第152話 兄の進路と妹の希望



「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


「「めぇぇぇえええぇぇぇっ!」」



複数の羊から追い回されながら逃げ回る兄。


そんな兄を、妹である椿咲は複雑な表情で眺めていた。



「こら、よそ見しない」


「え、あ、すいません」



注意をされてすぐに視線を正面に戻す。


正面には講師役の稲生ナズナがいて、一匹の羊を地面に寝っ転がした状態で



「はい、これで押さえてるうちに刈って。ゆっくりとよ」


「わ、わかりました」



手には音をあげながら小刻みに震えるバリカンがある。


それをゆっくりと羊に押し当てていく。


するとぽろっと大きな毛玉の塊が零れ落ちていく。


羊の身体に刃が当たらないかと恐る恐ると、慎重にバリカンを走らせる。


ナズナもこちらの様子を見て、羊の身体を動かしてくれるので特に問題もなく椿咲は羊の毛皮を刈り終えた。



「めぇぇえぇえええええええええええええ!」



そして毛皮が無くなりスッキリした体の羊が、いまだに牧場内を走る兄の追撃に復活する。



「いい調子ね、このまま続けていきましょう」


「は、はぁ……」



刈り終えた毛皮を大きな袋に入れて集めて学生証に入れるナズナ


その一方で椿咲は他の面々の様子をみる。



「よっほっほっと、はい一丁っス」



この中で一番手際が良いのは戒斗であった。


エージェントのスキルで気配を消して、連理を追いかけるのに夢中な羊を素早く無力化し、バリカンを駆使して一気に刈る。


刈られた羊など、何が起きたのかわからずにキョトンとした顔で数秒間は固まるが、そのまま何事もなかったかのように追撃を再開する。



「英里佳、そっち行ったわよ!」


「うん、任せて!」



そして少し意外な感じだったが、チーム天守閣の前衛二人は協力して連理の追撃から少し離れて場所にいる羊を数頭追い込む形で捉え、二人掛かりで刈っている。


こちらも戒斗ほどではないが、かなり素早い。


特に捕まえるスピードだけなら一番早いだろう。


英里佳の健脚で一気に追いつめ、そして退路を詩織がふさぐので、どんどん逃げ場のない方向へと羊が追いつめられていく。


そして……



「め、めぇ……」

「めめぇ……」

「め~」



まだ刈っていないが、捕まえた羊の数なら間違いなく一番多いのが、紗々芽であった。


いや、より正確に言えば……



「ひっと」


「うん、ララ凄いねぇ」



牧場内部の広範囲に張り巡らされたドライアドのララの根っこで、連理に追いかけるので夢中な無防備な羊を罠にかけているのだ。


本来なら羊が怪我をしてしまうような行為なので止められるのだが……



「あ、この子もしかして足こすれちゃったかな? 回復しないとね。


――脈動回復パルセイションヒール



と、まぁこのように紗々芽本人のスキルの回復魔法によって負傷しても即座に回復し、次いでと言わんばかりに薬草の成分を体に打ち込んで鎮静させている。


結構強めの鎮静効果で、前後の記憶も曖昧になるらしい。



「ふふっ……ドルイドって思ってた以上に便利な職業だね」


「…………なんかちがう」



満足げな紗々芽に対してララは小さな声でつっこみをいれるが、その声は届くことは無いのであった。



「あいつら……なんか本職以上に効率よく作業してるわね」



チーム天守閣の作業風景を見て、ナズナは思わずそんなことを呟いた。



「そうなんですか?」


「ええ、少なくともこの時期でこれだけ効率的に作業できる一年生なんて他にいないわよ。


まぁ、たぶん歌丸連理……あなたのお兄さんのおかげなんだろうけどね」


「……兄さん、さっきから羊から逃げてるだけなんですけど?」


「そうでもないわよ?


あいつああやって逃げてるけど、そうやって羊たちを誘導して私たちが捕まえやすいタイミングに捕まえやすい位置まで羊たちを連れてきてくれるんだもの。


だから他の連中も短時間で羊を捕まえられるのよ。


現に私たちも、あんまり走ってないでしょ?」


「あ……」



そう言われて気が付く。


確かに、羊の毛刈りとはまず肝心の毛刈りにはいるまえに羊を捕まえる工程が入る。


それがあまり苦労していないことに椿咲は今更ながら気が付いた。



「本当、もったいないわね。


あれだけ仕事できるなら南学区で経験詰んで将来安泰なのに」


「……稲生先輩は兄を高く評価してるんですね」


「業腹だけど…………あれを評価しないほど私も節穴じゃないつもりよ。


調子乗るから絶っ対に本人には言わないけど」


「は、はぁ……」



兄が調子の乗っている、というのはこの学園に来る前ならば想像がつきにくかった椿咲だが、さきほどのやり取りを見ると確かにありそうだなと考える。



「でも……兄のあの活躍ってスキルあっての話ですよね?


逆を言えば学生の間だけの話じゃ……将来が有望かどうかって話は別ですよね?」


「大抵の人はそうね。


それでも、そういった経験が将来に役立つことはあるし、講師としてこの学園で就職する人もいるわ。


そうでなくても、人柄がわかっていれば大きな農場なら従業員として雇ってくれるわ。うちの実家でも、卒業生の人がよく働いてくれてるもの。


三年生でそこまで見越してる人は、卒業後にギャップで苦労しないように敢えてスキルを使わないで農作業してる人もいるし……あいつの場合はその辺はあまり厳しくないと思うわよ」


「なるほど……」


「まぁ、本人にその気は無いみたいだけど……はいっと、ほら、ごろーん」



会話の途中でも難なく近くを通りかかった羊を捕まえて寝転ががすナズナ


他の連中は羊に警戒されているのにそれが一切ないあたり、この人も凄い手際良いなと内心で舌を巻く椿咲であった。



「……兄がどうして北学区に固執するか、その理由って何かわかりませんか?」


「それは知らないわね。


でもあいつ、義理とか結構大事にしてるし、一番最初に入った学区で、そして周りからも期待されているからそれに応えたがってるだけじゃないの?」



少し残念そうにそんなことをいうナズナ



「本当、もったいないわね。


スキルもなしでエンペラビットと仲良くなれるなら、それだけで凄いことなのに」


「それ……凄いんですか?」


「ええ、凄いことよ。


今この学区では迷宮生物やその交配種を飼育してるけど、やっぱりスキルが無いと厳しい子もいるの。


そういう子は学外に出すことは難しいけど……あいつの場合、全部とは言わないけどもしかしたらそういう子たちを手懐けて日本に持ち帰ることも可能かもしれないわね。


そんなことができれば、間違いなく歴史的な快挙よ」


「そこまでですか……?」


「そこまでよ。


特に食糧生産の自給率が低い日本の場合、野菜や穀物類は新技術で穀物や野菜は何と中ってるけど、国民全体ではまだ輸入に頼ってる面があるわ。


そこによく育つ豚とか牛とか日本で持って帰られれば……ほら、貿易のお金とか食料の衛生面の安全とか改善される方向に進む。凄いって思わない?」


「凄い……ですね」



もはやそうとしか言えなかった。


兄の能力については理解していたつもりだったが、それが南学区で発揮された場合の規模が国にまで及ぶとは想像を超えていたので椿咲はただただ茫然としてしまう。



「本当にもったいない。


あいつが最初に南に来てれば……」


「……稲生先輩は、兄が南に来てもらえたら嬉しいですか?」


「え? な、なんでそんな風に?


私はただ生徒会の一員として言ってるだけで……」


「そういう面も含めて、兄が南にきたら嬉しいですか?」


「えっと…………………まぁ、そうね。嬉しいんじゃないかしら。南学区として、南学区としてね!」


「そう、ですか…………わかりましたっ」


「えっと……突然どうしたの?」


「いえ、なんでもないです。


この子の毛皮も刈りますね」



先ほどと打って変わってまるで吹っ切れたように羊に毛刈りに勤しむ椿咲


最初は何やら落ち込んでいた様子だったのに、急に元気になった椿咲を見て、ナズナは不思議そうに首を傾げつつも、しっかりと羊は固定したままなのであった。





「凄いよ、俊敏がちょっとだけあがった」


「そりゃまぁ、あれだけ羊から全力で逃げてればそうなってもおかしくは無いわね」



おかしいな、僕、ちょっとだけ強くなったはずなのに詩織さんが呆れ顔で僕を見ている。



「とりあえずはお疲れ様。


予想していたより大分早く終わったわ。


今回の毛皮だけど、一応あんたたちが砂漠エリアに入るようにマントとかに仕立てておくことになってるけど、何か要望ってある?」


「え? 今回の毛皮って僕たちの分だったの?」


「お姉ちゃーーこほんっ、会長からはそう言われてるわ。基本的には制服の上から身につけローブとかマントみたいになるから採寸も大雑把なものになるけど」



ああ、確かにテレビとかでもスッポリと体を覆い隠すみたいな衣装が砂漠地方では多い気がする。



「前衛の場合は体にフィットしてた方がいいみたいだし、採寸しておけばあんたたちが攻略始めるまでにはできると思うけど、どうする?」



稲生のその言葉に我らがチーム天守閣の前衛を担う英里佳と詩織さんが顔を見合わせる。



「それって、時間かかる?」


「砂漠でもパフォーマンスを落とさずに闘うなら細かい調整も必要になるし、まぁそれなりに時間はかかるわね。


二人いるし…………たぶん一時間くらい。でもそれくらいで当初の終了予定時間よ」



稲生の言葉に二人は顔を見合わせてから僕の方を見た。



「僕は問題ないよ。防具の件も、遅刻するわけじゃないからね」



日暮先輩には今日中にドラゴンスケルトンを使った防具をもらう予定。


その際、椿咲には詩織さん、戒斗と紗々芽さんが宿泊施設に残り、英里佳は僕と一緒に東学区に行く予定である。


今から行ったとして、急ピッチで制作しているのだから早く行ってもできてないとか言われる可能性もあるしね。



「じゃあ、ちょっと行ってくるわね。日暮、あと頼むわよ」


「お願いね」


「あいよ。まぁ、これだけ見晴らしも良ければ早々は大丈夫ッスよ」



まぁ、確かに戒斗がいればそれなりには大丈夫かな。


ちょっと不安だけど。


現に紗々芽さんとかすごい不安げな目をしてる。



「ユキムラも置いていくから、ちょっと遊んであげてね」



あ、一気に安心した。


流石は人類の英知である魔獣が近くにいれば安心するか。


そりゃ、素の身体能力で英里佳を凌ぐからね、ユキムラ。


鼻も聞くし、耳もいい。


これほど頼れる番犬は世界中探してもいないだろう。


そして二人を連れてその場から離れていく稲生


残った僕たち。戻ってくるまでどうしようかと考えてユキムラを見ていると、椿咲がこちらにやってきた。



「兄さん」



何やら決意したような顔で、椿咲は僕にこういった。



「すぐに北から南に転校してください」



その時の椿咲の顔は、僕が日本にいた時によく見た顔だった。





兄が死ぬ。


その事実をあの日、東学区のホテルで聞いてからどうしたらそれを避けられるか考えた。


その結果が転校だ。


兄の死は北学区にいるからこその脅威ならば、南という安全なところに逃せばいい。


少なくとも卒業条件が満たしているのならそれで問題はない。


そう考えて、そう勧めた。


きっと兄ならわかってくれる。


いつだってそうだったのだから、当然今回だって――



「駄目だ」


「……え?」



しかし、予想と反して兄である連理は即答で拒否の意思を示した。



「な、なんで? 北より南の方が将来のためになるし……兄さんもすごく楽しそうだったんじゃ……?」


「……確かに……卒業が出来たら……そう考えたら南の方がいいかもしれない。


ここも、きっと僕にとって居心地のいい場所だと思う」



連理は近くにやってきたユキムラの頭を優しくなでてあげる。



「だったら」「だけど僕は、北がいいんだ」



そう言って振り返った連理


ゴーグルを外して、真剣な目で向き合う。


その眼は今まで見たことが無い、兄の真剣な顔だった。



「北での生活が、何より楽しくて……みんなで一緒に頑張って、戦って、助け合って、迷宮に挑む。


それが凄く楽しいんだ」


「楽しい……?」



愕然と、信じられないという目でそんなことを言う兄を見る椿咲



「……ふざけないで」



それがきっかけで、ため込んだものが一気にはじけた。



「そんな、下らない理由で危険なことしてたっていうの……?」


「……下らない?」


「下らないでしょ? そんな、楽しいなんて理由だけで北にいるの?


それならお金のためとか、博打みたいな目的の方がまだマシだよ!


思い出のためにとか、記念にとか、そんな何の役に立たないもののために命を懸けるなんておかしい! 変! 間違ってる!」



ずっと我慢していた、思っていたことをそのままぶちまける。


子供の我儘を、声を大にして叫ぶ。


それが兄にとってどれだけ大事なものなのかを考えることもなく。



「椿咲!!」


「っ」



初めて聞いた、兄の怒鳴り声にビクッと身をすくめる。



「下らなくなんてない。


役に立つとかどうとか、そんなのはどうでもいい。


そんな損得なんかのために、僕も、みんなもここいいるわけじゃない。


みんなに謝れ」


「……あ」



連理からそう言われ、椿咲は今更ながらこの場にまだ紗々芽や戒斗がいることを思い出す。


紗々芽のパートナーのララや、連理の近くにいるユキムラも、心なしか少し落ち込んでいるように見える。


だが、それでも椿咲は引くわけにはいかなかった。



――この人たちでは兄を守れない。



その決定的な事実を知ってしまったのだから。



「……嫌。絶対に謝らない」


「椿咲!」


「兄さんも、弱いくせに北にいるなんておかしい!


一昨日だって、今日だって、みんな頑張ってたのに対して役に立ってないでしょ!


どうせ迷宮でもそうやって足引っ張ってるんでしょ!」


「なっ……」


「みんな弱い兄さんに同情してるだけで、本当は迷惑してるんでしょ!


そうやって甘えてるだけなのに、何を偉そうに――」



――パンッ



乾いた音がその場に響く。


椿咲は何が起きたのかわからず、遅れて感じた頬の熱さに、自分が頬を叩かれたのだと理解するのに時間がかかった。


その頬を押さえながら前を向く。



「――叩いてごめん。


だけど、それは聞き流せない。


君のその言葉は、全くの的外れで、絶対に許されない言葉だ」



目の前にいたのは、気の抜けた、お気楽な雰囲気が印象的だったはずの戒斗だった。


そんな彼が、今、とても悲し気な目で椿咲を見ていた。



「俺も、苅澤さんも、榎並さんも詩織さんも、連理に同情なんかで一緒にいるんじゃない。


足引っ張られることもあるけど、それ以上に助けられてるし……そんなあいつと一緒にいることが俺たちも楽しいんだよ」


「…………」



ただ茫然と、椿咲は戒斗の言葉を聞く。



「確かにあいつは弱いかもしれないけど、それでも……君に守ってもらわなきゃいけないほど弱くない。


少なくとも、俺は君のお兄さんは強いやつだって思ってる」


「……なにを、知った風に」


「知ってるさ。


この学園で、俺はずっと連理を見てきたからね」



ぎりっと、奥歯が鳴るほど噛み締め、椿咲は戒斗を睨む。



「そんなこと言って……誰も兄さんを守れないくせにッ!!」


「あ……椿咲! 待ってくれ!」



踵を返して走り出す椿咲


連理が名前を呼ぶが、椿咲は振り返ることなくその場から走り去っていくのであった。

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