第319話 歌丸連理の価値⑭


開始時刻になると同時に、中央広場に直径で50mは越すであろう大穴が出現し、大きな腕がそこから伸びてきて地面を掴んだ。


しかし、そこから姿を現そうとするレイドボスよりも注目されている存在が他にいた。



「うぅうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」



雄たけびをあげながら全速力で走る歌丸連理である。



「何してんだあいつ!?」

「馬鹿なのか?」

「歌丸連理だからなぁ……」



大規模戦闘に参加していた他の生徒たちも、開幕直後にレイドボスに向かって突進を開始した歌丸連理の姿に驚愕、侮蔑、呆れと様々な感情を見せる。


そんなことはどうでもいいと言わんばかりに歌丸連理は必死に走っていた。


陸上選手としての理想のフォームを睡眠時間を限界まで削って叩き込み、スキルに物を言わせての常時全力疾走。


そして中央広場の真ん中に巨大な穴が出現しているレイドボスの顔がようやく見えた。



――――GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!



「「「「!!」」」」



大気を震わせ、本能的に身がすくむような咆哮



「うっそだろ……初日からかよ……!?」



誰かが呟く。


現存確認されているレイドボス


その中で最も多くの人類を殺してきたと断言されている存在


九つの頭と、強烈な毒を持つ竜の怪物



【ヒュドラ】



それが今回のレイドボスで出現したのだ。


神話上では蛇として描かれることが多いが、こちらのヒュドラはドラゴンに分類される迷宮生物で九つの首という超重量の胴体を支えるために発達した手足が存在する。


神話のように頭を切り裂いたら倍に増えるという埒がいなことはさすがにおきないが、首を切断しても一分ほどで新しい頭が出来上がり、三分も経てば鱗が堅く生えそろうほどの常識外れの再生能力と不死性を持ち合わせている。


最も、首を一つ落とすだけでも相当な力が必要になる。


神話においての倒し方はギリシャ神話の英雄ヘラクレスが甥と協力して八つの首を切り落とした状態で傷口を焼いて再生を阻害した上で、さらに残った首を切り落とした後に岩で下敷きにして倒したとされる。


このヒュドラについての倒し方もそれに倣っている。


具体的には【真ん中にある首を胴体から切り離して、9割以上を破壊する】が条件となっている。


だが、それがどれだけ難しいのかは言うまでもない。


何といっても人類の天敵のドラゴン


その鱗の頑丈さと再生能力は他の首とは比にならない。


それを楽にやってのける人間など、世界全体で探しても十もいるかも怪しいだろう。


最も、ならば、他のレイドボスと大差はない。


このヒュドラが厄介なのは、他の要因がある。



「冗談だろ、こんなの!」

「初日からこれとか、シャレになってねぇぞ!!」



一部の者たちは、ヒュドラの姿を見てすぐさま逃げ出す。


現実を見た、という他ない。


もしかしたら自分にもチャンスがあるのでは、という甘い夢から今覚めたのだ。


そしてそれは、正しい判断だともいえる。



GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!



「が、ぁ……!」

「ぅ、ぐ……!」



ヒュドラの咆哮


それだけで、苦痛に顔を歪める者が出てくる。


ヒュドラという存在は神話上で最も恐ろしく語られるのは、その毒


多くの英雄を苦しめ自死を選ばせてきたその毒は、もはやヒュドラという存在をたらしめる概念といっても良い。


その姿を見る、その声を聴く、その体に触れる


たったそれだけで体中が痺れ、耐えがたい痛みの毒に苦しめられてしまうのだ。


中には気絶してしまった者までいる。


これ自体には致死性は無いが、そのような状態ではまともに戦うことなどできず、過去に多くの学生たちがヒュドラの踏み潰され、食い殺されてきた。



――だが、今この場には、状態異常対策においては右に出るものがいない歌丸連理の存在があった。



範囲共有ワンフォーオール、発動!


対象 苦痛耐性フェイクストイシズム痙攣無効クランプサーマウント意識覚醒アウェアー!!」



歌丸連理を中心に広範囲にスキルの共有空間が広がる。


ポイントを消費して、効果範囲をさらに拡大したそのスキルは、中央広場全部を覆いつくしてしまうほどものだった。


ヒュドラの毒によって苦しんでいた者たちは、スキルの効果範囲にいることによって正常に戻る。


痛みや痺れが完全に無くなったわけではないが、かなり緩和され、意識を失った者たちもすぐに起き上がる。



「――でぇあああああああああああああ!!!!」



そんな状況など知ったことかと声を張り上げ、まるで自分の存在を誇示するように歌丸連理はストレージからあらかじめ登録していたと思われる動作をすると、その手にプラスチック製と思われるボールが出現し、それを力いっぱいヒュドラに向かって投げつける。


プラスチックボールはヒュドラの頭の一つにぶつかると、表面が割れて、中に入っていたと思われる液体がぶちまけられ、頭の一つだけが赤色の液体に塗れた。



「GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!??」



明らかにダメージは無いはずだが、その液体によってヒュドラは液体に塗れた頭はもちろん、他の頭まで激しく頭を振って暴れ出す。





「まずは第一段階ね。


むしろ好都合、これ以上ないほど倒しやすい当たりを引いたわね」



その手にレイドウェポンの【拡張系統魔法弓type SINGLE ミストラル・タスク】が握られていたが、ただ持っているだけでまだ射撃の構えは取っていない。



「きゅるる」



その足元には、いざという時の歌丸連理への一方的な連絡手段としてエルフラビットのワサビが控えている。



「状態異常を使って嵌めてくる敵に対して、歌丸くん以上にメタを張れる人材って他にいませんからね」



そんな氷川明依の近くに控える形でオーケストラの指揮棒くらいの長さの杖を手に持っている苅澤紗々芽


その杖はパートナーであるドライアドのララが夏休みの時間をかけて用意した自分の肉体にさらに力を込めて捻出した木製の杖であり、市販されているウィザード系の武装よりも遥かに高性能であった。


【ドルイド系統特化式魔法杖 ドライアドケイン】


扱いとしては歌丸が手に入れた【魔剣 鬼形おになり】と同じように迷宮で手に入る武装の一種で、基本的には強力な個体に成長したドライアドの核の一部とされているが、ドライアド自体がかなり希少なので、ここ数年で手に入れたという事例もいまだに全世界で五件も満たない。


魔剣ほどではないが、下手なレイドウェポンよりも入手困難な一品だ。


職業がドルイド、もしくはドライアドをテイムしてる場合での魔法使用時の魔力の消費を抑え、効果を高め、両方の条件を満たす紗々芽が使用した場合はさらに倍の効果を発揮する。


文字通りに体の一部、それも核の一部となれば、作るだけならまだしも、核から切り離す際の激痛にドライアドが耐えられずに大暴れするため、倒す以外の方法でこれまで入手できた経歴が無いのだという。


人間で言うなら、意識がある状態で肋骨を引き抜く行為に等しいため、テイムしたとしても手に入ることはまずない。


まずドライアドだって自分の命を賭けてまで、というのもあるし、ドライアドには人間の薬品の類も効きずらいため、麻酔だって聞かないのだから仕方がない。


しかし、歌丸の“苦痛耐性”と三上詩織の“クリアブリザード”による冷却の合わせ技の疑似麻酔での切除、その後の大量の回復魔法と回復薬の大量投入により、無事にドライアドケインの入手を達成したのである。


そのような経緯で実質レイドウェポン扱いのドライアドケインが苅澤紗々芽の手にあるのである。



「ところで、あの赤い液体はなんですか?」


「ニンニク、木酢、唐辛子をそれぞれ濃縮したものに、マーナガルムの尿を混ぜたとっておきの忌避剤よ」


「えぇ……」



まさかのレシピにドン引きする紗々芽


前者3つだけでも大抵の生物は嫌がるが、そこにマーナガルム――ユキムラの尿となれば効果は覿面だろう。


今だってヒュドラが九つの首を動かして暴れまわり、特に忌避剤を直接被った首など地面に頭をこすりつけている真っ最中だ。



『うぉ、お、おぅおおああおおおおおおおおおおおおお!!!!』



そしてそんな暴れまわるヒュドラの近くで、これまた軽やかに、それこそ羽のように身軽な動きで地面とヒュドラの身体を足場に動き回る歌丸連理


激しい動きで草や石の欠片で頬を切ったのかかすり傷ができているが、その程度しか負傷がない。


そしてちゃっかりその間にもヒュドラの体中に忌避剤入りのペイントボールを投げつけまくる。



「「「「「「「「「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」」」」」」」」」



結果、全ての首が忌避剤塗れになり、全ての首が激昂した状態で歌丸連理を睨んでいた。


――この野郎、絶対ぜってぇにぶっ殺す。


そんな途轍もない殺意がヒュドラの全身から放たれていた。


ちなみに、ヒュドラは激昂状態になると体表が赤くなって、毒により感じる痛みが数倍に引きあがり、出血した状態では血の勢いが増していくという特性があるのだが……



『やーい、バーカバーカ! うっすのろー!!』



頬から割とシャレにならない量の血がドバドバと流れ出ているが、血界突破オーバーブラッドを持っているので全く意味ないし、痛みが増したって苦痛耐性を突破できるほどのものではなかった。


つまり現状、ヒュドラ最大の脅威である広範囲無差別の毒性が、歌丸連理によってほぼ無力化されてしまっているのである。


ヒュドラはそんな歌丸を鬱陶しく、殺したい存在だと認識して周囲の生徒や進行方向などまるで無視して追跡をするが、素の状態では鈍足といっても良いヒュドラは、この夏季の期間でトップアスリート並になった鍛えた歌丸の健脚の前に翻弄されていく。



「さぁ、それじゃあすでに勝ちは確定したけど……速攻で片付けましょうか。


――共存強想Lev.4」



そして今、氷川明依が動き出す。



真音面目務徒マネジメント





「くっ……は、は、はぁ!」

「これが、レイドボス……なのか……!」



ヒュドラの毒を受け意識を失った北学区所属の一年生たちが、歌丸連理のスキルの効果によって目を覚ます。


今も毒によって痛みを感じるが、ちょっと我慢できる程度しかない。



「ってか、あいつ一体何やってんだ?」



北学区の一年男子――一部の女子から〈NI5〉と呼ばれている者たち――のリーダーというあだ名で呼ばれている生徒が、歌丸連理の行動に困惑してヒュドラの動きを見ていた。


何やら全身が赤い液体塗れな上に、鼻にツンと来る悪臭がここまで来るが、ダメージが与えられているようには思えない。



「マジ意味わかんなくね、タツキは?」



あだ名がキムの男子生徒も困惑する。



「歌丸連理の考えることなんてわかるわけねぇだろ……」


「思考が異次元過ぎるだろ……」



キムに同調する山ちゃん



「思惑はともかく、これマズいぞ」



困惑する四人の他所に、残った一人のマツジの頭が冴え渡る。



「もし、万が一だぞ……?


ここで歌丸連理が死んだら、例の特別クラスって、どうなる?」



マツジのその言葉に、その場にいた四人――否、



『「(《“このままじゃ特別クラスそのものが無くなる!!”》)」』



言葉か思考かで反応は違うが、



「す、すぐにヒュドラを仕留めるぞ!!」

「ああ、まず足を狙って動きを完全に止めるぞ!!」

「鱗の突破手段は!」

「大枚叩いて用意した大型迷宮生物用チェーンソーがあるぞ!!」

「再生する首は!」

「切断したらすぐに炎でも電撃でもいいから焼け! それでしばらく再生しない!」



打ち合わせなど、ここが初めてのはずなのに、その場にいる者たちが即座にこの状況で自分たちがどう動くべきなのか最適解を導き出す。


そしてその場合、自分はどう動くべきなのか、どう言った攻撃をすべきなのか、もしくはヒュドラの動きにどのような対策があるのかなど、とてつもない速度で全員に共有されていく。


そしてその中には、歌丸連理をヒュドラから引っぺがしたり、その場から逃げ出そうという意見が一つも出てこない。


ただただ純粋に、ヒュドラを確実に倒すという一つの目的のみで、全員が動き出そうとしていたのだ。





「うっわぁ……」

「GRR……」

「きゅう」

「「きゅ」」



マーナガルムのユキムラに乗って状況を見守っていた稲生薺と、神吉千早妃の姿を取っているヴィーナスドウターのシャチホコ、そしてナズナに抱き着いている子兎のヴァイスとシュバルツ


心なしか、自分の尿の忌避剤が使われているユキムラは気まずそうな顔をしている。



「おっかねぇッスねぇ……」

「ぎゅう」



そしてその近くで控えているのは、日暮戒斗と、その肩にはドワーフラビットのギンシャリが乗っている。



「今更だけどこれってさ、例の“ディー”とかいうのが蛇とか呼んでいた奴にしてることと似てない……?」



引き攣った顔で恐る恐ると戒斗に問いかけるナズナ。


それに対して戒斗はきつ然とした態度で、



「……別に悪いことやってるわけじゃないんだから問題は――…………ノーコメントッス」



出来なかった。


内心、彼も同じことを思っていたのだから。


しかし、状況が状況だけにこの方法を否定することもできないなと判断し、今、一切指示もされていないのに一個のまとまった集団してヒュドラに挑もうとする北学区の生徒たちの姿を眺める。


そして続いてその視線は悦の入った表情で口元を軽く押さえている氷川明依、ヒュドラの攻撃を流血しながらも全速力で回避し続ける歌丸連理の順番で視線を送った。



「先導する扇動者、か」


「何よ、急に?」


「いやその……氷川先輩がスキルのこと説明する時にそんなことを呟いてたんスよ。


その時はピンとこなかったけど、今ならよくわかるッス」



歌丸連理の姿を、日暮戒斗は見た。


そして、その異常性の本質をこの日、この時、彼と出会ってから初めて捉えたのだ。



「あいつは、群れること、そして、その群の行動の起点を作り出すことの才能――いや、そういう天運に恵まれている。


元々天災的なまでの扇動者アジテーターだったんスよ」



その芽は、本当に最初は小さなもので、幸運と偶然が重なってゆっくりと育まれてきた。


そしてそれが今、周囲の動きではない。


本人の意志によって巻き起こされる。



「氷川明依


――間違いなく、あの先輩こそが連理の扇動者としての能力を跳ね上げた。


もう、本当の意味であいつを止められる奴いなくなるッスよ」



言葉の端々に強い恐怖のようなものが滲んでいた。



「ねぇ」



しかし、そんな戒斗を見てナズナは呆れ果てる。



「それ、めっちゃ笑顔で言うことじゃなくない?」

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