第185話 下駄って地味に痛い。

――からん、ころん



日本人として生まれたのだが、日本生まれのこの履物は慣れない。


下駄というのは、覚えている限りは小学校低学年の頃に穿いてからそれっきりで、実際に歩いてみると重いし歩きづらいしでなかなか大変だ。


現代の運動靴、中敷きやソールという歩きやすさと軽さを追求した進歩を改めて実感する。



「ちょっと……早い」


「あ、悪い」



そんなことを考えつつも、僕は稲生と腕を組んで密着した状態で縁日エリアを歩いていた。


格好は二人して浴衣で、僕は紺色に薄い青の帯


稲生は薄紅色に黄色い帯の浴衣だ。


ただ二人とも吐きなれない下駄で、稲生は生まれてから一度もはいたことがないので歩くのも不安定で先ほど以上に僕に寄りかかっている感じだ。



――カシャ



「いいですね、こういう慣れない初々しい感じがグッドです。


ちなみに着心地はどうですか?」



白木先輩は相変わらずだが、この用意してもらった浴衣は中々快適だ。



「浴衣は着心地ばっちりですね」


「私も大丈夫ですけど……下駄はちょっと慣れないです」


「そちらについては用意が間に合わなかったので、すいませんが我慢してください。


代わりに歌丸くんにどんどん寄りかかる方向でお願いします」



そう言ってカメラをしっかり構える白木先輩


この人もしかしてこれ狙ってわざと下駄を用意しなかったのでは、とか考えてしまう。


まぁ……それはそれとして……



「手始めに何買う?」


「うーん……こう一杯あると目移りしちゃうわね」


「特に予定がたこ焼きはいかがですか?


二人であーんと食べさせあいっこしてる絵が欲しいです」



二人であーん、って……それ昨日もやったな。



「……えっと、稲生、それでいいか?」


「別に、いい、けど……」



お互いにあの間接キスの一件を思い出してしまったのか少しぎこちない。



「と、とりあえずたこ焼き屋さんに行こう。


丁度あそこにあるし」


「あ、ちょっと急に動くんじゃ――きゃ!」



場の空気を誤魔化したくてそちらに足を向ける。


下駄に慣れてない稲生がそのせいでバランスを崩してしまった。



「おっと、大丈夫か?」


「き、気をつけないよ……でも、ありがとう」



転ぶ前に支えられてよかった。


普段と違う格好で動きづらいんだから気をつけないとな。


とはいえ……



――むにっ



めちゃくちゃ柔らかい。


……こころなしかさっきより柔らかい気がするんだが……なんでだろうか?


い、いやこれはあくまで稲生を助けた結果の不可抗力であって別に狙ってやったわけではない!


だから……そう、だから稲生がしっかり体勢を整えるまでこうしてジッとしているのが最善であり――――ミシィ



「はっ!?」



どこからともなく何かが軋むような音がして、何故か同時に悪寒が走る。


僕は即座に稲生の肩を掴んで自分の身体から話す。



「! え、は、え?」



周囲を見回すが、悪寒の正体は何もわからない。



「ちょっと、急にどうしたの?


周りに何かあった?」


「あ、いや……何かあったような気がしたんだけど……気のせいみたい」



周囲を見回しても、いるのは単なる人だけ。


別に怪しいものとはかないんだが……



――ちょ、力入れすぎッス?



「……ん?」



なんか聞き覚えのある声がしたような……気のせいか?


探しても周囲に声の主と思われる者は見当たらないし、そもそも僕に向けられた言葉ではないみたいだし……



「気のせい、かな……」





「密着、長イ」


「あ、うん……今のは俺もアウトだとは思うッスけど……ちょっと、マジで頼むッスから、そこの街灯がへこむくらいの力で俺の肩を掴むのはやめてくれッス。


シャレにならないッスから……」


「善処スル」


「あとベルセルクのスキル発動してるんで収めて欲しいッス……耳が完全に獣耳ッス」


「善処スル」



戒斗の危機はまだ始まったばかりだ!





六個入りのたこ焼きを三個ずつ食べさせ合う。


昨日すでにやっているのもあるし、爪楊枝が二本あったので特に気にせず行えた。


白木先輩は僕たちのリアクションに若干不満げだったが、写真としては問題なかったようだ。


最初は照れがあったが、稲生に至っては一口食べてから……



「生地が水っぽすぎる。


出汁も小麦の風味も薬味入れすぎて全部殺してるし、何よりタコが小さい。30点。


これで商売するならあと最低でも二十円は値下げしなさい」



「リンゴ飴だからってただ甘けりゃいいと思ったら大間違いよ。


ちゃんと試食したの? リンゴの甘酸っぱさとか入れすぎた砂糖で全部台無しなんだけど、ふざけてるの?」



「焼きトウモロコシ作るの舐めてるの?


これは単に焦げたトウモロコシよ。食材を無駄にするとか馬鹿じゃないの?


焦がさないようにしっかり見てないでそんなのお客さんに出す気?


そんな店にうちのトウモロコシは卸せないわよ」



と、いう具合に南学区の生徒会役員として厳しい目で縁日の食材を扱う屋台を見て回る始末だ。


流石は南学区、食材に関する情熱は並じゃないし、何よりもその管理を任せられる生徒会役員の立場となれば自然と目も厳しくなるというものだろう。



「もう少し照れてる感じの絵が欲しかったのですが……まぁ、仕事熱心な彼女ですね」


「彼女じゃありません。彼女ですから」



すでに下駄にも慣れて僕に寄りかからずとも一人で屋台の前に言って、年上の学士相手にも厳しい目を向ける稲生


相手もその気迫に押されて手荒な真似は見せようとはしない。



「……まぁでも、ああいう一生懸命なところは素直に尊敬はできますけど」


「歌丸くんも来年の生徒会役員候補だと言われてますが……そのあたりはどうお考えで?」


「……話が来たとしても、辞退しますね」


「ほぉ……意外ですね」


「そうでもないですよ、僕は人より迷宮に長くいられる環境が欲しいだけです。


生徒会役員に実力が求められますが、同じくらいの責任が求められます。


会長みたいに全部丸投げする度胸もないので、少なくとも僕はやりません。


……まぁ、詩織さんはどうなるかはわかりませんけど」



英里佳は多分興味ないだろうし、戒斗はできるだろうけど面倒くさがりそうだ。


紗々芽さんは……まぁ積極的にやろうとはしないかな。



「……個人的にチーム竜胆が役員にいいと思いますね。


僕たちと違って生徒会の仕事にはすでに手を着けてますし……」


「なるほどなるほど…………ところで、先ほどから様子を見るに、このままではこのあたりの屋台すべてで食材が卸されなくなってしまいそうなんですが、いいのでしょうか?」


「……流石に止めてきます。


素人の作る縁日屋台に高望みしすぎだろあいつ」



先ほどから駄目だしされすぎて屋台を担当してる学生が意気消沈気味だ。


このままじゃリハーサルとはいえ折角の雰囲気が台無しになってしまう。



「稲生、ストップ、ストップ・ザ・稲生!」


「人の名前を変なタイトルみたいに呼ぶのやめてくれる」



普段ならばもっと食って掛かってくる感じなのだが、今は静かに、しかし鋭い目でこちらをにらむ。


うん、これガチだ。仕事を邪魔するなと全身の雰囲気でバシバシ伝えてきやがる。



「お前が熱心なのはわかったが、少し落ち着け。


折角の縁日エリアなのに空気が沈んでるぞ」


「え………………あ」



僕の言葉で周囲を見回して状況をようやく稲生は理解した。


近くのスピーカーからお囃子の音が聞こえてくるのだが、その賑やかな音と反比例して周囲の屋台の空気が重い。


そして今から稲生が向かうであろう屋台は滅茶苦茶警戒した様子で身構えている。


とても楽しめるような空気ではない。



「ちょっと場所変えるぞ」


「……うん」



稲生の手を引きながらその場から離れる。


下駄であることも考慮し、普段より少し遅めに歩く。


稲生はおとなしくついてくる。


休憩所となる場所には簡易のテーブルが設置されているので、そこへ行く。



「何か買ってきましょうか?」


「あ、それなら僕が」


「いえいえ、今回はお二人は私のお客様なんですからご遠慮せず。


かき氷がありましたから、そちらにしましょう。味はどうします?」


「じゃあブルーハワイで。稲生は?」


「……レモン」


「はい、では少々お待ちください」



かき氷を買いにその場から離れる白木先輩


残った僕と稲生は二人でベンチに座る。



「……悪かったわね」


「何が?」


「…………空気悪くしたから」


「別に悪いことをしてたわけじゃないから謝らなくていいって。


……まぁ、厳しすぎたとは思うけど」


「……だって……せっかく頑張ってみんなが食材用意したんだし……美味しく出して食べてもらいたかったから」


「わかってるって。とりあえずその対策とか後で色々考えてみろよ。


例えば……焼きトウモロコシとか簡単な焼き時間のメモくらいのレシピで十分対応できる内容だろ」


「レシピって……そんなのもう用意してるんじゃないの?」


「凝った料理ほどレシピが必要だけど、今回の縁日で出す料理なんて簡単すぎてレシピも大雑把なんじゃないか?


遠目から見たけど、同じ料理でも屋台によって具材の切り方や入れる順番もばらけてたし……そもそもレシピ自体ない可能性もあるぞ。


素人の気まぐれ料理ほどまずいものはないからな」


「あ…………そっか…………うん、わかった。戻ったら食材と一緒にレシピもまとめて配布するようにしてみる」



とりあえずこれで最低限の問題はクリアだな。


折角の縁日の屋台がまずいとか残念過ぎるし。


そういうのを早めに気付けたという意味ではやっぱりリハーサルしておいて正解だったか。



「僕の方も確認はできたし、とりあえずバケツの準備しないとな」


「? なんでバケツ?」


「火気の取扱いには必ず消化用の準備がいるんだよ。


赤いバケツとかあるだろ?


万が一火事があったときにすぐ消火できるようにって備え。


準備してるところもあったけど、プラスチックのバケツだったからさ、ちゃんと熔けたりしない鉄のバケツ準備したほうがいいかなって」


「…………」


「なんだよ?」


「あ、いやその……ちゃんと見てるんだなって思って」



地味に失礼である。



「僕だって生徒会の関係者なんだからそれくらいは見るさ」


「そうよね……でもなんだかんだであんたって色んなところ見てるものね」


「もちろん見てる見てる。


あと……下駄、歩きにくいならやっぱりスニーカーに戻したらどうだ?」


「え……別にいいわよ、少しずつ慣れて来たし」


「足、ちょっと腫れてるぞ」


「……え」



僕の指摘で稲生はようやく気付いたのだろう。


鼻緒のあたりに無理に体重を掛けているのか少し赤く腫れていた。



「そのままじゃ怪我するから、おとなしくスニーカーに履き替えとけって」


「……わ、わかったわよ」



そう言って下駄を脱ごうと前かがみになったときだ。



「――いぃっ!?」


「ど、どうした!」



急に妙に引き攣ったような声を発した稲生に僕は驚く。


稲生は涙目になりながら足を曲げたままプルプル震えている。



「つ、つった……」


「は?」


「あ、足、攣った……慣れない履物で歩き続けたから……攣った……!」



足攣ったって……大袈裟な……と思ったが、よく考えたら僕の場合スキルで筋肉疲労が体に残らないから最近は起こらないだけで、普通だったらかなり僕も体験していたのかもしれない。



「な、なんとかしてぇ……」


「足伸ばせ」


「む、むりぃ……!」



涙目で首を横に振りながらそう泣き言をいう。



「いや、頑張って足伸ばせって。


そのままじゃずっと攣ったままだぞ?」


「て」


「て?」


「てつだってぇ……」



……なんだろう、これ。


なんか、こう……涙目で頼んでくる女子って……なんか……うん…………って、いやいやいやいや、僕は何を考えているんだ、落ち着け歌丸連理!



「ん、んんっ!


……わかった、手伝えばいいんだな」


「は、はやく……!」


「わかったから、ちょっと静かにしろ」



なんか声がエロい。


落ち着くんだ歌丸連理


この程度で動揺などするようでは男としての名が廃る。


ひとまずベンチから立ち上がって稲生の前まで移動してしゃがむ。


……別に浴衣の奥とか見えませんからね。



「……じゃあ、触るぞ」


「う、うん……あの、でも」


「あ?」


「や、やさしくしてね?」


「ぐふぅ!?」



思わずむせた。


なんてことを言うんだこの女!


将来、彼女ができたら言って欲しい言葉ランキングトップテンをまさかまさかのこんな形で聞く日が来るとは!



「……は、はやくぅ」


「わかったからちょっと黙ろうか!」



相手は稲生、相手は稲生、相手は稲生!


猫耳の無い稲生、猫耳の無い、猫耳なし!


…………あれ、それって普通じゃね?



「ふんっ!」



――ばちんっ!



「ちょっと、な、なにしてんの……?」


「ちょっと雑念吹き飛ばした」



よし落ち着こう。


ひとまずこういう時はゆっくりと足を延ばして筋肉をほぐしてやるのがいいんだったな。


そう考えて、まずは稲生の足から下駄をゆっくりと脱がせる。



「ひゃ……!」



――無心。


素足となった足を触っていく。



「ん、んぁ……!」



すべすべ……ぷにぷにで、しっとり……って、いかんいかん!



「お、おい稲生、変な声を出すな――って、ぁがっ!?」



驚いて顔をあげると、稲生は顔を赤くして指をかんで何かに耐えているような表情だが……ちょっと、ちょっと待ておい!


これじゃあなんかすごくいけないことしてるみたいな感じに見えちゃうんじゃないの!!



「お前、ちょっとその顔やめろ!」



公序良俗に反する可能性がぁ!!



「い、いいから……早く、してぇ……!」


「もう喋るなぁ! ああもうこうなったら一気にやるからな!!」


「だ、だめ……! お願いだから、やさしく……!」


「あーあーあーあーあーあー! もう知らんっ!」



はやくこの状況を終わらせようと足を掴んで伸ばそうとする。


その時だった。



――カシャ



……絶望を告げる音がした。



「………………」



僕は稲生の足を掴んだ状態で硬直してしまい、辛うじて首だけを音がした方向に向けると……



「――ぐっと」



いつの間にか戻ってきていた白木先輩が、カメラを構えてそこにいた。



「ちょっと目を離しただけでまさかこんなことが起こるとは……流石です、持ってますね歌丸くん」


「あ、あの……違うんです……」


「いえ、わかってますわかってます。


どうぞ続きを」



そう言ってカメラを構えたままの白木先輩



「いや、その、お願いだから話を聞いてください……」


「歌丸、お願い、はやく……!」


「お前マジちょっと黙っててっ!」



今のお前の表情と声とかわりとガチで公序良俗とか引っかかりそうだから!


文章の順番ちょっといじるだけでマジアウトな感じの描写だからぁ!!



「おや、歌丸くん、自分でわざとやっているのでは?」


「何がわざとですか!


これは稲生が足をつったから仕方なくで!」


「いえ、ですから」



白木先輩はさも当然のように、解決策を提示した。



「わざわざ足を延ばさなくても、歌丸くんが万全筋肉パーフェクトマッスルという筋肉疲労を回復させるスキルを共有すれば即座に治るのでは?」


「……………………」



一瞬で治りました。




ちなみに……



「今回の写真、モザイク位置調整するだけでとんでもないものになりますが」


「カメラ叩き壊されるのとデータを消すの、どっちがいいですか?」


「すぐ消します」



アドバンスカードを構えながらお願いしたらすぐに消してくれました。


白木先輩はとっても優しいです。(棒)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る