第165話 二回目の意味

涙は止まっていた。


それだけ驚いているのだろう。


だけど、今椿咲がどんな思いで僕を見ているのかは、流石にわからない。


僕のことを馬鹿だと怒っているのかもしれない。


家族よりも他人を優先していることを悲しんでいるかもしれない。


嫌われたかもしれない。


見放されたのかもしれない。


でも、それでもいい。


それでも僕は、やっぱりこの道を突き進む。



どれだけ悩んでも、やっぱり僕はここに……英里佳の傍にいたいから。



答えを待たず、椿咲の手を取る。



「長居し過ぎた。


続きは学園に戻ってからにしよう」


「え、に、兄さん?」



椿咲の手を握って強引に引っ張って外へ出る。


船が運転されているってことは、まだ運転手は上にいるわけで気付かれていない。


そう考えながら、外へ出た。



「なっ!?」

「きゅきゅ!?」



だが、外に出た僕とシャチホコの視界に入ってきたのは、囲むように武器を構えた青白い顔をした学生6人だった。



「そんな、さっきまで運転手しかいなかったのに……?」



どういうことだと困惑する僕に、椿咲は僕の手を逆方向に引っ張ってきた。



「今、この船を動かしているのはネクロマンサーという職業ジョブの人です。


スキルの力で、船の操舵をできる人を操って……普段は、遺体を学生証に保管しています」


「あの時の奴か……!」



「――その通り」



上から声が降ってきた。


見上げれば、上部デッキからこちらを見下ろしてくる男が一人いた。



「気付かれてないと本気で思ったのか?


海面を走りながら後ろから走ってくるような奴がいれば、室内にでもいない限りは普通に気づくだろ」



僕のことを馬鹿にしているかのように嘲うその表情は、アサシンと違ってハッキリ見える。


学生服も見えるし……ネクタイの色からおそらく二年生だ。


僕を誘拐した実行犯の一人……まさか、僕が椿咲の救出に来ることを読んでいたのか?



「兄さん、駄目だよ……おとなしくして。


絶対に勝てない」



そう言いながら、椿咲は僕の手を引いて室内に戻ろうとする。



「……ごめんね、椿咲」



だが僕は、その手をできる限り優しく振り払う。


そしてすぐに後ろの扉を開けて、椿咲を押し込む。



「え」



キョトンとした椿咲を室内にいれて、すぐにドアを閉める。


そして捨てる機会がなかったのでそのまま持っていた折れた槍の柄をつっかえ棒にして扉を閉める。



「に、兄さん!」


「こいつらすぐに倒すから、ちょっと待ってて」



自分で言ってて、かなり無茶だなと思う。



「おいおい頭は大丈夫か?


どうやってお前一人で勝つんだ?」


「あんまり僕を……いや、シャチホコをなめるな!」



だけど、勝機が全くないわけじゃない。



「シャチホコ、僕のことは無視していいから、ネクロマンサーを攻撃しろ!」


「きゅう!」



最初の時違って、ネクロマンサーの姿は見えているし、仮に隠れられてもこの狭いクルーザーの中ならすぐにシャチホコが見つけてくれる。


だから、時間が経てばシャチホコが必ず奴を倒す。


その間に、僕は椿咲と、そして僕自身を人質に取られないように立ち回るだけだ。



「はっ……やれ」



ネクロマンサーの合図で、一気に動き出す目の前の六人……いや、六体の死体



「いけっ!」

「きゅう!」



僕の言葉に従って、上空へと一気に飛び跳ねるシャチホコ



「なっ!?」



僕を守るより、僕の指示通りにシャチホコが動いたことが意外だったのか、上部デッキにいたネクロマンサーが驚いたように声をあげた。


そして僕が見たのはそこまで。


あとは目の前の連中だ。


狭い場所であるにもかかわらず、獲物はバラバラ。


長剣、槍、斧、ナイフ、刀、鞭


一番早いのは……鞭!


そして避けられ……ない!



「ぐぅ!!」



痛いの覚悟で防御しつつ、次に危ないのを確認……槍!



「ふがぁ!」



穂先だけずらすが、切っ先が脇腹をかすめて痛い。


次が、長剣と刀!



「でりゃああ!!」



槍を思い切り引っ張って、持っている死体をこちら側に引き寄せて盾にする。


背中に剣と刀を受けさせた。


そして続いてが……斧!



大きく振りかぶった状態で、すでにそこにいた。



「――悪路羽途!」



咄嗟の回避行動でも発動するスキルで一気に身軽になって目の前の槍使いの死体を踏み台に跳びあがる。


そして次の瞬間、振り下ろされた斧が、槍使いの身体を真っ二つにしているのが見えた。


おっかねぇ……! 向きから考えて僕の足を切断するつもりだったんだろうな。



っとと、まだもう一人、ナイフ使い!


僕を狙ってナイフを振るう。


今は足を切られるわけにはいかない。



「づ、ぐ、ぎゃ!?」



足を庇って体を反転させて腕を切られる。


そしてそのまま体勢を崩し、フローリングのデッキの上に受け身も取らずに落ちる。


今の、体重がスキルで軽くなってなかったら首折れてたかもしれないな。



「くっ!」



すぐに立ち上がり、構え直す。


椿咲のいる扉は……槍使いの死体があるだけで、他の連中はそちらに行こうとしない。


やっぱり、ネクロマンサーが指示を出さない場合は単純な指示に従うだけなんだ。


この場合は……僕を殺さずに無力化することなんだろうな。



「かかってこいやぁ!!」



雄叫びをあげて自分を奮い立たせる。


シャチホコがネクロマンサーを無力化するまで時間を稼ぐんだ。


それが僕の、戦いだ。





「きゅきゅきゅきゅきゅ!!」



下で歌丸が死体を相手に立ち回っている一方、デッキの上部にてエンペラビットのシャチホコが動き回っていた。



「ぐ、痛ぇな、この兎風情が!!」



シャチホコの標的であるネクロマンサーは、一方的に攻撃を受けていた。


何度も何度も体当たりを受け、苛立った声で捕まえようとしてもその手はすべて空を切る。



「この!」



学生証を取り出し、その場に彼の武器である学生の死体を大量に出現させた。


攻撃のためではない。



「これなら攻撃できねぇだろ!」



彼は自分の周りに死体を立たせ、壁としたのだ。


だが、その程度なら生温い。



「きゅきゅきゅう!」



平面が駄目なら、立体を


床の上だけでなく、壁や天井まで蹴って縦横無尽に移動を始めたのだ。



「な、ぐぁ!?」



驚きも一瞬、流石に真上は防御してなかったネクロマンサー


結果、シャチホコの体当たりをもろに顔で受け、尚且つその額の小さな角を眼球に受けた。



「が、あ、あぁぁあああああああああああああああああああ!?」



すぐにシャチホコを振り払い、顔を押さえてその場にうずくまる。



「きゅう!」



さらに追い打ちをかけようと、前に出ようとしたシャチホコ。


瞬間、足場が激しく揺れた。



「きゅきゅ!?」



驚き、動きが止まるシャチホコ



「こ、の……畜生風情がぁ……!!」



左目から流血しながら、目の前の兎を睨む。



「もう、知らねぇ…………どうなっても知らねぇ!


お前ら全員、八つ裂きにしてやるよぉ!!」






「っ!」



五体の死体が一斉に飛び掛かってきそうになった時、急に船傾いた。


船が急にドリフトしたのだ。


僕は咄嗟に近くの手すりにつかまって体勢を低くしたが、武器を上段に構えていた斧を持った死体がその勢いのまま海へと投げ出された。



「――そこだぁ!」



ここがチャンスと思い、一番近くに来ていたナイフを構えた死体に殴り掛かる。



「パワーストライク!!」



僕が持っている唯一の攻撃系スキルを発動させ、全力で殴り飛ばす。


いまだに船体は傾いている途中で相手はバランスを取るのに精いっぱいだったので、僕が殴ればそのまま海へと落ちていく。


僕のその勢いで危なくなったが、悪路羽途のスキルが発動して体重がなくなり、フローリングをちょっと爪で引っ掻ける程度で体は十分に固定される。



「残り、三!」



鞭、剣、刀


それぞれの武器を構えている死体を睨む。


急に船が傾いたのは驚いたが、おそらくそれだけネクロマンサーがシャチホコに追いつめられているということだろう。


この船を操舵しているのはネクロマンサーの操る死体


それが突然舵を切るってことは、そうせざるを得なかったが、そちらを操作する余裕がなかったかのどっちかだ。


うまく行けば、このまま撃退できる。


そう思い、余裕を感じ始めた時だ。


上部デッキで爆発が起きた。



「は?」



何が起きたのかわからず呆けていると、何かが爆発の中から飛び出してきた。



「きゅ、びっ!?」


「シャチホコ!」



なんと、シャチホコが酷い火傷を負った状態で僕の目の前に転がってきたのだ。



「――調子乗るんじゃねぇよ、ザコ風情が!」



見上げれば、煙が発生する場所からネクロマンサーが姿を現す。


何やら片目から血を流して押さえているが、火傷一つ負っていない状態だ。


どういうことだと不思議に思っていると、上からまた別の何かが落ちてきた。


それはフローリングの床にぶつかると黒く炭を散らばらせる。



「……お前、まさか……!」


「はっ……いくらすばしっこくても、あんな狭い場所での広範囲魔法は避けられるわけないよなぁ~」



勝ち誇ったような目で、僕の目の前で必死に立ち上がろうとするシャチホコを見下すネクロマンサー



「お前……自分の操る死体を自爆させたのか……!」



あんな狭い場所で高威力効果力の魔法を使えばどうなるかなど目に見えているのに、こいつはそれを平気で行い、なおかつ他の遺体を肉壁にして自分を守ったのだ。



「あ?」



勝ち誇ったような顔をしていたネクロマンサーが首を傾げた。


どうしたのかと思ったが、すぐにわかった。船が動きを止めたのだ。



「ああ、そうか……上部の操縦席事吹っ飛ばしちまったもんなぁ……まぁ、室内にも操縦席あるから問題ねぇか」


「っ! 行かせるか!」



室内には椿咲がいる。


向かわせるわけにはいかない。



「だからよぉ、ザコがうるせぇよ。


――もういい、死ね」


「ペネトレイトスティング」

「斬鉄一閃」



「は――っ!?」



今までよりも早い動きで剣と刀を構えた死体が迫ってきた。


明らかにスキルを使っている。



刺突と斬撃、それぞれの発展スキルだ。



そして即座に感じた死のイメージ



頭でどうこう考えるより先に、今度は僕自身が船の外へと逃げた。



「くっ!」



海上を走りながら、僕の背後にあった船の壁が破壊されたのを見た。


先ほどと違って今の攻撃を受ければ確実に死ぬ。



「それだけ、本気ってこと――かぁ!?」



突如バランスが崩れた。


油断をしていたつもりはなかったが、船から延びてきた鞭が僕の右手に絡まったのだ。


そのまま勢いよく引っ張られ、強制的に船体に引き戻される。



「ぐっ!」



鞭によって引っ張られた僕はそのままフローリングの床に叩きつけられる。


スキル発動中だったので痛みは大したことはなかった。



「こ、の……――外れないっ!」



腕に絡まった鞭を外そうとしたが、どういう理屈なのかまったく取れない。


スキルの力か?



「――スタブ」

「っ!」



鞭に気を取られていたところに背後から聞こえてきた声。


即座に避けようと思ったが、意志とは逆の方向に鞭を引っ張られてしまう。


結果、完全に避け切ることができずに僕の左肩に刃を受ける。



「あああああああああああああああああああああああ!!」



痛みに思わず悲鳴を上げた。



――苦痛耐性フェイクストイシズム、オン



苦痛の効果を押さえ、眼前にいる剣を持つ死体を睨む。



「はぁ!!」



相手の手首をつかみ、そのまま体を引っ張って傾けたところに、足を払う。柔道の大外刈りだ。


そのまま転ばせつつ、肩を思い切り踏みつけて手に持っていた剣を強引に奪い、蹴っ飛ばす。



「この!」



その剣で腕に絡まった鞭を切ろうとしたが、思い切り弾かれた。



「ワイヤーだと!?」



見た目から革製かと思ったが、内側にワイヤが編み込まれている。


これじゃ切れない!



「疾風二段」


「しまっ――!」



鞭に意識を取られている間に、刀を持つ死体の接近を許してしまった。


このままでは――



「――兄さん!!」



そんな時だ。


ありえない声が聞こえた。


横から現れた人影が、僕の目の前に迫っていた死体に思い切り体当たりを当てる。



「椿咲!?」



さきほど室内に押し込んだはずの椿咲がそこにいたのだ。


どうして、と疑問に思ったが、おそらく先ほど船がドリフトしたときにつっかえ棒が外れてしまったのだろう。


そして椿咲のおかげで僕を狙っていた二段突きが中断される。



――だが……!



「ひっ!」



刀を持つ死体の標的が、僕から椿咲に変わる。



「――シャチホコ!!」


「きゅっきゅきゅう!」



怪我を負っているところ悪いが、この場にいるシャチホコに動いてももらう。


刀を持つ遺体の顔に張り付いてもらい、視界をふさぐ。



「伏せろ!」


「っ!」



咄嗟に僕の指示に従って椿咲はその場に伏せると、振り回された刀が先ほどまで椿咲が立っていた場所経過した。



「こっちに転がれ!」



引っ張ってくる鞭を踏ん張って耐えながら少しでも前に出る。


そして、近づいてきた椿咲の肩に少し触れた。



特性共有ジョイント!」



紗々芽さんの分の枠を一旦解除して、椿咲に使う。


これによって椿咲は僕と同じスキルを使えるようになった。



「そのまま逃げろ!」


「に、兄さん!」


「早く! 今のお前なら海面を走れる、急げ!!」



僕は剣を持って、腕に鞭を絡めてくる遺体目掛けて切りかかろうとした。


だが、先ほど剣を持っていた遺体が横から出てきて、剣を奪い返そうと僕の手首をつかみ動きを止める。



「くそっ、このぉ!!」



拳を握って攻撃するが、肩を切られて上手く力が入らない。


だめだ、絶対にここで倒れるな!


まだ椿咲がいる、まだ絶対に倒れるな!!



「はっ、ザコが」



上からの嘲うような声。


瞬間、目の前の遺体の動きが変わる。


視界から消えたかと思えば、瞬間僕は何故か雨が降る曇天を見上げていた。


そのまま後ろへと転がり、倒れる。



「ぐ、ぅ……!」



顎が痛い。


思い切りアッパーされたようだ。


そうか……ネクロマンサーが視認してるんだから、さっきみたいに単調な動きじゃなくて、完全な実力を発揮できるのか……!



「ぐ、ぅ……!」



脳震盪が起きたのか、手足に力が入りづらい。


握っていた剣も、零れ落ちる。


それでもどうにか、四つん這い気味に体を起こす。



「兄さん、もうやめて!!」


「……いいから、早く、逃げろ……!」



まだ椿咲がいる。


早く逃げてもらわないと……!



「もうやめて! お願いだから!」



見れば、椿咲の顔が濡れている。


それが雨なのか、涙なのかわからない。


その時、刀を持った遺体が椿咲の方に向かった。



「がぁ!!」



獣みたいに吠えながら、立ち上がれないならもうそのままでいいと体当たりする。


体勢の低い状態からの全体重を乗せた体当たりは、その遺体を上手く転ばせた。


もはや手段は択ばず、そのまま喉を噛み千切ろうとするが、腕に絡まった鞭が引っ張ってきてそれを邪魔する。



「がはっ……!」




押し倒した遺体が僕の腹を思い切り蹴り上げ、僕の身体が少し浮く。


その際、口の奥が急に酸っぱくなり、口から吐瀉物を撒きながら僕はフローリングの上を転がる。



「ははははは、だっせぇ、噂通りのゲロ丸くん、畜生もザコなら主もザコなわけだなぁ!」



「きゅ、きゅきゅ……!」



倒れた僕を守る様にシャチホコが前に立つ。


しかし、よく見れば足を怪我している。


これではもう、万全には動けない。



「兄さん、逃げて、兄さんだけなら、まだ何とかなるでしょ!」



後ろで椿咲が叫んでいる。


――そう、かもしれない。


まだ、ギリギリ、僕一人なら逃げられる可能性はある。



「んー……そうだなぁ、もともとの依頼達成もあるし……今なら逃がしてやるぜぇ」



ニヤニヤしながら、ネクロマンサーは僕を見下している。


そしてその言葉に、椿咲は歓喜の表情を見せた。



「なら」「ただし」



ああ、わかってる、金瀬千歳や、他にも多くの人を殺してきたこいつらが、そんなことタダで言うはずがない。



「船弁償と、この目の弁償として、お前の妹、せいぜい楽しませてもらうけどなぁ」


「――ざけんなぁ……!」

「――きゅきゅぅ……!」



怒りで腸が煮えくり返る。


絶対に倒れてなるものかと、力の抜けた足に力を入れる。



「兄さん、もう止めて! 私はいいから、お願いだから、もうやめて……!」



後ろで椿咲が泣いている。


ああ、本当に僕は酷い兄だ。



「私より、大切なものがあるんでしょ!


榎並先輩のこと、大事なんでしょ!


だったら、こんなところにいないで、帰って!


もう、もう私の言うこと聞かなくていいから……!


あの学園にいていいから、お願い……はやく、逃げて!!」



泣きじゃくりながらそう叫ぶ。


そんな風にさせてしまっている僕の弱さに、自分自身の胸を掻き毟りたくなる。



「兄さん!!」



それでも僕は立ち上がった。


負けたくないから。



「僕、兄さんだから」


「え……?」


「こんな、弱くて、泣かせてばかりだけど……兄さんだから」



血を流し、動きを止められ、体がうまく動かない。


それでも戦う意志だけはまだ全身を滾っている。



「僕のことを、それでも兄さんだって言ってくる椿咲が、大事なんだ」



いつも通りに笑おう。


それが今の僕にできる、最善のことだ。



「一番じゃないけどさ……」



振り返る。


今度ははっきりと泣いているとわかる椿咲の顔がそこにある。



「それでも、僕の命よりも椿咲が大事なんだ」







「そうか、じゃあ死ね」



答えは決まった。


椿咲の目の前でいつも通り笑っている兄がいる。


そんな兄に、刀と、そして床に落ちていた剣を拾った二体が切りかかってくる。



「兄さん!!」



朗らかな、こんな場所には似合わない平和な笑顔の兄が、表情を厳しいものに変えて拳を握った。



――駄目



「――変わらない、の?」



東学区のホテルでの、ドラゴンと兄の会話を思い出す。


兄が死ぬ。


殺される。


このままでは、あの時聞いた未来と何も変わらない。


そう思うと絶望が押し寄せてくる。



『大丈夫』



優しい声が聞こえた。


聞き覚えのあるような、そんな不思議な声だ。


気が付けば椿咲は、知らない場所に立っていた。



そして目の前には、迷宮学園の制服を着た女子生徒が立っている。



「……誰?」



椿咲の言葉に、目の前の彼女は優しく微笑み返してくれた……ような気がする。


どういうわけか、椿咲にはその女子の顔が見えない。


だが、先ほどの兄のような、朗らかな笑顔を向けてくれているのだということは分かった。。



『もう大丈夫だから』



そう言って、彼女は手を差し出してきた。


それが何を意味するのか、わからない。


わからないけど……椿咲はその手を取った。





「ふ、ふはっ」

「く、くくっ」



その光景を、別の空間から俯瞰していた二体の竜がいた。


そして、互いに肩を震わせていた。



「ははは」「ははは」「はははははは」「はははははは」



笑い声が共鳴し、空間が軋む。



「「はははははははははははあAAAA!!」」



笑い声がやがて咆哮に変わる。



「「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」」



その感情は、歓喜だ。


身震いするほどに、二体のドラゴンはあふれ出る喜びの感情を制御しきれずに吠える。



「そうか! そうですか! そう来ますか!!」


「せやせやせやせや!!


そうや! これや! そうだったわ!!」


「ええ、ええ、ええええ、まったくもってその通り!


予想外! ですが真理! そして必然!!」


「歌丸連理は、戦士やない! 賢者でもない! 添え物でもない!


せやけど、!!」


「そうですとも、ええ、そうですとも!


なんということでしょうか! 私達そろって、忘れていました!


そうですよ、そうです! この時、この瞬間……いいえ、すでにもう、彼女が学園に来た時から、このイベントの主役は、ずっとだったのですよ!!!!」





光が発生した。



「……は?」



ネクロマンサーの呆けた声が聞こえる。


先ほど、僕に切りかかってきた遺体は、二つともすでに海へと吹っ飛ばされた。



「…………」



僕は、目の前にいる、見慣れた制服の、見慣れない背中に放心する。



「――生存強想せいぞんきょうそうLv.10」



聞き覚えのある、しかしどこか聞きなれない声



売流事路捨途ウルズロスト



そう言って、彼女は手に持った盾と、メイス……そして“生徒会”と刺繍された腕章を身に着けていた。



「……誰だ、テメェ?」



ネクロマンサーの言葉に、彼女は顔をあげた。


僕からは見えないが……その姿は……いや、でも、まさか!



振り返れば、そこにはもう誰もいない。


椿咲が、僕の後ろにいない。



――なら、もしかして、いやでも、それでも……まさか僕の目の前にいるのは……!



驚愕する僕の内心を知ってか知らずか、彼女は口を開いた。



「迷宮学園北学区所属



その言葉に、僕は完全に度肝を抜かれた。



「生徒会長」



ゆっくり振り返り、彼女は僕に優しく微笑みかける。


いつも、そうであったように。



「歌丸椿咲。


過去を変えに来ました」



少し成長した、未来の妹が、僕の目の前に現れたのだ。

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