第83話 登場しなくても何度でも立ちはだかる学長

宿泊施設が最も多い場所は言わずもがな西学区


多くの学園外の企業が進出してきているその場所はホテル経営を学ぶための研修施設があり、実際にそこで一通りのマナーや仕事内容を学んだ二年生や三年生が従業員として働いている。


従業員がほぼ学生ということで料金はとても安いが、そこらのビジネスホテルよりもとても好待遇のサービスが受けられると週刊誌で話題にあがったほどだ。


だからてっきり僕らもそんなところを期待したわけなんだけど……



「――よし、一年ども、朝の仕事だ!!」



早朝、上下の服が一体の服、作業服とかツナギとか呼ばれる服を着た二年生の先輩に大声で起こされる。


僕は意識覚醒アウェアーの効果で足音の時点で眼が覚めたが、隣で寝ていた戒斗は「ワスっ!?」と奇妙な悲鳴と共に飛び起きた。



「よし、さっさと朝の仕事をするぞ!」



「はい」

「は、はいっす……」



「声が小さいっ!」



「「はいっ!!」」



急いで今まで眠っていた布団をたたんで長袖長ズボンの運動着に着替え、軍手と帽子を身に着けて作業場に赴く。


そこにはすでに英里佳と詩織さん、それに苅澤さんもいた。


現在も特性共有ジョイントを発動させている英里佳と詩織さんはしゃきっとしているが、苅澤さんはとても眠そうだ。


ちなみに現在の時刻は5時ちょいすぎ。


集まった僕たちに二年生の男子は宣言する。



「よーし、それじゃあ昨日とは逆で男子は厩舎の掃除、女子が家畜への餌やりだ。


一時間以内に終わらせないとシャワーも飯も抜きで登校だから、気合入れていけ!」



生徒会役員


副会長・甲斐崎爽夜かいざきそうや


職業ジョブ・ブリーダー


彼こそが僕たちの護衛を担ってくれる者の一人であり、そして僕たちに与えられた“宿舎”の管理人だ。



「「「はいっ」」」

「はいっス!」

「……ふぁい……」


「声が小さいっ!」



「「「「「はいっ!!」」」」」



そして僕たちの月曜日がやってきた。





―――――

―――――――

―――――――――




「つ、疲れたッス……」


「まだ朝のHRが終わっただけじゃん」



机に突っ伏して今にも気絶しそうなほどに弱弱しい声を吐く戒斗



「ありえないッス……朝起きて牛や豚の餌やって、そんで帰ってからも世話やって……朝もそれやって……腕パンパンッスよ……」


「鍛えてるんじゃないの?」


「働くための筋力と鍛えるための筋力は別ものなんッスよ……というかなんで連理はケロっとしてるんッスか?」


「僕筋肉の疲れを無効化するスキルを持ってるから」



万全筋肉パーフェクトマッスルあんまり使えないと思ってたけどスゲェ役立つ。



「ずりぃ……まぁ、いいッスけどね……でも、でも……まさか日曜日をまるごと農作業で終わるのはどうなんッスかねぇ……?」



土曜日に来道先輩から南学区の農作業用の研修宿舎に案内されて、日曜日朝から晩まで甲斐崎先輩から農作業の説明を受けて日曜日が終わった。


三日前に人と殺し合いをやっていたのが嘘みたいな日程だ。



「はぁ……さっさとドライアドの証言を公式で認める手続きを進めてほしいッス。


映像や音声で記録取るだけじゃダメなんスかね……?」



「録画の場合、あらかじめそう言うように調教させたっていう可能性が出てきて証拠として扱われない恐れがあるらしいよ。


ドライアドでそういう前例があったんだって」


「調べたんッスか?」


「うん、アジア圏の迷宮学園で、そういう方法で冤罪を着させようとしたって前例があったんだって。


だから今回は面倒でも手続きを踏んでいかなきゃいけないんらしいんだ」


「手続きって…………ああ、そういえ来道先輩も言ってたっスね」



ララの証言が正式な証拠として認められるためにはまず条件が三つある。


一つは、知能があることを認めさせること。


これは大して問題はない。


要は受け答えができる程度、会話が成立し、尚且つ物事をちゃんと記憶できることを証明すればいい。


二つ目は、嘘をついていないことを証明すること。


狂乱状態で嘘を言う存在の証拠は決して認められない。


それが認められてしまえば冤罪を生み出しかねない。


現代は技術が進化して嘘を見抜くための機械を凶悪犯罪者に対しては使用するようになっているが、ドライアドであるララに人間と同じ機材で嘘が発見できるのかは怪しい。


だから、政府公認で、世界でも数が少ない嘘を見抜く技術を身に着けたプロを学園に招くそうだ。


だからこれも時間が解決してくれるからさほど問題はない。


しかし、最後の三つ目……これがある意味で最大の問題といえる。


それは世界で唯一刑事事件でその証言が証拠として扱われた迷宮生物モンスターであるドラゴンからの、ララは自分と同等の存在であるという承認


この学園の……いや、あらゆる学園に存在するドラゴンである学長からの許可を得ること。


これはただ口頭でやるのではなく、正式な書類を作成し、全生徒会からの承認と、教師から最低三名の承認を受けて提出することとなっている。


ものすごく面倒で手間がかかるが、こうでもしないと冤罪が起きてしまうらしい。


本当に面倒な前例を起こした奴らがいたものだ。


基本的に各生徒会も教師も協力的だが、あの学長はとてつもなく気まぐれで、常識が通じないからそれが唯一にして最大の懸念だ。



「……とりあえず、それが終わるまではしばらく南学区生と同じ生活ッスか……はぁ……普通にホテルで良いと思うんッスけどねぇ……」


「あの厩舎で飼ってる家畜、殆どが迷宮生物との交配種でさ、匂いにも音にも敏感で蝙蝠こうもりみたいにソナーで人を感知する奴や蛇みたいに温度を感じ取る奴もいて警報代わりになるんだって。


僕や英里佳たちならその鳴き声ですぐ起きられるから最適だろって来道先輩言ってたよ」


「まぁ……確かに下手なカメラや電子キーなら対処されるかもしれないッスけど……」


「ブリーダーの甲斐崎先輩の育てた迷宮生物モンスターも警戒に回ってくれてるし…………何より今の北学区は大規模戦闘でお金ほとんど使って配当が回ってくるまでお金が使えないからね」



そう、金不足



それが僕たちが西学区ではなく、南学区の宿舎を借りている最大の理由だ。


本来僕たちが全員をあのアサシンの脅威から守るなら並大抵のセキュリティじゃ話にならない。


だが、そうでないセキュリティのホテルとなると当然ながら高級だ。


そこに何泊するかもわからないまま泊められるほど懐があったかくない状況を北学区の副会長の氷川が許可をだすわけもなく……しかたなく同じくらいセキュリティが万全で尚且つお金がほとんどかからず、僕たちが働けばむしろお金を払ってくれるということで南学区になったわけだ。


まさか迷宮学園に来て農業を体験することになるとは思わなかった。



「……それより連理、苅澤さん大丈夫と思うッスか?」


「やっぱり戒斗も心配?」



僕たちは横目で、今も英里佳と詩織さんと言葉を交わしつつ、どこか陰のある表情を見せる苅澤さんをチラ見した。



「なんか俺は農作業とかやってたら一周回って開き直った気分ッスけど……苅澤さんスゲー引きずってるように見えるんッスよね」


「え? 戒斗も気にしてたの?」



全然見えなかった。



「お前と違って俺は繊細なんッスよ。


まぁでも俺より深刻な人がいたから、冷静になれたって感じッスけど……」



不安げにそう戒斗がつぶやいた時、授業開始の予鈴がなった。



「……とりあえず続きは後で話そう」


「そうッスね」



僕もすぐに自分の席に戻ろうとする。


その時、不意に足が引っかかった。



「だ、わっととぉ!?」



頭から床に激突しそうになった時、ギリギリで横から手が伸びてきて体を支えられた。



「歌丸くん、大丈夫?」


「あ、ありがと英里佳……」



先ほどまで苅澤さんと会話していたはずの英里佳が、一瞬で僕の横まで来て支えてくれた。


ものすごい速さだ。



「…………あの、なんで今歌丸くんに足掛けしたの?」



英里佳は鋭いまなざしを横に向けていた。



「え……足掛け?」



僕も驚いてそちらを見ると、そこには顔見知りの男子生徒がいた。


一応クラスメイトだが、特別仲が良いわけではない。


元僕の同室の相田和也あいだかずやくんがそこにいた。



「あ? そうだった?


悪い悪い、足が滑ったわ」



特に悪びれた様子もなく、しかしへらへらと笑ってそう答える。


なんか…………前話した時よりもすごく嫌な感じがする。



「嘘。


明らかに歌丸くんが通るタイミングを狙ってた」


「偶然だって」


「そんな言い訳が通ると思ってるの?」



英里佳はもはや睨んでいるといってもいいような表情で相田くんを見ている。


対する相田くんはヘラヘラした表情を崩していない。


それが英里佳の気を逆立てるようだ。



「英里佳、いいから席に座ろう」


「っ……でも」


「今はそんなことじゃないか。


もっと他に考えることもあるし……ね?」



何気なく英里佳を落ち着かせるためだけに言った僕のこの言葉


しかし、どうやらこの言葉の何かが彼の癇に障ったようだった。



「――――あ?」



突如相田くんは僕を睨みつけてきた。


そして一歩、二歩と距離を詰めてくる。



「歌丸……お前調子乗ってんじゃねぇのか?」


「……はい?」



彼が僕を見るその眼は、明らかに正常じゃなかった。


それはまるで、迷宮で出会うゴブリンのような、敵対者を見る目


――殺意の目だった。



「てめぇみたいなザコが……何調子乗ってんだって言ってんだよ」


「調子って……いや、別に僕は」


「乗ってんだろうが……謝れよザコ」


「……は?」


「さっきのはてめぇが俺の足にぶつかってきたんだろうが。


謝れっつってんだよザコ」



なんというか……言いがかりも甚だしい。


確かに僕は足元は見ていなかったが、前は見ていた。


彼が僕の前方に出てきた様子はなかったのだから、足がかなり前に出てきた。


普通に歩いていて、そんな足だけを前方に伸ばすような仕草はしない。



「馬鹿じゃないの?」



だから素直に思った気持ちを言ってしまった僕は悪くない。


流石に僕もカチンときたぞ。



「ザコがなにほざいてんだ?」



相田が僕に手を伸ばしてきた。


僕の襟をつかもうとしているのが動きでわかった。



「歌丸くんに触らないで」



しかし、その手は途中で英里佳に弾かれた。



「っ、このアマ!」


「――いい加減にしなさいよ」



拳を握って振りかぶろうとしたとき、詩織さんが相田を睨みつけながらそう声を発する。



「そうッスね。


そっちの方が調子のり過ぎッス」



そしていつの間にか相田の背後を取っていた戒斗が、その手を掴んで振りかぶった状態で動きを止めた。



「な、この――」「謝るのはそっちッスよ」



そして相田が何かしようとしたその時、戒斗はさらにもう一方の手で相田の首を掴む。


首は人体の急所の一つ


そこを掴まれたことで相田は動きを止めてしまう。



「どう見ても連理に先に仕掛けたのはそっちッス。


にもかかわらずザコだのなんだの難癖付けて謝れとか……見てるだけで不快ッス。


連理に謝れッス」



やだ、かっこいい……


普段の三下キャラのギャップで戒斗がとてつもないイケメンに見えてしまう。



「そうよ。


どう見ても悪いのは貴方よ」



久々に聞いた“貴方”発言


どうも親しくない人には逆に丁寧な口調になるみたいだな、詩織さんって。



「っ……うるせぇな、どいつもこいつも……!」



相田の表情が変わった。


その瞬間、僕はなぜかはわからないがとてつもなく嫌な予感がした。


理由も根拠もわからないが、とにかく嫌な予感だけ強く感じられて僕は咄嗟にアドバンスカードに手を伸ばす。


シャチホコたちをこの場に呼び出して、すぐにでも相田を無力化しなければならない。


そんな気がしたのだ。



「よし、それじゃあ日直、ごうれ…………おい、お前ら何してんだ?」



次の授業のためにやってきた先生がまだ席についていない僕たちを見た。



「ちっ……くそがっ!」



強引に間は戒斗の手を振り払う。


戒斗も先生が来たことに気を取られて力が緩んでいたのだろう。


そして相田はそのまま教室を出ていこうとする。



「おい、どこに行く気だ!」


「気分悪いんで早退します」



そういって先生が何か言う前に足早に教室を去っていく相田



「……何があった?」



先生にそう訊ねられて僕たちは互いに顔を見合わせる。



「さっきのが、歌丸くんに喧嘩を売ってきたんです」



英里佳、気に入らないのはわかるけどその言い方はちょっとどうかと……



「……だそうだが、そうなのか?」



確認の意味を込めて、先生は席に座っている生徒たちに訊ねる。


この場にいた全員がそれを見ていたので、誰もが肯定してくれた。



「…………そうか、とりあえず相田のことは後でこちらから担任に話しておくから席に座れ。


それじゃあ授業を開始するぞ」



ひとまず席に戻って通常通りに授業が始まった。



……ザコ、か。



分かってはいたけど、実際に言われると来るものがある。


まぁそれは置いておいても……あんな絡まれ方するとは思わなかった。


僕たちチーム天守閣って一年では歴代……いや、世界最速で迷宮を攻略してるチームだからねたまれたりしてるってのはわかってたけど、あんな直接的に仕掛けられるものだとは思わなかった。


というか……相田ってああいうことをするようなタイプじゃなかったようなきがするんだけど……



それに……なんか最後のあの時感じた嫌な予感……あれは本当になんだったのだろうか?





「くそっ、くそっ、くそっ……!」



相田和也は一人で人気のない路地裏を歩いていた。


授業中であることも無視して学校を飛び出して、彼は西学区のほうまで来ていたのだ。


そしてそこで壁に向けて何度も自分の拳を叩きつける。



感情が制御できない。



頭では理解しているのだ。


自分の行動のほうがどう考えても非があると。


しかし、どうしてか感情がそれでは納得できない。



あのザコ歌丸がヘラヘラと学生生活を送っているという現実になっとくできない自分がいるのだ。



「はぁ……はぁ……!」



心臓がドクドクと熱を送り出し続けてきて、体が熱い。


その熱に思わず相田はネクタイを緩めてシャツのボタンを外す。



「……誰でもいいから……」



その行き場のない熱がどうしようもなく理性を削っていく。



「――ぶっ殺してぇなぁ」



赤くぼんやりと光る瞳で、相田は路地裏から道を行く人の姿を見るのであった。

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