文字数4000 恋愛 『東京湾岸ミッドナイト』



 もう一度同じ時を過ごすために――旦那と子供のいるあなたに告白します

 




  1.


「先輩。寝てていいですよ」


 隣で微睡む先輩を見て口元を緩める。


「いや、まだ寝れないよ。帰ったら洗濯しないといけないし、今週の発注書は書かないといけないしさ」


「そうですか」


「そうですよ」


 先輩は目を擦りながら、バインダーに挟まった幾重の書類を睨みながら、思うがままに書き記していく。小柄な体を丸めていると、子供にしか見えない。


「それにさぁ、今日はみくちゃんの寝つきが悪いみたいだから、帰ってあやさないといけないの。旦那なんかさ、ほら、寝かしつけてて先に寝ちゃうから、意味ないし」


「そうですか」


「そうですよ」


 目の端で助手席の彼女を捉えると、引き継ぎ書は書き終えたようで、次は明日の発注書の予定を書き始めた。この人はいつ眠っているのだろうかと不安を抱きつつも、目の前のハンドルは緩めない。


「わー、今日も綺麗だねぇ。レインボーブリッジ」


「そうですねぇ」


 大井ジャンクションを抜け、緩やかなカーブを超えた先にクリスマス使用の虹色の橋が見える。東京に来て一年経つが、未だ見慣れないのは先輩がいるからだろうか。


「そういえば、お台場のユニコーン見た?」


「まだ行ってないですよ。って行ける訳ないじゃないですか、休みも買い取りして貰ったばかりじゃないですか」


「だよねぇ」


 そういって先輩は八重歯を剥き出しにして笑う。高専を出てオタク文化にも精通している彼女に不得意なジャンルはなく、男女問わない人気に僕も気がつけばのめり込んでいた。


 そんな先輩とも過ごせるのは、後、たった1年。


 今日の日はもう、二度と来ない。



「先輩」


「ん?」


「今日、クリスマスって知ってました?」


「うん、それくらい知ってるよ。それで?」


「ほら、ここ見て下さい」


 そういって時計を見せると、真夜中の時間に切り替わった。イブからクリスマスへと流れていく時間に先輩と二人だけ。社用の一トン車でも、僕にとってはこの上ない幸せだ。


「先輩」


「ん?」




「僕は今、とっても幸せです。この意味、わかります?」




 ◆◆◆◆◆◆



 先輩と初めて会ったのはちょうど一年前の秋、僕の仕事の歓迎会だった。


「君が篠原君か、大変だろうけど頑張ってよね!」


 育児休暇中の先輩は髪も性格も明るく、第一印象はちゃらい姉ちゃん、というイメージを拭えず、正直近寄りがたい存在だった。


鷹尾たかおちゃん、お酒飲んで大丈夫なの?」


「いいんですよ、専務。今日くらいはめを外さないと。さー飲むぞ飲むぞー吐くまで飲むぞー」


 大声で笑いながらハイボールをたっぷり浴びるように飲む先輩を見て、この人と関わることは少ないだろうなと思っていたのだが、辞令を受けてから一転した。


「篠原、来月から東京営業所に行ってくれ。そこに君も知ってる人が来るから、そのつもりでよろしく」


 新規で作られた東京の中心部に建てられた、千代田営業所に配属となった僕が向かった先には育児休暇を終えて髪をばっさりと切った彼女がいた。


「久しぶりだね、篠原君っ! ちょっと痩せたんじゃない?」


「ええ、まあ。って鷹尾さんが所長……ですか?」


「そうなの。人数も少ないし、仲良くやっていこうね! 何でも思ったことは口に出していいからさ!」


 千代田営業所のメンバーは4人、所長の鷹尾さんに中堅クラスの隅山すみやまさんと営業の中澤なかざわさん、それに新人の僕だ。僕らの仕事は東西南北にある支社が円滑に動くことができるようサポートすることだった。


「あー、西町にしまちさん。また忘れたんですか、わかりましたよ、届けに行きますよ。ついでにそちらの備品、余ってます? へへ、実はうちも別の物、注文し忘れちゃって」


 鷹尾さんは笑いながら難なく仕事をこなしていく。コミュニケーション能力に長けた彼女はどんな無茶ぶりにでも応対し、会社をスムーズに回していく。


「はー、今日も疲れたねぇ。チロルチョコ食べる?」


「……頂きます。これからまた戻って仕事だと思うと、憂鬱ですけど」


 勤務時間を終えても、東の江戸川支社に戻り荷物を届けるまでが仕事だ。鷹尾さんと僕は江戸川区に住んでいたので、交通費を貰う代わりに会社の備品を整理しなければ帰れない。


「ほら、見て見て。篠原君」


「あー今日は緑ですか。いつになったら虹色になるんでしょうね」


 僕の楽しみは仕事終わりの首都高速の帰り道だ。鷹尾さんを乗せて湾岸線沿いのレインボーブリッジを眺めることだった。


「あら、知らないの? クリスマス近くになったら、綺麗な虹色が見えるよっ! 私はユニコーンガンダムの方が見たいけど」


 夜遅くなれば銀座線の方が空いていて早い。だけど、光ものと甘いチョコレートが好きな彼女は子供のようにねだりながら、僕のハンドルを反対側へと誘導していく。


「今日もさ、旦那と喧嘩しちゃった。だってさ、聞いてよ。トイレでさ、おしっこする時、蓋開けないんだよ? せっかく綺麗にしてるのにさ……みくちゃんが触ったらどうするつもりなのかなぁ、ほんと!」


 車の中では決まって彼女は右手の人差し指を振りながら家族の愚痴を僕に告げていく。だが嫌味ったらしくなく、笑顔で話す彼女についつい僕は相槌を打っていく。


「ねえ、聞いてる? 篠原君?」


「ええ、聞いてますよ。旦那さんが洗濯物も取り込まないんでしょう?」


「うんうん。それでね、今日は旦那の料理がまずくてさぁ、本当笑いそうなくらい美味しくないの。味付けっていうのかな……薄味でね……関西出身だからかもだけど、私は福島じゃん? だからさぁ……」


 先輩の表情は虹色のように多彩に変わっていく。その7色の変化に、次第に僕の心は染められていき、気がつけば彼女のことを考えない日はなくなっていった。


「よし、着いた! さ、とっとと荷物降ろして家に帰ろう、篠原君!」



 ◆◆◆◆◆◆



「どうしたの? 篠原君?」


「先輩のことが好きなんです。この湾岸線を往復しているうちに、そんな気持ちが募っていきました」


「……そっか。素直に報告してくれてありがとう」


 鷹尾先輩は表情を変えずに笑みを見せてくれる。きっと、こんな告白、今まで何度だって受けてきただろう。それでも僕はきちんと思いを伝えたい。


「先輩に旦那さんと子供がいることも知ってます。それでも僕はこの気持ちを伝えたかったんです」


「クリスマスだから?」


「それもありますけど……虹色の橋を一緒に見れたら、いおうと思って」


「そっか……」


 レインボーブリッジを通り過ぎて新木場の夜景が目に入っていく。それでも目を離せないのは助手席に座る先輩で、彼女の表情に一縷の望みを託してしまう。



 ……無理なのはわかってる。けど、ここでいわないということすらできない。



 来年、鷹尾さんは実家に帰ってしまう。娘のみくちゃんが喘息持ちで、都内での生活は厳しいからだ。旦那さんとうまくいってないというのも冗談で本当は愛していることも知ってる。



「それで……君はどうしたいの?」


「僕にもささやかなクリスマスプレゼントを下さい。それだけで十分です」


「クリスマスプレゼント……」


 

 先輩は口を半開きにして顎に手をやる。小柄だけど細くしなやかな指は妖艶に見えて、鼓動が加速していく。



「よし! 左手出して、篠原君」



「はい」


 左手を差し出すと、彼女は両手で僕の手をぎゅっと握った。


「そのまま見ずにポケットにしまうこと。家に着いてから見て」


「わかりました」


 木場を過ぎて西葛西を迎えた、首都高速の終わりだ。


「ささ、早く荷物降ろして帰ろう! 篠原君」



 ◆◆◆◆◆◆



 家に帰り着き、ポケットから取り出すと、そこには紙にくるまったチロルチョコが二個あった。ビターなものとホワイトチョコのものだ。



 ……いつも通りチョコをくれたってことは、嫌われていないってことだよな。



 一粒を噛み締めながら、包み紙を見ると、それは鷹尾先輩が管理している発注書があった。



 ~篠原君へ。来年から備品の発注をお願い致します。素直に報告してくれてありがとう。 


  これが私からのクリスマスプレゼントです。君ならできるよ、ガンバレ!~



 ……敵わないな、やっぱり。



 ビターなチョコを取り出しながら、先輩への思いを募らせる。実家に帰ったとしても、あなたが心配しないように、これからも一つずつ仕事を覚えていきますよ。


 ほろ苦い気分を味わいながらも、気分が高揚しているのは先輩の笑顔が見れたからだ。必ず彼女に認めて貰えるよう、これからも頑張っていこう。


 二つのチョコを食べ終え、発注書を広げると、そこにはまだ彼女が書き残していた文があった。



 追伸


 いいオトコになったら、また報告待ってます! その時にはお台場のガンダムを一緒に見ようね!

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