第241話 助けてと、その一言を



「はぁ、はぁ、はぁ……」



目は血走り、血を流している一人の少女がいる。


鼻からも血が出ており、意識も朦朧としているのか目の焦点が合っていない。


一目見ただけで、誰でもすぐに救急車を呼ぶほどの状態であった。


だが、そんな彼女の傍にいる室内にいるにもかかわらずサングラスをかけたスーツ姿の女性は

……



「――どうぞ」



淡々と、事務作業の様に液体の入ったコップを手渡す。



「ぅ……ぁ……」



少女はコップを受け取ろうと手を伸ばすが、よく見えていないのか空中で手がさまよう。


するとスーツの女性は少女の手を強引に掴んでコップを握らせた。



「急いでください。今日は仕方ないとしても、このペースでは明日まで間に合いません」



そう言って、少女の手にしっかりをコップを握らせた状態で、その手の上から掴んで無理矢理にコップを少女の口へを運ぶ。



「――ごふ、えほっ」


「飲んでください」



むせて吐き出しそうになったところ、無理矢理口と鼻を抑えて飲み込ませる。


すると、少女はそのままだらんと体から力が抜けてその場に倒れた。


それを確認し、スーツの女はその手にナイフを握り締め、寝ている少女の胸に、重きり突き立てた。



「――っ!? ぁ、あ――!」


「はい、これで万全です。続きをどうぞ」



意識が覚醒したのを確認してすぐにナイフを抜く。


ナイフを胸に突き立てられた少女の服にはその痕跡があるし血痕も残っているのだが、傷はそこには無い。



「わかって、います……」



少女――神吉千早妃は暗い瞳でそう答える。


もう何度同じことを繰り返したのか、本来は白い衣装が彼女の血で真っ赤に染まっている。


予知の力は負担が大きく使い過ぎれば先ほどの様に体に異常が出るのだが……今この日本では体育祭期間中あらゆる死傷がリセットされて健康状態にされてしまう。


結果、こうして千早妃は予知による負担で体に異常が出たら、睡眠薬で眠らされ、その間にできるだけ痛みを感じること無いようにしてから致命傷を受け、そこからリセットされて生き返る、ということを繰り返して本来ならば不可能な連続の予知を実行させられていたのだ。


――正気の沙汰ではない。


気が狂いそうなほどの苦行を強いられている。


惟神という組織において神吉千早妃は本来ならとても重要視される存在であり、間違ってもこんなことを許せるはずはない。


だが、現状それが許されてしまうことが起きていた。


――現在、この体育祭の裏側にて、西の正解の大物たちのスキャンダルが次々とすっぱ抜かれているし、広まっていないだけで水面下で取引が行われてもいる。


すべては東部迷宮学園の関係者が仕組んだことであるのだが、西の大物たちの中にはこの混乱を利用して蹴落とし、そして自身の力をより高めようとする者もいる。


西の勢力内部での見えない内乱が起きているような状況なのだ。


惟神も、そしてその支援する者たちもこの混乱の中にあって、そう言った勢力争いの中にまで食い込んでいない千早妃にまで気が回っていないのだ。


そう、つまり……神吉千早妃の味方で、彼女がこのような狂気としか思えない状況に陥っていることを知っている者はいないのだ。



「――千早妃様……!」

「外道め……!」



――たった二人を除き。


日下部綾奈


日下部文奈


本来の千早妃の護衛を努めるクノイチの二人である。


ただ、二人がいる場所はすぐ近く、とは言い難い。


現在、千早妃がいるのは静謐な雰囲気の保たれた、彼女が予知を使用する際に精神統一する場として使われている境内


その建物の中。


そしてその傍らには西部学園の卒業生であり生徒証持ちだ。


腕は確かで、日下部姉妹では手も足も出ない。



「なんとか助け出さねば……!」



今にも飛び出そうとする綾奈の肩を、妹の文奈が掴んで止める。


そしてクノイチ特有スキルで言葉を発さずに意思伝達を行う。



(お姉、落ち着いて。


今私たちが下手に動けば、千早妃様のお立場がますます悪くなる。


本来私たちは謹慎を命じられているんだよ)


(では、一体どうしろという!


千鳥様にも兄さんにも連絡がつかない!


周りは御崎の息のかかったゴミどもばかり!


もう、私たち以外に千早妃様を助けられるものはいないんだぞ!)


(私たち二人じゃ、どうあがいてもあの護衛を倒せない。


仮に倒せたとしても、周辺にいる他の護衛から千早妃様を庇いながら脱出はできない。


そもそも……脱出したからと言ってそれで解決できる問題じゃない。


お姉もそれくらいはわかってるでしょ)


(だが……しかし……!)


(……私たちじゃ、助けられない)

「だから……お姉、一つだけ教えて」



スキルを途中で解除して、あえてしっかり言葉として発して文奈は綾奈に問う。



「お姉は、千早妃様の味方? それとも……惟神の味方?」



その言葉に、綾奈は間髪入れずに答える。



「千早妃様に決まっている」


「なら、そのために他全部を裏切れる?」


「文奈、逆に聞かせて。


――西に千早妃様や千鳥様、このお二人以上に守りたいものがあなたにあるの?」



スキルなど無くても、お互いのことなどすでに分かり切っている。


だからこそ、綾奈は妹の言いたいことをすぐに察し、文奈は姉の覚悟を理解した。





場所は個人戦の行われた会場にある医務室。


そこで僕、英里佳、そして紗々芽さんはつい先ほど起きたばかりの詩織さんに状況の説明をしていた。



「……不戦勝で、優勝?」


「う、うん……なんか、そうなっちゃった」



そこで今ようやく目が覚めた詩織さんは、その後の試合結果を英里佳から教えられて唖然とした表情になっていた。



「大会のルールで、英里佳が三十秒だけベルセルクのスキル使えるって話は知ってるよね?」


「ええ、まぁ」


「でも、英里佳がスキル使わずに準々決勝の相手を瞬殺。


次の準決勝は、事前に相手の動きを見ていたから英里佳が完封。


そして決勝ってことで、相手が英里佳の実力を見て試合にも出ずに白旗ってわけ」


「あの御崎鋼真があっさり引いたって言うの?」


「いや、それがあいつ、詩織さんの試合のあとそのまま棄権したんだってさ」


「はぁ?」



僕の言葉に、理解できないという表情を見せる詩織さん。



「体調不良とかなんとか言ってたけど……」


「今の日本でそんなの理由にならないでしょ。


……あいつ、本当に勝負舐めてるわね」



つい先ほど死んだのに、今はケロッとしている詩織さん。


そう、今の日本ではどれだけ酷い体調不良だろうと、一回死ねばすべてリセットされるのだ。


御崎鋼真だってそれは当然知っているはずだし、それをせずに棄権したということは、奴にとってはこの試合はもう価値がないという判断なのだろう。


あの男は無駄にプライドが高いが、同じくらいに賢しい。


詩織さんの実力を見て、英里佳がどれだけ卓越した実力者であるのかを見抜いたのだろう。


それに、英里佳のブーツである圧凄暴君タイラントの重さを自在に変えられるという特性なら、どんな暴風でも耐えきれるだろうしね。



「……それにしても、まさかあそこまであいつが魔力量を持っているなんて意外だったわね」



試合の内容を思い出してか、悔しそうな顔をする詩織さん。


だが、一方で僕はその試合内容については不服があった。


当然、詩織さんを責めるようなことでは断じてない。



「それ……不正してたんじゃないかな?」


「不正って……何かあいつしてたの?」



僕の言葉にいの一番に反応したのは詩織さんだった。


御崎鋼真との物理的な距離が一番近かった彼女から見ればそうは見えなかったから、僕の言葉に納得ができないのだろう。



「あいつ本人って言うよりは、その取り巻きかな。


なんかこう……御崎財閥のロゴの入ったでっかい鞄を持った奴が観客席の最前列にいて、それでこう……なんか細い棒状のものをかざしてたんだ。


そしてそのすぐあとに、あの槍が衝撃波を発して詩織さんを吹っ飛ばした」


「確かに、一瞬のことだったからあまり意識してなかったけど、手を離した後にあんな高威力の風が起こるのはおかしいと思うけど……その鞄の人が一体何をしたっていうの?」


「それは……うーん……」



紗々芽さんからのその問いに僕は何も答えられない。


何かしているかも、とは思ったけど、具体的にあいつらが何をやったのかはチンプンカンプンなのだ。


仕掛けがわかっていれば、あの場で不正を暴けたのだが……



「マイクロウェーブ充電……?」



そんな時、英里佳がぼそりと呟いた。



「英里佳、心当たりあるの?」


「……歌丸くんが見たって言う鞄って、たぶん大型のバッテリーで、棒みたいなのはマイクロウェーブを飛ばすための機械だと思う。


スマホの充電とかで使われるワイヤレス充電器の大型にしたもののイメージ。


魔力の代わりに電気で魔法武器を使うっていう計画でそういうのがあったはずだよ」


「実用化されてるわけじゃないの?」


「武器にバッテリーを組み込むのは技術的には可能でも、衝撃とか熱とか、実戦で想定されるダメージから壊れる恐れがあるし、バッテリーを外して外付けのワイヤレス充電器使うにしても、そんなの持ち運ぶくらいなら普通に休んで魔力の回復を待った方が効率的だから」


「じゃあ、技術的には可能ってことで……あの試合で奴はそれを実行したってことでいいんだよね?」


「たぶん」


「よし、じゃあそれをすぐに報告して奴の不正を暴いてやろう!」


「それ、意味ないんじゃない?」



僕が生徒会の先輩方に連絡を取ろうとしたら紗々芽さんから止められた。



「どうして?」


「どうせもう証拠隠滅してるだろうし、何より、わざわざそんなことをするメリットが東側にもないから後回しにされるだろうし」


「メリットがないって…………あ、そっか、あいつが優勝してるならともかく、優勝したのは東部所属の英里佳だから」



僕の言葉に、紗々芽さんは頷く。



「向こうが下手にごねて、最悪、試合全体が無かったことにさせられる可能性が零じゃない。向こうにはそれができるだけの権力もある。


折角の東にとっての有利なポイントが無効になる。


藪をつついて蛇を出す、なんて誰もしたくないもん。


だからむしろ、歌丸くんには黙っておくようにって注意が返ってくると思うよ」


「ぐぬぬぅ……そうか、あいつそういうケチつけられると見越して体調不良とか抜かして棄権したのか……!」


「あり得ると思うよ。性格悪いし」



御崎鋼真めぇ……!


自分が勝ったという結果だけかっさらって行ったのか。


傲慢なくせしてやることが小賢しい……!



思わずその場で地団太を踏みそうになったが、美少女三人の手前、ここはぐっと我慢である。


そんな時、胸ポケットに入れていた生徒証から着信音が聞こえてきた。


スマホではなく、生徒証での連絡?


生徒会からの作戦連絡はメールの方であって通話機能は使わないって話だったはずだけど……?


どういうことかと思って首を傾げながら相手を確認する。



「もしもし、戒斗?」


『今、その場に他に誰かいるッスか?』


「今? 英里佳に詩織さん、紗々芽さんと一緒にいるけど。


というか、通話はスマホの方でって話だったと思うけど……?」


『あー……ちょっと使い辛い状況なんスよ。


盗聴とか』


「え……西への対策は十分してるって話じゃなかった?」


『西には、ッス』



やけに含みのある言い方に、僕は訝しむ。


そして、まさかと思って念のためこちらを見ている三人に背を向けて小声で訊ねる。



「……東側に聞かれたら困るの?」


『…………』



無言ってことは、そうなんだろうな。


だが、なんか気まずそうな雰囲気の沈黙なのは気のせいだろうか?



「とにかく合流しよう。みんなと一緒で良いかな?」


『……できれば目立たないようにしてもらいたいんで、二人くらいで頼むッス』



その言葉に、僕はその場にいる他の三人を見る。


英里佳――個人の部優勝でテレビに映ってたし、元々今回の大会で注目されている。


詩織さん――先ほどの戦いでのことはもちろん、ルーンナイトとして注目されている。


紗々芽さん――なんか芸術とかで騒がれてて今回だけやけに注目されている。



「三人とも凄い目立つよ」


『あー……』


「――何の話をしている?」


「っ」

『っ』



生徒証の向こうで、僕から一拍遅れて戒斗が息をのむのが聞こえた。


驚いて声の下方向を見ると、そこには腕を組んで佇む来道先輩がいた。



「ら、来道先輩、いつからそこに?」


「一応お前の護衛だからな、お前らに気付かれないように廊下で待機してた。


生徒証の着信音が気になって少し様子を見ていたんだが……歌丸、今すぐスピーカーモードに切り替えろ」


「来道先輩がスピーカーモードにしろって言ってるけど?」


『……来道先輩はまだ融通が利くと思うんで、いいッスよ』



ということで、通話状態をスピーカーに切り替える。



「日暮、何があった?」


『その……まず俺、今隣に椿咲ちゃんがいるッんスよ』


「おいこら何うちの妹と一緒に行動してんだこら」


「歌丸くんステイ」



紗々芽さんから義吾捨駒奴ギアスコマンドによって動きが止められた。


解せぬ。



「それで……現在進行形で、西に所属してる二名が目の前にいるんスよ」



その言葉に、僕は最悪のシナリオが脳裏によぎる。


まさか、椿咲がまた西に狙われたのか――!?


他のメンバーも同じことを思ったのか表情が険しいものに変わったのだが……




『で、その二人が目の前で土下座してるんスけど……どうしたらいいと思うッスかね?』



「「「「………………」」」」



「「「「は?」」」」



四人の気持ちが一つになった。

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