天藤紅羽は暴れたい
第345話 まぁ、何もないわけがないわけで……
■
「では、当面はこちら北学区で引き受けますので、そちらでは来週以降から順次受け入れをお願いします」
他の学区の生徒会との打ち合わせの通信をそこで切る。
「……ふぅ」
ゆっくりと、背もたれに体重を預けて大きく息を吐く北学区副会長の来道黒鵜
「よぉ、お疲れ」
「ああ、ありがとう」
会計の会津清松は器用に学生証を片手で捜査してチャットを使って下級生たちに指示を出しつつ、淹れたばかりのコーヒーを渡す。
「そっちも、出迎えの準備で色々大変だっただろ」
「いや、大枠は氷川たちがやってくれたから特には大丈夫だぞ。
むしろ俺としてはレイドの時に薬品とか治療現場の体制を整えるための予算が余ってたから、それをどう使うか悩ませていたくらいだからな、渡りに船って奴だな」
そう言いつつもかなり濃いめのエスプレッソコーヒーに砂糖を多めに入れたものを飲む清松。その目にはかすかに隈ができているのがわかる。
「で、60層の住人は今後どうなるかの方向性は固まったのか?」
「来週までは北学区の寮の空き部屋か、60層の住居で暮らしてもらって、まずは地上に慣れてもらう。
長いこと日光を浴びて来てないからかな……子供の鬼は意外とすぐに慣れたが、大人の鬼は日光浴びただけで眩暈がするらしいから、まずは環境に慣れてもらう。
それから日光で何か体に影響がないのか東学区で検査も受けてもらう予定だ。
健康に問題がなければ、南か西で現代社会について交代で学んで研修してもらって……その後はそっちに丸投げになるが、現代社会で働くか、60層で暮らし続けるかってところだな」
「子供の方はどうするつもりだ? 純粋な鬼も、ハーフも、普通の人間といるわけだが……」
「小学、中学校の教師を招くって話もあるが……まぁ、基本的に教員や保育士志望の有志学生のボランティアか……まぁ、今時リモート授業もあるからそっちで一般教養を培ってもらう感じになるだろうな。その後どうなるかは本人たち次第だな」
「留年してる先輩たちは?」
「基本的には鬼の大人たちと同様だが、並行して地上に残った家族との連絡、所在の調査をするために希望者は東学区に留まる」
「ふぅん……外国の人もなんか混ざってたが、すぐにそっちに戻るのか?」
「いや、まだ色々と調査が必要だが……すでに全員家族がいる。そっちを放って帰るってのは、考えてないみたいだな」
「なるほど……とっくにもう二度と会えないと割り切っていたからだろうな」
「あと……60層で確認された農作物や農耕方法について、地上で生きていくために金に変えたいって人もいるからな。帰るにしても、先立つものは必要なんだろ。
そのあたりの交渉もムラオサと剛が南学区とすることになるだろうな」
「へぇ、意外と強か……いや、大人ならそのあたりのリスク管理は当然なのか?」
「割り切ってはいても、いつか地上に戻れた時のことも考えてはいたんだろうな。
まぁ、そっちは俺たちの手を離れているから良いとして、問題は……」
「魔剣、か」
シャムス
現状確認されている、唯一魔剣や、それに類する武器を作ることができる少女
現在世界に出回っている魔の武器の類の三割は、彼女の祖父であるテツが作ったものだとドラゴンが言っている。
「彼女の存在はまだ一部の連中しか知らない。
東学区で、魔剣の類の量産体制が整うまでは公開をする気はない」
「だな、また歌丸の時みたいに誘拐事件とか勘弁してもらいたいし」
歌丸ほどではないが、彼女の魔剣を作れるというのは間違いなく大きな影響力を発揮する爆弾だ。
「すでにレイドウェポンみたいな魔剣クラスの武器の製造技術は確立しているが、鬼形のように使用者の肉体を変化させるようなものは再現ができていない効果がいくつかある。
シャムスさんはそのあたりのことができることが確認されている」
「ああ、渉からも聞いたが……傍目からには普通に鍛冶をしてる様にしか見えなかったってな。
再現が可能ならあの場にいたほかの学生たちがやっていたはずだし……鬼の特性か……もしそうなら、シャムスさん以外の鬼も人身売買の対象になりかねねぇな」
「ああ、だからこそ、最悪の場合は事情を説明して、鬼たちはこの学園で一生保護って方向性も考えないといけないわけで……まぁ、東学区で再現できるように頑張ってもらうしかないな」
「……そういえば、もともとは渉は鬼形の呪いの影響で60層に急行したわけだが、今はどうなってる?」
「そのあたりはもう解決したと考えていいだろうな。
現状残った鬼形の残留思念が何らかの変化が生じているから、衝動的な行動はなくなっているとか……」
ドラゴンがそれを各迷宮に散らばらせたことで世界に広まり、そして彼の宿願であるスヴァローグの討伐を今回見事に果たされたわけだが……と黒鵜は思考を巡らせる。
「おいおいにはなるが……彼女の祖父の他の作品も、変化が起きてるか追ってみないとな……」
「……確かに、凶暴化するってデメリットが無くなっているなら、下手な量産したレイドウェポンより強力な武器だしな……呪いの変化は隠したまま、西学区の連中に話を持ち掛けて買い集めるか?
西部学園のほうでも買い集めてるやついたってのが神吉あたりが情報持ってるだろうし、その伝手でこっちに持ってくるように働きかけるか。銃音の奴も最近はやけに協力的だし……あっちの弱みも握ってたから行けるだろ」
着実に今、この日本の東部迷宮学園は力をつけている。
もともと世界でも屈指の実力者である天藤紅羽がいたが、今年に入ってからはそれがさらに拍車がかかったと言っていいだろう。
「――ドラゴンを倒す、か」
だからこそ、ふいにそんなことを口に出してみた黒鵜
「突然どうした?」
「いや……なんというか……今更になって俺も少し実感が湧いてきたのかもしれないなって」
「……なるほどな……お前も感化され始めたわけか。去年のお前なら寝言でも言わなかっただろうよ、そんな言葉」
「今でも正直戯言だと思っている自分がいる。だが……今、着実にそれにつながる道が見え始めているという実感もあるんだ」
歌丸連理
エンペラビット
この二つの接触から始まった新たな力がぞくぞくと見つかっている。
……もっとも、天藤紅羽が見つけていたミィス種に関しては単なる報告漏れだったわけだが……
どれもがドラゴンの倒すことに必要な要素である。
「……そして同じくらいに、ドラゴンの思惑の謎が深まっている」
ドラゴンを“邪神”と呼称する、推定ドラゴン級の能力を持っている犯罪組織ディー
人類をほかの神々から守ったという歴史を口伝している60層での龍神信仰
多くの人間に死を振りまき包む、飢餓や貧困にあった地球に迷宮をもたらして繁栄を維持している現代社会
その上で、ドラゴンを殺すことを目的とする榎並英里佳を筆頭とした歌丸たちに挑まれることを楽しみ、それを補助しているとも取れるドラゴンの動向。
「……とはいえ、ぶっちゃけ考えても無駄だろ。
歌丸たちが挑むとしても、早くても来年……順当に考えれば、奴が卒業する直前だな。
とっくに卒業してる俺たちができることなんて限られてるし、考えるだけ無駄だろ」
「……そうだな……そうなんだが…………そうじゃない奴がいるだろ」
「…………まぁ、な」
黒鵜の含みのある視線が向く先、そこにはほとんど座られていないのか、購入してからずいぶん経つが真新しい背もたれのついた椅子がある。
それを見て、清松も目を細める。
「卒業式の日、レイドが終わった後に船の出向時間に地上にいる卒業生は港に来た船に強制転移でこの学園を卒業させられる。
だが……今回の一件で、特定の条件のあるものは、留年できることも判明した」
猛烈にいやな予感がすでにしているからか、黒鵜は苦々しい表情をしつつ制服の上から腹部を掴むようにして抑える。
――迷宮内で生死不明――つまり、遭難と認定されている者の留年
今回の60層到達によって判明したこの事実
そもそも迷宮での遭難はほとんどが死を意味しているので、考える者たちだっていなかったことだろう。
だが事実として、迷宮の中には鬼たちが普通に生活できる空間が確保されていた。
同じような場所が無い、と断言できない。
「紅羽や灰谷みたいな迷宮狂い……フロントライナーの連中がこれを知って……おとなしくしてると思うか?」
実際森林エリアにあるエンペラビットの巣でも、人間が生活するには困らない程度の水源や、果物が実っているのは確認されている。
具体的な条件についてはこれから要確認だが……状況だけならば再現して試せる。
この学園から学生たちが生きて本島に帰る場合は、原則、卒業式の日に、卒業生が港に来る船に乗る以外には方法はない。
つまり、卒業式の日……卒業レイドなどといってドラゴンが大暴れするその日、その状況で迷宮内部で潜伏し、船が出向すればその卒業生は学園に残れる……かもしれない。
とはいえ、卒業式の日に迷宮は通常時と大きく異なる環境になっており、レイドボスがウジャウジャ出現し続けているということで、そんな日に迷宮に入って消息不明となった者は60層にもいないことを考えれば死亡していると考えてもよいだろう。
――榎並勇吾(推定)のような例外はいるが――
「一応調べたが、遭難者の中には卒業必修単位を取っている人もいた。その上で、卒業式の日が過ぎても迷宮に留まっていた。
スヴァローグのような存在が障害になっていた可能性は十分にあるが……正直、あの牛がドラゴンの力に真正面から対抗できるような存在だとは俺は思ってない。十分強いのは確かだが、ドラゴンのように底が見えないほどの脅威には思えなかった。
となると、ドラゴンは正直そこまで積極的に学生を卒業させることに執着はしていないんだろうな」
「卒業式の日、フロントライナーが一斉に行方不明、か」
「もしくは……卒業式前にバックレる」
「「…………」」
そこまで考えて、二人とも最悪の未来を想像してしまう。
三年生の主力でもあるフロントライナーがいなくなって迎える卒業式など、どう考えても被害を抑えきれない。
ここまで死者が例年と比較すると信じられないほどに低くなっているというのに、卒業の時にその数値が一気に跳ね上がるなど、卒業する身としてもあまりに後味が悪い。
「……ドラゴンを倒すって目的を考えれば、むしろその方が良いのかもしれないが……」
「ああ、だが……」
毎年、死者が出るのはもはや普通となっていることではあるが、だからと言って、人が死んでも何も思わないほどに、二人とも冷血ではいられないのだ。
「…………まぁ、うん、まだ先のことだし……な」
「そう、だな……うん……そうだ。先のこと……まだ半年くらい先のことだしな……」
「「はははははははは」」
二人とも、何かをごまかすように若干顔を引きつらせながら笑う。
そして、二人して少しだけぬるくなったコーヒーをあおるように飲み干す。
「……さてと」「ああ」
「「飯食って寝る」」
正直もう、二人とも限界なので、難しいことは後回しにするのであった。
――もっとも……
■
「……流石にもう、我慢できないわ」
「GRRR……」
縁日で朗らかに遊びまわる中央広場にいる者たちを眺めつつ、天藤紅羽は相棒のソラの背にまたがりつつも、目に見えて不機嫌さを醸し出す。
「ソラ、私ね……今回の60層に行けば、すっごい強いのがいるって聞いて、暴れまわれるって期待してたの」
「G,GRRU……」
「でも、ふたを開けてみれば……あれよ、あれ……ふざけてんの、って感じ」
今回、立ちふさがった障害であるスヴァローグは、直接的な戦闘能力ももちろん高かったが、それ以上にステータスが高いものほど強く影響を受けるデバフに与えるやっかいギミック
真っ正面からのぶつかり合いを好む彼女にとっては、一番気に入らないタイプだった。
そして、結局自分ではけりをつけることができなかったのもさらに彼女を苛立たせる。
後輩たちの手前、一応は我慢していたのだ。
しかし、それも限界が近い。
体育祭は自分のやらかしもあって、暴れられる場が制限されたし、夏休みのレイドはドラゴンからの横やりもありつつ、先輩として後輩の成長のために手は出さず、ようやく暴れられたとこでの肩透かし。
「――よし、学園長に直談判、あわよくばそのままぶっ殺そう!」
というわけで、黒鵜と清松の考えを他所に、当の本人は、別の理由で苛立って暴れだす直前になっているのであった。
■
60層からやってきた鬼たちを出迎える縁日もひと段落し、後は今日はもう帰って寝るだけのはずだったんだが……どういうわけか、僕、歌丸連理はただいま東学区のでっかい病院に来ていた。
「えっと……歌丸連理さん、榎並英里佳さん……そしてこちらはかなり軽度ですが、稲生薺さんも同じ症状が出てますね」
「はぁ」
なにやら深刻そうな医者の言葉に、僕は状況が分からずに首をかしげる。
「あの、症状って……私たち、何か病気なのでしょうか?」
「え……私、すごい元気よ?」
英里佳の言葉に、稲生が驚いたように首を傾げている。
「病気……といいますか、原因は魔力の過剰供給にあります」
「「魔力の過剰供給……?」」
いまいち聞き覚えのない現象に、僕も稲生も首を傾げた。
「……初期の頃の迷宮でたまに起きたって聞いたことがある。
当時は迷宮の内部に試験的にドラゴンが魔力を強制で回復させる装置が置かれたりしたけど、魔力を使わない人がその装置を使うと、気絶したとか……」
「はい、そうです。
その時に出てくる眼球の変色……より正確には、魔力の影響を受けて体液が一時的に微細な発光する現象が皆さんに確認できました。
とはいえ、当時ほどひどい状況ではないので、本当にほのかに光る程度が現状ですね」
あのドラゴン、迷宮学園始めた頃って本当に手探りだったんだなぁ……巻き込まれた当時の先輩や英里佳のお母さん、マジで苦労したんだなぁ……
「今の迷宮にそんな装置はなかったし、使った覚えもありません。
なぜそんな風になったんですか? やはり……なにか病気とか?」
「いえ、まぁ、いままで前例がなかったことなので具体的には病気なのかと問われるとなんとも難しいところですが……お三方の共通点から考えて、この魔力の過剰供給の原因は明確です」
その言葉に僕は少し考えて、いつの間にか合流してた稲生を見てピンときた。
「エンペラビットとの融合、ですか?」
「はい、そうです」
医者はパソコンの画面を見せると、僕、英里佳、稲生のそれぞれのレントゲンらしきものを見せてきた。
「歌丸さんの症状は事前に本島の主治医から聞いているので本来は違うのでしょうが、榎並さんと稲生さんのお二人の心臓には、それぞれ健常状態の人間には見られない異様に発達した部位が形成されているようなんです」
心臓、か……まぁ、確かに僕の心臓って今もドラゴンとの取引で僕の身体の中にはないからなぁ……
「発達した部位……っていうと、それは悪い部分なんですか?」
僕が恐る恐る聞くと、医者も何とも歯切れの悪い様子で首を横に振る。
「まだ何とも言えませんが、心肺機能が向上しているのは確認できています」
「心肺機能の向上……ねぇ」
ぶっちゃけ超呼吸のスキルがあるから、そんな今更上がってもなぁっていうのが感想である。
なんなら特性共有で英里佳も稲生も同じ状態だし。
「それと……こちらはまだ完全な数値を測定できるわけではありませんが、保有している魔力量が三人とも魔法を使う職業の人と比較しても遜色がないくらいに増えています」
「「「え」」」
医者からのその言葉に、僕は当然、英里佳に稲生も目を丸くした。
僕は当然のことだが、英里佳も魔力を使うようなスキルは少ない。
稲生は一応ユキムラの支援で使うが、ユキムラの素の能力が高いからそんなに頻繁には使わない。
だからこそ、魔力を増やすようなステータス配分は、僕たち三人はあまり行っていないはずだったんだが……
「ステータスの加算を考えても、魔力量が増えている原因がこの心臓の発達にある可能性があり……もしかすると、普通の学生と違って、心臓が魔力を貯めこむ器官として発達しているのではないかと考えれます」
「は、はぁ……つまり、魔力が増えているんですよね?」
「はい」
「……まぁ、物理無効スキル使うのには役立つ、かな。
シャチホコたちがスキル使うときとか、一応魔力使うし」
「うん……まぁ、ないよりはマシなの……かなぁ?」
「私は今よりもっとユキムラにスキル使っても問題ないってことよね」
なんかすごい変化なのかもしれないけど、ぶっちゃけ僕たちには無用の長物感がぬぐえないなぁ……
「いえ、本題はここからです」
しかしそんなときに、医者がやけに深刻そうな顔をして真剣に、なんかすごい僕の方を見ている。
「歌丸さん、落ち着いて聞いてください」
それ聞いたら絶対落ち着けないときに言われる言葉だ。
あと、この雰囲気にはものすごく既視感がある。
「他のお二人は大丈夫でしたが……歌丸さん、あなたの場合は、お二人と違って、肝心の発達する心臓が今も無い状況です」
「……あ、そう、ですね。確かに…………あれ、でも……魔力は僕も高まっているん、ですよね?」
「はい、そこが一番問題なのです。
お二人の心臓は、増えた魔力量に合わせて肉体が適応している結果にあるわけですが……
歌丸さん、あなたには今、その適応するために心臓が無いんです」
「…………ぁ」
なんとなく、僕はこの時点で察しがついてしまう。
ちらっと横目で見ると、英里佳も稲生も、心配そうな表情をしている。
ああ……なんか、すっごくあの時と似ている。
「糖尿病患者とかなり近い状況で、魔力の血中での濃度が高まりすぎて、内臓がその負荷に耐えきれなくなり機能不全を起こしかけています。
特に消化器に大きな負担が今もかかっており、このままでは――」
――僕の病気を知った時の両親と同じ顔だ。
「年内か、早ければ2か月後には、何を食べてもまともに体が栄養を吸収できないほど衰弱して、そのまま壊死する可能性があり」
いや、もともとそういう覚悟は入学前にはしていたんだけどさ……
「年を越せず、死んでしまいます」
卒業するまでの余命が一気に三分の一になるとは思わないじゃん……
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