第157話 三下執行人の決意と狼少女の強がり



場所は北学区の校舎


その中の一室であり、普段はギルド“風紀委員(笑)かっこわらい”が事務室として活動している場所だ。


そこには今、チーム天守閣の面々と、歌丸連理の妹である歌丸椿咲がソファに座っていた。


そんな面々を見て、下村大地は努めて普段通りの表情を見せる。



「歌丸連理についてだが」



その言葉に、いち早く反応したのは身内である椿咲であった。


その場から立ち上がり、大地に詰め寄る。



「兄さんは、兄さんはどうなったんですか!」


「落ち着いてくれ。


あいつの身柄は無事。少なくとも誘拐の依頼主はあいつから敵視されても不利益にしからないなからな。


悪いようには扱われないはずだし……あいつは今も生きているのは、俺以上にこの場にいる君以外の連中が良くわかっている」


「え……?」



どういうことかと不思議そうな顔をする椿咲に、戒斗が説明する。



「妹さん、俺たちチーム天守閣は、連理の持つ特性共有ジョイントっていうスキルを常時発動してるんスよ。


それが今も消えていない。


少なくとも、あいつが生きているってことッス」


「兄さんは……無事ってことですよね?」


「…………まぁ、それは断言できないッスね」


「なんでですか!」


「捕まっておとなしくしてるほど、あいつ敵にとってお利口でもないッス。


一人でも、脱出の算段を考えてるか、暴れてるかしてたら流石に無傷ともいかないッスからね」


「そんな……」



兄がそのような、と考えるが、そもそも本島にいた時はそのような事態になることなど一切想定していなかった椿咲


ならばむしろ、この学園に来てからの兄のことをよく知る戒斗の言葉の方が重みがあると考えられる。



「それで、下村先輩……私たちは今後どうすればいいんですか?」



そう聞いたのは、普段通りの凛とした表情をみせる三上詩織だった。


チームのリーダーとして、本当は誰よりも責任を感じている彼女だが、まだチーム天守閣としての役割が終わっていない以上、弱気になっている暇はないということだろう。



「動くな。お前らチーム天守閣は待機し、明日からの三日間北学区での体験入学を通常通りこなせ」


「そんな…………それじゃあ、歌丸くんはどうなるんですか?」



現場に居合わせた苅澤紗々芽は青白くなった顔でそう訊ねる。


彼が血まみれで戦う姿を目の当たりにしており、もしかしたら今も何か酷い目に遇わされているのではないかと気が気でないのだ。



「それは生徒会がそれぞれ対処する」


「具体的には?」



冷徹な声と無機質な目で問うのは、榎並英里佳


触ればそれだけで鋭く切り裂く刃物のように、今の彼女は尖った気迫を纏っていた。



「機密情報だ。教えられない」


「…………私達が、足手まといだと?」


「現状、違うと断言できるのか?」



その言葉を受けて、英里佳は一瞬椿咲を見た。



「……わかりました。聞きません」


「……ああ、それでいい」



英里佳が引き下がってくれたことで、大地は小さくため息を吐きながら、冷や汗を袖で拭う。



「まぁ、気持ちはわかる。


だが事が事だけに慎重に事を進めないといけないし、もしかしたら教師にも話を通すことになる。


下手なことして不利益を被ることは避けたいし、生徒でも関わらせるのは最低限にすませたいんだろう。


それに…………まだ、妹さんの安全が保障されたわけじゃないからな」


「……私の安全?」


「ちょっ……先輩、それは!」



大地の言葉に慌てる戒斗


まだ椿咲には、自分がどのような現状に置かれているのかを話していなかったのだ。



「今回の誘拐も、結果的に彼女の暴走が敵に塩を送ったことになっている。


今後の軽率な行動を控えるためにも教えておくべきだ」


「いや、でもそれじゃ」「戒斗、やめなさい」



反論しようとした戒斗を詩織が止めた。



「本来なら……私たちが告げておくべきことだった。


それをせず、何もできなかった私たちに先輩に何も言う権利はないわ」


「でも、それじゃ連理の気持ちは……」


「教えてください。どういうことなんですか、私の安全って?」


「それは……えっと……」



椿咲の問いに、答えに窮する戒斗



「……先輩、私から話します」


「別に俺が言ってもいいんだぞ?」


「いえ、言わせてください。


せめて……それくらいの責任は果たさせてください」


「…………わかった。


俺は今日の宿泊場所を押さえておく。


事態が事態だから、もう普通の宿泊施設を使うわけにもいかないし、お前らの寮も駄目だ。


今日は開いてる宿直室を押さえておくが……戒斗、お前は床で眠る覚悟しとけ」


「うっす」



大地が部屋を出ていき、部屋に残ったのはチーム天守閣と椿咲の五人だけとなる。



「……いったい、どういうことなんですか?」


「まず座りましょう。


少し長くなるから」



問いただす椿咲に、詩織がソファに腰かけ直しながらそう言った。



「……あ、お茶淹れるね……」


「紗々芽は無理せず座ってなさい。


……戒斗、悪いんだけど椿咲さんの分だけでも頼めないかしら?」


「別にいいッスよ、人数分用意するッス」



そう言って一時その場から離れようとした戒斗だが、引っ張られる感覚に足が止まった。



「ん?」


「……あ」



振り返ると驚いたような顔をしている椿咲が、戒斗の制服の裾をちょこっと掴んでいたのだ。



「……戒斗はやっぱりこの場に残って。


英里佳、お願いできる?」


「……わかった」



代わりに席を立った英里佳。


ただこの場でジッとしているより気がまぎれると判断したのだろう。



「……とりあえずそこに座るッス」


「…………はい」



戒斗に促され、詩織と対面する形でソファに座る。


自然と、戒斗は椿咲の近くに立つ。


流石に、年頃の少女の隣に座るほど、戒斗もデリカシーがないわけではないのだ。



「……まず、土曜日に開催される会議で、あなたはこの学園に呼び出されたわ」


「はい」


「それが、今起こっていることを引き起こすための建前だったの」


「建前……?」


「あの学長が一番したかったことは、合法的にあなたをこの日本国内領域にありながら、無法地帯である学園に呼び寄せること。


学長と西の学長は今、東と西のそれぞれの学園の権力者の思惑を利用して、連理を賭けて遊んでるのよ」


「遊び……? 兄さんを賭けて……」



唖然とする椿咲だが、すぐに我に帰って口元に手を当てながら考える。


ドラゴン同士の考えなどどうせ理解できないが、兄の持つ、スキルを生み出すスキルを欲しがる大人――権力者の存在は驚くほどのものじゃない。


そもそも自分が会議で呼ばれたことだって、その辺りを考慮してだとあの学長は言っていたではないか。



「それが理由で兄さんが誘拐された……ということならわかります。


ですが、どうして私が呼ばれたことがそれに関係しているんですか?」


「直接連理を誘拐して連れていく、という手段は学長が認めていないからよ」


「でも、現に」

「そこが私たちも予想していなかったこと。


連理本人も、少なくともこの時期に自分に直接西の学園が関わってくるとは考えてなかったの」



そのタイミングで、ちょうど英里佳が人数分のお茶をお盆に乗せて運んできた。



「はい、どうぞ」


「……ありがとうございます」



最初に自分に出され、詩織、紗々芽の前にお茶をおき、そして戒斗の取りやすい位置のテーブルの上にお茶を置く英里佳。


後は自分の分をもって、その場から少し離れて出入口近くの壁に寄りかかる。



「ぅわ……ちょっと濃過ぎよ、これ」


「……その方が美味しいかなって」


「今度、お茶の淹れ方教えてあげるわよ」



そう言いつつ、詩織は出されたお茶を飲んで舌を潤わせる。



「……むぅ」



椿咲も飲んでみたが、確かに濃すぎる緑茶だ。


思わず顔を顔をしかめてしまう。



「……今度教えて」


「ええ、今度ね。


……それで、話を戻すわね。


実は、今度の体育祭の成績で、それぞれの学園で通っている生徒を勝ち取れることになっているの。


向こうの要求は、ドラゴンも教師、生徒会も全部一致して連理……あなたのお兄さんを引き込むことよ」


「それは知ってますけど……なら、それで引き込めばいいのに、なんで……」



その言葉で質問ではなく、自分自身への問いだった。


そして冷静に、考える。



「向こうは兄さんが欲しい……けど、直接の誘拐はドラゴンが認めない。


だけど兄さんは誘拐されて……けど、東は兄さんが標的になるとは思ってなくて……」



元々地頭は悪くない。



「……あ」



だからこそ、分かる。


そして唖然とした。


自分が今更ながら、どれだけ軽率な行動を取っていたのかを再確認させられたのだ。



「……西は、貴方を人質にして連理と私たちの力を封じて体育祭を有利に進めるつもりでいる。


いえ、むしろ場合によっては八百長を要求させられる可能性がある。


それをさせないために、私たちはあなたをつきっきりで護衛をしていたの」


「そんな……それじゃあ……!」



体から力が抜けていく。


もし座っていなかったらそのまま倒れていたかもしれない。



「……私が……私があの場から離れたせいで……!」


「それは違うッス」



自分を責める椿咲に、戒斗は横で即座に訂正を入れる。



「少なくとも、君だけの責任じゃないッス。


君か、連理か狙われることを考えていれば無理矢理でもあの場で君を引き留めておくのが俺の役割だった。


それをできなかった俺が悪いッス」


「……私も英里佳も、スケジュールを考えて安易にあの場から離れるべきじゃなかった。


護衛中なんだから、何よりもそちらを優先するべきだったわ」



戒斗と詩織の言葉を受けても、椿咲はうつむいたまま顔をあげない。あげられない。



「……仮に」



入り口付近にいた英里佳が口を開き、自然と全員の視線がそこに集まる。



「仮に日暮くんがその場に残っていたとして……紗々芽ちゃん、実際にその敵と戦った当事者として、どうにかできたと思う?」


「それは…………」



英里佳の言葉に、紗々芽は言葉に迷う。



「……俺のことは気にしなくていいッスよ」



戒斗の言葉に、申し訳なさそうな顔をしながら、紗々芽は言葉を紡ぐ。



「多分……無理だったと思う」



紗々芽はあの時の敵の戦力を冷静に考慮して、そう結論した。


相手がネクロマンサーだけなら、十分に対応できたかもしれないが……あのアサシンがいたという時点ですでに詰んでいたのだ。



「相手は、急いでいた。


時間をかけていることをすごく警戒してた。


それを最優先にした上で、できるだけ私と歌丸くんを殺さないようにしたいたけど……もしあの場で日暮くんがいて、抵抗していたら……あの場に、椿咲さんがいたら……」



そう考えて改めてあの状況を紗々芽は考える。



「最悪の場合、私と日暮くんが殺されて、歌丸くんも椿咲さんもまとめてさらわれていたかもしれない」


「……そうなんだ。


じゃあ……今回はもう、最低限の被害で済んだと考えるべきだと思う」


「最低限って……!」



英里佳の言葉に、椿咲が目に見えて怒り出す。



「兄さんが……仲間が攫われたのになんでそんな冷たい言い方ができるの!」


「事実を言っただけ。


寧ろ、結果を見ればあなたが離れたのは正しい判断だった。


貴方がいても、足手まといにしかならない」


「あなたは……!」


「あ、ちょっと妹ちゃん!」



怒りから勝手に体が動き、椿咲は英里佳の近くにやってくる。



「兄さんは、苅澤先輩を……仲間を守るために頑張って、我慢して人質になったのに!


あなたは、兄さんのこと、仲間だって思ってないの!」


「私は事実を言っただけ。


今、私たちにできることをやらないといけないの。


落ち込んでる暇があったら、明日からの北の体験入学の予習でもしたらいい」


「このっ!」



手を大きく振り上げる椿咲


誰もがまずいと思った。


しかし止めるにはあまりに遅すぎて……



――バチン!!



大きな音が部屋の中に響く。


全力で頬を叩かれ、英里佳は顔を横に向け、椿咲は叩いた手をもう片方の手で押さえる。


そして肩で息をしながら、足を震わせながら、目に涙を浮かべながら英里佳を睨む。



「最低! 兄さんは、あなたのこと仲間だって思ってたのに!


兄さん、本当に、誰よりもあなたのこと信じてたのに……それなのに……それ、なのに……!!」



こらえきれなくなって、目から大粒の涙を流す。


そして耐えられなくなってから部屋から出ていこうとする。


だが、それを英里佳が手を伸ばして扉を開かせないようにする。



「勝手な行動しないで」


「あなたなんかと一緒にいたくない!!」


「そう。なら私が出ていく。


だから勝手に動かないで」



そう言って、英里佳は部屋から出ていった。



「うっ……うぅ……!」



椿咲はその場で座り込んで涙を流す。


戒斗はどうすることもできず、しまった扉と涙を流す椿咲を交互に見る。



「……私、行ってくるね」


「お願い」



紗々芽が英里佳を追いかけて部屋を出ていき、残ったのは椿咲、詩織、戒斗の三人だけとなる。


詩織はその場から立ち上がり、床に座り込んだ椿咲に肩を貸した。



「疲れたでしょ。奥に仮眠室あるから、そこでちょっと横になりましょう。


夕飯には呼ぶから、それまで休みましょう。ね?」



言葉もなく、頷くこともなく、促されるまま奥にある仮眠室へと行く椿咲と詩織。


人も通れないほどの小さな窓があるだけで、侵入するにはこの部屋を通るしかないため護衛に問題はないだろう。



そして少しの間だけ一人になった戒斗は、英里佳と紗々芽が出ていった扉を眺める。



「……嫌な役、やらせちまったッスねぇ。


情けなさすぎて、くそダサいッスねぇ……俺」



そう言いながら、なんとなく戒斗はその手に拳銃を握る。



「……今のままじゃ、弱すぎるッス。


武器だけに……姉貴に頼ってるだけじゃ、俺は……!」



静かに、しかし確実に戒斗は闘志を燃やす。



「女の子泣いてるのに、何もできないクズじゃいられないッスよ」



戒斗は学生証を操作し、とある人物との連絡を試みる。





場所は学校の屋上


そこでスキル“狂狼変化ルー・ガルー”を発動させた状態で立っている英里佳がいた。



「英里佳、ここにいたんだ」



そしてそこに現れたのは若干息を切らせた紗々芽であった。



「少し探しちゃったけど……ここで何してるの?」


「今は……私はそばにいない方がいいから、音で監視してる。


あのアサシンはともかく……他の敵が来たら音でわかるから」



此方にふりかえることなく、普段と同じ声音の英里佳


だが、その小さな背中が震えていることはすぐにわかった。


紗々芽は何もいわず、ただ黙って近づいて、そのまま何も言わずに後ろから英里佳を抱きしめる。



「椿咲ちゃんのこと、考えてあんなこと言ったんでしょ。


自分を責めて潰れない様に」


「……別に。ただ、事実を言っただけだもん」


「でも、言ってない事実もある。


本当は……私たちの中で、本当は一番英里佳が歌丸くんがさらわれてショックだったはずなのに」



この学園で連理と一番付き合いが長いのは、英里佳だ。


そして英里佳は、彼が一人になるとどれだけ無茶をするのか何度も目の当たりにしてきた。


そんな彼を守りたいと、誰よりも早く、そして強く思ったのは英里佳だ。



「ごめんね……私、一緒にいたのに歌丸くんを守れなかった」


「紗々芽ちゃんは悪くない。


むしろ悪いのは私」


「そんなこと」「あるよ」



声が震え、英里佳を抱きしめる紗々芽の手を温かい雫が濡らす



「私、守るって、約束したのに……何度も何度も、守るって言ったのに……私、また……また…………また、歌丸くんを……守れなかった……!」


「英里佳……」


「一番大事な時に……一番大事な人の傍に……いられなかった……!


傍にいたいって……傍にいるって、私が言ったのに……私は……嘘つきだ…………自分の約束も、何も守れない、嘘つきだ……!」



涙がとめどなくあふれてきて、紗々芽の制服の袖を濡らしていく。


だがそんなことを一切気にせず、むしろより強く紗々芽は英里佳を抱きしめる。



「椿咲さんの、言う通りだ…………私は、歌丸くんに信じてもらってるのに、いつも、それを裏切って…………本当に、本当に私……最低だ……!!」


「そんなことない。


そんなことないよ」


「私なんか……歌丸くんの傍にいる資格なんて、ない」


「大丈夫、歌丸くんはそんなこと気にしないし、歌丸くんの方が英里佳と一緒にいたがってる。


だからそんな悲しいこと言わないで」


「だけど……私は……!」


「英里佳だけじゃない。


皆で失敗したの。みんなが悪いの。


だから一人で抱え込もうとしないで」



歯がゆい、とはまさにこのことだろう。


すぐにでも歌丸を助けに行きたいが、状況がそれを許してくれないし、助けようにもその正確な居場所がわからない。


それに下手に動けば歌丸はともかく、シャチホコやララの身が危ない。



「先輩たちを信じよう。歌丸くんを信じよう。


きっと大丈夫。元気に戻ってきてくれるから。


だから私たちは歌丸くんが安心できるように、今はしっかり、椿咲さんを守ってあげよう」



英里佳にそう言いながら、紗々芽は自分自身にそう言い聞かせる。


無力で、何もできない。それが悔しい。


それを目の前で何より実感した紗々芽


英里佳を抱きしめ、慰めながら、彼女もまた、静かに涙を流すのであった。

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