第153話 だから目を離すのは駄目だとあれほど……
椿咲は一人、南学区の駅近くにある公園にいた。
結構広い敷地を有する南学区で、歩いてここまで来るのに結構時間がかかった。
本気になれば兄も他の者たちも追いつけられたのだろうが、それをしなかった。
正直ありがたい気持ちであった。
「兄さんの馬鹿……」
公園のベンチで一人、飲みかけのペットボトルのお茶を眺めながらそんなことを呟く。
分かってくれると思っていた。
きっと兄なら、自分の意見を聞いてくれると。
今までだってずっとそうだったから、これからだってそうなんだと思っていたのだ。
『兄さん、少し散歩に行こう。
ずっと寝たままだと体に悪いよ』
『そうだね』
入院して間もない頃、学校に行けずにずっと退屈そうだった兄を外に連れ出した。
『また学校に行けるようになったときに困らないように勉強も頑張ろうっ』
『そう、だね……うん、頑張るよ』
兄が出歩くのを禁止され、一日の大半をベッドの上で過ごすようになってからは遅れ気味の勉強を一緒にするようになった。
『兄さん、私、クラスで委員長任されたんだっ。
それでね、今度生徒会にも選ばれてね』
『……すごい、ね』
呼吸すら機械に頼らなければならなくなってからは、兄の分まで頑張らなければと勉強も運動も頑張った。
親にも、そして兄にも心配を掛けたくなかったからだ。
常に正しくあろうと頑張って、兄はいつでも自分の言うことを肯定してくれていた。
自分はまだ子供だから、できることは少ないが、それでも頑張ればきっといいことが起こると信じていた。
そしてようやく、それが叶った。
兄の手術が成功したのだ。
『兄さん、来年に入ったらすぐに迷宮学園なんだから、まずは体を鍛えよう』
『う、うんっ』
『勉強も大事だけど、迷宮はどんな学区でも入らないといけないし、とにかくが今は体づくり優先!
トレーニングメニューと食事の献立考えるから、一緒に頑張ろうね!』
『わ、わかった、頑張るよ』
冬から春先までにかけて、常に兄と一緒に運動を頑張ってきた。
その甲斐にもあって、兄は今もこうして元気でいられる。
……正直、北に入学してあそこまで危険な目に遇っているとは予想外であったが。
「…………はぁ」
自然と大きなため息が出た。
「ねぇーねぇ、君こんなところでどうしたのー?」
「え?」
顔をあげると、そこにはシャツの上からパーカーのフードを目深く被った男が一人いた。
「君一人なの? 一年生? よかったら俺とお茶しない?」
「……ナンパですか?」
「いやいやいやいやいや、そんな警戒しないでよぉ~
ただ一緒に近くのお店でお茶にさそってるだけじゃないか~」
「お断りします。
もう行きますので、さようなら」
ひとまず、また兄と冷静になってから話すべきだろう。
そう考えてベンチから立ち上がって戻ろうとする。
「待てよ、ガキ」
「なっ」
いきなり肩を強い力で掴まれて驚く椿咲
振り返れば、フードの男がにやけた顔をして自分を見ている。
その表情を見た瞬間、椿咲は形容しがたい悪寒に全身の鳥肌が総立ちし、恐怖を覚えた。
「は、離して!」
全力でその手を振りほどこうとしたが、まるでびくともしない。
その事実に椿咲さらに恐怖心が強まった。
「はっ、やっぱ学生証がない女なんてこんなもんか」
「だ、誰か、誰かー!!」
即座に大声をあげる。
しかし、反応はない。
考え事をするために人気のない公園を選んだのが仇となった。
「誰か、助けて! 誰かー!!」
とはいえ大声を上げ続けられるといずれ誰かに気付いてもらえるかもしれないと椿咲は必死に叫ぶ。
「ちっ、いいから黙ってついて――」「おい」
「あ――えっ?」
呼ばれて振り返った男の額に、硬質な物体が押し付けられた。
目の前にいるのは――日暮戒斗
その手にあって男の額に押し付けられているのは、魔力による弾丸を放つ拳銃だった。
「その子から手を放すッス」
「な、なんだてめ」――バンッ!
問答無用
戒斗は男が即座に命令に従わないと判断するや否や引き金を引いた。
結果、男の眉間に押し付けられた拳銃から弾丸は放たれ、男の身体はその場から一気に吹き飛ぶ。
「……え……あ……」
ほんの数秒の出来事に硬直する椿咲
拳銃を構え、そして倒れたパーカーの男を見てようやく状況を理解する。
「きゃ、きゃああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「え、ちょ、なんスか!?」
椿咲の悲鳴にびっくりして慌てる戒斗
一方で椿咲は恐怖のあまり力が抜けてその場に座り込んでしまうが、それでもどうにか戒斗から離れようとする。
「ひ、ひと……ひとを、ころして……!」
涙を流すほど恐怖しながらも、目の前の男を糾弾しようとする椿咲
その言葉に、戒斗はキョトンとした顔になる。
「え? ……あ、いや、違うッス、生きてるッス、ほら、よく見て、ただ気を失ってるだけッスから!」
「え?」
そしてようやく状況を理解してそう説明すると、今度は椿咲がキョトンとした顔になる。
実際によく見ると、先ほどの男は起き上がる様子はないが、手足がかすかにピクピクト動いていたのだ。
「このジャッジ・トリガーは魔力弾だけじゃなくて、普通の弾丸も使えるようにカスタマイズされてるんス。
今撃ったのはゴム弾。しかも魔力量で弾丸の速度も調節したんで怪我もしてないッスよ」
そう言いながらその手に持った拳銃というにはあまりに大きな武器を見せる戒斗
その間の抜けた喋り方と気の抜けた雰囲気に、先ほどまで感じていた恐怖が薄らいでいき、椿咲は安堵のため息を吐いたのであった。
そしてその場から移動して、二人は駅から少し離れた場所にあるファミレスの中でドリンクバーを注文して座っていた。
「……それで、どうして日暮先輩がここにいるんですか?」
オレンジジュースをストローで少しずつ飲みながら、目の前で炭酸飲料をあおる戒斗をジト目で見る。
いくらなんでも現れたタイミングが良すぎる。
「護衛っスよ。
流石に女の子一人で出歩かせるわけにはいかないッスから。
とはいえ、さっきあんなことあったんで一人になりたいかなと思って気を利かせて隠れてたんス」
「普通にストーカーですよね」
「護衛っス。完全無欠に護衛ッス」
先ほど、自分の頬を叩いた人物と同一人物と思えないほどなんとも安っぽい雰囲気に脱力してしまう椿咲
「……さっきみたいな人、この学園に何人もいるんですか?」
「あー……いや、まぁ、あれはちょっと珍しい奴っスよ」
そう言いながら戒斗は自分の手に持った学生証を見る。
当然、それは戒斗のものではない。
戒斗が先ほど気絶した生徒から奪ってきたものだ。
後でこれを然るべき機関に渡して取り締まってもらう予定だ。
(妹さんが中学生――学生証を持ってないことを知ってたってことは十中八九犯罪組織の雇われッスね。
手口がちゃちだからたぶん雇われなんだろうッスけど……ひとまず、ここで護衛の人たちと合流するまで時間を潰すッスかねぇ)
戒斗は腕は立つが、実際はかなり慎重だ。
相手の戦力が未知数な状況で無理して一人で椿咲を連れて行こうとはせず、この場で先ほどこっそり連絡した護衛の増援が来るのを待っているのだ。
「……あの、兄さんたちのところに早く戻らなくていいんですか?」
「すぐに戻ってもまた喧嘩しちゃうだけッスよ?
ちょっとここで落ち着いて、頭の中で整理した方がいいんじゃないんスか?」
「それは…………」
確かにその通りだなと内心で椿咲は納得する。
だが、目の前にいる戒斗は椿咲にとって兄を北に引き留める要因となっている人物の一人だ。
そんな相手を前にして、兄をどうやって南に逃すかと考えるのはなんとも居心地が悪いものである。
それを察してか、戒斗は自分の意志を示す。
「……さっきはああ言ったけど、別に君と連理の関係にしつこく口は挟まないつもりッス。
ただ……あいつのやってきたことだけは認めて欲しいんスよ、俺は」
「それは……わかってます、私だって……でも」
連理がこの学園で築いてきた物の価値は、椿咲だって本当は理解しているのだ。
「――連理と学長の会話、聞いてたんスね」
「っ!」
驚いて顔をあげる椿咲
戒斗は空になったグラスの中にある氷を振って軽く手遊びをしている。
「な、なんでそれを……?」
「言ってたじゃないッスか。
『誰も兄さんを守れないくせに』って。
そんな言葉、普通なら使わないッス。
怪我こそしてもあれだけピンピンしてる連理を見て、今更過去のことほじくり返すほど、妹さんは陰湿には見えないッスからねぇ。
それに」
「……それに?」
小さくなった氷を口の中に頬張って一気にかみ砕いてから戒斗はうんざりした顔で告げる。
「あの学長の性格の悪さを考えると、それくらいしてもおかしくないッス」
「…………ああ」
接触した機会は少ないが、その説得力には頷かずにはいられない椿咲である。
あのドラゴンの性格の悪さを考えると、あの場で敢えて自分に聞かせたのだろうなとも容易に想像がつく。
「…………って、なんで日暮先輩がそのことを?」
あの話を聞いていたのは自分と兄だけで、戒斗はあの空間にいなかったはずだ。
だから兄が未来で死ぬということを知っているのは本人と自分だけのはず。
そう考えた椿咲に、戒斗はあっさりと語った。
「連理本人から教えられたんスよ」
「……に、兄さんが?」
「未来で自分が殺されるみたいだから助けて欲しいって。
チーム天守閣全員、それを当日中に聞いたッス」
その言葉に、椿咲は少なからずショックを受けた。
兄が隠し事をしたから、ではない。
兄が自分ではなく、他の誰かを頼ったという事実に、だ。
「誤解しないで欲しいんスけど、連理は君のこと本当に大事に思ってるッス。
君にそのことを伝えなかったのは、連理なりにこの学園での生活を君に楽しんでほしかったからなんス」
「兄さんが、私を……?」
ずっと気を遣ってきた兄に、自分が気を遣われていたということを想定していなかったために椿咲は唖然としてしまう。
「……あいつが入院生活長くて、家族に色々負担をかけたってのも俺は知ってるッス。
そういう負い目があるから、あいつも君に強く出られない。
そのせいで、お互いに肝心なところが話せなくなってるんじゃないんスか?」
「…………先輩は本当に兄のことよく知ってたんですね」
「これでも一応、あいつと俺は友達……いや、親友ッスから」
どこか照れくさそうにそんなことを言う戒斗
そんな戒斗を見て、椿咲は場違いだとわかりつつも、敗北感を覚える。
この学園での自分の役割など、とっくに無くなっていたのだと自覚してしまったのだ。
「あら、奇遇ですわね」
そんな時、声を掛けられる。
一瞬またさっきの男かと椿咲は身構えたが、明らかに声は女性のものだ。
「あー、これは誰かと思えばチーム竜胆の。こんなところで奇遇ッスねぇー」
「ええ、本当にこのような偶然があるのですねぇ~」
実際、戒斗が連絡して護衛を頼んだ相手なわけだが、下手に不安を煽らないために椿咲には黙っているので茶番なやり取りをする。
やってきた女子生徒は
新入生の中では兄である蓮山と並ぶ学園最強の魔術師の一角である。
「一人でパトロールッスか? 熱心ッスねぇ~」
意訳
「なんで一人なんスか? 最低二人って頼んだはずッスよ」
「いえいえ、外で連れを待たせていまして。何分目立つもので」
意訳
「安心してください。ちゃんと外で見張りをさせてます。壁です」
「そうなんスか」
意訳
「壁なら安心ッス」
「そうなんです」
意訳
「信頼と実績の壁です」
「えっと……あの…………」
一方で、椿咲は突如現れた麗奈と何やらにこやかに会話しながらも目で何かを訴えかけている二人の様子にたじろいでいた。
「あら、あなたが連理様の妹さんですよね?」
「は、はい…………連理様?」
何故兄がこんな美人な人に様付けで呼ばれているのかと驚く椿咲である。
「初めまして、私は鬼龍院麗奈と申します。
お兄様とは今後、末永く良好な関係を築いていくので、よろしくお願いします」
「は、はぁ……?」
「ああ、一応ビジネスパートナー的な意味みたいッスから深く考えなくていいッスよ?」
「そう、なん……ですか?」
兄の知り合いには強烈な印象の人が多いのでは……
そんな不安を抱く椿咲である。
「あの、ところで連理様はご一緒では?
少しお話をしたいのですが」
「えっと……まぁ、これから合流するところなんでよかったら一緒にどうッスか?」
護衛が来たのだから早々に連理たちと合流したほうがいいと動き出す。
「え……あの、でも」
「まぁまぁ……こういうのは案外まったくの部外者の冷静な視点もあったほうが話は進みやすいッスよ。
俺じゃ話辛いなら、鬼龍院さんに相談してもらうのもいいかもしれないッスよ?」
「それは……まぁ」
確かに、これから兄のいる場所まで戻るとなると時間はかかる。
その間に、この人に話を聞いてもらうのもいいかもしれないと納得した。
当の麗奈は何のことかと首を傾げている。
完全にこちらの事情については知らないから、戒斗よりも公正な判断をしてくれそううだなと期待する。
会計の方はドリングバーでもともと高くはなく、戒斗が素早く済ませて外に出た。
外に出た瞬間、そこに立っていた大男にびっくりした椿咲であったが……
「俺は、壁だ」
「は?」
「気にしなくていいッス」
「気にしないでくださいね」
自らを壁と名乗った大男――谷川大樹
その男を先頭に前に歩き、次に椿咲と麗奈、そして最後尾に戒斗という順番で連理たちの待つ牧場へと向かう。
そして…………その後すぐに判明する結果だけを、先に伝えよう。
歌丸椿咲、日暮戒斗、三上詩織、榎並英里佳
この四名が離れている間――その時間、約一時間
その間に……
――歌丸連理が、誘拐されていた。
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