第164話 妹の、気持ちを知れど、恋焦がれ。
■
「さてさて……まさかの場外戦となりそうですねぇ」
「せやな。
……で、これ、未来のワレが見てきた状況と同じとちゃうんか?」
二匹のドラゴンが向かい合いながら、学園で起こるすべてを俯瞰してみている。
「どうでしょうねぇ……一度確定してしまった未来、運命というのは私たちにとってはともかく、人間にとってはとても強固なものですから、近い状況ではあると思いますよ」
そう言いながら、東学区の学長であるドラゴンはカリカリと自分の爪で頬の鱗を掻く。
「西のノルンであっても、それを完全に変えるのは難しい。
あなたの虎の子を除いてね」
「せやけど、あの子はこの場にはいない。
姉の方の力は不安定やさかい、それも期待できへんし……もうその辺りは手遅れやな」
いまだ単独……正確には頭にエンペラビットを乗せた状態で海の上を走る歌丸連理を哀れみを込めた目で見ているのは、西の学長のドラゴンであった。
「もったいないな……おもろいもん持ってるんやけど」
「いえいえ、まだわかりませんよ?」
一方の東のドラゴンはニヤニヤと必死の形相で海の上を走る歌丸を見ていた。
「彼の可能性は、これで終わりではないと思ってますから」
「そりゃわかるけどなぁ……やけど、この子、自分で直接戦うタイプやないで?
救援も動いてるみたいやけど、間に合うかどうか」
「そこが見物なんじゃないですか。
見てみようじゃありませんか。
どう切り抜けるのか、はたまた、どう死ぬのか。
ふふっ……まったくもって、実に楽しみですっ」
状況をすべて理解してるのに、弾んだ声であった。
当人たちがどれほど必至でも、ドラゴンたちにとってこれは娯楽の一環でしかないのであった。
■
「くっ、はぁ、はぁ、はぁ……!」
どうにかクルーザーに追いついてその甲板に飛びこめた。
筋肉疲労については
全身に打ち付けてくる雨によって体温が奪われそうになるが、今は逆に体が熱いので丁度いい。
「きゅきゅう……」
一方で僕の頭から降りたシャチホコは全身がずぶぬれで不満げに僕を見上げている。
「シャチホコ、他に人、いるか?」
息を切らしながら訊ねると、シャチホコは耳をピクピク動かして一方をデッキ上部に、そしてもう一方を僕らの前方に見える小さい階段を降りたところにある扉を指した。
「……上にクルーザーの運転手がいるから……下の、部屋に椿咲がいるんだな」
幸い、まだ僕がここにいることは運転手には気づかれてないようだ。
椿咲と接触して、スキルを共有し、一緒に走って学園に戻ろう。
「行くぞ、シャチホコ」
「きゅ」
雨音で足音など聞こえないので、普通に急いで目の前の扉へと向かう。
――ガチャガチャ
「鍵がかかってるのか……シャチホコ、頼む」
「きゅう!」
普通に蹴破ることもできなくはないが、それでは雨音で消し切れないほどの音が出る。
ここはシャチホコの物理無効スキルで静かに破壊してもらおう。
そして数秒、鍵のセットされている部分にシャチホコが“
「よし」
ドアを静かにあけて中へと入る。
「なんの用ですか」
中に入ると、すぐそこに此方を見ることもせずに俯いた椿咲がいた。
「気分が悪いんです……お願いですから、放っておいてください」
僕はひとまず怪我が無いか確認するために近づいていく。
「鍵をかけるくらい、別にいいじゃないですか。
私は逃げません。ここにいます」
「それは駄目だよ」
僕がそう言うと、椿咲はようやく顔をあげた。
「……兄、さん?」
そして僕の顔を見て、唖然とする。
椿咲のそんな顔、凄く久しぶりに見た気がして、状況を考えれば場違いだと思うのだけど、少しおかしくなって小さく笑ってしまった。
「迎えに来た。みんなのところに戻ろう」
■
気分は最悪だった。
朝起きたら空は荒れていて、波も高くなる。
それなの急に小さい船に移されていきなりこれから本島に戻って西の学園に行くと言われた。
逆らえば兄の身に危険が及ぶかもしれないと考え、ただ従うしかなかった椿咲
せめてもの抵抗として、移動のクルーザーの中では一人でいたいと鍵をかけた。
「――う……!」
高い波の中、今まで乗っていた船と違って小型のクルーザーの揺れはそれまで以上に大きく、椅子に座っていても不安定で倒れそうになる。
ある程度速度が落ち着いてきて揺れも収まってきたが、それは同時に自分があの学園から遠く離れたのだということを実感させて、さらに気分が深く沈む。
――ガチャガチャ
そんなとき、ドアからそんな音がした。
雨風で動いたような音ではない。
誰かがドアノブを動かしたのだ。
この船に乗っているのは自分とそして今このクルーザーを動かしている者一人。
放っておいて欲しいので椿咲はただその場で俯いているだけだった。
しかし、数秒後にドアが開く。
鍵でも使ったのだろう。
この船の支配者は自分ではないのだから当然だと思いつつも、部外者がここに入ってきたという事実に陰鬱な気分がさらに強まった。
「なんの用ですか」
出来れば視界に入れたくないので、俯いたままそう言った。
「気分が悪いんです……お願いですから、放っておいてください」
そう言っているのだが、相手は無言で近づいてくる。
気持ちが悪くなって、泣きそうになった。
それでもそれを我慢して口調を努めて平静にする。
「鍵をかけるくらい、別にいいじゃないですか。
私は逃げません。ここにいます」
自分で言っていて何か大事なものが欠けていきそうな気がした。
それでも、今はこれが最善なのだと自分に言い聞かせる椿咲
「――それは駄目だよ」
しかし、そんな椿咲の耳には聞き覚えのある、優しい声が聞こえてきた。
一瞬、何が起きたのかわからずに困惑したのだが今まで見ないようにしていた視線を上へと上げた。
そして入ってきたのは、ずぶ濡れで、力の抜けるような穏やかな表情の兄がそこにいたのだ。
「……兄、さん?」
夢でも見ているのだろうかと思って、恐る恐る読んでみた。
すると兄は――歌丸連理は手を差し伸べてきた。
「迎えに来た。みんなのところに戻ろう」
■
「どうして……ここに兄さんがいるの?」
「それはこっちのセリフだよ。
僕はおとなしく捕まっていれば椿咲には手を出されないって言われてたんだけど……ここにいるってことは反故にされたんだろうね」
……いや、でもあの二人を見るとちょっと違うか。
強硬派の独断専行ってあたりが状況としては妥当だろうな。
「まぁ、話はあと。上にいる奴が気付く前に逃げよう」
「う、うん」
頷き、椿咲が僕の手を取ろうとしたが、それは途中で止まる。
そして椿咲は何やら思いつめた表情で手を自分の膝の上に戻した。
「椿咲?」
「駄目、だよ……兄さん、あそこにいるべきじゃない」
「……どういうこと?」
椿咲は僕の言葉に、再びその場でうつむいてしまった。
「誰も……あの学園にいる人たちじゃ誰も、兄さんを守れない」
肩を震わせ、声を引きつらせながら言い切った。
「兄さんのこと……本気で大事に思ってない。
いくら兄さんが、あの人たちのこと想ってても…………あ、あの人たちは、兄さんの持ってる力を、利用したいだけだよ」
「それ……本気で言ってるの?」
「…………っ」
俯いたまま、身を強張らせながら、声を発することはできなくなりがらもであったが、それでも椿咲はゆっくりと、大きく頷いた。
「――兄さんは、あんなこと、する必要なんてない……!
もっと、安全なところで……別の形で頑張ってくれれば……ううん、頑張らなくてもいいから……!」
震える手を伸ばし、雨でずぶ濡れとなった僕の左手を両手で、離さないように強く掴んできた。
「お願いだから……もう……もう危ないこと、しないで……!」
「椿咲……」
その手を通して、妹の気持ちが伝わってきた。
もしかして、椿咲はあの学園が……英里佳たちのことが嫌いになってしまったのではないかと思った。
でも、違う。
――僕のせいだ。
僕が、椿咲に心配をかけたから……だから椿咲は僕にこれ以上、危ないことをさせないために、こんなことを言っている。
いや、僕が言わせてしまっている。
――僕が弱いから。
「だから……僕に西に行かせようと?」
頷く。
「兄さんが……危ないことするのは……あの人たちのためなんでしょ……?
兄さんが、あの人たちのこと、本気で大事だって思ってるのわかってる……わかってるけど……それでも、嫌だよ。
兄さんが、死んじゃうの…………いやだ……!」
顔をあげてないので表情は見えないが、泣いている。
僕の身体から落ちる水滴とは違う液体が、椿咲の足元を濡らしているのだ。
「だったら……だったら一緒にいなければいい。
お願いだから……私のこと、嫌いになってもいいから……!
お願いだから、あそこにいないで…………私も、一緒に行くから、西に行こうよ……!」
本当に、僕は兄として最低だ。
妹がここまで思いつめていたなんて考えもせず、ただ自分のことばかり考えて……椿咲の安全とか言って、僕は結局、兄としての体面を保ちたかっただけなんじゃなかったのか?
「僕は……最低だな」
その場でしゃがんで、椿咲の頬に手を当てて顔をあげさせた。
そうしてようやく顔が見えて。
くしゃくしゃな泣き顔の妹が見えた。
「ごめんね、僕は自分のことばっかりで、椿咲がどれだけ僕のこと心配していたのか全然わかってなかった。
本当にごめん。ごめんね」
「……兄さん」
「正直言うと僕もさ、こんな風になるつもりは全然なかったんだ」
「え……?」
「本当は、もっと強くて、カッコよくて」
荘厳な剣を振るう自分を夢想した。
「一人で何でもできて、誰にも馬鹿にされない」
勇敢に凶悪な敵に立ち向かう自分を思い浮かべた。
「誰からも敬われて、女の子からモテモテでさ」
地位も名声も想うがままな自分を妄想した。
「…………そんなヒーローみたいになりたかった」
自分で語ってて、凄く子供っぽい気がした。
でも、仕方がない。
本当のことだから。
「でもやっぱり弱くてさ……」
エンペラビットにも負けた。
「一人じゃ全然戦えなくて、椿咲の言う通り、みんなにいつも迷惑かけて」
果敢に立ち向かう仲間たちの後ろで、応援したり、ザコを相手にしたりした。
「最初は色んな人にザコ丸とか馬鹿にされて、誰からも見てもらえなかった」
悔しい思いをしたことはある。寂しい気持ちになったこともあった。
だけど……
「そんな僕に、最初に手を差し伸べてくれたのは、英里佳だったんだ」
あの日のことを思い出す。
ただの数合わせ。
そんな、妥協しかない理由で一緒に迷宮に入った最初の日を。
「……榎並、先輩が?」
「うん。次に詩織さんが、紗々芽さんが、戒斗が……そして色んな人たちが、僕のことを見てくれた」
それでも僕が心からこの学園で笑えていたのは、友達ができたからだ。
「この力も……そんなみんなの役に立ちたいって僕の願い、形になったものなんだと思う。
利用されてるとして、それでも僕は嬉しいんだ」
僕の左手を掴んでいた椿咲の手の力はいつの間に弱くなっていて、今度は僕がその手を両手で包み込む。
「思い描いた生活とは似ても似つかないけど……それでも、僕は自分が嫌いじゃない。
ううん、むしろ今の自分が大好きで、誇らしく思えるんだ。
最初に思い描いた妄想なんかよりもずっとずっと、大事なものに満たされたんだから」
「だけど……それでも、このままじゃ、兄さんは……!」
「確かに、西行けば生きていられるかもしれない。
うん……それで僕の最初の目的は達成される」
「だったら……!」
話はまた、元に戻る。
平行線だ。いくら論を尽くしても、椿咲は譲らない。
そして、僕も。……いや、むしろ僕の方が駄目かな。
理屈もなく、ただ、僕は自分の気持ちをおしつけてるばかりだ。
分かってる。
「だけど……」
それでも、思い出すんだ。
「みんなが……いや……英里佳が悲しむ」
「……え?」
あの日のことを思い出す。
僕にとって、この学園で本気で成し遂げたいと思った、目標ができた日を
二人で並んで、見上げた月を覚えてる。
痛くなるほど握った手を、そして離さないように掴んだ手を覚えてる。
「僕はさ」
――彼女の涙が、今も僕の胸の内を掻き毟る。
「英里佳のためになるなら、死んでもいいって思ってる」
あの時の気持ちが、想いが、熱量が、今も僕を突き動かす。
「英里佳がいない場所に行くくらいなら、僕は死んだ方が幸せと感じちゃうよ」
兄として最低で、落第決定な僕。
それでも、家族だから……本当に大事に思ってるから
「本当に、本気で、僕はそう思ってる」
「……兄さん……それって」
「うん」
ただ素直に、本当のことを、嘘偽りなく椿咲に告白しよう。
「僕は、英里佳のことが好きなんだ。
だから僕は、ここにいたい」
それがせめてもの、兄として駄目な僕の、家族としての向き合い方だから。
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