第147話 強くない、護るべき兄

「ノーシーボ効果ね」


「なんか聞き覚えがありますね。


確かプラシーボ効果の逆……でしたっけ?」



「その通りよ。つまりは思い込み。


その首の痣は君自身の思い込み、君がつけた痣ってことね」



僕は脱いでいた上着を着ながら診察をしてくれた湊先輩の説明を聞く。


あの鎌によってつけられた傷


僕は平気だったんだけどみんなが異様に心配してこうして東学区に来たついでに丁度出向で来ていた湊先輩に診てもらったのだ。



「思い込みで痣が出来るって、あり得るんですか?」


「わりと有名よ。


迷宮が出現する前、まだ魔法がオカルトだって言われた時代の怪奇現象として調べられて判明したの。


実際に思い込みで死んだ人もいたし、目隠しして鉄の棒を体に当ててこれは焼きゴテだって思い込ませたら、その場所が火傷のような傷が出来たってこともあるのよ。


あなたが見たその鎌、それに斬られたと思った貴方は自分でそう思い込んだのよ」



「うーん……」



理屈としてはわかったけど、なんか釈然としない。



「西学区の報告ではそのゴーグルには何も映って無かったんでしょ?」


「はい、僕が勝手に一人で転んだだけで、映像には鎌なんて映ってないと」



「なら、考えられるのはストレスかしらね」



「ストレス?」



「そう。


今、あなたの妹が狙われてるんでしょ?


その緊張状態で幻覚を見たのよ。


それに今回だけでなく、今までのストレスが鎌なんてイメージであなたを斬った」



僕は自分の首にある痣に軽く触れる。



「それは、つまりどういうことなんですか?」



湊先輩は何故か哀れむような目で僕を見てこう言った。



「君の心、その奥が叫んでいるのよ。


――もう限界だって」



「……は」



「まぁ、あり得ない話じゃないわ。


むしろ納得してるわ。


他の人は色々あなたを買っているみたいだけど、それで平気なはずがないわ」



「ま、待ってください。


僕、全然問題ありませんよ?」



「そうじゃないから、そんな幻覚を見たのよ」



「いやでも、ほら、幻覚を見せる魔法とかあるし……」



「その場合はもっと広範囲に幻覚をみるわよ。匂いとか音とかね。


個人を狙う場合は光、つまり視覚に干渉するけど、ゴーグルをつけていたあなたはそれにかかったとは考えにくいわよ」


「それは……」



そんなはずはないと僕は湊先輩の言葉に納得ができなかった。



「別に恥じることなんて一切無いわ。


北の生徒でそういう無意識に追い詰められて幻覚を見る人っているもの」



「でも、そんなことは……」



「対処用法だけど、精神安定剤出しておくわ。


それで収まって治ることもあるらしいし、環境の急な変化で疲労したのが原因ってこともあるわ。


ひとまずは様子をみるけど、無理せず、悪化したらすぐに教えてね」



「…………わかりました」



納得は出来なかったが、ひとまず頷いておく。


薬をもらって病院を出ると、外では僕の護衛として付き添いに来てくれた戒斗がいた。



「どうだったんスか?」


「うーん……正直、あまりピンと来ない。


薬飲んで経過観察ってことになった」


「病気なんスか?」


「えっと、実は」



ホテルに戻る最中、僕は歩きながら湊先輩の診察結果について戒斗に相談した。



「うーん……まぁ、あり得ないはことではないッスけど、それだけが原因とも考え辛いッス」


「ちなみに戒斗の予想は?」


「妹さんを狙うために遠回しに敵がお前に攻撃を仕掛けた。


あの場は妹さんに意識集中してたんでお前は格好の的っすからね」


「なるほど……でもどうやって?」


「例えば、あのコックさんとか怪しくないッスか?」


「え?」


今日、研修で監督をしていたコックさんのこと?


驚く僕に、戒斗は説明を続ける。



「お前に幻覚を見せるのなら五感に何か仕掛ける必要があるッス。


味覚は大皿の料理で俺たちも食べたんで却下、臭いや音も周りを巻き込むッス。


なら残りは視覚と触覚


皿洗いしてるときのお前はゴーグルつけてないっすから、あのコックはその両方で干渉できる」


「な、なるほど……」



「そういうわけで、西学区には身元を念入りに確認してもらった方がいいッスよねぇー」



「なるほど、よし今から連絡を」



「大丈夫ッスよ、もう知ってるはずッスから」



え、いつの間に?


僕が首をかしげると、戒斗は今は僕の首に下げられているゴーグルを何故か一瞥した。


どうしたのだろう?



「とはいえ、湊先輩の主張もありえなくは無いッス。薬はしっかり飲んでおくんスよ」


「わかった、そうする。


でもみんなにはどう説明しようか……?」


「黙っておく……のはこの場合は愚策ッス。


かといって正直に話すのもなぁ……俺の仮説を話すとしたら妹さんに説明できない。


湊先輩の診察結果を話すのもなぁ……」



「うーん……あ、そうだこんなときこそこのゴーグルを」



ゴーグルをつけたスイッチを押そうとしたら戒斗に腕を掴まれた。



「それはやめるッス」


「え? なんで?」


「なんでもッス。それはもう使うなッス。


いいッスね?」


「まぁ、戒斗がそう言うなら」



本当に一体どうしたのだろうか?


まぁ、それはともかく本当にどうしよう。



「……あ、じゃあ、このゴーグルのゲーム機能が誤作動してそのあまりにリアルな映像にノーシーボってのは?」



「なるほど、確かにそれなら行けるッスね。


ちょっと無理はあるッスけど、そこは勢いで誤魔化せる範囲ッス」



うむ、我ながらナイスアイデアだ。






「さらっと責任擦り付けたな、日暮弟」


「仕方ないわ。どこぞのディーバに場を引っ掻き回されたことで怒ってるのよ。


その責任は確かに私たちにあるし」



銃音寛治の言葉を諫める堀江来夏


ちなみに問題のディーバことMIYABIはマネージャーの小橋努にガチで説教を別室で受けている。



「赤嶺、それで研修先にいたコックってのは?」



「ありえない。


こっちで用意して監督役だぞ?


雇う前にしっかり身元の確認をした」


「雇うときはそうだったとして、雇ってから変わる可能性もある。


調べておけ」


「……わかった。


だが、個人的に気にするなら歌丸本人だと思うぞ。


あれだけの能力があって本当に幻覚を見るほど追い詰められていたらその影響は計り知れないぞ」



歌丸は診察室までゴーグルを持ち込んでいたのでその内容はこの生徒会室ですでに把握していた。



「WELL……確かに歌丸くんのことが今は一番心配ね」



赤嶺一矢の言葉は今この場にいる全員の共通認識でもあった。


もし歌丸が精神的に追い詰められているのだとしたら、この学園でのこれから三年間の予定が大きく狂う。


その損失は計り知れないだろう。



「……堀江、歌丸が転んだときの映像、俺のパソコンにも流してくれ」


「別にいいけど、鎌なんて映ってなかったわよ?」


「わかっている。


ただ念のためほかの要因がないか確認したいだけだ」



銃音は何やら歌丸の異変に何か違和感を覚えているようだが、現状それがはっきりと分かっていないのでこの場では言わなかった。





歌丸がホテルに戻ってきて、その症状について問題がないことを何やら早口で説明した。


しかしどうにもそれが嘘くさい。


妹である椿咲は兄の不審な態度への疑問がぬぐえなかった。



「……椿咲さん?」


「え……あ、はいなんですか榎並さん?」


「そこもしかしてわからないの?」


「え……あ、いえ、すいません、大丈夫です」



現在はホテルの一室で同室の榎並英里佳と一緒に勉強をしている。


北学区ということで勉強の力はあまり入れていないはずなのだが、英里佳はとても勉強ができる。



「……あの、榎並さん」


「ん? なに、どこがわからないの?」


「いえ、そうではなくて……兄さんの言ってること、信じてますか?」


「ゲームの動画を見たのが原因だってこと?」


「そうです。


明らかにあんなの嘘ですよね」


「…………そうだろうけど、たぶんそこまで深刻なことでもないと思うよ」



少し考えてから、笑顔でそう言って英里佳は手に持ったペンを再び走らせて数学の数式を解き始めた。


まるで無頓着のようなその態度に少しだけ椿咲はむっと来た。



「なんでそう思うんですか?


兄さんが心配だって思わないんですか?」



自然と詰問するような形になってしまった。


そんな失礼な態度ではあるが、英里佳は優しく微笑みを返した。



「歌丸くんはね、隠し事もするし嘘も吐く。


けど、そういうのって小さい下らないようなことばっかりでね、本当に駄目なことは……………………………しないよ」


「今の間はなんですか?」


「う、うーん……その、ちょっと意識が朦朧としてるときは例外だけど、普段はそこまで大したことはしないから」


「何をしたんですか兄さんは?」


「だ、大丈夫大丈夫。もう済んだことだから」



言えない。


まさか歌丸連理の活躍が世界的に有名となった理由の一つである第九層の大規模戦闘レイド


その大本の原因というか、きっかけが歌丸連理の下らない悪戯というか、嘘が原因だったなど言えるわけがない。


そんなこと知られればあの偉業の台無し感が半端ないと危惧する英里佳なのであった。



「その……まぁ、とにかく今も隠し事はしてるとは私も思ってるよ」


「だったら」「でもね」



英里佳は確信をもって椿咲に告げた。



「歌丸くんは、無茶をするときは絶対に一人で抱え込んだりしない。


必ず私たちの誰かを頼ってくれるから」


「それは、単に兄さんに一人で解決する能力がないだけでは?」


「そうだね。


歌丸くんもそう言ってた。


だけどね、それって人一倍彼が目の前のことに真剣に取り組んでる証拠なの」


「……真剣な証拠?」


「そう。何かを為したり、誰かを助けたりするとき歌丸くんは自分でできないからこそ、誰に何をしてもらえたらそれが達成できるか客観視できるの。


私の場合、まず私ならどうするかって主観で考えちゃうけど……歌丸くんの場合はそれを誰ならできるかって考えてるみたいなの」


「……あんまり兄さんはそういう軍師みたいなことできるとは思いませんけど」


「うーん、それとも違うかな。


歌丸くんの場合は作戦考えるのが上手い人いたらそっちに丸投げしちゃうし」


「……それ、ただ他力本願なだけなのでは?」


「悪く行っちゃうとそうだけど……でもね、案外嬉しいものだよ。


歌丸くんって、そういうときは本当に相手のこと信頼して任せちゃうから。


あんなに一生懸命な人に、命まで預けられるくらい信頼されたら、嫌でもこっちもやる気出しちゃうもん」



本当にうれしそうにそんなことを語る英里佳に、椿咲はそれ以上何も言えなくなった。


そして悟るのだ。



(そっか……この人たちは、本当に心から信頼し合っているのだ)



仲が良いと思っていたが、それは単なる上辺だけでなく心の底から信頼し合っているのだと。



(でも、やっぱり兄さんには負担が重すぎるんじゃ……)



話を聞けば、やはり兄の連理はその信頼と実力が噛み合ってないとしか思えない。


いくら周りがフォローしていると言っても、それではいつか限界が来る。そう思わざるを得なかったのだ。



「まぁ、とにかくそういうことだからあんまり心配はしてないの。


それにたぶん日暮くんは事情を知ってるみたいだし……彼が黙ってるならあまり深刻に考えなくてもいいと思うよ」


「日暮さん……ですか?」



語尾に「っス」が付くなんか胡散臭い先輩だなという印象しかなかった椿咲には英里佳のその評価は意外なものだった。



「うん。日暮くん、ちょっと言動で落ち着きがなさそうに見えるけどたぶん私たちの中で一番視野が広いと思うから。


彼が今歌丸くんのフォローしてるなら、そこまで心配はしてないんだ、私は」


「…………信頼、してるんですね」


「日暮くんだけじゃないよ。


詩織も、紗々芽ちゃんも、もちろん歌丸くんだって私にとって大事な仲間だし……たぶん、家族と同じくらい私はみんなのこと大事に思ってる」



一切の迷いもなくそんなことを言う英里佳


そんな彼女の真摯な言葉に、椿咲はむしろ自分の胸の内がざわついた



(……兄さんは北学区にいるべきじゃない。


そのはずなのに…………この人たちから兄さんを……ううん、兄さんからここまで思ってくれる人たちを引き離すのは、正しいの?)



そう思ったときだ。



「…………あ、あれ? 榎並、さん?」



先ほどまで目の前にいたはずの英里佳が突然いなくなったのだ。


そして気のせいか、周囲の景色がやは暗色になったような気がする。



「いったい、何が……?」



何が起きたのかわからず困惑する椿咲はひとまず廊下に出る。


廊下もあまり変化が無いように見えるが、微かに色が暗色っぽくなっており、人の気配が一切しない。


この東学区にあるホテルは本島から一時的に東学区への機材の運び込みや修理、もしくは研究成果の持ち運びのために多くの大人が止まっており、ここまで無音というのは本来はありえない。



「どういうこと……そうだ、兄さんは!」



明らかに異常事態だが、この場で真っ先に危ないのは兄であると判断し、そちらへと向かう。


兄がいるのは下の階。


エレベーターを使ってみたが反応がなく、しかたなく階段を下りていく。


そのまま廊下を走り、事前に教えてもらった兄の部屋へと向かう。


そして廊下にいくつもの扉が並んでいる中で、兄の部屋の扉だけが空いているのが見えた。



「兄さ」「歌丸くん、単刀直入に言いますよ」



部屋に入ろうとした直前、聞き覚えのある声に動きが止まった。


心臓が早鐘を打ち、呼吸が止まりそうになるほど驚いた。


そして開いている扉の隙間から中を見て驚愕する。


そこにいたのは、この迷宮学園の学長――人類の天敵であるドラゴンがいたのだ。


そんなドラゴンと、兄である歌丸連理が二人っきりで部屋の中にいる。



(な、なんであのドラゴンが……! ひ、日暮さんは……!)



恐怖から言葉が出なくなり、体が硬直してしまう。


それでも必死に目だけは動かして状況を把握しようと努めた。


だが、同室であるはずの日暮戒斗の姿は今そこにはない。



「――このままでは君は死ぬ。


そう遠くない未来に……その首を切り裂かれる形でね」



そして、ドラゴンの口から告げられたその言葉に、椿咲は思考が完全に停止したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る