一つ付け加えると、この三社は決算月が違う。対馬不動産は六月決算八月提出、壱岐建設は三月決算五月提出、伊都設備は十月決算十二月提出。利益の先送りが無限にできてしまう仕組みだ。しかも、合法的に。

 切り込む隙があるとしたら、そこだ。人間は必ずミスをする。書類上の手続きミスで、それが明らかに架空の取引で、利益の先送りだという事が判明すれば、このからくりの全貌を暴く事もできる。

 僕は急に気分が高揚して来て、対馬不動産のあるビルの玄関に着いた時は、

「絶対に見つけてやる!」

と決意していた。


 対馬不動産は、雑居ビルの五階を賃借し、そのフロアを全て占有している。登記簿を調べても何も見つからないのだが、本当のビルのオーナーは、対馬暢之氏らしい。その辺りも抜け目がないようだ。

 フロアは全て繋がっていて、反対側に僅かなスペースの「社長室」とプレートが貼られた別室があるだけだ。社員の動きを瞬時にして把握したいという対馬社長ならではの考えなのだろう。これでは社員は息が詰まるのではないか? その辺りにも突破口があると良いのだが。

「お待ちしておりました」

 フロアの入口の脇にあるソファに座っていた胡麻塩頭で紺のスーツを着た男性が立ち上がった。

「H税務署法人課税部門の尼寺です」

 僕はすぐさま身分証を提示した。相手の男性は、名刺入れを内ポケットから取り出すと、

「税理士の藤間とうまです。よろしく」

と僕に向けて差し出した。僕は身分証を胸のポケットにしまって鞄を床に置くと、名刺を両手で受け取る。

「よろしくお願いします」

 藤間税理士は、そのまま歩き出して、

「社長は奥でお待ちです。どうぞ」

と言い添えた。僕は藤間さんの名刺を右手に持ち、鞄を左手に持つと、慌ててそれに続く。途中、僕と目が合った社員がにこやかに会釈する。挨拶には相当五月蝿いのだろう。僕ら税務署の人間は、多くの法人の場合、愛想良くされる事が少ないのだ。ちょっとだけ嬉しかったのは、確かだ。

「おお、いらっしゃいませ」

 社長室のドアを藤間さんが開くと、机でパソコンのマウスを操作していた対馬社長が立ち上がった。

「H税務署法人課税部門の尼寺です」

「対馬です。どうぞお手柔らかに」

 型通りの挨拶をすると、社長は名刺を携え、僕に近づく。

「税務署の方には、まさに釈迦に説法でしょうが、土地や建物をお探しの際には、どうぞ当社をご利用下さい」

「はあ」

 僕は調査日当日にそんな営業をされた事がなかったので、一瞬呆気に取られたが、鞄を置き、名刺を受け取った。

「どうぞ」

 社長に促され、ソファに座る。藤間さんと社長の名刺をテーブルの上に並べた。

「ウチは真面目に仕事してますよ。税金もたくさんではないけど、納めてますしね」

 社長はニヤニヤしながら、藤間さんと向かいのソファに座る。すると藤間さんが、

「社長、山寺さんは別に御社を疑って来た訳ではないですよ。任意調査ですから、何年かに一度はあるのですよ」

「ほう」

 藤間さんが「山寺」と言い間違えたのは気づいたが、もうその手の事は気にしない事にしている。僕が「尼寺」だろうが「山寺」だろうが、調査に支障はないからだ。

「ま、いずれにしても、あまり厳しく攻めないで下さいね、尼寺さん」

 僕は只苦笑いをしただけで、返事はしなかった。社長はまだニヤついていたが、目が鋭くなった気がする。しかも、僕の名前はしっかり把握している。本当に切れる人なのだ。藤間さんは、この法人のごく一部しか知らないのだろう。このタイプの経営者は、例え税理士にも全てを話しているとは思えないからだ。

「では、早速、社長の身上調査をさせていただきますね」

 僕は長いインターバルは危険だと判断し、そう切り出した。藤間さんは驚いたようだ。

「仕事熱心ですねえ、山寺さんは。もう始めますか? お茶でも飲んでからにしませんか?」

 それは社長の言う台詞でしょ、と突っ込みたくなる。この人も、対馬社長が全部話してくれていない事は理解しているのかも知れない。だから、こんな呑気な雰囲気なのだ。

「いや、先生、私も時間が惜しいですから、すぐに取りかかってもらった方がいいです」

 社長はそう言ってから僕を見た。笑顔だが、目が笑っていない。よく聞く事だが、今の対馬社長はまさにそれだった。余裕の笑顔の裏には、警戒の炎が燃え上がっているのか? 僕は慎重に行こうと思った。そして、ここは型通りの身上調査。社長の経歴や、会社を起こした時の経緯などを尋ねる。

「失礼します」

 そこへ、秘書らしき女性がお茶をトレイに乗せて入って来た。

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 女性はお茶を出すとそのまま退室した。僕はそれを確認してからちょっとしたジャブを繰り出した。

「昨年度の終盤に、社長の車が廃車になっていますが、どうされたのですか?」

 ジッと社長の顔を見たが、想定内の事なのか、全く表情が変わらない。

「いやあ、ちょっとぶつけてしまいましてね。修理するにも大金がかかるという事で、廃車にしました」

「代わりの車を購入されていないようですが、不便ではないですか?」

 僕の更なる指摘にも社長は動じていない。

「この不景気で、ウチも資金繰りが厳しいのですよ。車はリースにしました。その方が安上がりですので」

「なるほど」

 このジャブは空振りだ。社長は、僕の思い込みかも知れないが、ニヤリとしたように見えた。

「では、帳簿類を見せて下さい」

「わかりました」

 社長は自分の机の上のインターフォンを操作し、

「書類を持ってきてくれたまえ」

「はい」

 女性の声が応じた。

「やはり、ここ数年は厳しいですね、不動産業界も。私達は、今生き残りを懸けて戦っているところなんですよ」

 社長はソファに戻りながら言った。僕は頷きながら、

「そうですか」

とだけ答えた。その時、女性三人がダンボール箱を持って入って来た。経理の担当者達だろうか?

「取り敢えず、三年分と伺っておりますが、それでよろしかったですか?」

 目の前に置かれたダンボールを見て、社長が尋ねる。その答えを待つように、女性達が僕を見る。

「はい。時間が限られていますので、そのくらいで」

「わかりました」

 社長が目で合図をすると、三人の女性達は会釈をして退室した。

「それにしても、先生や尼寺さん達には感心します」

「は?」

 藤間さんと僕は、異口同音に声を発してしまった。何の事だ?

「毎日数字と睨めっこしているご職業の方には、敬意を表します」

 社長は微笑んで言う。しかし、心からそう思っていない事は僕にはわかった。

「なるほど、そういう事ですか」

 藤間税理士の呑気さは、もしかして演技なのかと疑ってしまった。

 しかし、対馬社長も不動産業なのだから、数字と睨めっこする仕事だと思うのだが? やはり、どこか人を食ったような物言いの人物だ。

 僕はそんなどうでもいい事を頭から追い出し、早速前年度分の帳簿類を見始めた。片手で書類を広げ、片手でメモを取る。社長はその間、片時も僕から目を放さない。藤間さんは、ボンヤリとあちこちを見ている風だったが。

 さすがに噂になるだけの事はある。不景気だと言っていたが、相当数の土地取引をこなしていて、決して資金繰りに困っているようには見えない。そして、不正をしている法人に多く見られる傾向だが、帳簿類に訂正箇所が一つもない。これは、間違ったところを見え消し(訂正する数字を赤の二本線で消す事)するのではなく、一ページを丸ごと差し替えている可能性がある。しかし、証拠がない。そう思われるだけでは、如何ともし難い。その上請求書や領収書関係は、不正の影すらない。

(ダメか、ここは?)

 嫌な汗が出る。申告是認。調査をしたが、何も見つからなかった時の事をそう言うのだが、今回はその可能性が出て来た。ここのところ、調査を勝ち負けで区分けするのはおかしいのだが、一応連勝していたので、少しショックだった。


 昼食を取ってから午後も詳細に帳簿に目を通したが、何も見つからない。唯一怪しかった社長の車の処理も、間違いなく廃車されており、問題は見つからない。焦りだけが心の中で増幅して行く。チラッと社長を見ると、不敵な笑みを浮かべて僕を見ていた。

(見つけられるものか)

 そう言っているように見えてしまったのは、僕の僻みだろうか? その時だった。

「パパ、いる?」

 不意にドアが開き、茶髪の女の子が入って来た。容貌と「パパ」という言葉から、社長の娘だろう。身上調査で聞いた長女の美香さんと思われる。

「何だ、美香! 誰が入っていいと言ったんだ!? 今日は税務署の方が来ると伝えてあっただろう!? 今すぐ出て行け! 家に帰るんだ!」

 さっきまでの社長はどこかに行ってしまったのかというくらい、対馬社長は激高していた。

「え、え?」

 美香さんはまさかそれほど怒られるとは思っていなかったのだろう、オロオロしている。

「私の言った事が聞こえなかったのか!? とっとと家に帰れ!」

 社長の剣幕に気づいたのか、さっきお茶を持って来た女性が慌てて駆け込んで来て、

「美香さん、さ、こちらへ」

と彼女を連れ出した。

「いやあ、申し訳ない。礼儀知らずで困った娘です」

 社長はまた穏やかな顔に戻っていた。藤間さんを見ると、彼も仰天しているようだ。

「あ、いえ、そんな……」

 僕も一緒に怒られた気分だった。


 結局、僕は何も見つけられないまま、対馬不動産を出た。

(何だろう、このモヤモヤは?)

 何か引っかかる。どうしてだろう? 何か不自然な感じがする。

 そうだ。社長のあの変貌ぶりは異常だった。問答無用で怒鳴りつけ、何も言わせずに娘を追い返した。あれは、絶対に何かある。美香さんが何か知っているのか? しかし、美香さんは扶養家族で、役員にはなっていない。社長夫人すら役員に名を連ねていないのだから、当然だろう。ではどうしてあれほど美香さんを怒鳴ったのか? 僕はその理由を考えた。

「あれ?」

 ふと目を上げると、ビルの地下駐車場から出て来る黒塗りの乗用車が見えた。

「美香さん?」

 若い子には不似合いの黒塗りの大型車だ。その時、僕の身体は電気に打たれたようになった。

「そういう事か!」

 僕は大急ぎで署に戻った。そして、陸運事務所に電話をした。


 翌日、全てがわかった。

 僕の睨んだ通りだった。美香さんの乗っていた乗用車は、廃車した社長の車だったのだ。つまり、廃車は偽装で、すぐに新しいナンバーで登録をし直し、それを自家用車としていたのだ。まさに抜け穴だった。これはすなわち、「減価償却資産の除却損」を偽装計上した事になるのだ。要するに脱税である。

 社長が激高したのも頷ける。僕に車を見られれば、感づかれると思ったのだ。しかし、社長の願いも虚しく打ち砕かれた。父親にあまりにも理不尽に怒鳴られた美香さんは、あの後しばらく、車の中で友人達に愚痴メールを送り続けていたらしい。だから僕が引き上げる頃になって、のこのこと駐車場から出て来たのだ。まさに「運の尽き」である。

 こうして、対馬不動産は偽装廃車を突破口にいろいろと不正が見つかり、やがては国税局査察部(通称マルサ)まで動き出した。そうなると、僕ら税務署の調査官はお役御免だ。何も手出しできなくなる。それは別にいい。とにかく、不正が暴かれて良かった。出世欲はない僕には、手柄をマルサに横取りされたという感覚はなかった。


「最近、尼寺君、凄いわねえ。尊敬しちゃうわ」

 酔っ払って頬がピンクに染まった藤村蘭子さんが言った。例によって、また居酒屋だ。憧れの人だった蘭子さんと一緒に飲めるのは嬉しいのだけれど、本当はもっとお洒落なバーとかで飲みたいのだ。自分が下戸なのはわかってるけど。

「運が良かっただけだよ。娘さんに感謝しないとね」

「謙虚ねえ。惚れちゃいそう」

 また始まった。藤村さんの悪い癖。酔うと僕をからかう。やめて欲しい。僕はノミの心臓なのだから。

「そんな事言うと、本気にしそうだからやめてよ」

 僕は藤村さんの発言はあくまで冗談という前提で言った。

「本気にしてよ」

「え?」

 驚いて聞き返すと、藤村さんは酔い潰れていた。またタクシーを拾ってあげないと。

 藤村さんをタクシーに乗せ、一人寂しく寮へと歩き出す。

「あれ、本当なのかな?」

 藤村さんの「本気にしてよ」の声は、一晩中僕の頭を駆け巡った。

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