第2話 まよいごきたる

「なぁタバコー今日も暇だったら早めに店閉めて飲みに行かねぇ?」

「ボス今日のお昼まで飲んでたんですよね?止めといてください。それに私まだ十八歳だから飲みに行ってもジュースしか飲めないですし」

「お前本当クソ真面目だよなぁ。今時高校生だって酒くらい飲んでるだろー」

「お酒と煙草はハタチになってから、です」

「お前のアルコール処女は俺がもらうから、覚悟しとけよ」

「だーかーらー下ネタ結構です」

 横目でちらりと平然とセクハラをかましてくる人を見上げる。宮川オサム二十六歳。職業ロックバー『Bar USAGI』の店長、通称ボス。黒髪長髪をちょんまげに結うという素っ頓狂な髪型をした日本人男性。チビの私から見たら身長も羨ましいくらい高いし女性のお客さんの中に密かに『宮川さんファンクラブ』があるらしいので、容姿も良い方なんだと思う。女の子と音楽とお酒と煙草が大好きで、私を『拾った』恩人でもある。

 私は親と折り合いが悪くて高校卒業と同時に家を追い出されたのだ。実家の千葉から新宿に流れ着いたのは、テレビでよく見かける『歌舞伎町』ってピカピカの看板の本物を見たかったから。看板の前でぼーっとしてたら立ちくらみを起こしてしゃがみ込んでしまった。そこを通りがかりに拾ったのがボス。最初は警戒したよ、とーぜん。店に入れてもらって、温かいウーロン茶をいれてくれて、私の話を真剣に聞いてくれたから『ああ、この人本当にいい人なんだ』って思った。『親に恵まれないのはキツいよなぁ、でも逆に考えてみたら?普通の十八歳より早く大人になれたって』その言葉で私は多分、十八年分溜まっていた涙を流した。名字の『小畑』をひっくり返して『タバコ』ってあだ名をつけてくれたのにも意味があって、『嫌な親から引き継いでるもんなんかひっくり返しちゃえば?ロックじゃんそういうの』って。住むところの世話や仕事(これは自分の店に引き入れただけ)などなど、その節に関しては本当に感謝してますよええ、ホントに。もう少しセクハラ減らしてくれませんかね?ってくらいには。二人で他愛もないことを喋っていると、入り口ドアのベルが鳴った。今日最初のお客様だ。

「いらっしゃいませ、お好きな席どうぞ」

「ついてるねー、にーさん。貸切よ、今」

「はぁ……」

 身体にフィットしたTシャツにダメージジーンズ金髪盛り髪。そしてかなりの美青年。これはホストさんですね。間違いない。しかしまぁ美しいって男の人に使っちゃいけないのかもしれないよ?けどなんかオーラ出てるもん。キラキラしたやつ。あれUSAGIの照明こんなに明るかったっけ?みたいな。ただ、オーラに反して彼の目は死んだ魚のようにどんよりと曇っていた。もしかしたらこの人は……

「何にしますか?」

「メニューとかないの?」

「ないんです。ここにあるお酒とー、あとアサヒの瓶ビールがあります」

 興味なさそうにカウンターを一瞥すると『ワイルドターキーの水割り』と何の感情もこもっていない平坦な声で注文した。なかなか渋いお酒がお好みなんですね、心のメモ帳にメモをとる。次ご来店の時に言われたらすぐに出せるように。これもボスの教えです。

「にーさん名前なんていうの?」

「榊原総一です」

「そーいっちゃんね!覚えた!」

「いや、俺客なんだけど……」

「まぁまぁ小さいことは気にすんな、イケメンホストのそーいっちゃん!」

「……ホストって何でわかるんですか?」

「見りゃわかるよ、そのナリでサラリーマンですって言われたら俺の目どんだけ悪ぃのよ」

「あぁ……」

 ボスの接客はよく言えばフレンドリー悪く言えば馴れ馴れしいことこの上ない。常連さんは慣れっこでボスのあけすけなトークを楽しんでいたりもするが一見さんは戸惑うことも多々あり。そこのフォローもワタクシが担当させていただいております。フレンドリーなボスと常に敬語の私で『ちょうどいい感じ』って常連さんに言われたことがある。私が入る前までがどうだったのかは、怖くてまだ誰にも聞いてない。大体想像つくしな……。

「失礼しました、初めて来て下さってボス嬉しいみたいです。どうぞ、総一さん」

 水割りを出しつつニッコリしてみたが、総一さんの表情は一切変わらなかった。感じ悪いなー。ボスもちょっとイラっときてるのが気配でわかる。総一さんは出されたグラスをじっと見つめるとそれを一息で飲み干した。ボスと思わず顔を見合わせてしまう。髪の盛り具合からして出勤前だろうに、大丈夫なんだろうか。水割りといえどもワイルドターキーだよ?アルコール度数四十度だよ?

「おかわり」

「そーいっちゃんいい飲みっぷりだねー」

「あの、出勤前ですよね?あまりアルコールを摂取していくというのはどうかと……」

「だから俺客だって言ってんだろ?黙って同じの出せよ」

 ボスは私をカウンターの奥に押しやると総一さんの前に立ちずいっと氷の入ったグラスとワイルドターキーのボトルと水のボトルをダンッダンッダンッと小気味よく置くと、氷一個・ターキーなみなみ・お水一滴というまさかの一杯を作り上げた。いやいやいやボス!それストレート!割ってない!キレてるなぁ。そろそろキレるとは思ってたけども。こうなっちゃうともうフォローもできないんだよなぁ。前キレてた時は『女は胸より何より尻だろー!』だったな……。あの時は最終的にテキーラの飲み比べで勝負つけてたっけ。ボス、勝ってたな……。これはどう転ぶか。

「どうぞ、お召し上がり下さい」

「……これストレートだよね?」

「いいえ、僕の中ではこれは立派な水割りです」

 驚くことにほぼストレートのターキーも総一さんは一息に飲み干してしまった。何か嫌なものを流し込むみたいな飲み方。飲み干して数分沈黙の後、前後左右に揺れだした。ゆらゆらゆらゆら、ヤバそうだぞこれは。

「タバコ、倒れるからカウンター出とけ」

「はい。ボス、多分この方……」

「ああ、『大人迷子』だな。そーいっちゃーん、大丈夫ー?」

 わかっててターキーのストレート出したんですか、ボス……。確かに『大人迷子』の皆さんは最初は中々自分のことを話してくれないので、お酒の力を借りるというのはある意味正攻法ではあるのだけど。倒れそうになるのは多分想定外だったんだろうな、きっと。出たとこ勝負にも程があるよ!

「らいじょうぶ……おれきらあれもんらからさけのまないとみせいけねんだ……」

 嫌われ者だから酒飲まないと店にいけないと。間違いない、この人『大人迷子』だ。あんまりお酒強くないのかもな、飲む時に苦い薬を飲むみたいな顔してた。ボスみたいにお酒大好きひゃっほーいって人は、間違ってもあんな表情で飲まない。

「倒れる前に働いてる店の名前だけ教えてくれる?」

「じぇみに……」

「ジェミニ?横田ビルに入ってるホストクラブ?」

「そこ……しっれんの……」

 カウンターを出て倒れこんだ総一さんを受け止める。びっくりするくらい軽くて細い。そして目を閉じたその顔は十八歳の私が言うのも大概だけど、酷く幼く見えた。お姫様抱っこで店のソファに総一さんを寝かせる。

「タバコちゃん相変わらず力持ちぃ~アタシも抱いて!」

「恐縮です」

「冗談はこれくらいにしといて、ちっと『ジェミニ』行ってきてくんね?竹井には俺からも連絡しとくけど一応筋通しとかねぇとな。イケメンホストの総一くん風邪でお休みしまーすって」

「了解しました」

 私は店を出て新宿の街に飛び出した。『横田ビル』はUSAGIから走って十分程度のところにある通称「ホスト・キャバクラビル」だ。ボスの幼馴染みの竹井祐介さんという方が全ての店舗を仕切るオーナーで、竹井さんはウチの常連さんでもある。竹井さんに『案内』のお手伝いをしてもらうこともあるからよーくご存知なんですよ総一さん。心の中で語りかけているうちに『ジェミニ』に着いた。ドアを開けると叫び声のような「いらっしゃいませ」があちらこちらから上がる。うーん、ホストクラブに来るのにボロボロのジーンズにローリングストーンズTシャツ着用の女の人なんているのかな……。

「私お客さんじゃないです!こちらに榊原総一さんって方働いてらっしゃいますよね?金髪で若くてイケメンの」

 近寄ってきた男性に聞いてみる。あからさまに嫌な顔をしたかと思うと、手首を掴まれた。何するんだよっ!耳元に近づくな、気持ち悪いっ!香水臭い!いくらなんでもつけすぎだろうってくらいつけてるのは、あれかな体臭がキツいとかかな。だとしたら申し訳ないけども、臭い!ファブリーズ頭からぶっかけたい!

「金髪で若くてイケメンな方はここにはたくさんいるからねぇ。お嬢さん、一緒に飲もう?」

「仕事中なので。あと私は十八歳なのでお酒は飲めません」

「真面目か!いいからー」

「いやです!」

 腕を引かれるのに抵抗しつつ、背負い投げで吹っ飛ばしたらお店に迷惑がかかるよなぁ。などと考えあぐねていたら救世主が!茶髪に細身のダークスーツ着てお高いシルバーアクセじゃらじゃらつけてる救世主!

「お前その子に手ー出したらすごーくこわーいお兄さんに半殺しにされちゃうけどいいの?」

 ナイスタイミング竹井さん!そしてセクハラ三昧とはいえ確かに私はボスに溺愛されている。私のストーカー化したUSAGIのお客様をぼっこぼこにするレベルで。あれ竹井さんと一緒にやったんだっけ……『お前は見なくていい』っていうから任せちゃったんだよね。安いカクテル一杯でカウンターに居座られるのは店の売り上げ的にも良くなかったし、気持ち悪いボディタッチもなくなったしいいことだらけ。何度もストーカー撃退してくれてるのは本当に感謝してます。

「オーナー!すみません!」

「今色々うるせーんだから強引なことすんなっていつも言ってんだろ、馬鹿野郎。あっち行ってろ」

 ありがとう竹井さん!もう少しで背負い投げてるところでした!でも肩抱くのはやめてください!竹井さんに一喝された香水臭い人は肩を落として店の奥に消えていった。私もボスに叱られるとしょんぼりするから、気持ちはわかるよ。さっきはちょっとムカっときちゃったけどドンマイ香水臭い人……。

「ごめんねー。店の前で待ってようと思ったんだけどちょっと遅かったね」

「いえ、もう少しで投げ飛ばすところだったので危なかったです」

 何かがツボに入ったのだろう、ぶはっと吹き出すと竹井さんは小さな事務部屋に通してくれた。ご丁寧にテーブルの上にはコーヒーが二人分。長居するつもりはないんだけどなぁ……。ニコニコ笑顔の竹井さんにはなかなか言い出しにくい。

「竹井さん、私仕事中なので」

「宮川には電話でちょっとタバコちゃん借りるって言ってあるから大丈夫。本当に真面目でいい子だねぇ」

 流れるように頭を撫でられ、さすがに赤面してしまう。ボスは言葉のセクハラだけで触ってはこないから、触られ慣れてないんですよ。ええ、十八歳がっちがちの処女です。胸張って言うことじゃないか。なお男性とのおつきあい経験も一切ございません。悲しいことに。

「恐れ入ります。あとコーヒーいただきます」

「どーぞ。煙草吸っていい?」

「どうぞ」

 マルボロメンソールにこれまた高そうな金色のライターで火をつけると、ため息まじりに煙を吐き出した。ため息と煙が小さな部屋にどんよりと漂う。

「あいつソウ、っていうんだ。宮川がバカでごめんね、ホストだってわかったなら源氏名くらい聞いとけよなぁ」

「ソウさんですか。彼、嫌われてるんですか?」

「ずばっとくるねー、そうナンバーワンのアキラってやつがプレイヤー束ねてイジメてるからこっちも困ってるのよ」

「何でそんなに……?」

「タバコちゃん『まよいご』って映画知ってる?10年くらい前の映画なんだけど」

「不勉強で申し訳ありません、知りません」

「結構おっきな映画の賞とか獲った作品なんだけどね、それの主演してたのがソウなんだ」

 なんと。総一さんは芸能人なのか。え、でも今ホストしてるってことは……

「今は……」

「ここから先は本人に聞きな。店にいるんだろ?頼んだよ『案内人』」

「まさか竹井さんのお店の方を『案内』することになるとは思いませんでした、誠心誠意勤めさせていただきます。本日は風邪でお休みということで一つ」

「俺もまさかソウがUSAGIに行くとは思わなかったなぁ。あいつ酒弱いし」

「あ、やっぱりですか?」

「何やっぱりって」

 先ほどUSAGIで起こったことを手短に話すと竹井さんは手まで叩いて大笑いした。そこまで笑っていただけると話し手冥利に尽きるというものだ。自分のお店の従業員ツブされて爆笑っていうのもちょっと総一さんが可哀想な気もするけどね。

「今はボスが側にいるので大丈夫です」

「宮川もタバコちゃん可愛さとはいえ無茶苦茶やるなー」

「可愛さってセクハラばっかりですよ」

「でも俺みたいに手は出さないでしょ?」

 自覚あったのか。自覚があるなら是非とも辞めていただきたい。

「まぁ、そうかもしれないですね」

「一回さー、俺宮川に言ったことあるんだよ。タバコちゃんに男紹介してやろーか?って」

「初耳です」

「だろうね、『あいつに恋愛はまだ早い』だって。自分は女の子と遊びまわってるのにねぇ」

 ボス、本当に私のお父さんみたいな気持ちになってしまっているのではないだろうか……。まだ若いのにそれはちょっとお気の毒だ。彼氏の一人でも作った方がいいのかもしれない。ストーカー以外で。ストーカーはさすがに嫌だ。

「彼氏、作った方がいいんですかね」

「俺にしとく?」

「ぜっっっっっっったい嫌です」

 迷わず即答。ボスに負けず劣らず竹井さんも無類の女好きなの知ってるからね。ヤだよ陰で呼ばれてるあだ名が『歌舞伎町の性豪』が初めての彼氏なんて。きっといつか竹井さんが抱いた女の人から刺される。私はまだ死にたくない。命と貞操は積極的に大事にしていきたい所存です。

「ちぇっ即答かよー」

「私の前でボスと散々えぐいエロ話しといてオッケーが出るかも、という思考がわかりませんね」

「あっそっか。失礼しました。でもあれまだソフトなほうよー?」

「……ボスと二人の時の会話どんなかちょっと聞いてみたいです」

 えげつないエロ話を嬉々として語る二人の側で私は貝になっている場合が多い。ご丁寧に私が知らないであろう単語が出てくると二人して懇切丁寧に解説してくれるので私は処女にしてすっかり耳年増になってしまった。二人とも歩く性教育者としてどっか学校にでも講演に行けばいいのに。絶対序盤で壇上から引き摺り下ろされると思うよ。もしくはお巡りさんに通報されるか。

「ヒミツ☆」

 竹井さんはまた私の肩に手を回すと正面入り口から送り出してくれた。うーん、本当は触らないでほしいんだけどなぁ。なんて思ってても強く言えないのは、ボディタッチに一切下心を感じないから。幾ら男性経験皆無といえど、タッチの仕方にエロっ気があるかどうかは分かる。ストーカーみたいな気持ち悪い感じ全くしないんだよね。ボスがお父さんなら竹井さんはお母さんみたいで。いつもお世話になってる竹井さんのお店の困りごとでもあるし張り切って『案内』させていただきましょうか。

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