第167話 妹から見た過去 ≠ 僕から見た未来
【問】
対人性能がえげつないエンペラビットと、その進化した二匹の計三匹を相手にした、後衛職はどうなりますか?
【答】
完封されて気絶します。
「……指示出しておいて何だけど、本当に完封するとは思わなかった」
「だから言ったでしょ、対人戦最強だって」
白目を剥いて、船のデッキの上で前のめりに倒れているネクロマンサーを見てそんな感想をこぼす僕に対して、椿咲は淡々とした感じである。
「ギンシャリのパワーとか、もう見た感じゴブリンとかより強いよね……ボブゴブリンくらいは力あるかな。
ワサビも、なんか空中で軌道変えてたし、以前より動きに無駄が無くなった感じだった」
「ぎゅう」
「きゅる」
僕の目の前で「えへんっ」と胸を張る二匹
アドバンスカードの恩恵を受けているから進化が可能だというのは知っていたが、まさかここまで凄くなるとは思わなかった。
流石は南学区最高方のブリーダーの稲生先輩だ。
「きゅきゅう!」
そんな風に二匹の成長に感心していると、何やらシャチホコが怒った様子で耳で僕の足を叩いてくる。
「え、あ、いや、お前も本当にすごかったぞ!
シャチホコがトドメ刺したのちゃんと見てたから!」
「きゅう!」
負けず嫌いな性格だから、僕が以前のエンペラビットの状態から比較して褒めたのが気に入らないのだろう。
「――これで、ようやく終わった」
まるで全てをやり切ったというような、少しの寂しさを含んだ達成感にあふれた声で、椿咲は呟いた。
いつの間にかいまだに波は高いし、船は揺れているが、雨は小降りなものに変わっていた。
そんな雨の降る、雲に覆われた暗い空を、椿咲は清々したような、晴れやかな表情で仰いでいたのだ。
その姿が何とも……こう、違和感があった。
「……えっと、さっきは戦闘中でちょっと混乱してたから、改めて確認させてもらっていい、かな?」
「うん、いいよ。
私も兄さんとはもっと話がしたいから……でも、その前にっと」
「え、ちょ……椿咲っ!?」
何を考えたのか、椿咲は気を失っているネクロマンサーに近づいて懐をまさぐる。
そしてそこから何かを取り出した。
一つは、学生証だ。
ネクロマンサー個人の、彼にとっての武器である死体を収めた学生証である。
もう一つは……黒い、学生証?
見たことがないものだが、それを椿咲が手に持った時、マントを纏った姿だったネクロマンサーが元の格好に戻った。
「その、黒い学生証はなに?」
「これについては少し話が長くなるから……先に兄さんの聞きたいことから話そう。
これは、私がしゃべられなくてもすぐにわかることだから」
「……そっか」
なんか気になるけど、椿咲がそう言うのなら別にいいか。
そう考えていると、椿咲はデッキに落ちていて、僕の腕に巻き付いていたワイヤーの織り込まれた鞭をロープ代わりにしてネクロマンサーの手足を縛った。
すごく手馴れているような気がする。
「……縛り方なんてどこで習ったの?」
「戒斗さんから」
「そ、そうなんだ……」
戒斗、うちの妹に何を教えてるんだ。
まぁあくまでも未来の戒斗であって、現代の戒斗関係は無いんだろうけどさ…………
……ん? あれ、英里佳たちのことは“先輩”付けで呼んでたのに、なんで戒斗には“さん”付けなんだろう?
「それで、兄さんは何を聞きたいの?」
ネクロマンサーの拘束を終えてから、椿咲は振り返る。
「えっと……その…………何というか……えっと……」
いざ、何か聞きたいかと言われると……なんか言葉が出ない。
聞きたいことがあり過ぎて、言葉がまとまらないのだ。
ただ……ただ、なんというか……
「椿咲」
「え……?」
今までやったこともないはずなのに、なんか、そうしなきゃいけない気がした。
そうすることが、一番正しいような気がした。
「頑張ったんだね」
ポンポンと、先ほどよりも目線の高さが近くなった、それでもまだほんの少しだけ僕より背の低い妹の頭を軽くなでてあげた。
「……急に、何?」
嫌がる様子もなく、椿咲は不思議そうに首を傾げてしまった。
そりゃそうだ。だって、こういうことって本当に今までやったことないんだから。
でも正直嫌がられて手を祓われるのかもとか思ってたから、僕としても受け入れられたのはちょっと意外だった。
「僕もわからないんだけど……なんか、こうしてあげたくなって。
嫌だった?」
「嫌じゃないけど……その、少し恥ずかしい……かな」
「そっか」
そう言われるが、僕は椿咲の頭を撫で続ける。
「結局、また助けられちゃったね。
本当、僕はいつも椿咲に助けられてばっかりで……立つ瀬がないや」
「そんなことない。
それに……私は今まで一度だって兄さんを助けてなかった」
それはどういう意味なのだろうかと思うと、僕の表情を見て、椿咲は自嘲したような笑顔を見せた。
「私はただ、助けた気になってただけ。
勝手にそう思って、兄さんがそれを受け入れてくれただけ。
ちっぽけな私の我儘……兄さんは受け止めてくれてた」
違う。僕はいつも椿咲に助けられていた。
そう思ってすぐ否定をしようとした。
「そんなことは」
「あったの。わかったの。
今日、この日からの三年間で……それを見せつけられてきたんだから」
それは僕が知らない、知ることのできない三年間
先ほどの一瞬
目の前の椿咲が現れることがなかった未来
僕が死んだ未来
本来の流れの未来の話なのだろう。
「私はただずっとそこにいただけ。
近くにいたつもりで、兄さんのことを全然見てなくて……自分のことばかり考えて、何も見えていなかった。
私はそれを、色んな人から教わった。
色んな人たちに助けられて……それが分かったの」
「……色んな事があったんだね」
僕がそうであるように……いや、僕以上にいろんなことを経験した椿咲は、僕よりもずっと大人びて見えた。
そんな僕も、この学園での経験が、あの日病院のベットでしか生きられなかった僕を変えてくれたんだから。
「うん。
悲しくて、辛くて、苦しくて、悔しくて……でも、そんな日々の中でも楽しいことも、嬉しいことも、ちゃんとあったんだよ。
だから私は、諦めずに戦えた。
無理だって、不可能だって、できこないって……そう言われても、それでも頑張った。
頑張って、ようやく……兄さんを、本当の意味で助けられた」
「椿咲……?」
笑顔……なのは間違いない。
達成感を覚えている笑顔であり、それは僕がこの学園で何度も見てきたものだし、僕も同じ笑顔をうかべたことがある。
だけど……なら、どうして僕は……椿咲が寂しそうに見えるのだろうか?
「――――あれ?」
ふと、手の感覚が無くなっているのに気付いた。
だが、手はちゃんとあるのはわかる。
むしろ、ちょっと赤みがかっている。
……これは、なんというか……
「椿咲、ちょっといいか?」
なんとなく、嫌な予感がした。
殴られるかもしれないと思いつつ、僕は椿咲に触れていなかった左手で、許可を待たずに頬に触れた。
普通ならデリカシーがないとか言われて怒られるものだが、椿咲は黙って、小さく苦笑しながら僕のその行動を受け入れた。
「な、なんで……なんでお前、こんな冷たくなってるんだ!」
まるで氷に触っているかのようだった。
体温が低いとか、そういうレベルじゃない。
人間の体温じゃない。
いやそもそも、体温というか、熱そのものがない。
「そういう力だから」
「力って、生存強想のことか?」
「正確には……借り物の力で時間に干渉するってことが、かな」
「時間に干渉って、いや、それでどうして体温が無くなるんだよ!」
「体温が無くなってるんじゃなくて……ここにいる三年後の歌丸椿咲が、存在自体が無くなり始めてるの」
「どうして!」
「タイムパラドックス、かな。
兄さんが生き残ることは……私がこの力を得る機会が無くなること。
その力を得られなかった私が、過去に行くことは絶対に無理だから」
体温が無くなっていく。
存在が希薄になっていく。
妹が、消える。
「だから、今ここにいる私は存在が消える。
私が経験した三年間が完全に、全部何もなかったことになる」
その事実に恐怖を覚えた僕は、椿咲を抱き寄せた。
体温が、存在が無くなっているのなら僕の体温を少しでも移せばいい。
そんなことを考えたのだ。
「……なんで」
本当は、無駄だってわかっているのにだ。
「なんで!」
それでも納得ができなかった。
「色んな事、あったんだろ!
言ったじゃないか! 嫌なことあったけど、ちゃんと楽しいことが……幸せなこと、あったんだろ!!」
「うん、たくさんあった。
心から尊敬できる先輩がいて……信頼し合える仲間ができて……頼りないけど、可愛い後輩ができて…………本当に、本当に私にとって、この三年間は宝物だった」
「だったら、どうして……! どうしてこんな!!」
納得できるはずがない。
これじゃ、これじゃまるで……!
「自殺じゃないか、こんなの!!」
寂しいとか、何を言ってるんだ僕は!
馬鹿じゃないのか僕は!
タイムパラドックスとか、入院中に腐るほど読んだ漫画やラノベで、考えればすぐに察しが付くだろ!!
「助けないほうが、よかった?」
その言葉に、全身がカッと熱くなった。
抱き寄せていた椿咲を少しだけ話して、真正面から怒りを隠さず睨んだ。
「屁理屈こねるな!!
こんなことして、僕が喜ぶと思ってるのかよ!!」
「思わない。
だけど……兄さんが命懸けで私を守って、私が喜ぶと兄さんは思ってるの?」
「話を逸らすんじゃ」「逸らしてない。
お願い、聞いて……もう、あんまり長くないから」
そう言って椿咲の手が僕の手に触れた。
その手は頬よりさらに冷たくて、まるで本物の氷の様に透けて見えた。
「っ……それは、ズルいだろ……!」
言いたいことは、たくさんある。
もっと叱らなきゃいけない。
もっと伝えなきゃいけない。
もっと、もっともっともっと……三年間、僕がいない時間を過ごした妹に、僕はもっと話さなきゃいけないのに、話したいのに。
だけど、そんな僕の感情を押し付けて、椿咲の最後の言葉を遮ることは……一番したくなかった。
「ありがとう」
「礼なんて、言うなよ……!」
「もう……兄さん泣かないで」
「泣いてない。これは、雨だ……」
「……うん、じゃあ、そういうことにしてあげる」
こんな時ですら、僕は妹に気を遣われるのか。全く本当に、情けない。
「私もね、本当は迷ったの。
力を使えば、こういう結果になるって……西の学園のノルンの人から忠告されてたから」
それは神吉千鳥のことだろうか?
もしくは……いや、今はどうでもいいか。
「迷って、それで考えて……考えて考えて、それでも答えが出なくて……兄さんの真似をしたの」
「僕の真似?」
「相談したの。
私が三年間で出会った人たちに」
「……そいつらが、お前にこうしろ言ったのか?」
「ううん、逆。みんな止めてくれの。
兄さんみたいに、本気で怒ってくれた人もいた。
私の好きにすればいいって、止めない人もいたけど……少なくとも全面的に賛同してくれた人は、誰もいなかった」
「なら……どうして?」
椿咲にとって、本来の時間の三年間は間違いなくかけがえのないものだったはずだ。
こうして顔を見て話していればわかる。
椿咲が相談した相手は、全員がとても大事な人たちなんだって、わかる。
「兄さんの言葉、思い出したから」
「僕の……?」
何か、言っただろうか、僕が?
「私のこと、一番じゃないけど……命を懸けるほど大事だって」
「……そう、だったね」
確かにさっき言った気がする。
戦ってる最中で無我夢中だったから忘れてたけど。
「それと同じ。
私にとって、本当に、本当にこの三年間は大切で、かけがえのないものだった。
だけど……それでもやっぱり、私はその三年間より、兄さんを助けたいって……そう思ったの」
椿咲の姿が徐々に消えていく。
冷たさすら、無くなっていく。
「つ、椿咲!」
まだ目の前にいる、まだ触れている。
それなのに、存在感が徐々に、そして確実になくなっていく。
「皆に謝って……私……みんなよりも兄さんを選んで……傷つけちゃって……それでも、皆私のこと心配してくれて……」
今の自分の状態に、当人であるがゆえに僕以上に恐怖を抱いているはずなのに、椿咲は笑っている。
「兄さんたちみたいな仲間、私作れたんだよ?」
恐怖で肩を震わせているのに、それでも笑っていた。
「ううん……兄さんたち以上に、凄いパーティで……本当に、心から自慢できる仲間を作れた。
私は、そんな仲間を裏切っちゃったけど……それでも、みんなと一緒にいられたことを心から誇れるの」
それでも椿咲は、心から笑っていた。
「この三年間、後悔なんて一つもしてない。
私にとっての最後の後悔も、これで全部なくなったから。
だから、大丈夫。
私は全力で、胸を張って、ここまで生きたよ」
「椿咲……お前は」
ああ、そうか。
同じなんだ。
北学区に入学して、そして生徒会長にもなるほどなんだから……そりゃ根っこもそうなるはずだ。
ただ生きたいというだけで、理由を持たない者が、北学区で三年間も残れるはずがない。
まして生徒会長など、なれるわけがないことくらい、天藤会長を見ればわかるはずだというのに……全く本当に、僕は馬鹿だな。
「椿咲は、本気で生きてたんだな。
ただ生きるんじゃなくて……目的のために生きて、やり遂げたんだな」
「うんっ」
悲しいし、悔しい。それは変わらない。
だけど……納得は、できた。できてしまった。
そこまでわかって、そしてそんな笑顔で肯定されては、もう僕は何も言えない。
だってその生き様は、僕が椿咲にこの体験入学の間見せてきた僕の信念そのものなのだから。
「……わかった、もう怒らない。それに、謝らない」
僕はそこにいるのに、顔が透けて見える。
それでもまだそこにいる。僕は椿咲を抱き寄せて、そのまま頭を撫でてやる。
「ありがとう……ありがとうな」
「ふふっ……兄さん、泣かないでってば」
「だから、泣いてない……」
眼が熱くなって視界がぼやけて歪む。
「大丈夫……私が“こっちの私”に戻るだけだから。
こっちの私のこと、お願いね」
「わかった」
「怪我、あんまりしちゃ駄目だよ」
「うん」
「お父さんお母さんに、心配かけちゃ駄目だよ」
「うん」
「ご飯はしっかり食べて、スキルに頼らずしっかり眠って、それで手洗いうがいも、歯磨きもしっかりやって」
「うん」
「それで……あと、それで……」
「大丈夫だよ」
今はまだ、本当に駄目駄目で馬鹿な僕だけど……
「これからちゃんと、僕、椿咲のお兄ちゃんになるから
椿咲に心配かけないで、むしろ頼ってもらえるようなお兄ちゃんになる。
だから、大丈夫、もう大丈夫。」
「……う、ん」
「椿咲が頑張ったの、わかったから。本当に……頑張ったんだな。
だから、もういいんだ。無理しなくていい、もう頑張らなくていいんだ」
「…………う、ぅ……兄さん、兄さ――」
泣き出す。
そう思った。
「――え?」
だが、気が付けば僕は床に転がっていた。
何が起きたのか?
――椿咲に突き飛ばされたのだ。
何故?
「きゅきゅう!」
「ぎゅぅうううう!!」
「きゅるるる!!」
今まで黙っていた三匹のウサギたちが、毛を逆立てて目に見えるほどに強い怒りの感情を体現している。
何が起きたのかと、僕はすぐに顔をあげた。
『下らない茶番なら、よそでやれ』
「――あ、ぅ」
その光景に、僕はこれまでの人生で感じたことがないほどの怒りを覚える。
英里佳が危険な目に遇ったとき以上に、明確な怒りと……そして、たぶん、この瞬間のこの感情こそが、まぎれもない殺意というものなのだろう。
「椿咲ぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
あの、アサシンがいる。
犯罪組織の、僕を誘拐し、シャチホコたちにもその存在を隠し切った、あのアサシンがいる。
それが今、後ろから椿咲を刃物で刺し貫いていた。
『どうせこっちの歌丸椿咲は死ぬんだろ。何を騒いでいる?』
「う……く……!」
刺された状態でありながら、椿咲は首を動かして背後にいるアサシンを睨んでいた。
しかし、口を開いてもそこからは呼吸が漏れるだけで言葉を発せられない。
『こんなことしても無駄だとわかってはいるが、報復の一つでもしなければこちらも面子が保てない。
クライアントの意向で直接危害を加えられないが……まぁ見せしめの一つはやっておかなければな』
「見せしめ、だと……?」
『そうだ。よく覚えておけ、歌丸連理。
俺たちを敵に回すというのは、こういうことだ』
――ドウイウコトダ、ソレハ?
頭に完全に血が上っていた。
「シャチホコ」
「きゅうううう!!」
思考が正常に定まらない。
「ギンシャリ」
「ぎゅがぁ!!」
だけど、ただ一つこの場で僕がすべき行動は一つである。
「ワサビ」
「きゅるぅぅぅぅ!!」
分かりきっている。
「――そいつを殺せッ!!!!」
どんな手を使ってでも、こいつを殺す。
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