第151話 イエス! アニマルセラピー!
■
緊迫した西、東の体験入学が終わった。
だからその次はやっぱり……
「南だー!」
「きゅきゅー!」
昨日は一日中カードの中に入れられてストレスが溜まっていたシャチホコ。
外に思う存分に出ていられる南学区の環境に大はしゃぎ。
「走っても誰も文句を言わないぞー!」
「きゅう!」
「沢山食べても怒られないぞー!」
「きゅっきゅう!」
「いくら騒いでも怒られな」「うっさい!」
「あ、あー、いた、痛! 入ってる、詩織さん、こめかみにアイアンクローが入ってるっていたたたたたたたたたたたた!?」
「きゅ?」
僕の窮地に、そこいらに生えている草を食べて首を傾げるシャチホコ
おのれ、見捨てやがった!
「うるさいのよあんた、はしゃぎ過ぎよ」
「ごめん……なんかホームに戻ってきたような解放感に我慢できなくて……」
「あんたのホームは北でしょうが」
「冗談冗談。
でもほら、ここなら広くて見晴らし良くて人目とか警戒しなくていいからつい……」
「まぁ、気持ちはわかるけど」
今日の体験授業は南学区での牧場のお手伝いだ。
以前、甲斐崎爽夜先輩に護衛をしてもらった宿舎を今回もお借りする形で一泊。
動物たちの警戒網もあるし、シャチホコを遠慮なく出しても怒られないので西学区や東学区よりのびのびと護衛ができた。
「はぁ~…………またここッスかぁ……」
そしてげんなりした顔の戒斗。
戒斗はどうにも南学区での農作業があまり好きではないようだ。
「……牛、怖い」
「ララ、大丈夫だよ。牛さんはララを食べたりしないから」
一方で前回はあまり外に出る機会が無かったララが牛を怖がっている。
さっき不用意に近づいて髪部分に少し生えている草を噛まれたのが怖かったらしい。
涙目で紗々芽さんのそばから離れたがらなくなった。
「……うーん」
そして一方で英里佳は難しい顔をして首を傾げている。
「どうしたの?」
「その……なんかよくわからないけど嫌な感じがする」
「嫌な感じって?」
「自分でもよくわからないけど…………なんか、私の役割というか、お株が奪われるような…………そんな危機感が」
「うん、ごめんよくわかんない」
とりあえず英里佳の危機感は今のところ護衛とはあまり関係なさそうなので放っておこう。
「ふぁ……」
そして今回の体験入学の主役であるはずの椿咲は眠そうにあくびを噛み殺している。
「椿咲、もしかしてあまり寝てないのか?」
「え……あ、その…………うん」
「うーん……あんまりよくないかもしれないけど…………まぁ、今日は肉体労働だし、ちょっと手を出して」
「? はい」
僕の言う通り、椿咲は手を差し出してくれたので、僕はその手を握る。
「――
「……え? ……あれ?」
やっぱり学生証がない相手にも効果はちゃんと発動するらしい。
椿咲は不思議そうな顔で何度も瞬きをして、肩を回したら軽く屈伸したりする。
「なんか、急に……目が冴えて楽になったような」
「僕のスキルの効果。
眠気に関しては一時的なものだけど、肉体の疲労はこれで抜けたはずだよ」
「は、はぁ……」
どうやらスキルについてはあまり知らないようなので、椿咲は不思議そうに首を傾げるばかりである。
まぁ、これは学生証が無いと実感しにくいよね。
そんなことを考えていたら、急に風が吹いた。
同時に圧倒的な存在感を僕たちは覚える。
「――GRRRRRR」
「……は?」
椿咲は目の前に何の前触れもなく現れたその存在を見て唖然とする。
そこにいたのは、巨大な狼だった。
体長は裕に2mは超える、馬みたいに大きなオオカミである。
「――に、兄さん、すぐ逃げ」「あ、ユキムラ」「て……え?」
僕が普通に名前を呼ぶと、呆気にとられたような顔をする椿咲
「GURR」
「おお、相変わらず毛並みがいいなぁ」
普通にすり寄ってきたので、優しく頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細めるユキムラ
「ちょっと」
なんか上から声が聞こえてきたので見てみる。
「なんだ、稲生か」
そこにいたのはマーナガルムのユキムラに乗ったパートナーである稲生薺であった。
「その声……やっぱり歌丸連理ね。何よそのゴーグル」
「ちょっと諸事情で。
で、お前こそなんでここにいるんだ?」
「決まってるでしょ、今回の講師役は私が担当するのよっ」
どや顔をユキムラに乗りながら見せる稲生。
「不安だ」
「なんですってぇー!」
「ちょっと本物の稲生先輩の方呼んでくれない?」
「私も稲生よ、本物の!」
「もしくは土門先輩で。いや、土門先輩が良い」
「お兄ちゃんは忙しいのよ、あんたたちに構っていられないの!」
相変わらず、ちょっと意識が抜けるとすぐにお兄ちゃん呼びになるんだな。
「そっかー、お兄ちゃんは忙しいのかー」
「そうよ、わかったら…………あ」
「お兄ちゃんが忙しいなら仕方ないかー、なぁーユキムラー?」
「BOW」
「くっ……う、歌丸連理ー!」
顔を赤くしながら叫ぶ稲生
もうここまでの流れが様式美みたいなものなので誰もツッコミを入れない。
「……あの、兄さん、此方の方は?」
おっと、そうだった、椿咲は初対面だったか。
テレビとかネットの中継でマーナガルムのことはわかったかもしれないが、稲生はあまり目立たなかったもんな。
「こいつは稲生ナズナ。
今の南学区の生徒会長の妹さんで、僕たちと同じ年だけど生徒会役員でもある。
見ての通り、このマーナガルムのユキムラのパートナー。
あと、義理の兄が大好きっ子」
「ちょっと歌丸連理、嘘を吹き込んでるんじゃないわよ!
……って、兄さん?」
「この間先輩たちから話聞いてただろお前……
こっちは歌丸椿咲。僕の妹で体験入学でここにいるんだ」
「その子が?」
ユキムラの上からまじまじと椿咲を観察する稲生
そんなあからさまな視線を受けて椿咲は居心地の悪そうにしている。
「……なるほど」
何を納得したのか、稲生はユキムラから降りて椿咲の近くまで行ってその肩に手を置いた。
「あ、あの」「大丈夫、私は貴方の味方よ」
今まで見たことが無いほど優しい顔と声の稲生
いったいなんだろうかと思ったら、その口でとんでもないことを抜かしやがった。
「家族からセクハラを受けて大変だろうけ――どぉ!?」
自分でもびっくりするほど強い力が出た。
稲生の襟を掴んでその場から全力で離れる。
「おいこら稲生こら、おい稲生こらおいこらっ!
お前、うちの妹に何を吹き込もうとしてんだ!」
「は?」
「は? じゃねぇよ、お前何吹き込もうとしてんだ!」
「だって、あんたの家庭環境って最悪でしょ。
父親が娘のスカートを覗く様な家庭環境なんでしょ?」
「そんな家庭があって堪るか!!」
「あんたが言ったんでしょう!!」
「はぁ!? そんなこと言って――……………………………言ってねぇし!!!!」
「今の間は何よ今の間は!
確実に思い出したでしょ、あんた自分で言ったことちゃんと覚えてるでしょ!!」
「知~り~ま~せ~ん~!」
「この、歌丸連理ぃ!」
「あぁん、なんだやんのかこら稲生こら!」
「やってやろうじゃないのこの歌丸連理!」
「人の名前を蔑称みたいに言うんじゃ――あ、このバカ、ゴーグル掴むな!」
■
「何よこのゴーグル、バッカじゃないのバッカじゃないのぉ!」
「馬鹿はお前だ稲生! これ高いの、借り物なの! ちょ、マジで離せ稲生、馬鹿稲生馬鹿な方の稲生!」
「誰が馬鹿よ歌丸連理ぃ!」
ギャーギャー騒ぎながら取っ組み合い……というかじゃれ合ってるように見える兄と女子の先輩の姿に椿咲は呆気にとられる。
「あーあ……またッスか」
「え…………あの……日暮先輩、兄と……あの稲生先輩っていつもああなんですか?」
訳知り顔の戒斗に恐る恐るという具合に質問する椿咲
一方で戒斗も、まさか自分が質問されるとは思ってなかったのか意外そうな顔をする。
「いつも……というほど頻繁に会う仲でもないッスけど、まぁこの学園で俺ら以外でもかなり仲がいいやつッスよ。
最初はちょっといがみ合ってたっスけど、今はあんな感じで気の置けない仲ッス」
「は、はぁ……」
改めて兄のコミュ力に驚かされる椿咲
まさか他の学区でもここまで仲が良い相手……それも女子とあそこまで威勢よく話す姿など思いもしなかったので心底驚く。
「……あ、ちなみにあの狼、マーナガルムでユキムラって言うんスけど、知ってるッスか?」
「え……あ、はい、結構有名ですよ」
「じゃあ、名付け親が連理なのは知ってるッスか?」
「……えぇ!?」
戒斗の言葉で椿咲はさらに驚きながら取っ組み合っている連理と、それを離れた場所で困惑気味に見ているマーナガルムを交互に見た。
「な、なんで兄さんが南学区の最重要研究対象であるマーナガルムに名前を……?」
「まぁ、そんな大した理由があったわけでもないッスけど…………強いて言うなら今の会長さんの目論見ッスかね」
「どういうことなんですか?」
「うーん……まぁ、別に隠すようなことでもないんでぶっちゃけるッスけど……連理って今も南学区から目をつけられているというか、何か機会がある度に転校しないかって誘われてるんスよ、生徒会のポスト付きで」
「………………」
自分の耳を疑うあまり、思考が停止する椿咲
無理もないことだ。
生徒会とは、いわばエリート
日本全体を合わせても60人もいないもので、在籍すればそれだけで卒業後の未来も保証されると言われるほどのものだ。
そこに兄である連理が、まさか勧誘されているという事実に驚愕が隠せないのである。
「普段は間抜けに見えるッスけど……実際、君のお兄さんは凄いやつッスよ」
「兄さんが……凄い……ですか?」
「うん、本当に普段からはそうは見えないんスけど……いや、実際のところそれだけとっつきやすいのもあいつの凄い一面ッスかね」
そう言う戒斗の顔には、一切の虚飾も椿咲には見えなかった。
彼は兄である連理と一番仲が良いとは聞いていたが、それはやはり色眼鏡が入っているのではないかと疑ってしまうものだったが……
「あ、ちょ、ごめん、悪かった――悪いって――この、謝ってるんだから離せって言ってんだろぉ!」
「ふんっ、ぬぐぐぐぐぅ!!」
「BOWW……」
いまだに取っ組み合いをやり、押され気味になっている兄を見てやはり贔屓しているのでは、と不安になってしまう椿咲なのであった。
「きゅぅう~」
そしてちゃっかり自分の傍らで「やーれやれ」と肩をすくめているエンペラビットがとても印象に残った椿咲なのであった。
■
「そんなわけで、羊の毛皮の毛刈り体験よ」
僕のゴーグルを奪おうとした稲生だったが、詩織さんたちに諫められてようやく解放された。
そして牧場の奥の方へと移動させられた僕たちを待っていたのはモコモコの集団である。
見た感じは普通の羊だが……なんか顔つきがとても漢らしい。
絶対普通の奴じゃない。
「迷宮の砂漠エリアで発見された“サンドシープ”っていう迷宮生物との交配種よ!
光が当たっているときは熱を吸収し、暗闇では放出するという特殊な性質をもっていて砂漠エリアでの必須アイテムを作るうえで欠かせない素材よ!」
ああ、やっぱりそういうタイプか。
しかし面白い素材だな。
光を当ててると熱を吸収か……夏でも着れるセーターとして使えそうだが、逆に冬場だと使い辛いか?
いやでも、夏でも夜になったら大変っぽいな。
本当に砂漠でしか使えそうにない使い辛い素材っぽい。
「まずは一匹をあっちのスペースに追い込んで、そこで固定してバリカンで刈る。
一匹十分程度で終わるから、ひとまず今日中にこのエリアにいる羊の毛を全部刈るわよ!」
「全部ッスかぁ……」
南学区での作業全般があまり好きではない戒斗がげんなりした表情で柵の中にいる羊たちを見る。
「この子たち、外の環境では毛皮がかえって邪魔で生活しにくいみたいだから早く刈ってあげてね。
とりあえずユキムラがいると怖がって近づかなくなるから、少し離れた場所で待ってもらうわね」
「GRR」
ユキムラが少し残念そうな顔をしながら柵の外へと行く。
あんななりでも一応まだ赤ン坊だもんな。
一人にされるがの寂しいのだろう。
とはいえ、あまりそっちに構っていられる余裕はない。
「……歌丸くん、急にストレッチなんてしてどうしたの?」
「いや、まぁ、ちょっとね」
僕も馬鹿ではない。
これでも結構先を予測する力を伸ばしたつもりだ。
「さ、それじゃあ早速羊を追いつめ…………ちょっと歌丸連理、なんで急にクラウチングのフォーム取ってんの? しかも逆、羊あっちよ」
「大丈夫、問題ない」
「何が?」
稲生が呆れたような目で見ているが、すでに僕の行動を見てわかったものがいるだろう。
「……あぁ」
「……まぁ、そうなるよね」
ほらね。(白目)
詩織さんと紗々芽さんに至ってはもうすべてを悟っている。
「あ、あの……兄さん何を?」
「椿咲、耳をすませてごらん」
「え?」
すでにもう僕の耳には届いている。
力強く大地を踏みしめて進む音が。
それも一匹や二匹ではない。
「……妹さん、ここでちょっとした予習なんスけど……」
「は、はい」
まだ状況を把握しきれていない椿咲に、戒斗がフォローを入れる。
「迷宮生物って、基本的に自分より弱いと思ったものを襲ってくる習性があるんスよ」
「はぁ……」
「さっきのマーナガルムとかなら、交配を続けてきたことでその血が薄まってるし、ちゃんと調教されてるから無暗に襲うこともないんスけど……ここの羊はどうにもそこまで手間はかけられてないわけッス」
「…………あの、それがどうして今?」
「いや、今以上に実感が伴う説明はないかと思ったんスよ」
「え?」
どういうことかわからない椿咲。
大丈夫、あと数秒でわかる。
――ドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ
「え、なに、どういうこと?」
稲生が慌てた様子だ。なんと暢気な。
ユキムラを柵の外に出されたことですでにこの領域の支配者は元に戻った。
故に、やつらは全力で自分たちにも排除が可能とわかる侵入者の存在を許さない。
つまり、どういうことかというと……
「羊にまで襲われてたまるかぁああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「「「「「めぇぇぇえぇえぇええええええええええええええええ!!」」」」」
本能的に僕に襲い掛かってくるわけです、はい。
――その日、僕はみんなが無事に毛刈りを終えるまで牧場の中を走り続けることとなりました。
「きゅ~うきゅ~う」
「や~れや~れ」って感じで僕の頭の上で呆れたように鳴くシャチホコ
いや、お前が一番最初に僕を襲ってきた奴だからな。
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