第131話 壁ドン(ストレート)
男子トイレが妙な空気となっている一方で、並行して行われている女子トイレの清掃
Q.女子が三人集まれば姦しい、などというが五人も集まればどうなるのか?
「…………」
「………………」
「……………………」
「う、ぅ……」
「……なんですの、この沈黙」
A.気まずい沈黙が流れる。
その場の空気に手伝いに来た稲生ナズナは呻き、鬼龍院麗奈もこの尋常ではない空気に違和感を覚えていた。
「あの、皆さんなにかありましたの?」
「「別に」」
「……な、なんでもない」
即答した三上詩織と苅澤紗々芽
一方で口を淀ませたのは何故か少々顔が赤い榎並英里佳である。
どう見ても何かあったようだ。
しかし麗奈もナズナもそれが何のかは知らない。
酔っぱらっていたときのことは記憶がないのだ。
「きゅっきゅきゅきゅ」
「きゅるるるぅ」
「ぎゅぎゅぎゅう」
そして一方で賑やかなのは三匹のエンペラビットたちだ。
歌丸連理のパートナーであるこの三匹だが、今日は揃って女子の方の手伝いをしている。
その理由としては……
『鬼龍院との口論になって熱くなった連理に攻撃手段があったら手が付けられなくなるんで預かっててほしいッス』
トイレ掃除の手伝いをチーム竜胆が申し出た際の、チーム天守閣のメンバーである日暮戒斗の言葉である。
歌丸連理は常識人ではあるが、頭に血が上ると色々やらかすので、その予防策としてだ。
別段断る理由もないということで女子は了承
現在はエンペラビットたち三匹に壁など手の届きにくい場所の掃除を頼んでいる。
「そ、そういえば南学区の方ってあのお酒モドキの処分はどうなりました?」
聞いても三人は何も答えないだろうと悟った麗奈はナズナにそう話題を振る。
「あー、そっちについては販売に対して北学区からも許可を取って、教師の人たちにも許可を取ってからじゃないと販売できないようにって制限する方向にしたんだって」
「あら、てっきり販売は中止になるのかと思ったのですけど……」
あれだけの大騒ぎ、未遂とはいえかなり問題視されるのではないかと思っていた麗奈にとってはその結果は意外だった。
「後からわかったんだけど、魔力――精神的な能力値が低い人ほど悪酔いし易い傾向があるらしいんだって、あれ」
「「――あぁ」」
そんなナズナの言葉を聞いて何故か無言で掃除をしていたはずの詩織と紗々芽が納得したような目で英里佳を見ていた。
対する英里佳は物凄くいたたまれなさそうにしている。
一体何があったのかと思いつつも、藪蛇になると察した麗奈は敢えて見なかったことにした。
「ただ個人差はあるけど耐性がついて能力値が少しだけ上昇する可能性があるってことで、全面禁止にするにはもったいないって話になったんだって。
だから魔力が低い人を鍛える目的で取り入れたいんだってさ」
「なるほど……北学区らしい合理的な判断ですね。
でも、私や兄さんも酔っぱらってしまいましたから……今より相当薄めないと販売はできなさそうですわね」
「うん、おに――土門会長も、もっと薄めると味付けを全面見直しだって嘆いてた」
「あぁ……確かにあれはとても飲みやすかったですね。
一度飲んでしまった身としては、販売されるのならあれと同じかそれ以上が望ましいのですけど」
「あんなことがあってもまだ飲みたいの?」
今まで無言だった紗々芽が麗奈の発言に驚いた顔をしている。
「麗奈さん、あの時物凄く大声で笑ってたんだけど……?」
「まぁ、はしたないことは重々承知しています。
ですけど、ああいったものがある方がストレスのはけ口になっていいと思うんです。
私、自分ではあんまり自覚はなかったんですけど、お恥ずかしいことに結構ストレスを抱え込んでいたようでして……」
鬼龍院蓮山という意識の高い兄がそばにいて、自然と意識が高くなっていた麗奈
周りにも、そして当然自分にも厳しい麗奈は、自分で自分にストレスをかけている生活を送っていたのだ。
「でもあのお酒モドキを飲んだ後はなんだかすっきりした気分になっていたんです。
命の危険が日常のこの学園で、ああいったものは意外と必要なものだと実感したんです」
「うーん……なんかそう言われると納得できるかも」
「というか、世の中実際にそういうものだから大人は体に害があるとわかっていも酒を飲むのかもしれないわね……」
麗奈の意見に紗々芽も詩織も掃除の手を止めて考えさせられた。
女子のするような会話ではないのだが、誰もその点については触れない。不思議。
「学園の一部では隠れてアルコールを飲む不良もいるくらいですし、下手に規制して非行に走るくらいならいっそそういものを与えた方がいい、という教師の意見もありますから。
まぁ、その分取り締まりも強化しなければならないことも増えるのでしょうけど、それはまた社会勉強。
自警団でも酔っ払いの対処を学ぶ機会だと受け入れる考えもあります」
「ああそっか、チーム竜胆は攻略と自警団の仕事両立してるのよね。
……そろそろ体育祭も近いし、私たちもその辺りの活動をし始めた方が良さそうね」
北学区のギルド――その中でも生徒会直属といえば学園全体の治安維持組織の中心と言える。
しかしチーム天守閣は今日にいたるまで攻略や修業ばかりに放課後や休日を使っていたので、治安維持の仕事はほとんどやっていないのだ。
「ああ……たしかあなた方のギルドのリーダーの金剛瑠璃先輩は自警団としての仕事は割り振られていませんでしたものね」
「そうなのよねぇ……基本的に他のギルドの手伝いが中心だって言われてたけど、その前にまずは強くなってからってことで後回しになってたのよ」
「ですがその甲斐もあって、間違いなくあなた方のチームは一年どころか、学園全体でもトップクラスの実力者がそろっているではないですか。
もし自警団の仕事がしたいのなら、私の方から口利きして割り振ってもらうこともできますが、どうします?」
「そう? じゃあ先輩たちに確認取ってみるわ。その時はお願いできるかしら?」
「ええ、構いませんよ」
女子らしくないビジネスライクな会話ばかりだが、詩織と麗奈はそんな会話でお互いの距離が縮まっていた。
基本は真面目な二人なので、案外波長が合うのかもしれない。
そして一方で……
「「…………」」
会話に入り込めずに掃除をしながら寂しそうな英里佳と、途中から会話についていけなくなったナズナの二人がいた。
故に、なんとなく視線を巡らせると二人は目が合った。
しかし、話すこともなく気まずい空気が流れる。
「あの……榎並さん」
気まずさのあまり、英里佳が目を逸らそうとした時、ナズナが口を開いた。
「な、なに?」
「その、大したことじゃないんだけど……」
会話を切り出してみたものの、お互いで話のタネになることなど一つしかなった。
「歌丸連理なんだけど」
会話の引き出しが少ないのはわかってはいたが、それでもこの場で今、その名前を出すのは危険だった。
「「――――」」
麗奈と会話していた詩織と紗々芽が無表情になって英里佳の方を見た。
(ナズナさん、あとで恨みますよ……!)
麗奈が敢えて避けていたことを、ナズナは一切空気を読まずに出してしまったのだ。
しかし、問題はそれだけでは済まなかった。
「あいつ獣耳が好きみたいだけど、榎並さんはセクハラとかされてない?」
少しだけ弛緩していた場の空気が完全に元に戻った。いや、元からさらに悪化した。
(ナズナさーーーーーんっ!?)
この場の空気の変化が読めないナズナの質問に麗奈は内心で絶叫するが、当然それが届くことはない。
「せ、せくはら?」
そして当の英里佳は質問の意図が分からずに首を傾げてる。
「ほら、モンスターパーティの打ち上げで私メイド服着せられて、おに――会長の悪ふざけで獣耳になったでしょ?
その時のあいつの食いつきっぷり尋常じゃなかったし……あんたも大変よね、ベルセルクで獣耳になれるのにそんな近くにあんな趣味のやつがいるなんて」
「え、っと……別に、そんなことは無いと思うけ――」
否定しようしたその時、英里佳にとっては衝撃的で鮮明な光景が感触と一緒に記憶からよみがえってきた。
「――うぅぅうぅっ!!」
ボンっと音が聞こえてきそうなほどに一瞬で顔が赤くなった英里佳
そのリアクションにナズナがドン引きした。
「え……あいつ本当にそんな酷いセクハラしてたの?」
「ち、違っ、違うよ! 歌丸くんは別に私の嫌がるようなことしてるわけじゃなくて――」
「つ、つまりあんたはセクハラされて嬉しいの?」
「そそそそそそういうことじゃなななくてぇぇえっ!!」
「動揺し過ぎでしょ! ちょっと、風紀どうなってるのよチーム天守閣!
一応ギルドの名前って風紀委員でしょ!!」
目に見えて哀れに思えるほどに動揺している英里佳
そのリアクションに歌丸連理が普段どんなセクハラをしているのかと戦慄するのである。
「「…………」」
そしてそんなやり取りを見て詩織も紗々芽も無表情のまま変化がないが、身にまとう雰囲気が明らかに険しくなっている。
(もしかして、連理様、私たちが記憶ない間に榎並英里佳と何か進展が?)
そう考えた麗奈だが、結局答えは見つかることはないのであった。
「――やぁやぁ皆の衆、そろってるかなぁ!!」
そこへ現れた救世主
「あ、本当に掃除してるー」
場の空気をこれまたぶち壊すハイテンションで女子トイレに入ってきたのは、つい先ほど話題に上がった女子生徒の先輩だった。
「る、瑠璃先輩?」
「しーたんやっほー」
金剛瑠璃
北学区最強のアークウィザード
そしてギルド風紀委員
(た、助かりましたわ……)
そして内心で場の空気が一気に変わったことに麗奈は心底安堵していたのだが、その事実を知る者はこの場にはいないのであった。
「掃除ってまだ時間掛かりそう?」
「え……あー、はい、まだ他にも掃除するところはありまして……」
「んー……じゃあちょっとしーたんだけ一緒に来てもらっていいかな?
あとレンりんも一緒にちょっと生徒会室に来て欲しいんだけど」
「……連理も、ですか?」
複雑な表情をする詩織を見て、瑠璃は不思議そうに首を傾げた。
「ん? なんか都合悪い?」
「い、いえ、そういうわけではないんですけど……」
「じゃあお願いねー」
元気に駆け出しながら戻っていく瑠璃
「えっと、じゃあ私はちょっと連理に声をかけて生徒会室に行くわね」
掃除道具を片付ける詩織だが、その一方で紗々芽は何やら思案している。
「なんで直接呼びに来たんだろ」
「え?」
「だって、学生証を使った方が早いよね?」
「……そういえばそうね」
その指摘に、詩織は以前にも同じようなことがあったのを思い出す。
「……あんまり穏やかな呼び出しじゃないかもしれないわね」
「うん、大丈夫だとは思うけど……シャチホコちゃん、念のために詩織ちゃんについていってあげて」
「きゅう!」
シャチホコは手に持っていた雑巾をバケツの中に入れて、行儀よく手を洗う。
「詩織」
「なに?」
場の空気の変化を感じ取ったのか、英里佳は真剣な目で詩織を見ていた。
「歌丸くんのこと、お願いね」
「言われるまでもないわよ。
まぁ、生徒会の呼び出しならそんな直接的な危険はないでしょうけどね」
「うん。……あと、詩織も気をつけてね」
「ええ」
先ほどまで微妙な空気が流れていたはずなのに、いざとなるとお互いをしっかり信頼し合っている。
そんなやり取りを見て、麗奈は静かに納得した。
「……なるほど、勝てないわけですね」
「どうしたの、急に?」
「ふふっ……なんでもありませんよ。
あ、それと」
「どうしたの――いったぁ!?」
結構強めのデコピンを麗奈はナズナの額に繰り出したのであった。
■
男子トイレの掃除中、シャチホコが入ってきたと思ったら詩織さんに呼び出された。
なんでも先ほどトイレに瑠璃先輩が突入して呼び出されたらしい。
「学生証を使わないってことは……卒業生の金瀬先輩の時と同じケースだね」
「そうね。
そこに私だけでなくあんたも呼ばれたってのが気になるわね。
気を抜かないようにしましょう」
「うん。……ところでさ」
「なに?」
「なんか距離遠くない?」
現在、僕と詩織さんは一緒に生徒会室へと向かっているのだが、何故か詩織さんは僕から最低2mは距離をあけて移動しているのだ。
「気のせいよ」
「え、いやでも」「気のせいよ」
「うっす」
こっちには一切顔をむけないが、なんか威圧的な雰囲気が声に滲んでいたので僕は静かに頷いた。
いや、まぁ原因何てこの間のことだろうな……
「――あ、あの……英里佳に対しての行動についてなんだけど……」
「あ?」
なんかヤンキーみたいな声音で人を殺しかねない眼光で振り返った。
「ひぇ」「きゅぇ」
ちゃっかり僕の頭の上に乗っていたシャチホコも揃ってその威圧に妙な声が出てしまった。
「その、どんな理由はあれ、女子のその…………うん、キス……を、ですね」
「――――」
な、なんか威圧感が上昇したぁ……!!
「その……僕もすごく反省していると言いますか……あの時は勢いとか、色々とあったのは認めます。
だけどね、あの……」
「だけど、なに?」
こ、怖い……なんかものすごく怖い……!
「僕は別に誰にでもそんなことするとか、そこまで見境がないわけじゃないから安心し――」
直後、風が真横を突き抜けていった。
僕の真横に、固く握りしめた拳が放たれていた。
「そう、よね、ええ、まったくもって、その通り、よ、ねぇ」
「あ、の……詩織、さん?」
「私は別に可愛げもありませんし、怖がられてますし、獣耳だってありませんものねぇ」
え、な、何それ?
どうしたのこれ?
僕はただそんな警戒しなくても大丈夫ですよと人畜無害さをアピールしただけのつもりだったのですが?
「ふんっ!」
詩織さんは僕に背を向けたかと思えば、そのまま速足で廊下を進む。
僕も置いて行かれないように速足でついていく。
「ちょっと詩織さん?」
「ついてくるんじゃないわよ!」
「いや一緒に生徒会室行くんだよねっ!?」
「……ちっ」
「舌打ちっ!?」
いや、ここまで邪見にされるのはおかしくない?
僕の行動がおかしくなることは、自分でも薄々と、ちょっとだけ、微かに自覚はあったけどさ、ここまで嫌悪されるほどのことじゃないでしょ!
少なくとも詩織さんには今回僕何もしてないよ!
「あの、英里佳には今日また改めて謝るから、その……本当に勢いで色々やったのは反省してるから、詩織さんまでそんなに怒らないで欲しいなって」
「――英里佳英里佳英里佳って、あんた本当に入学してからずっと英里佳のことばっかりよね」
「え」
気が付けば僕は体を壁に押し付けられていた。
そして僕の顔のすぐ横には詩織さんの手が壁に押し付けられていた。
……あの、これって巷で言うところの“壁ドン”という奴では? 男女逆だけど。
「――あ、あの詩織さ」「黙って」
空いていたもう片方の手が僕の顔を覆う。
そうすることで僕の目は何も見えなくなる。
そして、そのすぐ後に何か柔らかい感触がした。
――唇から
「――――へ」
ほんの一瞬。
何が起きたのかさっぱりわからずに僕は困惑していると、顔に当てられた手がどかされた。
「――無駄話は終わり、さっさと行くわよ」
「え、あ、そ、その、え、えぇ!?」
詩織さんは困惑する僕をよそに先ほど以上に速足で生徒会しつへと向かって行く。
「あの、今何したの?!」
「うるさい」
「いや、あの本当に今なにしたの、ねぇ、ちょっとぉ!!」
「…………」
「無言っ!? そしてそれもう走ってるよね、あの、おいてかないで!!」
結構ガチな走りに入ったので、僕も置いて行かれないように結構全力で詩織さんについていく。
「――バーカ」
走りながら詩織さんがそんなことを呟いた。
そして、僕が先ほど何をされたのか問い詰める前に僕たちは生徒会室へと到着した。
――ここに到着するまで、僕は自分の身に何があり、何をされたのかわからず非常に悶々とした気分にさせられるのだが、この生徒会室でそれがさらに倍プッシュされることになるとは、この時点では夢にも思っていなかった。
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