第227話 西の術中、東の乱歩
■
陸上競技メインの体育祭一日目は無事に終了。
総合得点としては若干西が勝っていたが、僅差だったし、十分巻き返せる程度のものだった。
「はい、次、次、次」
僕は相変わらず東京の会場にて筋肉疲労への対応をしていた。
「――連理、英里佳が沖縄のパルクールで優勝してたわよ」
「流石だね。……っていうか、パルクールって陸上競技?」
「ドラゴンが暇だからって追加した種目みたいだから正確には違うわね」
僕にそんなことを教えてくれたのは、今日一日護衛をすることになった詩織さんである。
今日は湊先輩も紗々芽さんも他の会場に出張しており、僕だけ残しておくのはどうかという話がされたそうで、護衛として一日中詩織さんが一緒となった。
知らない人より仲間の方が良いだろうと言う気遣いもあったようだ。
「それにしても……連理、あんたの能力って直接戦闘よりこういう補助で一番光るわね」
「昨日も似たようなこと言われたよ……」
自分でもわかってはいたのだが、やっぱり僕って基本能力が裏方向きなんだよね。
直接戦闘向けの能力が欲しい……
そんな会話をしつつ、一段落ついて僕は休憩に入った。
この時間、ちょうど英里佳がこの東京の会場で3000m走に出場する予定なのだ。
競技中は基本的にすべてのスキルを解除しているが、競技が終わった瞬間に英里佳は僕のスキルを再発動させているので肉体の疲労はほとんどなくなっている。
おかげで、ついさっきまで沖縄にいたのに平気な顔で東京に戻ってこれるわけだ。
「な、なんか人多いね」
もともと席は予約していたから座るのは問題なかったのだが、席に到達するまで何度も人にぶつかるほど通路が混雑していた。
「英里佳のこと、ちょっと話題になってるからそれ見に来てるんじゃないかしら?」
「話題って、どういうこと?」
「英里佳って昨日の時点で日本中の色んな競技に出てた上に、どれも好成績だったでしょ?
しかもあの容姿だし凄く目立つのよ。ほら、これ見て」
詩織さんがスマホを操作して僕に見せたのは、今回の体育祭に関しての呟きが投稿されるSNSだった。
『この美少女凄いな』
『美しすぎるトップアスリート』
『ふつくしい』
『誰この美少女』
『おい、そこらの男子より速いぞ』
『東のベルセルクちゃんじゃね?』
『【悲報】彼氏らしき男子と一緒』
『【悲報】彼氏、複数人の女子とカフェ』
『なんか空気悪そうじゃね?』
『修羅場かな?』
なんか、一昨日のカフェで僕と英里佳が千早妃たちと向かい合ってる写真が投稿されていて、後半は話題が僕への誹謗中傷……とまではいかないが、軽い悪口程度の内容に変更されていた。
だが、全体としては英里佳のことを美少女とか騒いでるものが多かった。
「ファンを名乗る連中まで出てきてるのよね……あの子は誰だって言う問い合わせが来てたって昨日生徒会から聞いたわ」
「流石英里佳……まぁ、もともとベルセルクってことで敬遠されてたけど、それさえなければ周りがほっとかないよね、英里佳って」
胸糞悪いけど、この間英里佳がナンパされてるところを思い出した。
そう、英里佳は美少女だ。
ベルセルクっていう点がそれを抑え込んでいただけで、僕と一緒にいることでそのデメリットが無くなっているから周囲も徐々にそれを思い出したのだろう。
特にここは迷宮学園ではない。
ベルセルクのことを知らない人がいるわけで、そういう意味では英里佳は正しい評価を受けているといえるだろう。
「……連理、なんか眉間にしわ寄ってるわよ」
「え……あ」
「英里佳は別にこんな評価とかどうでもいいと思ってるわよ。
あんたの言葉の方がよっぽど大事に思ってるもの」
「い、いや別に僕は……」
「あんたって、英里佳のこととなると結構視野狭まるわよね。
嫉妬深いというか、独占欲が強いというか……」
「そんなつもりは、ない……とは、思うけど…………」
なんか気まずい。
詩織さんは僕のことをどう思っているのかはわかっているわけで、そんな相手からこういわれると……なんというか、肩身が狭い。
「ホント、しょうがないわね」
そんな僕に優しく微笑む詩織さん。
そこに僕を責めるような意図は一切感じない。
感じないのだが、だからこそなおのこと、物凄くいたたまれない。
「――仲睦まじいのは、大変よろしいと思います」
不意に聞こえてきた声。
詩織さんは目を細めていつでも武器を取り出せる体勢となる一方で、僕は特に動揺しなかった。
「……なんとなく今日も来るだろうなと思ってた」
声のした方を見ると、昨日もあった千早妃がにこやかな表情でそこにいた。
「流石です連理様。以心伝心、ですね」
そんなこと言いながら、さも当然のように僕の隣に座り、右に詩織さん、左に千早妃と挟まれる形になった。
「……連理、その人はもしかして」
「詩織さんの考えてる通りだよ。
神吉千早妃。西部学園のノルン。
昨日一昨日と、僕は三日連続で会ってる」
「初めまして、三上詩織様。
神吉千早妃と申します。
紗々芽さんと日暮様には昨日ご挨拶させていただきましたが、詩織様への挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」
「い、いえ……こちらこそご丁寧に…………あと、様付けは必要ありません」
「では、詩織さんと。あと、喋りやすいようにしてください。
私は詩織さんとも仲良くしたいのです」
「……そう。なら、敬語は外すわ」
「はい」
詩織さんは若干の戸惑いが見られる。
やはり、立場上現在は敵なはずの千早妃から、初対面にもかかわらずここまでフレンドリーに話しかけられるという事態に理解が追い付いていないのだろう。
「昨日緊急ミーティングとか言ってたけど、もういいの?
なんかトラブルがあったんじゃないの?」
「それなら今朝解決しました。
もう万全ですよ」
「そっか」
千早妃の顔を見ると、その表情に憂いはない。
……現状は敵陣なわけで、こんなこと思うのは良くないのかもしれないが、まぁ困っていないようで安心である。
「護衛の二人は?」
「近くに隠密で潜んでます。
流石に席までは確保できませんでしたので」
「っ……」
千早妃の言葉に詩織さんが周囲を見回す。
隠密スキルというのは、やっぱり敵に回すとかなり厄介だ。
周囲に昨日見たクノイチ姉妹の姿は僕では全然見つけられない。
シャチホコたちや戒斗ならば見破れるのにな……
「詩織さん、大丈夫だよ。
護衛の二人は千早妃の命令が無い限りは人を傷つけないはずだよ。
そこは戒斗のお墨付きだよ」
「……そう」
僕がそう言うと、詩織さんは周囲の警戒を緩める。
しかし、いつでもその手に武器を取り出せるようにはしたままだ。
「詩織さんは、ちゃんと話を聞いてくださる方で本当に助かります」
完全に、ではないが、それでも話を聞く態度を示す詩織さんを見て、ほっと胸をなでおろす千早妃。
詩織さんはそんな彼女の態度に訝し気に首を小さく傾げる。
「何かあったの?」
「いえ、有無を言わさず銃弾を撃ってくる非常識な危険人物が一名ほど」
今思い出してちょっと怒っているのか、頬が引き攣ってるように見える。
そんな口元を手で隠し「おほほ」と笑っているかのようにお上品な雰囲気を崩さない千早妃
しかし、やはりいきなり銃弾を撃たれた一件については、怒りが収まらないらしい。
「…………連理」
「たぶんご想像の通りかと」
銃を使う人物なんて、僕たちのチームでは戒斗と英里佳くらいで……尚且つ、話の流れを考えれば戒斗は除外されるわけで……
「……英里佳のことはごめんなさい。
あとでこちらからも厳重に注意しておくわ」
「あ、いえいえ、詩織さんの気にすることではありませんよっ。
その件は……まぁ、済んだことですし。
こちらもちょっと不用心に接触してきたのも悪かったわけですし……」
「そう言ってもらえると…………………いえ、やっぱりどう考えても銃弾を撃つのは無いわ。
攻撃を受けたわけではないのよね?」
「えっと…………あの時は、千早妃が僕の手に触れようとしたかな。
で、それを止めるための威嚇射撃」
「その時点で銃を?」
「いや、すでに構えてたよ。
最初は千早妃が隠密スキルを使ったところからいきなり現れたからその時点で銃を出した」
「……ん~……」
状況を説明すると、詩織さんは額に指を当てて唸りだす。
これはどう対処すべきか悩んでいるようだ。
まぁ、一連の状況を聞くと英里佳のやったことって僕を守るためにやったことなので僕がそれを責めることはできないわけで……
でも流石に銃弾を撃つのはやり過ぎな気もしないでもない。
「詩織さん、もう済んだことですので気にしないでください。
こちらも少し悪ふざけが過ぎたのは事実ですから」
「そういうわけには……チームリーダーとして、流石にあの子のことを放置するわけにはいかないわ。
後で改めて謝罪させるから……体育祭期間中にでも、時間取らせてもらえないかしら?
本人に直接謝らせるわ」
「いえ、本当に大丈夫ですから」
どうやら千早妃にとって英里佳はできればそんな頻繁に会いたい人物ではないという認識なのだろう。
まぁ……銃を向けられて実際に撃たれれば苦手意識を持っていても不思議ではないか。
「そうはいかないわ。
あの子ったら、自分で悪いことしたって自覚をあんまり持たない嫌いがあるのよ。
この間の模擬戦でも、別のチームの男子生徒に失礼なことして……私たちが注意しなかったら自覚もしなかったみたいだし……
申し訳ないけど、あの子に謝る機会を与えてもらえない?
こっちからもちゃんと言い聞かせておくから」
「詩織さん、なんか最近英里佳に対して母親みたいになってない?」
「連理、茶化さない」
いえ、素直に思ったことを口にしただけなんですけど……
「そもそも、あんたがちゃんと英里佳の舵取りしなきゃダメでしょ。
あの子理性的に見えて、その実私たちの中で一番の脳筋なのよ」
「それは、まぁ……そうだけど」
「まったくもう……本当にあんたはちょっと目を離すとあっちこっちで問題ばっかり起こして」
「いやでもね、大半は僕は悪くないというか」
「そうであっても、トラブルに巻き込まれた実績があるならもう少し注意しなきゃって自覚は無いの?
だいたいあんたは前からちょっと危機感が乏しすぎるのよ。
周りに頼ろうとするのはとてもいいことだけど、そもそも周りに頼らなくてもいいように状況を見てトラブルを事前防止するってことをやったの?」
「えっと……あの、その」
「やってないわよね」
「……はい」
「病気だって、大事なのは治療じゃなくて予防だって言うでしょ。
なんでもそうよ。
……そういえばあんた、ちゃんと水分取ってる?
救命テントの中って日陰だけど少し蒸し暑かったし、今日は日差しも強いからちゃんと水分補給しなきゃ熱中症に――――」
「待って待って待って、脱線してるよ詩織さん!
今話してるの千早妃の方だよ!」
このままではドツボに嵌る。
そう思って僕は強引でも千早妃の方に話を向かせた。
「あ……そ、そうね。
ごめなんさい千早妃さん」
「ふふっ……いえ、お二人ともとても仲が良いのですね。
まるで夫婦のようでしたよ」
「ふ、夫婦って……」
詩織さんは顔を真っ赤にして黙ってしまい、僕もつられて顔が熱くなるのを感じた。
「……答えはわかってはいますが、詩織さんにお聞きしたいことがあります」
「な、なにかしら?」
自分の顔の赤みを収めたいのか、手で顔を仰ぐ詩織さん。
「――このまま榎並英里佳を放置すれば、連理様の命が危ういです。
それを止めたいとは、思わないのですか?」
真剣な千早妃の表情に、詩織さんは真剣な表情になって一瞬だけ僕を見て、さも当然のように返した。
「その時は、私も一緒に死ぬだけよ」
あまりにあっさりと言い放たれた言葉に、聞いていた僕は呆気にとられた。
「……理由をお聞きしても」
「私は、連理がいなければすでにこの世にいなかった。
連理だって、その時は私を見捨てれば無事に帰れる保証があったのに……私を救うために危険を冒した。
単純だけど……それが本当に嬉しかったのよ。だからそれを助けたいの」
きっとララと初めて会った時のことを言っているのだろう。
だが……あれって冷静に考えると元凶って僕じゃね?
「いや、でも……あれはそもそも僕がいなければ詩織さんが危ないめに遭わなかったわけで」
「連理様、今は口を挟まないでください」
え……僕の話なのに僕が除外されるってどうなの?
「……詩織さん……あなたは、連理様の味方なのですが……最悪な結果を招く可能性が高いという自覚はありますか?」
「そうね。
でも……連理が求める最上の結果が、そういう危ない道の先にしかないのなら……私はどこまでもその道を突き進むわ。
連理が求める限り、私は連理を守る」
はっきりと言い切る詩織さん
いつの間にか、詩織さんの手は僕の手を握っていた。
あまりに自然で気が付かなかったが、僕はその手に力を少し込めると、詩織さんはこちらを見て優しく微笑んで握り返してくれた。
「都合のいい女、ですね」
冷めた声。
振り返れば先ほどよりも若干の軽蔑の念がこもった視線で千早妃は詩織さんを見ていた。
「ええ。そうね。
自分でも意外だったんだけど、私ってそういうのが性に合ってたみたいなの。
でも……あなたにとっては都合のいい存在にはなれないわよ」
「…………あなたの考えはわかりました。
やはり、どうあっても連理様自身をどうにかしなければ現状は改善されないわけですね」
そう言って、席を立つ千早妃。
「本日はこれにて失礼させていただきます」
「あ……うん。えっと……見ていかないの?
陸上競技の中では、一応高得点の競技らしいけど」
「結果が分かりきっているので、私には見る価値はありません」
「そ、そっか……じゃあ、また」
「はい、ではごきげんよう」
千早妃はそのまま去っていき、僕と詩織さんは手をつないだままそれを見送った。
「「…………」」
なんとなく、お互いに無言だ。
手を放すべきか、と思ったのだが……なんか、放しづらい。
「そろそろ英里佳の番よ」
「う、うん……そうだね」
そして始まった3000m走。
基本的に陸上競技はステータスの影響は抑えられているが、全くないというわけではない。
故に男女ハンデとかは見られないわけで、男女混合となっている。
基本的に出場選手はみんな高身長だったので、一際小柄な上に、日本人とは違う赤みがかった髪色の英里佳はとても目立つ。
おかげですぐに見つけられた。
雷管の音でスタートの合図がされると、いきなり英里佳が集団の中から飛び出す。
傍目から見ればオーバーペースに思えて、後半バテテしまいそうだったが……
――結果、英里佳は誰よりも前を走り続けて、あっさりと一位を取った。
圧倒的なまでの走りに会場が沸く。
一位となった英里佳は軽く息を整えながらつまらなそうにしていた。
「連理、声かけてあげなさいよ」
「え……でも、届くかな?」
周囲は歓声で僕の声などすぐにかき消されてしまいそうだったが……
「いいから、ほら立って立って」
つないだ手が離されて、軽く背中を押されて立ち上がる。
……まぁ、あまりに圧倒的で応援するのも忘れてしまったのだし、せめてこれくらいは声を張るか。
そう思って、僕は大きく息を吸い込み……
「英里佳ーーーー!
おめでとーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
一杯一杯に声を張り上げた。
周囲の歓声でかき消されるだろうな、と思っていた僕だったが、先ほどまで下を見ていた英里佳が何かに気付いたように反応を示し、そして真っ直ぐに僕の方を見た気が下。
……え、聞こえたの?
そう驚く僕に、英里佳は花が咲いたように笑顔を浮かべ、手を振ってきた。
周囲はこの時、凄い湧いて、大スクリーンにはその時の英里佳の表情が映ったらしい。
……らしい、といのは当事者の僕としては正しい表現ではないのかもしれないが……恥ずかしながら、僕はその時の英里佳の表情に見惚れて周囲のことが何もわからなくなっていたからだ。
――しかし、この時の僕は……いや、僕たち東部迷宮学園の陣営は気付いていなかった。
すでに、西部学園の攻撃が始まっていたことを。
昨日の緊急ミーティングの意味を、僕たちはもっと深く考えておくべきだったのだと後悔するのは、この日の夕方になってからだった。
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