第104話 素直な過ぎるのも考えよう。
僕と詩織さん、そしてドライアドのララの接触の顛末はすでに氷川の作成していた資料で知っていたらしいが、創太郎さんは直に僕たちの口から顛末を聞きたかったようだ。
話してる最中、紗々芽さんの膝に座っているララが申し訳なさそうな表情をしていた。
まぁ、この話ってララにとってはあまりいい話ではないもんな。
何より僕たちに迷惑をかけたと自覚がある分なおさらだろう。
「……そうか」
そしてひとまず話を聞き終えてから創太郎さんはララの方を向き直る。
「ララちゃん、だったね」
「……はい」
ララは終始下を向いてうつむき続けている。
そんなララに、創太郎さんは優しく微笑んだ。
「千歳のこと、ありがとうね」
「…………え?」
創太郎さんの言葉が以外だったのか、驚いたような顔を見せた視線を上げた。
きっと不安だったのだろう。
千歳さんのことを守れなかったことを気にして、その家族である彼から責められるのではないかと……
それでもこうして出てきたのは、ララなりのけじめだったのだろうが、僕たちから言わせてもらえばそれは一種の杞憂だろう。
「千歳の最後を看取ってくれたのが君で良かったと、歌丸くんの話を聞いて思ったよ」
「…………ち、がう……わたし……千歳、まもれなく、て」
創太郎さんの言葉に、顔をくしゃくしゃにして涙を流すララ
そんなララを紗々芽さんは後ろから優しく無言で抱きしめる。
「君だけの責任じゃない。
私も、両親も……みんな千歳を助けられなかった」
創太郎さんは寂しげに、泣きじゃくるララに頭を下げる。
「千歳が死んでからずっと、辛い思いをさせてしまってすまなかった。
そして、ありがとう。本当にありがとう。妹のためにそこまで思ってくれて……ありがとう」
「う……う、ぅう……うっく、ひ……ぅ、うぅ……!」
その場で我慢しようとしてしきれずに、大粒の涙を流し始めるララ
彼女が泣きだす姿を見るのはこれで二回目だ。
そしてやはり思う。
その姿は、僕なんかよりもずっと人間らしい。
僕たちはしばらく無言で、泣きじゃくるララを見守る。
ずっと緊張していて疲れていたのだろう、しばらくして泣き疲れたのかララはその場で眠ってしまった。
「迷宮生物とはいえ、寝顔は幼子そのものだな」
創太郎さんはその手を伸ばし、優しくララの頭をなでる。
「こんな幼い女の子に三年間も、私は妹のことを押し付けてしまったのだな……恥ずかしいな」
その顔は、まるで何かに対して後悔しているような顔だった。
「……君たちはもう知っていると思うが、千歳が迷宮に置き去りにされるまえに、金瀬製薬に脅迫状が届いていたんだ」
その言葉を聞いた瞬間、氷川が止めに入ろうとした。
「創太郎さん、それは……」
「氷川くん、いいんだ。話させてくれ。
少なくともこの子の……ララの仲間である彼らには、私たちの罪を知る権利がある。
とはいえ、これはあくまでも私のエゴだ。
聞いても君たちにとっては重荷になるかもしれないが……」
「聞かせてください」
真っ先に僕はそう答えた。
この一連の出来事に首を突っ込んだものとして、そして金瀬千歳さんの死について曖昧なことはしたくなかったのだ。
他のみんなも、頷いた。
特に、紗々芽さんははっきりと強い意志を持ってこう言った。
「私は、今のララのパートナーです。
この子が私を選んでくれたこと、最初は戸惑いましたけど……今はそれで良かったって思ってきているんです。
ですから、この子の前のパートナーだった金瀬千歳さんのこと、私もできるだけたくさん知りたいんです」
その言葉を聞いて、創太郎さんは嬉しそうに頷いた。
「ありがとう。
……とはいえ、さっきも言ったがこれは私のエゴ……懺悔のようなものなんだ」
そう付け加えて、創太郎さんは語り始めた。
「私の実家の金瀬製薬は、私の在学中に取得した特許でかなり資産を手に入れられたんだ。
卒業してからも、私は学生証を持っていてスキルが使えたからね、新薬の開発や改良も、他の研究者や技術者ならば数年はかかるものを数カ月……早いものでは数日で成し遂げたこともあった。
なんせ私のような迷宮攻略に直接関係ない者が学生証を卒業後も持ち出せるという例は稀だからね、薬剤の分野ではもう金瀬製薬の独壇場だったのさ」
これは後で聞いた話だが、迷宮学園でもっとも学長……というか、ドラゴンに評価される分野はやはり迷宮攻略に励む生徒が多いという。
これは日本だけでなく、世界中の迷宮学園でも言える傾向だ。
だからこそ、研究者として迷宮攻略以外の分野で学生証の携帯を許される卒業生となると本当に珍しいのだろう。
たった一人で小国の国家予算並みの資産を金瀬製薬にもたらした創太郎さんは、どれだけ凄い人なのか改めて実感できる。
「だが、集まり過ぎた資産は必ずしも幸福をもたらすわけではなかった。
今世間で騒がれている犯罪組織に、我々は目を着けられてしまったのだ。
そして脅迫状が届いた
指定した期限までに金を海外の銀行口座に支払え、というものだった。支払わなければ、妹の命はないとね。
両親はもちろん、親戚一同大慌てさ。
なんせ妹は私たちの手に届かない迷宮学園にいたんだからね、不安だったのだろう」
創太郎さんは、その時、まるで罪を告白するかのように僕たちに言った。
「その上で、私は脅迫を無視するように指示を出した」
それを聞いた瞬間、僕はどういう顔をしたのか自分でもよくわからない。
ただ、みんなが少なからず目を見開いた驚きを見せた。
ララのパートナーである紗々芽さんに至っては、驚きのあまり口を手で覆ってしまっている。
「どうして、そんな判断を?」
なんとなく、言葉に棘を含めてしまったような気がした。
しかし創太郎さんはそのことに一切不快をみせず、当然のことのように受け入れた。
「言い訳に聞こえるかもしれないが……どうせ無理だと高を括っていた。
身内でしか知らないはずの情報を、犯罪組織が握っていることに驚きはしたが似たような脅迫はこれまでも何度かあった。
そして何より、外部から学園にいる妹を自由に殺害する手段がないと私は思っていたんだ。
だから妹のことを詳しく調べ上げていることを理解していても、私は脅迫を無視することに決めたんだ」
それを聞いて僕は創太郎さんの意見を一方的に否定はできないなと思った。
「それは……仕方ないんじゃないんですか?」
学園と外部との連絡手段はかなり限定的だ。
東学区の一部の生徒以外は外部との連絡用の端末の所持は許可されていないからだ。
だがそれすら緩和されている今の状況下とすれば、十年前となると今以上に外部との連絡手段は限定されていたはずだ。
「いいや…………だとしても、もっと注意することはできた。
そもそも今までの脅迫とは毛色が違うことだってわかっていたのに私は無視した。
妹が……千歳の身の安全が脅かされる可能性と脅迫状に従う場合の損失、その二つを天秤にかけて後者を選んだ。
家族よりも、私は金を選んだんだ。
最低だよ。兄としても、人としても……私は、もっとも罪深い失敗をして、一番大切なものを失った。
ララが気を病むことなど一切ない。
私が……私こそが、千歳を死に追いやってしまった。
私が殺したも同然だ」
懺悔
今まさに、創太郎さんが行っていることを表現するならこれ以上に正確なものはないだろう。
許しを求めてはいないし、こういう時、何を言うべきなのか、正解が分からない。
だけど……
「いくらなんでも考え過ぎですよ」
そもそも、問題にすべき点が違うと、僕は思う。
「創太郎さんの判断が正しかったのかなんて、少なくともその時は誰にも決められませんでした。
そもそも、それが一番正しいと思ったから、ご両親も創太郎さんを信じて脅迫に従わなかったんでしょ」
「だが、結果は違う。私は間違えた」
「そうですね。
創太郎さんが間違えた……これも事実だとは思います。
でも、一番悪いわけじゃありません」
誰が悪いのか、誰が一番責められるべきなのか。
そんな答えは分かりきっていることだ。
「創太郎さんは、結果的に判断を間違えてしまったかもしれません。
だけど、それを自分の意志でやったんじゃない。
悪意を持って、本気で妹さんを見捨てたんじゃない。
だったらそれは、悪いことだと断言はできません」
「なら……誰が悪かったと君は言うんだ?」
「決まってます。
犯罪組織が、脅迫してきた奴らが、金瀬千歳さんを置き去りにした奴らが悪い。
悪いことを、悪いと知っていながらやった奴が一番悪い」
この人の話を聞いて、腹が立った。
こんなに苦しんでいる人がいて、それを分かっていながら犯罪を集団で起こそうとする連中がいることが納得できなかった。
「創太郎さん、貴方は自分を責めて嘆くべきじゃない。怒るべきです。
自分より悪いことをした奴がいるなら、貴方は自分の間違いを嘆く以上にそいつらのことを憎むべきだ」
「……恨む、べき?」
「そうです。憎しみとか恨みは非生産的だか言われますけど、そんなことはどうでもいい。
家族殺されて、殺した奴恨むななんて、おかしいじゃないですか。
それじゃあまるで、家族のことをどうでもいいと思っているみたいだ」
恨むことを含めた復讐と言える行為全般は何も生まないとされている。
その通りだと思う。
だって、その行為は言うならばけじめであり、確認であり、自分の心の大切なものを証明する自己実現の一種だ。
極論を言えば、実行した本人にしかその価値はない自己満足だ。
だが、だからと言って恨みを持つこと全部を否定することにはならない。
「自分に責任があると思うなら、創太郎さんは誰よりも犯人を強く恨むべきだ!
全員まとめて捕まえて、ぶっ殺してやるってくらい、恨むべきだ!」
「いやいやいやいや、連理、落ち着けッス!
殺すのは流石に行き過ぎっスよ!」
今まで黙っていた戒斗が、慌てた様子で僕の肩を掴んで引いてきた。
気が付けば僕は席を立っていて、前のめりに創太郎さんに向かって語っていたのだ。
「あ……す、すいません、ちょっとその……熱くなり過ぎました。
えっと……殺すのはやっぱり無しで、それくらい意気込むってことで……その……はい、うん、まぁ、そういうことで」
「どういうことよ」
「歌丸くん、語り始めると途中で熱くなる悪癖があるよね」
ゆっくりと座り直して話を締めたかったがうまくまとめられず、詩織さんと紗々芽さんから物凄く呆れられてしまった。
「はぁ……」
なんか氷川にまで「駄目だこいつ」的なため息を吐かれた。
「…………そう、か。
そうだな…………うん。
こうして落ち込む暇があったら、私は少しでも犯人を……犯罪組織を捕まえるために活動すべきなんだろうな」
「あ、そう、それです! それが言いたかったんです!」
流石は大人。
僕の意図を組んで的確にまとめてくれた。
すると何故か、創太郎さんは心底おかしそうな、それでいてなんだか呆れたような、それでも不快感を感じさせないような笑顔を見せた。
「……まさか、一回りも年下の後輩に説教される日が来るとはな」
「え……説教?」
え? 僕、そんなことしてた?
思わずみんなに確認の為に目を配らせると、呆れた感じに頷かれた。
「…………えー……あの、その……すいません、そういうつもりではなかったんですけど……その……すいませんでしたっ!」
「いや、別に怒ってはいないさ。
むしろすっきりした。こうして君たちと話せて本当によかったと改めて思ったよ。
ありがとう歌丸くん」
「ど、どういたしまして……?」
「創太郎さん、冷静に思い出してください。
実行に移したら絶対にダメなことしか言ってませんからね、こいつ」
氷川うるせぇ!
「いや、まぁ……彼の言いたいことの意気込みは伝わってきたからいいんだよ」
創太郎さん、それ微妙にフォローになってないです。
「まぁ、私から君たちに伝えたかったことは、これで終わりだ。
聞いてくれてありがとう」
創太郎さんはそういってその視線を僕の隣に移す。
「それで…………榎並さん、だったかな。
何か、私に聞きたいことがあるんじゃないかな?」
「…………はい
創太郎さんは、十年前の卒業レイド……その時に亡くなった教師のことをご存知ですか?」
やはり、聞くのか。
英里佳がドラゴンを倒そうと考える理由は、この場で知らないのは氷川と創太郎さんだけ。
それ以外の全員は、創太郎さんが十年前の卒業生だと聞いたことで気付いていたようだ。
「……ああ、あれは忘れるはずがない。
その時に亡くなった先生もね。
確か名前は榎並…………っ」
名前を思い出そうとして、創太郎さんはハッと何かに気付いて英里佳のことを見た。
どうやら彼も気づいたようだ。
「…………もしかして、君は?」
「……はい。父の名前は榎並勇吾。
十年前、この学園の卒業レイドで亡くなったと聞きました」
「そう、か……君だったのか。
娘さんがいるとは聞いていたが…………なるほど、まさかこんなところで会うことになるとは世間は案外狭いものだね」
「父のことを知ってるんですか?」
「ああ、恩師だよ。
学区は違ったが、在学中はとてもお世話になった。
私を含め、榎並先生がいた頃の学生証持ちの卒業生の半数以上は彼の師事を受けたことがある」
その情報には僕はもちろん、英里佳自身もかなり驚いた。
教師として凄い人だとは思っていたけど、どうやら想像以上に凄いらしい。
「ということは、君が知りたいのは榎並先生のことなのかな?」
「はい。
私は、父がこの学園でどういう教師として働いていたのかよく知らないんです。
……そして……父が、どういう最後を迎えたのか…………それが知りたいんです」
「榎並先生の最後、か……」
創太郎さんは少しばかり間をおいてから申し訳なさそうに首を横に振る。
「残念ながら、私は先生の最後には立ち会えていない」
「……そう、ですか」
父のことを知れると思った英里佳は残念そうに暗くなる。
「だが、彼がその日に多くの生徒を救ったのを見た。
卒業レイド……あの日、学園が出現した十周年だと学長は銘打って、学園全体にレイドボス級の
「え……」
創太郎さんから告げられたその言葉に、誰もが絶句した。
レイドボスが……数百体?
それって、クリアスパイダーみたいなのが、学園中にゴロゴロ出てきたってことなのか?
「おそらくあの日は第一期の卒業生たちの悲劇を除いて、もっとも死亡した生徒が多かった日だと思うよ。
今まで出てこなかったような場所、地上の校舎のある場所にまでレイドボスが出現し、戦うのが苦手な生徒たちまで戦いに巻き込まれた。
あれは地獄だった」
それは、確かに地獄だろう。
レイドボス一体倒すことですら北学区の精鋭が何十人単位で投入されるものだ。
それと同等の強さを持つ存在がいくつも現れれば、そりゃ対処できるはずがない。
「私もそれに巻き込まれて、あやうく死にそうになった。
そこを助けたてくれたのが……」
「父、だったんですか?」
「その通りだ。
その戦いぶりを見たのは初めてだったが、圧倒的だったよ」
創太郎さんはその時、まるで少年のように目を輝かせて語る。
「北学区の生徒が十人いても防戦一方だったレイドボスを、彼はたった一撃で屠って見せた。
今思えば、あれが噂に聞く“物理無効スキル”というものだったのだろうな。
鋼鉄の身体を持つゴーレムタイプの迷宮生物を両断し、液状の身体のスライムも切り裂き、鋼よりも堅牢だと言われる鱗を持つワイバーンの上位種すら切り伏せた。
神話に出てくる英雄を見ているような気分だったよ」
……それは、なんというか想像以上だ。
現段階での学園最強の天藤先輩より強くないか、榎並勇吾さん?
「レイドボスを一撃……なんというか現実味が無いわね……」
「そうッスね……でも、たぶんそれが実現できる可能性一番高いのって詩織さんッスよね?」
「うん、そうだと思う。
詩織ちゃんってルーンナイトになれば物理無効スキル覚えられるわけだし……」
「うっ……なんか、急にプレッシャー感じるわね」
先人の偉大さに気圧されてしまっている詩織さん。
僕も、そのスキルを覚えるために加担する身としてちょっと気が重いかも。
だけど……それだけの力を持っていながら榎並勇吾さんは死んだというのか?
なんか腑に落ちないな……
「私も先生の死因については調べたが……こればっかりはどうにも判明がしない。
先生は迷宮へ潜り、そこにいた生徒を救援に行った、そこまではわかっているが……その日、迷宮で何が起きたのかは不明のままだ。
だが少なくともあの人の実力ならたとえレイドボスが群れで攻めたとしても死ぬようには思えなかった」
いや、それ現実的に考えて数百人単位が数秒で死ねる戦力なんですけど……
「だからこそ、私は思うんだ。
あの日、あの場で……いや、世界中探しても、あの先生を殺せる存在は……種族は一つしかいないと」
英里佳は目を細め、その拳を握りしめた。
「あのドラゴンが……父を殺した。
そう、思ってるんですか?」
「証拠はない。
だが……私には学長以外には実行できる存在がいるとは思えないんだ」
学長が、英里佳の父を殺す。
創太郎さんの語る榎並勇吾さんの実力が事実ならば確かにその可能性が高い。
「…………うーん」
高いのだが…………なんだろうか、違和感があるような気がする。
とはいえ、それをうまく説明もできない。
いやまぁ、あのドラゴンを擁護するつもりなんて一切ないんだけどね……いまいちあいつがそういうことをやるっていうイメージがわかないというか……
「やっぱり……あいつが……!」
「……英里佳?」
「あいつが、お父さんを殺したんだ……!」
――この時、僕は自分がとんでもない失言をしてしまったのだと自覚した。
復讐を、憎しみを肯定しても、殺意を安易に肯定すべきではなかったのだ。
それを実感したときには、すでに英里佳は誰の目から見てわかるほどに怒りに体を震わせていたのだった。
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