第89話 結局、欲望を突き詰ると破滅するという話



異変を真っ先に感じ取ったのは三上詩織みかみしおりだった。


自分の能力値をブーストしていた騎士回生Re:Knightが突如解除されてしまったのだ。



戦っている真っ最中でいきなり能力値が落ちてしまったことで戦闘がかなり困難となったが、そこは一緒についてきてくれていたエンペラビットのギンシャリのおかげで対処できた。



すぐに歌丸連理に連絡を試みたがつながらず、榎並英里佳に連絡してみると、彼女の方はまだ歌丸との特性共有ジョイントが発動したままだという。


急いで周囲に連絡して回ると、ようやく現状を把握することができた。



『――おそらく歌丸連理は例の暴走した生徒と迷宮内で接触したということでしょう』



学生証を使って連絡したのは氷川明依ひかわめいであった。


彼女は現場にこそいないが、現場から上がってくる情報をすべてを知っている。



『来道先輩からの連絡は例のアサシンとの接触の報告以降まだ届いていません。


おそらく西学区の暴動は犯罪組織の起こしているもので、ドライアド暗殺のための囮として、手薄になったところを宿舎へ襲撃するというのが筋書だったのでしょう。


あの宿舎に迷宮につながる地下通路があることは秘密となっており、一度入ってしまえばそう簡単に手は出せないのでエンペラビットのナビのある彼らにとっては安全のはずでした。


エンペラビットと共にドライアドのマスターである苅澤さんが迷宮に入った時点で暗殺は失敗しこちらの作戦成功だったのですが、そこに学長がくだんの生徒を歌丸連理にけしかけたと考えるのが妥当でしょう』



強いて違う点を言うならば、犯罪組織の目的もすでにドライアドではなく暴走した生徒であり、歌丸たちを足止め目的で襲撃しているのだが、そこ以外は正鵠を射ている。



結局のところ学長ドラゴンが悪い。



「歌丸たちの救助の方は?」


『風紀委員の三人に前線基地で待機してもらいましたが…………今、あなたは歌丸連理のエンペラビットを一匹借りている状況でしたね?』



氷川の質問に、詩織は足元にいるギンシャリを見た。



「ぎゅう!」



今は特性共有してないので兎語(初級)は使えないが、助けに行きたいという意思は伝わってきた。



「では、私とギンシャリで歌丸の救出に向かいます」


『ぎんしゃ……ああ、名前……そうですね、ではお願いしま』「待って」



突如、上空から人影が下りてきた。


着地した衝撃で舗装されたアスファルトにヒビが入る。


かなりの高さから降りてきたという証拠であるが、着地した本人には傷一つない。



「……英里佳?」



そこに現れたのはベルセルクとして能力を強化された榎並英里佳がいた。


こころなしか、その眼にはとてつもなく気迫が感じられる。


手足に返り血らしきものがついていて、見たところ生乾きだ。


おそらく暴動を起こしている生徒を速攻で無力化してこの場に到着したのだろう。



「私が行った方が早い」



この時、案内役をすることになっているギンシャリが本気で怯えて声も上げずに詩織の足にしがみついていたという。





悪路羽途アクロバットを発動させ続けながら走っていた僕たちだが、スキル効果が切れた。


おそらく敵から逃げ切ったという合図なのだろう。



「はぁ、はぁ、はぁ……少し呼吸を整えようか……?」


「う、うん……はぁ、はぁ、はぁ……!」



ここまでどうにか走ってこれたのは体重がほとんどなくなったからだ。


だが呼吸までは簡単には戻らない。


おそらく今の全速力ダッシュで3km以上は走ったはずだが、まだまだ先は長い。



「歌丸くん……血が……」


「え……あー……そういえば止血ずっとしてなかったね」



左手はハウンドの噛み傷が、そして右手には方辺りに刃傷、上腕部には刺し傷がある。


出血が先ほどからとんでもない状況だ。



「これじゃあこっちに来てるって跡を残してるようなものだった……すぐに止血するから、もう一回ララ出してもらえる?」


「う、うん……」



苅澤さんはすぐにララを召還してくれた。



「どうぐ、だして」


「どうぞ」



すぐに僕も救命道具を取り出した。




「ササメも」


「は、はい」



どうやら包帯が足りないらしい。


僕一人分の救命道具の包帯だってさっき使った分で半分以上使ったしね。


僕は上着を脱いで、また水で傷口を洗う。



「せなかのきずも、ひらいてる……ぜんぶかえる」


「血が流れないなら別にそのままでも……」


「だめ、ほうたいよごれて、ふえいせい、びょうきなる」


「……わかった、だけどできるだけ手早くお願いね、追いつかれちゃうから」


「わかった」



ララがテキパキと包帯を変えており、僕は痛みを少しでも意識から外そうと今後どう動くべきかを考える。



「きゅう……」

「きゅる……」



僕の怪我を心配そうにみる二匹のエンペラビットたち


対人戦においての僕の切り札でもあるこの二匹の攻撃


一撃は小さくても積み重ねていけば相手を無力化できるのだが、相田和也あいだかずやは手も触れずに相手を吹っ飛ばす能力を持っている。


これによって二匹の攻撃が通じなかった。



「……――ん」



そしてラプトルを呼び出す能力に、乱発できる転移魔法


そして何より……暴走していると思ったらしっかり理性があり、その上で僕を殺そうとして来ていた。



「――くん」



多少錯乱していたとしても、完全にあれは僕を殺す気満々だったからああいう風に行動ができるのだ。


危険すぎるよね、やっぱり……



「歌丸くん」



肩に手を置かれて、僕は顔をあげた。



「え、あ、何?」


「何って……大丈夫なの?」


「大丈夫って、何が?」


「何がって、だからその……怪我、痛いでしょ?」


「そうだけど……それだけだよ。


それより苅澤さんこそ平気?


結構走ったけど」


「……私は何もしてないから……」


「まぁ、体調悪くないならそれでいいんだ。


ここからは別行動で行こう」



僕のその言葉を聞いた時、苅澤さんは「え」と声をこぼし、何故かララの手も止まった。



「……別ってどういうこと?」


「相田和也の狙いは僕。ララでも苅澤さんでもなかった。


だったらワサビに案内してもらいながら地上を目指せば安全に前線基地ベースに行けるでしょ」


「それは、そうかもしれないけど……う、歌丸くんは?」


「僕はシャチホコと一緒に別のルートを走りながら前線基地を目指すよ。


僕のスキルを使っても意味がないとわかった以上、引き付けながら逃げる以外にできることはないけど」



苅澤さんはすぐにでも地上に出たがってたし、いずれ追いつかれるのは確実である以上はやっぱりこれが一番最善策だろう。


あの転移、仕組みについてはいまいちわからないけどたぶんまたアレを使って先回りされる。


直感でそんな気がする。



「だめ……いっしょにいたほうが、あんぜん」



その時、ララがそんなことを言い出した。



「いや、だから苅澤さんとララはこの場合は僕と一緒にいない方が安全でしょ?」


「ちがう、ウタマル、きけん」


「それは仕方ないというか」「何が仕方ないの」



視線をあげると、そこには先ほどまで暗い表情をしていたはずの苅澤さんが、無表情で佇んでいた。





歌丸連理の傷は、もはや軽症だと言える状態を超えている。


重症だ。


背中の傷も、左手の噛み傷も、右手の刃傷も


本来ならとっくに失血死している段階の傷だった。


このままでは駄目だと、流石の紗々芽も実感した。



(このままじゃ、確実に殺されちゃう……)



歌丸連理が死ぬのはいつか、ではない。


歌丸連理は今日死ぬ。


間違いなく、このまま状況が変わらなければ彼は今日、この迷宮の中で死ぬ。


紗々芽はそう確信したのだ。


今もララに手当をしてもらいながら彼は何かを考えている。


嫌な予感がして、問いかけてみるが反応がない。


何度も呼びかけて肩を揺さぶって歌丸はようやく顔を上げた。



「……怪我、痛いでしょ?」


「そうだけど……それだけだよ。


それより苅澤さんこそ平気?


結構走ったけど」



もうこの時点でおかしい。


痛みをただの現象としか受け入れていない。


痛みとは、命の危機を伝えるものであり、本人の生きるための意志を喚起させるためのものだ。


だが歌丸は痛みをただのセンサーの数値のようにしか認識していない。


これが苦痛耐性フェイクストイシズムのデメリットということなのか、彼は完全に痛みというものの本来の意味を履き違えてしまっていた。


もともと痛みに対して人より鈍いところはあったが、今はそれが度を越えている。


そうでなければ、こんな状況で無傷の紗々芽のことなど心配するような言葉を吐くはずがない。



「ここからは別行動でいこう」



そしてこの言葉が決定的だ。


この状況で別行動?


なるほど、確かにララを守るという意味では一番合理的と言えるだろう。


しかし、相田和也の狙いはもはやララではなく歌丸自身なのだ。


相田和也だけでなく、ラプトルとまで戦うのならば、この状況でもっとも強いララを欠くということがどういうことなのか本当に理解しているのか?


もはや恐怖しか覚えない。


どうしてそこまで他人のことを考えて……



「だめ……いっしょにいたほうが、あんぜん」


「いや、だから苅澤さんとララはこの場合は僕と一緒にいない方が安全でしょ?」



まるで何でもないように、自分達の安全を彼は心配する。


自分やララの気持ちをまるで考慮してないのかのように……



(…………あ)



そこで、紗々芽は一つ勘違いをしていことに気が付いた。


歌丸連理は、他人のことを一番に考えてなどいなかったのだ。



「ちがう、ウタマル、きけん」


「それは仕方ないというか」「何が仕方ないの」



ただ自分のことだけなのだ。



「そういうの、カッコいいって思ってるの?」


「そういうの……?」


「他人を命がけで守ることが、カッコいいのかってきいてるの」


「いや、別にそんなつもりは……ただ他にできることがないし」



そう、これが歌丸連理という少年のスタンスなのだ。


他人の心配をするのも突き詰めていけば自分の気分の問題であり、そこに他人の都合も心情も考慮に入れない。


さらに他人だけでなく自分にとって何ができるか、そればかりを追求するあまりに自分の限界にまったく目もくれない。



捨て身にすら見える自己実現



それが結果的に他人本位のように見えてしまっているだけにすぎなかった。



今までそれが大きな問題にならなかったのは、彼が目標をぶらさないからだろう。


わざわざ歌丸がやらなくても、もっとできる者が他にいたから、彼は目標のために他者をたよる。


ただ、他にできる人がいないから自分がやっている。


この場に榎並英里佳が、三上詩織が、日暮戒斗が……いや、戦える誰かがいればもっといい方法を彼は考えたはずだ。


しかしこの場にいるのは戦えないと怯える自分と、そのパートナーであるララがいる。



「私が……そんなに弱く見えるの?」



腹が立った。


いつの間にか、歌丸連理の中では苅澤紗々芽という存在は格下扱いされていたのだ。


自分も同じように歌丸のことを見ていたのでそう悪くは言えないが、実感すると腹が立つ。


他に戦える人がいるなら、確かに紗々芽はほかに任せる。


だが、歌丸連理こいつにまで見下されるのは納得ができなかった。



「確かに、君はゴブリン相手に上手く立ち回れるようになったけど、あの程度なら私だって本当は初日からできました」


「え……いや、あの」「黙って」



何か言いたげだった歌丸連理の言葉を遮り、彼の前でしゃがんで目線を合わせる。



「私はエンチャンターだから確かにゴブリン相手にも負けるけど、ソルジャーの適正も一応あったの。


そっちを取っていれば、初日から少なくとも今の君以上にゴブリンをうまく倒せます」


「じ、実際にやったことないのになんでそんなこと言えるのさ」



流石に言われっぱなしでは納得いかないと歌丸がむっとした顔で反論してきた。



「私は中学のころ、何の恩恵もなしにゴブリンとの模擬戦をやって好成績を出しました。


模擬戦だから偽物だったけど、ちゃんとした恩恵さえあれば、本物のゴブリン相手でも十分に戦えます」


「く、訓練は訓練でしょ!


実戦じゃないし、現段階で戦えないなら意味がない!


そもそも、戦いたくないとか今まで散々言ってきたのはそっちじゃないか!」


「だからって勝手に死なれたら迷惑だって話をしてるの。


私のせいで死なれたみたいに見られてらどうするの?


はっきりいって物凄く迷惑だし、余計なお世話」


「は、はぁ!?」



普段、滅多なことでは怒らない歌丸もこれには声を荒げた。



「ここに来るまで散々僕の足引っ張って置いてよくまぁそこまで言えたもんだな!」


「なっ……そ、そっちが勝手にやったことでしょ! 私は頼んでません!」


「このっ……じゃあ言わせてもらうけど、この左手の傷とか背中の傷とか、そっちがトロトロ走ってるからハウンドに追いつかれそうになったから僕が追った傷だぞ!


毎日ランニングしてるくせになんだよあの走り方! 遅すぎるんだよノロマ女!!」


「のろっ!?


わ、私だってそこは解決しようと努力してるのになんでそんなこというの!


好きで遅いわけじゃないのに!」


「はぁ?


だったらちょっとはやせる努力しろよデブ!


その胸が弾むから遅いんだろうがデーブ!!」


「せ、セクハラ!!」


「うっせぇ、お前なんか巨乳そこ以外特にチャームポイントないだろうが!!」


「んなっ……!」


「というか本気で痩せろデブ!


お前抱えて走るの相当辛かったぞ!」


「」




絶句


あまりにも酷過ぎるセクハラ、及び女子相手にこれほど酷い暴言もそうないだろう。


それだけ歌丸も怒っているということだ。



「今までろくな結果出してないのに偉そうにするなって言ってるんだ!


そこまで文句言うならこの傷の責任取れよばーか!」


「さっき大丈夫とか言ってたのに、何を今さら言ってたじゃない!」


「気を遣ってやったんだよ!


本当は滅茶苦茶痛いの我慢してんだぞこっちは!


そっちが『つかれたー』とか『もういやー』とか迷宮の中で言い出さないように平気なふりしてたのになんだよもう!」


「私はそんなこと言わない!!


そっちが勝手にやったことだし、一度行ったことそんな風に言い直すとか、男のクセに女々しい!」


「そっちがそんな態度取るならこっちだってもう我慢しねぇからな!


あー、痛い痛い痛い!! マジで痛いわー!!


怪我した過程を詳細に話して治療費請求させてもらうわー!!」


「こ、このっ!」


「いったぁ!?


なんで叩いてくるんだよ暴力女!


詩織さんだって叩くときはそれ相応の理由が……………………なくても叩くけど、最近はちゃんと理由があるぞ!!」


「詩織ちゃんが怒るときはいつも大抵そっちが怒らせるからでしょ!」


「僕がいつ怒らせた!」


「いつもいつもいつもいっつも! 全部そっちが悪い!」


「ちょ、やめ、杖でたたくな、痛い、やめ、傷口はやめろぉ!」



杖を取り出し、滅多矢鱈めったやたらに歌丸を叩きまくる紗々芽



「ちょ、誰か助け……あ、あれぇ!?」



叩かれている歌丸は周囲に助けを求めるが、誰も助けない。



「……きゅう」

「きゅるぅ……」

「ウタマル……はんせい」



ちなみに、この場にいるのは歌丸以外性別は雌であった。


同性の立場として、歌丸の発言に非があるという判断したのだろう。


赤ん坊でありまだ言葉をうまく話せないシャチホコまでに見捨てられるほどひどい発言だったので、反省してもらっても当然なのだろう。そうなのだろう。



「こ、この好き勝手やりやがって!」



とはいえ、やられっぱなしで黙っているような歌丸でもないので、反撃を試みて手を伸ばす。


最初の攻撃は弾かれることを想定し、逆に弾かれたときに杖を持つ手を掴んで攻撃を封じてしまおうとの考えだ。


だが、ここに誤算があった。



――むにょん



「ひゃわっ!?」

「あべっ」



そもそも、苅澤紗々芽に咄嗟に相手の手を弾けるほどの技量がなかった。


故に、無造作に伸ばされた歌丸の手は、それこそ吸い込まれるかのようにたわわに実った苅澤山脈に触れた。


というか、がっつり掴んだ。





まず初めに感じたことは、柔らかいという感触だった。


まるで干したばかりの布団に最初に触れるかのような温もりと、手が沈んでいくような柔らかさ。


そして何より……



「お、重い……!?」



ずっしりとした重量感が、延ばした左手から伝わってきた。


な、なんだこの重さは……!


ただの脂肪の塊じゃなかったのか……なぜ、なぜこんなにも重いんだ!


まるで鉄の塊に触れているかのようなプレッシャーだぞ!


なのに、なぜ、なぜこんなにも心がざわつくのだ!?


こんなにも重く、やわらかく、温かくて、手が離しがたい!



「ひゃぁああ!」



目の前で苅澤さんが悲鳴を上げた。


同時に顔がぶん殴られて明後日の方向を向いたがすぐに視線を戻すと、気付いた時には僕は怪我をしてろくに力が入らないはずの右手で力強く彼女のもう片方の胸を掴んでいた。


い、いつの間に……!


これはまさに、一種の魔法!


気付いた時にはもう掴んでいる。


そして気付いた時にはもう指と動きが止まらない。


すべての指がバラバラの動作を始めていたが、それもすべてはたった一つの目的のため



――この大いなる奇跡むねの実感を魂に刻み込むため



指の感触と、視界の中で歪むその奇跡むねの姿に僕は心を奪われ――



「きゃあああああああああああああああああああああああ!!!!」

「きゅう!!」

「きゅる!!」

「へんたい!!」



その場にいた全員から全力攻撃を受けました まる





「マジですいませんでした」



土下座だった。


かつて見たことが無いほどに、加害者・歌丸連理は低頭平身ていとうへいしんしていた。


そしてそんな彼を見下ろす被害者・苅澤紗々芽とその両肩に乗る二匹のエンペラビットと、彼女を守る様に前に立つドライアド・ララ


全員が変態を見る目で歌丸を見下していた。



「……歌丸連理さん」



「は、はい……」



かつて名前を呼ばれることでこれほどまでに緊張感を感じたことがあっただろうか?


少なくとも、歌丸連理の中では手術の成功率を告げられた時以上のプレッシャーに全身から冷や汗が止まらなくなっていた。



「貴方が今、私に何をしたのか述べてください」



とてもとても丁寧な対応だが、歌丸連理の顔から脂汗が噴き出る。



「ぼ、僕は、その…………か、苅澤さんの……む……む」「む?」



土下座したまま呼吸を整えるその有様は、陸に上がった魚を思わせる哀れさを感じさせえた。



「胸に……さわりましたぁ……!」



絞り出すような声で出た回答


しかし、それでは苅澤紗々芽は納得できなかった。



「シャチホコちゃん」


「きゅう」



紗々芽の言葉に従って主であるはずの歌丸の頭に飛び乗って踏みつける。


小さく「ぐふっ」という言葉で額を再び地面にこすりつける歌丸



「あれ、君の中ではさわるっていうの?


違うよね、少なくとも世間一般ではああいうの、なんていうの?」


「…………も、揉み、ました……」


「うんうん、そうだよね?


それで、もっと具体的には?」


「…………」



とてつもなくいたたまれない表情のまま頭にシャチホコを乗せたままゆっくりと顔をあげた。



「……僕は、苅澤さんの胸を左手でつかんでしまい……その…………あの……その感触に、感動いたしまして」


「へぇー」


「だから、えっと……呆然自失となってしまい……」


「あ、そこで責任逃れするんだ」


「…………………感動のあまり、欲望に駆られてしまいまして……衝動的に両手で、苅澤さんの胸を、揉みました」


「ただ揉んだだけじゃないよね?」


「……はい」


「もっと具体的に言って」


「…………感触を、楽しみたくて……その……指を、一杯動かして……形が変わっていく苅澤さんの、む、む胸の形を見て………………こ……こ……興奮しましたぁ……!!」



再びの土下座


必死


その覚悟がこもった渾身の土下座であることは間違いない。


だが……



「これ完全に犯罪だよね」



有罪必至である。


言い訳も一切できないほどに犯罪である。



「すいませんでした……」


「謝って済む問題じゃないよね?」


「…………はい」


「これ、地上に戻ってからみんなに言ったらどうなるかな?」


「そ、それだけは、それだけはどうか勘弁してください……!」



顔をあげての必死の懇願


すでに涙目


エリアボスと対峙したときでさえ見せたこともない悲壮感がそこにあった。



「君そんなこと言える立場?」


「すいませんっ!!」



顔を上げることすら許さない。


でもしょうがない。だって完全な有罪確定のセクハラ案件だから。



「こんなこと知ったら英里佳どんな顔するのかなぁ~」


「ぇぐぉ……」



声にもならない濁った悲鳴が土下座したまま口からこぼれる。



「詩織ちゃん、きっとすごい悲しむだろうなぁ~」


「ぇぼろぅ……!」



ガタガタと震える歌丸


もうこのまま死んでもおかしくないほどに彼は今追い詰められていた。


ものすごくやつれているのはきっと気のせいではない。



「さっき、歌丸くん一人で別行動するって言ったよね?」


「は、はい……」


「それで仮に君が生還したとき、みんなどんな顔するのかなぁ?」


「ひっ……」



圧倒的、圧倒的なまでの主導権イニシアティブ



「みんなに言ってほしくない?」



ブンブンと首が千切れんばかりに頷く歌丸


ちなみにその間にも頭に掴まっているシャチホコは降りていなかった。



「それが嫌なら、私に絶対服従誓って」


「え……」


「返事」


「……は、はい……」



もはや選択権などない。


自分でも相当にとんでもないことをやらかした自覚があるので、歌丸はただ頷く以外何もできなかった。



「それじゃあ歌丸くん、私の下僕としてここからは私の言う通りに、かつそして私が言わなくても私を守るために行動してください」


「えぇ……」


「返事」


「は、はい」


「勝手な行動する前に私に確認すること」


「……はい」


「基本的に君がとる行動の優先順位は私が一、二番目に詩織ちゃんと英里佳、三番目に自分」


「はい」



さらっと戒斗が抜けているが、気にしない。



「そして私が今ここで君にする命令は一つ


私と一緒に地上に出ること」



「え……いや、だけど」


「返事!」


「は、はいっ!」



そこまで聞いて、紗々芽は満足げに微笑む。



「それじゃあ、一緒に生き残れる道を考えましょう」




その時、紗々芽も歌丸もまだ気づいてはいなかったが……


紗々芽の胸ポケット――そこにおさまっている学生証が、微かに輝いていたのであった。


そしてそのことに気が付くのは、この数分後のことである。

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