第76話 お弁当クライシス
僕たちのクラスは、先日担任である武中先生が言っていたように欠席者が目立つ。
なんでも臨時で行われている他の学区の説明会に出ている人がいるのだとか。
「ひとまず大規模戦闘はお疲れ様と言っておこう。
しかし、学生としてお前たちにはまだまだやらなければならないことがある。
当面は7月の中旬の期末試験、そしてその後、一週間の準備期間をおいて始まる夏季運動会だ」
一応季節的にはまだ春なので、これからどんどん暑くなっていくし、学生としてもどんどん忙しくなっていく。
これらと迷宮攻略を並行で行っていくとは本当に大変そうだが、頑張ろう。
「幸い、迷宮をいじるのは学長にとっても結構負担が大きいらしくてな、しばらくは面倒ごとを仕掛けてきたりはしないはずだ。
だからある程度は安心して勉学にうちこんでくれ」
なんか確定でないところが不穏だな。
「あと、来週中にクラスの人数調整でほかのクラスとこのクラスも合併することになっているわけだが……基本的にこのクラスは過半数は残る予定だから新しくほかのクラスから生徒が追加される形になるから、そのつもりでいてくれ」
クラスメイトが新しくやってくる、か……
なんかあんまり実感がない。
とりあえずだけど……できるかぎりクラスにどんな人がいるのかくらいは気にかけるようにしようかな。
その後始まった通常授業
基本的にはテスト前まで授業の復習だったが、詩織さんに勉強を見てもらったことで以前よりも理解力が上がっている気がした。
ああ、普通に学び、普通に机に座って授業を受ける。
こんな学生として退屈なはずの時間が、今はとてもいとおしい。
しかし、なんとも悲しき諸行無常
「さぁ、お昼よ」
僕が動くよりも早く、詩織さんがその手にかわいらしい弁当箱をもって僕の前に立つ。
一方、僕の後ろから回り込む形で大きめのタッパーを持った英里佳も前に立つ
「が、頑張って作ってきたから」
普通に聞いていたらなんとも嬉しい言葉だが、今朝に苅澤さんの謝罪を受けた後だと不安しか感じない。
普段ならすぐに購買や食堂に向かう生徒たちが、僕たちのほうを見て物珍し気なものを見るようにこちらを見ている。
「さて、それじゃあ先行は詩織さんッスね」
おい戒斗、なんでお前実況みたいにわざわざ席の配置いじってんの?
「私の弁当はこれよ」
僕の机に置いて開かれたお弁当
そこには昨日出た料理を小分けしたものがたくさん置いてあった。
「昨日の祝いの席で出た、連理の好物のカレーの味付けをした料理ッスね。
お弁当でカレーは匂いが漏れるので敬遠されガチッスけど、今回はカレー風に味付けしたものばかりで、それをうまく抑えたようッスね」
「それだけじゃないわよ、二段目を開けてみて」
詩織さんに促され、僕は弁当の二段目、本来なら白飯が詰まっているであろう箱を開けた。
「これは……」
そこに入っていたご飯は見慣れた白ではなく、黄色いご飯で、どことなく香辛料の効いた香りが食欲を刺激する。
「カレー風炒飯よ」
教室内の空気が若干どよめいた。
いや、見物人多すぎぃ
「これは、昨日のメニューにはなかった料理ッスね。
詩織さん、もしや……」
「ええ、連理、昨日のカレーもすごくおいしそうに食べてたから余ったカレーをご飯と一緒にちょっと炒めただけよ」
何でもないように語りながらどことなく自慢げな表情を見せる詩織さん
「昨日と同じメニューって言ってたのに、これは昨日出てなかったはずでしょ」
「あら、嘘は言ってないわよ?
ちゃんと昨日出たカレーを流用してるわ。それにご飯だって出てた。
ただそれを混ぜて炒めただけじゃない。どこにおかしい点があるのかしら?」
「うっ……えと……その……」
何か言おうとしているのだが、なんと言ったらいいのか迷っている英里佳。
「えげつないッス。
そうでなくても連理の好きな料理中心で完成度も高い上に、さらに追い打ちと言わんばかりのグレーゾーンな不意打ち。
流石ッス、汚いッスよ我らがリーダー」
「は?」
「と、とりあえずいただきますっ」
空気が不穏になったので、それを誤魔化すように箸を使っておかずを食べる。
昨日と同じ、カレーの風味が口の中に広がり、素材のうま味も相まって自然と箸が進む。
冷めても美味いとは流石にカレー
「まったく……一応、野菜炒めのほかにサラダも追加したわ。これも昨日のメニューに出ていたものだから文句はないでしょ。
焼きそばのほうは少な目だけど、栄養バランス考えたら炭水化物が多すぎても困るし」
「夕飯の余り物と言いつつ作るところはちゃんと作ってきている細かい気配り。
流石の女子力ッス。そして連理、感想はどうッスか?」
炒飯も半分ほど食べてから、僕は箸を下す。
このあと英里佳の分も食べるからある程度胃を開けておかないとね。
「凄くおいしい。
今まで食べてきたお弁当の中でもかなり上位に入る。
というか、たぶんうちの母親より料理上手い。
毎日でも食べたいくらいだよ」
「っ……ま、まぁ当然よね。
伊達に毎日作ってはいないし」
「サラッとこういうこと言ってのけるからこいつ怖いんッスよねぇ~
そして詩織さんも満更じゃないと」
「な、何の話よ!」
「さーって、次は榎並さんのお弁当ッスね。
では、どうぞ」
僕の前まで来て英里佳が、大きめのタッパーを置いてそしてゆっくりと開いて……
「グ、グリーンカレーです」
まさかのカレーそのものを持ってきたようだ。
開いたタッパーの中には、緑色の……いや、まぁ、なんというか……緑っていうか、黒くね?
黒っぽい緑じゃなくて、緑っぽい黒だよね、これ。
「……英里佳、あの……これは?」
「一生懸命、作ったから」
「いや、そうじゃなくて」
「きっとおいしいから、栄養もちゃんと考えて作ったから」
「う、うん……ところで、ライスとかそういう付け合わせは?」
見たところタッパーの中にはグリーンカレーのルーしか見当たらない。
本来なら一緒にあるはずのご飯、もしくはパンとかライスとかそういうのが見当たらない。
「…………あ」
「「え」」
英里佳のリアクションに、僕と戒斗も声を出してしまう。
これは……つまり、グリーンカレー本体を作ったのはいいけど……他を忘れていたということか?
「ふぅ……それでよく料理ができると言えたものね」
呆れたように語る詩織さんの言葉に、英里佳は若干肩を震わせながら僕を真っ直ぐに見て訴えかける。
「…………で、でも、おいしいし栄養は入ってるから!」
「いや、ルーだけで栄養補えるって逆に怖いんだけど!」
「きっとおいしいから!」
「きっと? え、あの味見は」「じゃあ連理、実食ッスよ」
有無を言わせぬように勧めてくる来る戒斗
周囲の視線も僕に食べるように訴えかける。
「……い、いただきます」
プラスチック製のスプーンが用意されていたので、それで掬って一匙口元まで持ってくる。
匂いは……まぁ、グリーンカレーというだけあって青っぽい匂いがするが、普通のカレーだ。
とりあえず一口――――
「――んごぇ」
口から意図せずそんな声が出た。
猛烈な異物感
理性とは反対に本能がこれを吐き出せと全身に警告が駆け巡る。
しかし、吐くわけにはいかない。
これは英里佳が作った料理であり、何よりこんな衆人環視でまた吐くなど決して認められない。
こんなことで、諦めるわけには……!
「……なんか、今急に“
「え!? ちょ、連理、ペッしろッス! やばいッス、すぐに吐き出すッス!!」
「む、むぐぅ!」
戒斗が揺さぶってくるので慌てて口を両手で抑え込んでどうにか飲み込もうと必死に我慢する。
や、やめろ揺さぶるな。本当に吐く。
「お前変なところで意地張るなッス!
というかクリアスパイダーに追われても余裕だったくせになんでカレーで窮地にたたされてるんッスか!?」
「ぬ、ぐむぅ――ゴクッ」
「あぁ!?」
どうにかこうにか口に含んだ分を飲み込む。
幸い少量だったので、唾液をいっぱいに絡ませてどうにかこうにか飲み込んだ。
「は、ぁ……ぐふぅ、がふっ」
「お、おい大丈夫ッスか! というかどんな味だったんッスか!?」
「あ、あじ……?」
異物感が酷すぎて気にしてる余裕がなかったけど……言われてみれば……
「味が……しない……」
「は?」
「あ、いや……正確に言うと……今、食べて飲み込んだはずなのに、味が……思い出せない」
「何それ怖い」
戒斗が思わず「ッス」を抜かしてしまうほどの真顔でそんなことを言う。
「これは、まさか……!」
「知っているのか
誰だ門脇? あ、クラスメイトか。
「余りにも衝撃に、人は痛みを忘れてしまうという現象がある。
それと同じ、あまりに強烈な味により、味覚が一時的に麻痺してしまったのだろう」
「っ……まさか、それほどまでにあのカレーは……!」
「その通りだ、もはやあれはカレーではない。
――劇物だ!」
クラスメイト門脇の言葉に、見ていた者たちが一斉にどよめいて黒いタッパーから少しばかり距離を取った。
「――はっ」
そしてその中で、一人の少女がその場から動かずうつむいている姿が目に入る。
「………………」
その少女はただ黙ってうつむいていた。
かすかに肩を震わせていたような気がしたが……それは、きっと気のせいじゃない。
「……あ、えっと……歌丸くん、その、ごめんね、変なもの食べさせて」
取り繕ったようなぎこちない笑顔で、カレーの入ったタッパーを手に取る。
「失敗しちゃったみたいで……すぐ捨ててくるから、三上さんのお弁当を食べて」
「――っ」
やめて、なんか罪悪感半端ないっ!
今にも泣き出してしまいそうな顔で笑う英里佳の顔が僕の心に
「待った英里佳!」
「え、あ!」
僕は英里佳の手にあるタッパーを強引に奪い、傾けながらスプーンで一気に中身をかきこむ。
「む、無茶ッス!」
いや、無茶じゃない。
――
普段は抑えているスキルを発動し、こみ上げてくる吐き気を我慢できる程度に抑える。
そうすることで初めてこのカレーの味が理解できた。
辛くて、苦くて、酸っぱくて、渋くて、それでいてどこか魚介っぽい味がして、具の鶏肉の油が見事にしっちゃかめっちゃかに喧嘩している。
そして何より、なんとなく頭に紫色を連想させる謎の風味。
なんだ、これは……これは、いったい、何の味、なん…………!!
「――ぷはぁ!!」
ほぼ空になったタッパーを机に置いて、僕は椅子の背もたれに体重をかける。
「「「おおぉぉぉおぉお!」」」
観戦していたクラスメイトたちの歓声が聞こえる。
……父さん、母さん、妹よ……僕、やりきったよ……
「……何この空気?」
呆れたような詩織さんがつぶやいたが、気にしない。
「……英里佳」
「は、はい」
「……虹色大根、入れたでしょ?」
「「「!」」」
僕の言葉に、多くの生徒が目を剥いた。
虹色大根
流石にこの時期になると、怖いもの見たさに試したことがある生徒がいるらしい。
そうでなくても、あの“青汁グゥレィトゥ”のことを知っている人ならばその脅威がわかるはずだろう。
「えっと……その…………少しだけだったんだけど……」
「なぜ……入れた……?」
自分でも声に力がこもってないことはわかったが、どうしても問いただしたかった。
僕がそう質問すると、英里佳は目を泳がせながら自分の指をいじりながら力ないとぎれとぎれの声で答える。
「あの……栄養を考えたら、ただのグリーンカレーだと、ちょっと足りなくて……本当に、本当にちょっとだけだったんだけど……まずかった?」
「……まずいというか…………怖い」
「それ味の感想じゃないッスよね?」
戒斗の突っ込みを無視して、僕は再びタッパーを見る。
「…………英里佳、とりあえず僕の嫌いなものが一つ分かったから、伝えておくね」
「う、うん」
「虹色大根だけは、マジでもう勘弁」
「……うん」
「だから……次は、それ抜きで作って欲しいかな」
「え……?」
キョトンとした顔をする英里佳に、僕は伝える。
「英里佳が嫌じゃなかったら……その、もう一回作って欲しい。
今回はちょっと僕も嫌いなものとかわかってなかったから……だから、今度はちゃんと……英里佳の料理を食べてみたいんだけど…………ダメ、かな?」
「う、ううん! そんなことない!」
先ほどまで暗かった英里佳の表情が、少しだけ明るくなる。
「今度はちゃんと、歌丸くんがおいしいって言ってくれるようなもの作ってくるから」
笑顔でそう言う英里佳。
よかった……とりあえずこれで英里佳も悲しまないし、虹色大根が弁当で出てくるとはないはず。
「まったく大げさね……虹色大根くらいで何をそんな妙な事言ってるのよ」
今まで呆れた目で見ていた詩織さんが、何を考えたのかタッパーを手に取る。
「紗々芽と一緒に作ってたんでしょ。
だったらそこまでのものになるはずないじゃない」
いや、本人から匙を投げた宣言をされて…………って、何してんの!?
詩織さんは何を考えたのか、タッパーにかすかに残っていた
「あ」「「あ」」「「「あああああああ!」」」
その行為に誰もが叫ぶ。
虹色大根の脅威をただしく認識する者ならば、その行為は自殺に等しい。
というか、僕だって苦痛耐性を使ってもかなり疲弊したのに、そんな生身の人間がそれを食せば……!
「う、そ……!」
ガクッと、詩織さんはその場で膝をついた。
「詩織さん!」
僕は慌てて駆け寄って詩織さんの肩を掴んで名を呼んだ。
意識があるのか、呼吸が正常か、脈拍は!
急いでそれらを確認しようとしたとき、信じられない一言が聞こえてきた。
「おい、しい」
「「「「は?」」」」
みんなの心が一つに。
「なによ、これ…………私のカレーより、ずっとおいしいじゃない……!」
この人はいったい何を言ってるんだ……?
そんなことを考えた時、すぐに僕は一つの答えにたどり着いた。
「――意識が混濁してる! 戒斗、救命課、というか湊先輩に連絡!!」
「了解ッス!」
「やめなさい」「あだだだだだ!!」
アイアンクロー再び!
この感触、この的確な痛みを与えるツボのとらえ方!
「まさか、正常……だとっ!?」
「何を基準に判断してんのよ……というか、戒斗、こんな変なことで忙しい先輩たちに悪戯しない」
「う、ウッス」
「あんたたちも大げさなのよ。
というか、おいしいじゃないこのグリーンカレー」
ドン引き
圧倒的なドン引き
虹色大根が入っているとわかったそのカレーの名を冠する劇物をおいしいと言い切った詩織さんを、みんなが異形の存在を見るような目で見る。
というか、学長を見る目だこれ。
「な、なによ?
これ本当にすごいわよ。虹色大根のおいしさを際立ててる。
今まで食べてきたものの中で一番おいしいカレーよ、本当に」
「――苅澤さん、解説の苅澤さん!!」
「え、あ、はい!」
名前を呼ばれて、人ごみの後ろでちゃっかり普通にお弁当を食べていた苅澤さんが驚いたように反応した。
「詩織さんが虹色大根おいしいっていうんだけど、普段から摂取してたりするの!」
「それは絶対に阻止するよ」
即答だった。
この女、自分の食卓には絶対に出さないものを英里佳の時は見過ごしやがった……!!
「紗々芽ってああ見えてすごい好き嫌い激しいのよ。
虹色大根が入ってる料理は絶対に口にしないし……」
「いやそれ普通」
「なんでよ!」
いやなんでって…………あ、そういえばこの人あの青汁グゥレィトゥを好んで飲む人だった……
「いやだって、美味しいじゃない虹色大根! ねぇ!」
「ねぇ」の時に周囲に同意を求めるように詩織さんが見たが、一斉に全員が目を背けた。
苅澤さんもちゃっかり視線を背けている。
「くっ…………で、でも英里佳はわかるでしょ!」
「え」
「わかるはずよね、だってそうじゃなきゃ虹色大根を料理に使うはずないもの!」
「あ、えっと、三上、さん?」
「詩織でいいわよ。ようやく私と同じように虹色大根のおいしさをわかってくれる人に出会えたんだもの」
今まで見たことがないほどにとびっきりの笑顔を浮かべて英里佳の手を取る詩織さん。
しかし、僕にはわかる。
今、英里佳の顔はものすごく引きつっている。
「あ、その……私は本当に、隠し味程度で入れただけなんだけど……」
「謙遜しなくていいわよ!
あの味、本当にうまく整えられているわ。虹色大根のおいしさを最大限に引き出しているといっても過言じゃないわ!
今度一緒に虹色大根料理を作りましょう」
「え、あの、本当に違くて……あ、あの、歌丸くんっ!」
そんな風に助けを求めるように名前を呼ばれても……
ごめん、流石に今は肉体的にも精神的にもお腹がいっぱいなんだ。
「おっと、そういえば急用を思い出した」
「あ、俺も思い出したッス」
「俺も」「僕も」「私も」「うちも」
全員が即行でその場から離れる。
「……えっと、私も」
「そういえば隠し味入れるようにアドバイスしたの苅澤さんだったんだってねぇ!
それって虹色大根のことだったんだぁ!!」「えぇ!?」
教室から出る直前にしっかりやり返す。これぞ歌丸クオリティ
「紗々芽……!
もう、なんだかんだ言って紗々芽も本当は好きだったのね!」
「あ、や、私は別にそんなこと言って……あ、あの、えっと…………う、歌丸君のバカーーーーーーー!!」
「紗々芽ちゃん、待って、おいていかないで!」
「ちょっと、紗々芽どこ行くの!?」
後ろでいろいろ騒いでいるが、もうそんなの関係ないと僕は走った。
とにかく走った。
「お前も割とSっ気あるッスよね」
ちゃっかり隣を走ってる戒斗が何か言っていたが、僕には全然わからない。
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