第310話 歌丸連理の価値⑤

物凄く帰りたい。


現実逃避から回復した僕だが、すぐさま現実逃避を再開したい気持ちでいっぱいになる。


あのベンチに座っている酔っ払いは、まごうこと無き氷川明依であった。


空き缶のラベルをよくよく目を凝らしてみると、賢さが低い人ほど混乱状態に陥りやすくなる効果がある南学区と西学区で共同開発されたあのお酒モドキだ。


ノンアルコールで体への害はないのだが、飲むと軽度の混乱状態になり、傍目からは酔っぱらっているように見える飲料である。


氷川明依はかなり頭が切れるが、職業はどちらかというと戦士系のスナイパーだ。


ステータス的な意味での賢さは低いから、あそこまで酷く酔っぱらっているのかもしれない。



「みんなみんな、どうじてぇ……どうじでぇぇべぇええぁああううううぅぅぅぅぇぇえええええあ……!!」



幼稚園児でももうちょい理性的に嘆くと思う。


普段の腹立つほどきっちりした姿がもう面影もない。


こんな姿が学内で広められたら確実に生徒会の信頼が地に堕ちる。


これはどこかの誰かが見つける前にどうにかした方が良い。



「おい、氷川明依!」



ひとまず僕は意を決して声をかける。



「ぶべぇぇええええええええ!!」



大声で泣くだけで、僕がいることすら気付いていないっぽい。


めんどくせえぇ……! 私生活の大部分を病院で過ごした僕にとって酔っ払いの相手とか未知の領域が多い。


英里佳が大暴れしたことは除くとして……これ、やっぱり他に誰かの助けを求めた方が良いか?


いや、ひとまずこのスキャンダルになりそうな空缶の散乱した状況から何とかしよう。



「シャチホコ、空き缶を一か所に集めてくれ」


「きゅう」



シャチホコは英里佳の幼女バージョンの姿に変化し、そして素早い動きで空き缶を集め始め、僕は集まったそれをストレージに収納して片付ける。



「んぅ?」



そしてさっきは声掛けしても気づかなかったのに、シャチホコの姿に目が付く。



「ふん!」

「きゅ!?」


「は……!?」



そして次に起きた出来事に思わず目を疑う。


空き缶を集めていたとはいえ、動き回るシャチホコを氷川明依はあっさりと捕まえて抱きしめてしまったのだ。


まるでシャチホコの動きを完全に予測していたかのようにだ。目がいいのは知っていたが、ここまでとは……



「ずるぃいいい、あなたばっかり、みんなすごいすっごいってぇー……ずーるぃいいーーーー!!」


「きゅ、きゅ! た、たすけて!!」



堪らず助けを求めるシャチホコ。


泣きわめきながら揺さぶられるシャチホコ。


格好は完全に幼女なので、それを羽交い締めにして泣きわめく氷川明依の姿は事案である。



「ちょっと待ってろ。


……――あ、もしもし戒斗?」


『どうしたんスか急に?』


「ごめん、ちょっと特性共有一旦解除していい?」


『別にいいッスけど、何やってんスか……今どこに?


部屋にいたはずッスよね』


「ちょっと北学区の中を散歩してて……ちょい事情の説明がしづらい。


僕一人だと対処に困るから、もし忙しくないならギンシャリと一緒にこっち来てくれない?」


『はぁ……まぁ、とにかく分かったッス。こっちも今日のところは一段落着いたんで』


「ああ、よろしく」



戒斗から許可を貰い、特性共有の枠を一つ空けた。


そしてその枠を使い、酔っぱらっている氷川明依の腕を掴んで特性共有を発動させた。



「――ん」



顔の赤みはそのままだが、今まで目が座っていた氷川明依の眼がパチッと丸くなり、僕を見て、自分が抱きしめているシャチホコを見て、次に片付けきれなかった空き缶の残りを見る。



「………………」



ゆっくりと無言でシャチホコを解放し、そして氷川明依は自分の学生証を操作して、そこから更に未開封の缶を取り出してプルタブを開け――



「――ゴクゴク」


「飲むな飲むな飲むな!」



正気に戻ったはずなのに再び混乱状態になろうとする氷川明依を止める。


すぐさま缶を奪うが、今の一瞬ですべて飲み切っていた。早すぎる……



「……なんてことしてんのよ……酔えないとか最悪じゃない」


「まさかとは思っていたけど……やっぱり自分の意志で酔っ払ってたんだな」



まぁ、僕のスキルの効果で酔っ払うことは無いので、今も素面のままである。


……実は慣れると僕以外にも自分の意志でオンオフ設定できるらしいのだが、流石にそれには気付いてないようで安心した。



「病欠してたくせに、こんなところでなにしてるのよ」


「そのセリフ、そっくりそのまま返してやる。


現生徒会の首脳がこんなところで飲んだくれているとか、スキャンダルになるだろうが」


「……うるさいわね、放っておいてよ」



いつもの理屈臭い言葉が出てこない。


これは、思っていた以上に重傷っぽいな。


たぶん僕がスキルを解除したら即座にまた飲んだくれるぞ、これは。



「それ、安くないだろ。よくこんだけ用意したな……」


「試供品としてこっちに配られたり、風紀委員が没収してそのまま取りに来なくてあまったのよ」



そう言いながら、また新しい缶を開ける。



「おい、僕のスキル、解除する気はないぞ」


「うるさいわね……普通に美味しいから飲んでるのよ」



そう言って再び飲み直す氷川明依


アル中の人って、もしかしてこういう生真面目な奴が多いのだろうか……そんなことを考えてしまうくらいには様になっている。



「見下ろしてんじゃないわよ、座りなさい」


「あ、ああ……」



少し距離を開けて氷川明依の隣に腰かける。



「……あんた飲む?」


「いや、別に」「飲め」「あ、はい」



有無を言わさぬ眼力に思わず頷いてしまう。


……まさか、これが世間一般で言うところのアルコールハラスメントという奴か? 


いや、厳密にはアルコールではないんだけどね。アルコールではない。大事なことだ、うんうん。


ひとまず氷川明依から未開封の缶を受取ってプルタブを開ける。


一口飲むと、まぁ飲みやすいものだ。


混乱状態にはスキルによって防がれるので、ちょっと風味に癖のあるジュースという感じだ。


うん……南学区と西学区が本腰入れて作ってるだけあって、普通に美味い。



「はぁ……まさかあんたなんかと一緒にこんなことする日が来るとはね……」


「……こっちのセリフだ」



シャチホコは兎の姿に戻り、再び僕の頭の上に乗ってきて、氷川を警戒してるのかチラチラと横目で見る。



「さっきは悪かったわよ……そんなに警戒しないでよ」


「……英里佳と勘違いしたのか」


「敬語」


「……英里佳と、勘違い、したん、で す か?」


「腹立つからやっぱりいいわ」



この女ぁ……



「はぁ……そりゃ、あんだけ似てたらそう思うでしょ。


髪の色と瞳が充血してるけど……混乱状態になると色の違いとかわからないのね。初めて知ったわ」



色彩感覚狂うって、やっぱりこの飲み物危険物じゃね?


自分が今まさに飲んでいるモノに危機感を抱く一方で、一つ疑問が出る。


つい先ほど……

――「ずるぃいいい、あなたばっかり、みんなすごいすっごいってぇー……ずーるぃいいーーーー!!」

と、駄々っ子のようなことを言っていた。



「英里佳がずるいって、どういう意味だったんだよ?」



僕の問いに、これでもかと苦々しい顔を見せる氷川明依。



「別に、なんでもないわよ」


「なんでもなくはない。


……もし英里佳に危害を加える気なら、なおさら黙っていられない」


「……――っるさいわね」



こいつ、もはや僕が知る氷川明依とは別人なのではないだろうか?


態度が全然違うもん。



「別に、ただあの子が羨ましいって思う以外では、悪意はないわよ」


「英里佳が羨ましい?


……あんたの方がよっぽど立場は上だろ」


「……生徒会長を目指してるのよ、私」


「え……まぁ、知ってるけど」


「自己顕示欲が人一倍強いのよ、私」



その発言はちょっと意外だった。


なんとなくそんな気はしていたが、まさかそれを自らカミングアウトしてくるとは思っていなかったのだ。



「昔から、褒められるのが好きだった。


だから大人の言うことにはしっかり聞くいい子だったし……そのせいで同級生にウザがられたことなんてたくさんあったけど、そういう連中は私自身の高い実力で黙らせてきたわ」



飲みかけの缶を両手で包みながら語りだす氷川明依



「そして私をウザがってた馬鹿どもが最終的に私の指示に唯々諾々と従う姿を見て、私は自分が正しいんだって胸を張れた」



コイツの人格、実は結構歪んでね?


…………まぁ、比較的にまともだろうけど、そもそも完全にまともな人間は普通は北学区には来ないか、うん。こいつもこいつで結構狂ってたんだな、うん。


……あれ、そんな奴らから色々言われている僕って…………いや、気にするのはやめよう。


周りの評価がどうこうより、やっぱり一番大事なのは自分の気の持ちようだもんね、うん!



「だからこそ……私は今の状況が我慢ならないのよ。


私があの馬鹿どものためにどれだけ頭を悩ませてると思ってるのよ……!


なのにどいつもこいつも私のこと鬱陶しい、自己保身とか好き勝手言いやがってぇ……」



メキメキと缶を握りつぶしていく氷川明依



「そのくせ、榎並英里佳や三上詩織は凄いとか、次期会長候補とかもてはやして……!


今回のレイドで、あの二人がいれば大丈夫とかほざく大馬鹿もいるし!


――あの二人が活躍する状況って、どれだけ人が死んだ後だと思ってるのよふざけんな!!


そうならないためにこっちがどれだけ頑張ってるかも知らないで、馬鹿ばっかりでうんざりすんのよ!!!!」



まだ中身が残っている缶を投げ捨てる氷川明依


かなり鬱憤が溜まっていたのはあるが……それと同時に、現状をかなり重く受け止めてもいたのだろう。


しかしどうにも違和感が残る。


氷川明依は言い方は悪いが周囲を見下しているのだろう。他人の行動や言動、意志を軽視してるのは否めない。


その一方でかなり他人の命を優先している。とても良いことだが……もっと自分のことを考えても良いはずだ。


これが政治家とかだったら自己保身のために我慢するかもだが、今回の場合はあのドラゴンの行動があり、教師たちもしかたないとはいえそれに従った。だから今回の大規模戦闘での僕たちに協力しなかった場合の死人は完全に本人の責任だ。


氷川明依が諦めたとして責める者はいないし、むしろドラゴンのせいだと責任をなすりつけられる。


その状況で、彼女がここまで他人の命を守ることに執着する理由はいったいなんなんだろうか?



「……死人が出るって、今日、鬼龍院の奴に言われた」



ただ、そんな彼女に対して僕は今、強い共感を抱いてもいたのだ。



「この学園に来た時点で、誰かが死ぬことは珍しくないって……そう覚悟してたつもりだったけど、いざ言われて頭が真っ白になった。


僕は、今回の大規模戦闘で誰かが死ぬことを怖いと思ってる。


あんたも、そうなんだろ」



自己責任とか、気にするなとか言われても、それでも死んでほしくないという傲慢なお節介を彼女は他者に感じているのだろう。



「怖いとか、一緒にしないで…………私はただ、思い出したくないだけ」



そう言って、また新しい缶を開ける。



「何を?」


「……前の卒業式の日の、大規模戦闘……生徒会役員で、今年三年の書記になるはずだった人が死んだのよ」



生徒会にはそれぞれ役職がある。基本的には、会長が一人、副会長、会計、書記がそれぞれ二、三年で二人いる。


顔は出していないが、湊先輩は二年の会計だったはずだ。


あと空席なのは……氷川が言ったように、三年の書記だけだ。



「……仲、良かった?」


「……事務的な会話くらいしかした覚えがないけど、私に生徒会のいろはを教えてくれた人だったわね。


実力は高いけど、器用貧乏というか……一番にはなれない、そんな人よ」



性格がマイルドな鬼龍院、という感じか?



「でも、生存能力はかなり高かったわ。


もともと迷宮の湊さんと同じ救命課で、救助活動に積極的な人だった。


敵を倒すことより、生き残るための技術を学び、そして助けるために動いていた」


「そんな人でも殺されるくらい、強いレイドボスが出たってこと?」


「……レイドボスってだけで十分に規格外だけど、例年の平均から大きく逸脱するような強さではなかったわ。


死んだ原因は、大した成績も残せず、大学受験や就職に失敗して自棄を起こした連中を庇ったからよ」


「……」



その言葉に、氷川のやるせない気持ちが滲んでいた。


迷宮学園での成果は、今後の人生を大きく左右する。


そして比較的に北学区は失敗した場合のリスクが最も高いともいえるし、北学区のみ在籍し続けて成功する者は学園全体で見れば一割にも満たないだろう。


それでも迷宮で一山当てようと夢を見て、諦めずにそのまま成果が出ずに卒業を迎える、か……確かに、輝かしい人生が待っているとは言い難く、自棄を起こしても仕方がない。


仕方がないのだが……



「……そういう生徒は、やっぱり毎年出るものなのか?」


「そうね……毎年出る。


だから……私はそういう存在は切り捨てることを前提にした作戦を立てた。


みんなそれに賛成してくれていた。


あの人だって……ちゃんと同意した。


みんな、それをちゃんと見てたの。


――それ、なのに……!」



静かに、それでもしっかりと握りつぶされていく缶


中身がこぼれ落ちようと、氷川明依は気にしなかった。



「なんであの人が、作戦を守らなかったのか……その理由は結局わからないし、推測でしかないけど……断言できる。


作戦通りに動いてくれれば、あの人は生き残れていた」


「…………その先輩が助けようとした連中は、どうなった?」


「暢気に卒業したわよ。


自分たちが誰の犠牲の上に生き残れているのかも考えない、そんな馬鹿どもがよ。


ふざけんじゃないわよ……なんでそんな無価値な連中のために先輩が死ぬのよ」



僕は、その先輩のことを知らないし、たぶんもう、知ろうとしても氷川より理解することは不可能だろう。


でも今、その先輩の死が、今の氷川の完璧主義を強くする一因になったのかもしれない。


犠牲を許容しても、自分以外の誰かがそれを認めないかもしれない。その人が、自分の大切な人だったならなおのことだろう。


氷川が悔やんでいるのは、その先輩の気持ちを察することが出来なかったことなのかもしれない。


だからこそ……犠牲がでることを諦めつつ、その先輩みたいに、助けなくても良い人間を助けようとして死んでしまう、そんな尊いことのできる誰かを、氷川は死なせたくないんだ。


――そう理解した途端、かちりと何かがかみ合った。


氷川は犠牲を認めているから、絶対に協力しないと、そう思い込んでいた大前提が崩れた。


大丈夫だ、僕の考えは、今の氷川と一致している。



「だったら、協力して欲しい」


「……何よ、突然」


「その馬鹿どもが自由に動けない状況を作る。一緒に考えてくれ」



――この時、僕の学生証が微かに発光していたようだが、この時はまだ気づかなかった。







適応する人類ホモ・アディクェイション



発動条件

・4回以上死を覚悟した後に生き残ること。

・心を通わせた仲間を命懸けで守ると誓う。

・己の殻を打ち破る。

・自身の抱く理想を達成する確信を得る。 New!!

・?


上記の内、いずれか一つを果たす。

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