第79話 初心は忘れる。

「なんか大変なことになっちゃったね」



時刻はすでに深夜


この日、当初の予定ではすでにララと接触して地上に戻るはずだったのだが、僕たちはまだ13層のエンペラビットたちの隠れ里にとどまっていた。


その理由というと……



「あれだけの手練れが来たとなれば、向こうも相当本気だろう。


そして歌丸、お前のパートナーであるエンペラビットのナビゲーション能力が分かった以上、ドライアドを保護させないようにお前を始末しようと動く可能性がある。


なら地上に戻らず、ここで多少無理してでもドライアドに接触を図る。


ひとまず一度、迷宮変性ディジェネレイトが起きるまで待機して、改めてドライアド・ララのもとに向かうぞ。


一日程度の変性じゃそう代り映えしないが、トラップを仕掛けられていてもこれで完全には機能しなくなるはずだ」



だいぶ前に説明したと思うが、迷宮は毎日変化しており、それは日付が変わる瞬間に起きる。


これを迷宮変性ディジェネレイトと呼称する。


これのおかげで、迷宮の攻略難易度がとんでもなく高いわけだが、僕の場合はシャチホコたちがいるおかげでほとんど問題にならないのだが……



「まさか迷宮で人間相手に戦わないといけないかもしれないなんて、思いもしなかったッス」


「確かにそうよね…………一応、ベルセルクと遭遇した時のことを想定して対人戦の訓練はしてたけど、どこまで役に立つのか…………英里佳は?」


「私も、流石にアサシンの対処法までは…………姿が見えていればなんとかできるだろうけど……」



この中でもっとも戦闘力のある英里佳ですら不安そうだ。


そりゃそうだ。


あのアサシン、長に指摘されるまで存在そのものに気付けなかったんだ。


そんな相手にどう対処しろというのか……


気付かれることなく背後から攻撃されれば、英里佳であっても殺されていたかもしれない。



「とりあえず先輩戻ってくるまでにカレーを完成させよう」



現在先輩は、迷宮変性の後に行うミーティングに備えて侵入者対策のトラップを隠れ里の出入り口に設置している。


さっきのアサシンの侵入を防ぐためらしい。



「それにしても……迷宮でカレー作りするとは思わなかったッスね」



今回、長丁場になることを想定していた来道先輩はアイテムストレージにキャンプセット一式と食材を人数分揃えていてくれたのだ。


そこで僕たちは飯盒はんごうでご飯を炊いて、石を並べて作ったコンロの上に鍋を置いてそこでコトコトとカレーを煮込む。


ちなみにメイン調理担当は僕である。


一応詩織さんに教えてもらいながらではあるが、結構自分一人でいろいろできたと思う。



「でもこういうの楽しくない?」



僕がそういうと、英里佳も詩織さんも、戒斗もキョトンとした表情をしてから吹き出す。



「ふふっ……歌丸くんは相変わらずだね」


「今に始まったことでもないけど……」


「お前の能天気さには脱帽ッスよ」



そんなにおかしいこと言っただろうか……?


とりあえず少しだけ煮込んだカレーを取り皿にとって味見してみる。



「……うん、まぁまぁ美味いっ」


「感想微妙ッスね」


「詩織さんのカレー食べた後だと、やっぱりね」



やっぱり日曜日の夜に食べたあのカレーには遠く及ばない。


それでも食べられないほどでもない感じだから、そうとしか言いようがない。



「ム……」

「……ま、まぁ当然よね」



英里佳はむっとして、とういか言ってる。詩織さんはカレーのことを言われて満更でもない感じだ。


英里佳も料理を頑張ろうとしているから、やっぱり対抗心が芽生えているのだろうか。



「連理……」


「ん? あ、戒斗も味見する?」


「…………そうッスね、ちょっといただくッス」



なんかもの言いたげに見てきたけど、なんだろうか……そんなに味見がしたかったのかな?



「……うーん……もうちょい辛くてもいいんじゃないッスか?」


「え……辛口のルー入れたよ」


「お好みのガラムマサラあったじゃないッスか、それを少し入れてみるとか」


「ちょっと待ちなさい、素人が下手にいじると大惨事になるわよ。


そんなに辛いのがいいなら、私と紗々芽で調整するからあんたたちは下がってなさい」


「「うっす」」


「あ、それなら私も」


「「それはちょっと勘弁」ッス」


「なんで?!」



僕と戒斗の気持ちは一つだった。


いや、英里佳って味見しないってのはこの間のお弁当でよくわかったし……流石にみんなで食べるものは…………ねぇ?



「そいつらだけで食べるのならいいけど、一応先輩にも出すものなんだし……英里佳は今回は遠慮して」


「紗々芽ちゃん、私もいいよね?」



若干涙目で唯一この場で味方をしてくれるであろう苅澤さんに頼む英里佳


涙目かわいい(確信)


そう思っていたのだが、英里佳の質問に苅澤さんは何も答えない。



「……紗々芽ちゃん?」



何やら様子がおかしい。


そう思って英里佳が再び呼びかけると苅澤さんははっと顔を上げて英里佳の方を見た。



「…………え……あ、ごめん…………なんの話?」


「あの……大丈夫、体調悪いの?」


「別に、そんなことはないけど……」



苅澤さんはそう言いながら視線を逸らす。


明らかに大丈夫には見えないけど……



「えっと……とりあえず苅澤さんはカレーって辛いの平気?


一応作ってみたんだけど、戒斗がもうちょっと辛い方がいいって言ってさ」


「……ごめん、私ちょっと食欲無いから……そっちに任せるね」


「え……あ、そう……じゃあ味付けは詩織さんにしてもらうけど……」


「それでいいよ……私はいらないから」


「いやでもこれからあのアサシンと色々あるみたいだし、多少無理してでも食べたほうがいいって。


ここぞって時に力出ないよ」



「――色々って、何言ってるの……?」



その時、苅澤さんは僕の方を射抜く様な目で見た。


僕を見る彼女の眼は、明らかに強い苛立ちが含まれていた。



「……あの、なんか機嫌悪い?」


「…………良いわけ、ないでしょ」


「えっと……だったら、とりあえずご飯食べようよ?


空腹だと余計にイライラするものだし、少しだけでも食べたほうが」



言葉の途中で、目の前で何かが横切った。


そして次の瞬間、煮込んでいたカレーの鍋が横に倒された。


中身が地面にぶちまけられて、肉も野菜も、煮込んだカレーの具が全部台無しになってしまう。



「あ、ああぁ、カレーが」「なんでそんな、みんな平然としてられるの!!」



乱暴に降りぬいた杖を投げ捨てて、苅澤さんが叫んだ。


普段の温厚な彼女しか知らない僕は、カレーが台無しになったことなど忘れてしまうくらいに、苅澤さんの怒鳴り声にビビった。



「殺人とか、犯罪者とか……そんなわけのわからないものと、これから対立するとか言われて、なんでみんなそんな平気な顔してるの!!」


「さ、紗々芽、ちょっと落ち着いて」

「どうして落ち着いていられるの! おかしいよ! だって、人を殺してるかもしれない犯罪者なんかと、どうして関わらなくちゃいけないの!!」

「え、それは……」



苅澤さんの言葉に、制止しようとしたはずの詩織さんが逆に言葉を途切れた。



「詩織ちゃん、昔だったらこんなの絶対受け入れなかった! だって、おかしいもん!


こんな危険なことする必要、本当に私たちにあるの?


私たち一年生で、本当に数か月前までただの中学生だったのに、なんでこんな危ないことしないといけないの!!」



「だけど、迷宮生物と戦うのだって危ないことじゃないか」



僕がそういうと苅澤さんが涙目になりながら僕を睨む。



「人と、迷宮生物と、戦うこと一緒にしないで!


そんなの、一緒にするの変だよ、おかしいよ!!」



「おかしいって……北学区生徒会は自警団の役割もあったのはわかってたことじゃないか」


「だからなんでそんな簡単に納得できるの!」


「むしろどこに納得できない点があるんだよ」



苅澤さんがなんで怒っているのかわからず、つい口調が荒くなる。


戒斗が「おい、止めとけッス」と僕の袖を引っ張るが、僕は彼女の言っていることに納得できないのでその手を振り払う。



「おかしいよ、人と、殺し合いするかもしれないのに、なんでそんな……そんな平然としてるの、絶対おかしいよ!」


「別に殺すわけじゃない、来道先輩も捕まえるつもりなんだし、殺さなくて済むようにみんなで頑張ろうって話したじゃないか」


「向こうは殺しに来るかもしれないんだよ!」


「それこそ迷宮生物との戦いと変わらないじゃないか!」


「全然違うよ!!」


「だから何が違うんだよ!」


「違うよ、どうしてわからないの!!」


「どこが違うのか言ってくれないとわからないじゃないか!!」



お互いに立ち上がって、言葉をぶつけ合う。


英里佳をはじめ、戒斗や詩織さんまでも唖然として間に入ってこなかった。


その結果、僕と苅澤さんの言い合いに熱が入りだす。



「相手は人間なんだよ! 迷宮生物なんかじゃなくて、同じ人間なんだよ!」


「それが何だって言うんだよ!」


「どうして、人と戦うの、怖いでしょ、どうしてわかってくれないの!!」


「だからって、向こうは金瀬千歳を、いいや、それよりもっと多くの人を殺してるかもしれないような連中じゃないか! そんなの野放しにできるわけないじゃないか!」


「そんなの、私たちがすることじゃないよ、私たちがしなくてもいいことだよ!


歌丸くんは、人と戦いたいっていうの! 意味わかんない、全然、歌丸くんが何考えてるかわかんないよ!!」


「しなくていいとか、意味とかいちいち考えなくてもわかりきってることじゃないか!


僕たちは、正しいことをやろうとしてる! それのどこに迷う必要があるんだよ!!」


「私たちがそんなことする必要ないって言ってるんでしょ!!」


「っ~~、さっきから“たち”“たち”って、君が嫌なだけじゃないか!!!!」



「っ」



止めておけばよかったと、あとで僕は後悔する。


思い返せば、この時の彼女が泣き崩れそうな顔をしていたのだと誰が見てもわかるはずだったのに、熱くなっていた僕はそのまま言葉を吐く。



「わからない、必要ない、意味わからないって、そんなのこっちのセリフだよ!!


生徒会のギルドとしてもそうだけど、相手は悪いことした連中で、僕たちはそれを正そうとしてるんだよ!


なんでそれを嫌がるんだよ!!


君は、人殺した連中がのほほんと暮らしてるのが正しいって言いたいのかよ!!」



「ち、ちが……私は、ただ」


「ただ! なんだよ!!」


「私、は、その……だから……あの」


「自分の言いたいこともわからないのか!


そもそも人と戦うのとかどうとか、そんなのいちいち考える必要があるのかよ!


ただこの場でもっとも正しいことが何なのかわかりきってることなのに、それをしないのは絶対に間違ってる!


だったら、戦わないと駄目なんじゃないの! 違うのかよ!!


戦いたくないとか意味不明に駄々こねてる自分が正しいって、なんで言えるんだよ君は!!!!」



一通り叫んで、僕は息をついた。



「連理、お前言い過ぎッスよ」



低い声音で、戒斗に肩を叩かれた。



「え……」



その言葉で僕は我に返り、普段なら口論などするはずもない苅澤さんにかなり怒鳴りつけてしまったのだとようやく自覚した



「っ……!」


「え、あ、か、苅澤さん!?」



苅澤さんは涙を流しながら、背を向けて走り出す。


一人で森の方へと入っていった彼女を見送り、詩織さんは英里佳に顔を向けた。



「……英里佳、お願い」


「え……私で、いいの?」


「ええ……たぶん、今の私はあの子にとって裏切り者みたいに見えるだろうから……お願い英里佳」


「……うん、わかった」



英里佳は立ち上がり、すぐに苅澤さんの後を追った。


残った僕と戒斗、そして詩織さんの三人はその場でしばし無言の時間が流れる。



「…………あの…………僕、やっぱ……間違えたかな?」



そんな空気に耐えきれず、僕は恐る恐る二人に訊ねた。



「いいえ、間違ってないわよあんたの言葉は。


ただ、ものすっっっっっっっっっっごく無神経だっただけよ」



スゲー溜められた。



「そうッスね。


正論ではあったッスけど、最低で、デリカシーの欠片も存在しない最低なもんだったッス。最低ッス」



三回も言われた。



「えっと…………どの辺が?」


「「はぁ」」



二人そろってため息を吐かれた。


なんだろう、この手の施しようのない残念な子を見る様な目は……



「そう歌丸を責めてやるな。


こっちも、ただ同じパーティだったからって理由だけで深く考えずに苅澤を同行させた落ち度がある」


「あ……来道先輩……見てたんですか?」



苅澤さんが走り去った方向とは別のところから、シャチホコたちや里のエンペラビットたちを引き連れた来道先輩が戻ってきた。


里と13層につながる出入り口へのトラップ設置が終わったようだ。



「ちょうど苅澤がカレーをぶちまけたあたりでな……流石に出るに出られなかった」


「「「あ」」」



来道先輩の言葉で、僕たちは夕飯のカレーが台無しになっていることを思い出した。



「……とりあえず、おにぎりにでもするか。塩しかないけど」


「まぁ……夜食の鉄板ッスよね、塩むすび」



そうは言うが、来道先輩も戒斗も目に見えて落ち込んで見えた。


確かにカレーが出てくるところで塩むすびが来たらテンション下がるよね……


僕も内心ではちょっとショックではあったが、それ以上に先ほどの苅澤さんのことが気になった。



「あの、詩織さん……苅澤さんは、どうしてあんな風に怒ったのか……理由わかる?」


「あんたのさっきの言葉を借りるなら、それこそ考えるまでもないことよ」


「え……」


「私や英里佳、そして戒斗はもうその辺りは克服したから何にも言わないけど……普通怖がるものなのよ、誰かに傷つけられることも、傷つけることも」


「……傷つけることを…………怖がる?」



それはいったいどういうことだろうかと首をかしげると、何故か詩織さんは顔を手で覆った。



「…………まぁ、あんたはその辺りぶっ飛んでるわよね。


そうよね、スキルも不十分な時ですら自分からラプトルに腕食わせるような奴がいちいちそんなことでビビるはずないものね……」


「というか……そもそも僕ってあのアサシンとやり合っても相手にならないから、その辺りは詩織さんたちを頼るつもりだったんだけど……」


「確かにそうよね…………ちなみに、万が一でももしあんたが一人であのアサシンを倒さなきゃって状況になったら、攻撃できる?」


「とりあえず、男である可能性を信じて股間を狙うかな」


「いや、そういうことじゃなくて…………えっと…………………もし、人間相手でも殺さなきゃいけないってとき、あんたは殺せる?」



詩織さんのその質問に、僕は少しばかり考える。



「……………………あ、ああ……そうか、なるほど」


「紗々芽の言いたいこと、少しはわかった?」


「うん、わかった。


……うん、確かに……これは僕が無神経だった」



僕も、初日はシャチホコ殺すことができなくて見逃して、結果的にテイムした。


そのあとゴブリンとか相手にしてなれたが、確かにそうだ。


あの時確かに僕は攻撃されるより、攻撃することに抵抗があった。


僕の場合は普段はあんまり前衛に出て攻撃はしないし、攻撃される場合だって苦痛耐性フェイクストイシズムがあったからあんまり実感がなくなっていた。


しかしそれを思い出してみると確かに苅澤さんの言ったことが理解はできる。



「そりゃそうだよね……しかもそれで人間相手にとか…………あぁ、僕なんて馬鹿なことを……!」


「お前の場合、普段前に出て直接戦わないからその辺の実感も薄かったんッスね。


でも言ってることは正論なわけだから、こっちも注意しづらかったというか……」


「戒斗、こいつたぶん前衛で戦ってても同じこと言ってたわよ。


最近分かったことだけど、こいつ自分が正しいと思ったことは絶対に曲げない筋金入りの頑固者よ」



まぁ、確かに仮に僕が前衛で戦って、人を傷つけることの実感を持ってたとしてもたぶん譲るつもりはなかった。


だって、僕たちがやろうとしていることは絶対に正しいことだし、ララを見捨てるようなことは絶対にしたくないから。



「とはいえ、さっきも言ったが今回の落ち度は俺にもある。


自警団的な役割があるのはお前らもあらかじめ教えていたし、歌丸なら絶対に協力するとわかっていた。


当然お前らも……苅澤も含めて全員が同調するかと思って意思確認を怠った俺の責任だ」



ばつが悪そうにする来道先輩


確かに、正直僕もこんなことになるとは思ってなかった。


苅澤さん、普段からあんまり意思表示とかはせず誰かの意見に賛成するくらいで取り立てて反対することもなかったから……あんな風に、強く主張することを僕も考えていなかった。


だけどその一方で、どうにも僕にはよくわからなかった。


何が正しいのか、分かりきっているはずだ。


ララをあいつらに渡すなんてことは絶対に論外。


ララを保護するためには、あのアサシンとの対立は避けては通れない。


人と戦うことは怖い、というのは今なら納得はできるけど……その怖さは、僕たちが正しいことをやる上で躊躇う理由になりえるのか?





「はぁ……はぁ……はぁ…………」



一人でしばらく森を突き進み、自分が結構走ったのだということを呼吸が苦しくなって紗々芽は実感する。



「紗々芽ちゃん」



そしてそのすぐ後に、後ろから追ってきていた英里佳の声に気付く。


どうやらずっと追ってきていたようだが、走るのに無我夢中で紗々芽はその存在に気が付けなかった。



「英里佳……」


「今一人になるのは危ないよ」



そういわれて、自分たちが今アサシンに狙われている状況であったのを思い出す。


この隠れ里にいないことを確認したうえで入り口にトラップを仕掛けたが、絶対ではない。


英里佳の言う通り、一人で行動するなど自分を狙ってくださいと言っているような愚行だ。



「ごめん……」


「ううん、わかってくれるならいいよ」



そういって、英里佳は近くの木の幹に背を預けた。



「……戻らないの?」


「紗々芽ちゃん、今はまだ戻りたくないかなって。


それとも、すぐに戻る?」



英里佳の問いに、紗々芽は静かに首を横に振って、英里佳とは対面に位置する木の幹に背を預けてしゃがみ込んだ。



「……私、そんなに変なこと言ってたかな?」



先ほどの歌丸との会話で、何も反論できなかった。



――ただこの場でもっとも正しいことが何なのかわかりきってることなのに、それをしないのは絶対に間違ってる!


――だったら、戦わないと駄目なんじゃないの!


――違うのかよ!!



その通りだと、思ってしまった。


彼の言葉は正しかった。そして強い、本気の熱があの言葉の中にこもっていた。


自分とは違う…………嫌なことからただ逃げたいばかりに言葉を取り繕っていた自分では絶対に敵わないと、そう思ってしまった。



「私は、紗々芽ちゃんの言ってることも間違ってないと思うよ」


「え……」



失礼ではあるかもしれないが、紗々芽の中では英里佳は歌丸に対して何でも意見を肯定してしまうような存在だという認識があった。


だから当然、歌丸の意見が正しくて、自分の意見が間違っていると思われると予想してたのだ。



「本当は私も、詩織ちゃんも、日暮くんも…………人と戦うの、凄く怖いんだよ。


手だって……あの人と戦うかもって考えると……こんな風になっちゃうの」



苦笑しながらあげられた英里佳の手は、小刻みに震えていた。


恐怖は、確かにあったのだ。


それはきっとこの場に自分たちを導いてきた来道黒鵜にもあった。



「みんな、本当は全然平気じゃなくて……すごく怖いんだと思うよ。


……あ、歌丸くんは違うかもだけど」



「……だったら、なんで戦おうって、そう思えるの?」



「……私は、歌丸くんがいなくなるのが怖いから。


歌丸くん、こういう時絶対に引かないから、引きたくないって思って無茶すると思うから、そうさせたくないから、私は戦うんだと思う。


だって、今の私にとって歌丸くんがいなくなっちゃう事のほうが怖いから。


たぶん……他の二人も似たような感じだと思う」



詩織も戒斗も、歌丸連理という存在を認めている。


彼がやろうとすることは、きっとあの二人も協力するだろう。



「じゃあ…………なんで歌丸くんは、戦えると思うの?


自分が…………戦わないから?」



口に出して、そんなわけがないなと思う。


寧ろそれを言い出したら、前に出て戦わない自分が駄々をこねるほうがよっぽどおかしいのではないかとすら思えてしまう。



「歌丸くんは頭がおかしいだけだと思うよ」




「……………………ん?」



今、英里佳は何と言ったのか紗々芽はすぐに理解できなかった。



「えっと、そのごめん、ちょっと言い方がおかしかったよね。


その……なんというか、紗々芽ちゃんが今の状況で嫌がってるのって目の前のリスクと、その結果得られるリターンの計算がしっかりできてるからだと思うの」


「う、うん…………だって、犯罪者と対立とかしたら……これからきっともっと危ない目に遇うと思うし……それにやっぱり……人と戦うの、怖いよ」


「うん、みんなも私も、そういうのできてる。


その上で、歌丸君が無茶するっていうことを織り込んだ結果、私は戦おうって判断したの」



英里佳ならば確かにそうだろうと、紗々芽は納得した。


そしてそのうえで改めて考えてみると、戒斗はどうだかは不明だが、きっと正義感の強い詩織ならば苦悶はしても最終的にはこの状況で戦うのを選んでいたのかもしれないなとも考える。



だが……ならば歌丸はどうだ?


英里佳たち三人が即決で人と戦うことを決めさせる要因となった歌丸は、いったいどのような判断基準で戦うことを即決できたのか……



「歌丸くん、たぶんリスクの方は一切考えてないよ」


「……え」


「というか、リスクのこと考える様な人だったら、そもそもあのステータスで北学区に来てないんじゃないかなぁって私は前から思ってた」



身も蓋もない言葉だった。


同時に、紗々芽はものすごく納得できた。


要するに……猪突猛進ちょとつもうしんを体現しているのだ、彼は


リスク計算など一切せず、ただ“正しい”と思った結果その道を突き進むだけで、その先にあるリスクという障害など目に入っていない。


理解できない、というのは自分ではなく歌丸本人だ。


歌丸自身、リスクとかそういうものを理解する気すらなかったのだ。



「それは…………頭がおかしい、かな」


「ね?」



歌丸連理は頭がおかしい。


その一言でこのこんがらがった状況の説明がつく。


ついてしまった。



「だけど、歌丸くんが正しいって思ったことって、みんなが心の中で正しいって思ってることとほとんど一緒だから……みんなそうでありたいって思っちゃうんだと思うよ。


誰だって本当は、正しいことやりたいものだから」



「…………そっか。うん……そうだよね、だから……詩織ちゃんも」



三上詩織は正義感が強い。


幼馴染である紗々芽はそれをよく知っている。


そのうえでしっかりリスクの計算もできていたが、歌丸という存在に感化されやすい性格だったのだと冷静に考えてみると納得もできた。



「そう、だよね…………うん、そうなんだ」



理解できないはずだ。


だって、自分よりもずっと優秀に立ち回っているはずの少年が、その実は頭がおかしいことなど想定するはずがないのだから。


いや、もともと頭はおかしいと思っていたはずなのに、いつの間にか彼が立派に見えてそのことを忘れていたのだろう。


彼は最初からずっと変わってなかった。変わっていたのは自分の認識だったのだと想い知らされた。



「……英里佳、そろそろ戻ってみるよ、私」


「もういいの?」


「うん」



立ち上がって、来た道を戻っていく。


依然として怖いことは変わらないが、断言できる事実が生まれた。



「歌丸くんのことでいちいち頭悩ませるの、なんか馬鹿らしくなってきちゃったもん」


「あ、ははは……」



結局何も解決してないが、このまま悩んだところでいい結果にはならないのも事実。


ならばここからうまく立ち回って、自分にいかに被害が行かないのかを考える方が建設的だと、紗々芽は考えたのだ。


考えたのだが…………こういう言葉があるのは知ってるだろうか?



“攻撃は最大の防御”



万国共通のこの思想は、見方を考えればこうならないだろうか?



“攻撃しなければ、被害が押し寄せてくる”



意図せず一番嫌なリスクを背負う道を突き進んでいることに、彼女自身まだ気付く術などないのであった。

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