第145話 だが、しかし、つまるところようするにケモ耳
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『今度は確実に仕事を遂行しろ』
本来は持ち込み禁止の通信機器から聞こえてきた音声
それを聞いている機器の持ち主は自然と表情が歪む。
「前回標的の生徒を見つけられなかったのは鼠の方です。
俺は任務を遂行しました」
『そうだな。
だがもっと根本的なところを言えば、お前が最初の時点でドライアドを倒せなかったことに問題がある。
そして対処されたのも、お前が奴らに最初に見つかって警戒させるきっかけを与えたことだ』
「あれはミスではなく、作戦で」
『どうであろうとスキルを過信して目標を達成できなかったお前の判断ミスだ。
あの時点でドライアドを討伐できていれば、学長が出てくることもなかった。
既に処理は済ませたから大きな被害は出なかったが、決して小さい被害でもないぞ。
そして何より信用が落ちた。
今は生徒会なんて下らないごっこ遊びしてる連中に目をつけられて動きづらくなっている』
生徒会、という単語を聞いて通信機器を持つ手に力がこもった。
そして、無手で戦うエージェント系の上位職であるディサイダーの生徒会役員の顔が思い浮かぶ。
『先に言っておくが、これは金の問題じゃないぞ。
もちろん金も大事だがな、俺たちは金を得るために命を取り扱う。
そのリスクとして自分の命を担保にしてるんだ。そうやってようやく信用が買える。
分かるか? 俺たちの仕事はな、信用が落ちたらその時点で切られる。信用が俺たちの寿命と同義なんだよ』
「……わかってます」
『ならいい。
粋がっている生徒会を抑え込むためにも、確実に任務を遂行しろ』
そこで通信は切れる。
そしてそれを確認し、通信機の持ち主は近くの壁を思い切り殴る。
結果、殴った個所の壁が大きな音と共にヒビが入る。
「来道黒鵜……!」
あの場で、あの男がいなければ……!
そんな風に考える。
しかし、これは所詮は私怨だ。これからの任務に必要はない。
「…………奴が介入さえしなければ何も問題はない」
冷静に深呼吸して心を落ち着かせ、次の標的を見る。
その標的はまだこの学園に入学してないが、今はこの学園に来ている。
いつでも実行できるように準備を整えつつ、隙を伺うようにする。
「運の悪いガキだな……身内が注目されてるだけで自分が大変なんだからな」
標的の名前は歌丸椿咲
今世界中から注目されている歌丸連理の妹であった。
■
「まったく兄さんったら、何を考えてるんだか……」
「きっと……何か考えがあるんだよ……たぶん」
現在、椿咲と英里佳は流れるプールの近くにあるカフェに来ていた。
「妹としては、考えがあってああいう行動している方が嫌なんですけど」
「……う、うん……そう、だね」
異性に抱き着き、口説くという行為
かつての兄からは考えられない行動であるが、ハッキリ言って嫌悪感のある行動であった。
(わからない……本当に兄さんの身に何があったのか、何がどうしてああなったのか……?)
兄の変貌ぶりに驚かされっぱなしでもはや疲れ果てた椿咲
椅子に座りながら、注文したオレンジジュースのストローを咥えながら、こっそりと目の前でレモネードを飲む英里佳を覗き見た。
元々口数が多い方ではないことは理解したが、先ほどの兄の行動を見てから目に見えてテンションが下がっている様子だ。
「……あの、榎並さんは嫌じゃないんですか?」
「嫌って……何が?」
「だから、その……さっきの兄さんがしたことです」
「……えっと……ナンパとかそういうのは、相手に迷惑が掛からないなら大丈夫かなぁって」
言外に、あの二人は兄からそういった行為をされて満更でもないのだと語っている。
下手な本人の意見よりも、第三者の言葉で告げられると実感が増してますます椿咲は困惑するが、ここでそれを解消すべく一つのメスを入れる。
「そうではなく、兄がそういうことしてるの見て、貴女は何も思わないんですか?」
「…………………えっと、あの、ごめんなさい、質問の意味がよくわからないんだけど」
目に見えて、その言葉が嘘だとわかる。
目線を下方向にさまよわせ、すでに氷しか入ってないグラスをストローでかき混ぜる様から、静かながら動揺していることが手に取るように分かった。
「兄は貴方に気があると私は思ってます」
カランと、英里佳の手が止まって氷がグラスとぶつかって小さく鳴った。
「そして、あなたも兄のことを憎からず思ってるように見えます」
もう混乱に混乱を重ねた椿咲は、すぐにでもこの現状をどうにかしたいという気持ちで一杯だった。
だからこそ、単刀直入に思いをぶつける。
――それが人に対して、決して小さくない衝撃を与えてしまうのだということを忘れて。
「私たちは、そういう関係じゃないから」
取り繕ったような、渇いた笑顔でそう言った英里佳
「でも」「お兄さんが……好きな人は」
寂しそうな……いや、いっそ辛そうな声でそう言った英里佳の言葉に、椿咲はようやく自分が失言してしまったのだと悟る。
「私じゃないから」
英里佳にとって、その言葉を自身の口から言うことが、どれだけ辛いものなのか、椿咲は考えが少し足りなかったのだ。
「……あの……ごめんなさい」
「ううん、いいの」
英里佳は別に怒っているわけではないのだが、どうにもその場にいることがいたたまれなくなった椿咲
「……あの、私そこのプールで少し泳いできます」
椿咲が向かおうとしているのは、いたって普通のプールであった。
精々、一部が少し深い程度の平凡な50mプールである。
「うん、わかった。
私は少しここで休んでるから」
英里佳はそう言って、周囲を椿咲に気付かれないように警戒する。
護衛としてはプールで一緒に泳ぐべきなのだろうが、今はそう言った気分でもなかった。
目に見える範囲だし、大丈夫だろうと判断し、椿咲を自由にさせることにした。
そうした英里佳の気遣いを受け、椿咲は来ていたパーカーを椅子に掛けてプールに駆けていった。
「何してんの、私……」
小声で自分を責める。
ロクに準備体操もせず、人気のないプールに飛び込んだ。
とにかく今は、体を動かしたかったのだ。
長いプールをクロールで泳いでいく。
もともと運動神経もよかったため、なかなか速い。
(兄さんは変だし、三上さんは妙に優しいし、苅澤さんはよくわからないし、兄さんは変だし、榎並さんを傷つけちゃうし、兄さんは変だし……とにかく兄さんは変だし……!)
悶々とした気分がさらに胸の中で渦巻いていく。
兄には色々と言いたいことがあったはずなのに、あまりにも挙動不審というか、目に見えて不審になっている兄を前になかなか話題を切り出せず。
それどころか兄の交友関係で混乱してもう何が何だかという現状だ。
(もう、とにかく全部兄さんが悪い!)
そう考えた途端、どんどん腹が立ってきたのか、泳ぐ手足に余分な力がこもった。
兎に角体を動かしてこの気分を晴らしたいと、手足を伸ばそうとする。
その時だ。
「――っ!」
足に電流が走ったような感覚がして、動かなくなる。
そしてその後すぐにやってくる痛み
(やばっ、足が……!)
急に体を動かしたために足が攣ったのだ。
すぐにプールから出ないとと思ったが、足がつかず、全身が水の中にいることに気付く。
「――ぁ、う――だ、れか!」
床を片足で蹴って助けを呼ぼうとしたが、まともに声が出ない。
このままではまずいと思うのだが、足の痛みと呼吸ができないという状況で思考がまとまらない。
(いやだ、このままじゃ――死)
嫌な予感に背筋が寒くなった時だ。
強い力で上へと引き上げられた。
「――――え?」
気が付けば空中にいた。
何が起きたのか視線を巡らせたが、訳が分からなかった。
先ほど、一緒に喋っていたはずの英里佳が、何故か水面を走っているのだ。
しかも、耳が人間のものからフワフワとした獣の耳に変化している。
幻覚でも見ているのかと思ってしまったが、それもすぐに終わる。
水面を走り終えてプールサイドに到着すると、英里佳は足を止め、そして勢いが止まって落ちる自分の身体を優しく受け止めたのだ。
「椿咲ちゃん、大丈夫?」
「…………は、はい」
自分と同じか、下手をすると自分よりも小さい少女
そんな彼女が溺れそうになった自分を助けてくれたのだと椿咲が気が付いたのはこの時になってようやくであった。
「椿咲!」
そしてすぐ連理がその場に駆け寄ってきた。
「大丈夫か、気分悪くないか!」
とても焦っていたのか、あれほど外すことを拒んでいたゴーグルを外し、椿咲の状態を確かめようと顔を覗き込んできた。
「だ、大丈夫だからおちついて兄さん」
兄である連理の慌てようを見て逆に冷静になっていく椿咲
一方でそんな慌てる兄を落ち着かせるように英里佳は微笑みながら言い聞かせる。
「すぐに引き上げたから、水もほとんど飲んでないみたいだから大丈夫だよ」
「そ、そう…………はぁ……よかったぁ」
心底安堵した様子で顔をほころばせる連理
ゴーグル越しで今まで見えなかったその顔は、椿咲が知っている兄の顔だった。
「英里佳、本当にありがと――ぅ」
「? 歌丸くん、どうしたの?」
「兄さん?」
唐突に言葉に詰まる連理
不思議そうに首を傾げる英里佳と椿咲だったが、この時の連理の心情はそれどころではなかったのである。
■
僕、歌丸連理の思考はその時加速していた。
椿咲が溺れたのを見て急いで駆けつけ、そして思わずゴーグルを外してしまったのが仇となった。
まぁ、つまり、何が言いたいのかというとだね。
――目の前に水着のケモ耳美少女がいる!!!!
タンキニ
正式にはタンクトップビキニと呼ばれるものだろう。
先ほど見た詩織さんや紗々芽さんの水着に比べれば露出度はかなり低いが、フリルなどで女の子らしさを演出しているのでとっても可愛らしい。
それでいて、英里佳の無駄のない脚線美がスカート状になっている水着の裾からのびていて、下が水着だとわかっていてもそのチラリズムに視線を奪われる。
全体的に小柄で幼さから庇護欲を掻き立てられる一方で、スラリとしたスタイルから女性の美しさに目が奪われる。
そして、獣耳だ。
そう、獣耳だ。
余分な言葉など不要。
獣耳だ。
獣耳なのだ。
獣耳がそこにある。
通常ならば人の普通の丸みを帯びた耳がそこにある。
だが、獣耳だ。
水着なので背中からうなじまでのラインが大胆に開かれており、そこから続く耳
獣耳だ。
人の身体において本来はない異物の主張
獣耳だ。
ケモノ耳だ。
けもの耳だ。
ケモ耳だ。
そう、つまりケモ耳なのだ。
つまり何が言いたいのかというと
ケモ耳
なのだ。
そう、この時の僕の思考は至高なまでの嗜好に対して志向していて、他の試行をいくら思考してもその嗜好が至高であるという思考からは志向せずにはいられずに思考停止していたのだ。
だから、なんというか……
ケモ耳なんだ。
■
「(ブハァ)」
無駄に思考が加速し、無限に血が湧き上がる体質から血圧が限度を突破
皮膚の薄い鼻から余分な血が噴出してしまったようだ。
「歌丸くんっ!?」
「兄さん!?」
何の前触れもなかった(少なくとも他者から見て)のだが、歌丸連理が鼻血を突如噴き出した。
「ど、どどどうしたの、どこかにぶつけたの!」
「な、何か布かティッシュ! 出血量が、量がヤバいです!!」
比喩抜きで鼻血を噴出している連理の姿に慌てふためく英里佳と椿咲
そして一方でそんな慌てる二人……というか英里佳を見て
(萌える)
心臓がない代わりに別の何かが彼の血圧を無駄に高めている。
「榎並さん、まず落ち着いてスキル解除するッス」
「え?」
「早くした方がいいッス」
「わ、わかった」
後からやってきて、そしてすべてを理解した戒斗がそうアドバイスする。
英里佳は戒斗の指示通りにスキルを解除して耳がもとに戻ると、それと連動するかの様に連理の鼻血がピタっと止まった。
「えっと……あの、歌丸くん大丈夫?」
「…………うん、まぁ、スキルがあるからもともと出血は問題にならないから」
どこか残念そうにゴーグルを頭に着け直す連理
そしてそんな連理をとてつもなく残念な、子供が一生懸命に工作して出来上がったガラクタを見る大人のような目で見ている戒斗がそこにいた。
「え……あ、兄さん、本当に大丈夫なんですか?」
先ほどまで溺れかけていた妹からも心配されている連理
色々と大丈夫じゃないのだが、その事実を混乱からまだ把握しきれない椿咲であった。
「えっと……なんか、人が集まってきちゃったんだけど……」
英里佳は脱ぎ捨てていたパーカーを回収して羽織りながら周囲を見ると、人ごみが遠巻きにこちらを見ている。
「――ちょっと目を離しただけで何の騒ぎよこれ!」
「……凄い血の跡……なにがあったの!」
そしてその様子から、この場から離れていた詩織と紗々芽が戻ってきた。
二人は場の中心にできている血の跡を見て周囲を警戒するのだが……
「あ、大丈夫ッスよ、この血はこいつの鼻血ッスから」
「「……え?」」
戒斗の言葉に視線が連理に向けられる。
連理はゴーグルをつけ直し終えたので、直視されているわけではないのだが、どうにも気まずくて顔を逸らす。
「ちょっと、こっち向け」
「あだだだだだだだだだだっ!?」
そしてお約束のアイアンクロー
――この後滅茶苦茶怒られて、さらにプールの管理人さんに滅茶苦茶謝ったのであった。
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