苅澤紗々芽は悩んでる。

第71話 つながっているのは手だけじゃなくて

【虚ロナ者ヨ】



――声が聞こえた。


どこかで聞き覚えがある。


いつだったっけ……この声聞いたの?



【汝、道ヲ見極メタカ?】



道? なんのことだろう?



【再ビ問ウ。汝ハ人カ? 否カ?】



人に決まってるじゃないか。


僕は人間だ。



【……哀レナ】



何がだよ。



【自身ガ如何ナル存在カ理解モセズニ人ヲ自称スルカ】



僕が……存在を理解してない?


いったい、何の話をしてるんだ、それは……?



【汝ハ】『おっと、それ以上は野暮ですよ』



「――はっ!?」



今、頭の中にとんでもなく嫌な声が聞こえた。


思わず目を開くと、まず目に入ったのは白い天井と、光沢のある鱗で…………鱗?



「おや、起きましたか歌丸くん?」


「…………」


「あの、無言でナースコールに手を伸ばさないでください」



目が覚めるとそこにはドラゴンがいた。


何を言っているのかわからないと思うが、僕もわかりたくない。



「あー……なんでここにいるんですか、学長」



ここは東学区にある大きな病院だ。


僕は遭難した間の負傷の治療のためにここにいる。


回復魔法はいろんな傷に万能だが、古傷にはその効果が薄い。


だから僕自身知らぬ間に負っていた疲労骨折と内臓の不調を短期間で治療するために薬と栄養を点滴でまとめて投与している状態だったはずだ。


なのに迷宮学園の学長であるドラゴンが今、目の前にいる。


スキルのおかげですぐに頭の中は復旧したが、なんか頭痛がひどい気がする。



「お見舞いですよ。


ほら、高級フルーツの盛り合わせです。


あとで彼女と一緒に食べてください」


「彼女……?」



学長がおそらくにやけているのだろうっぽい、ドラゴンのわかりにくい顔をしながら指さしたほうを見た。


よく見ると、僕のベッドのわきに一人の少女がいて、突っ伏す感じで眠っていた。



「……英里佳?」



そこにいたのは榎並英里佳えなみえりかだった。


彼女は僕や詩織さんと違って入院は必要なかったはずだが……どうしてここにいるんだ?



「君のことが心配で、ずっとここにいたんですよ。


おかげで入るに入れなくてこちらもやきもきしちゃいました」



「…………わかりました、品は受け取りますからもう帰ってください」


「そうしましょう。


病人に無理はさせられませんから」



いつもならもっと粘りそうだが、今日はやけに引き際が早い。


学長が病室を出ていこうとしたその時、僕は先ほどのことを思い出す。



「あ……そうだ、さっき僕になんか話しかけました?」


「おや、聞こえていましたか?」


「やっぱり学長だったんですか、虚ろだとかなんとか」


「いえいえ、は私ではありませんよ」


「…………誰か、ほかにこの病室にいたんですか?」



ここは一人部屋だ。


今見たところ、学長と僕、それに英里佳以外誰もいないはずだが……



「その声はあなた以外には聞こえないものですよ」


「僕、だけ……?」


「歌丸くん、その声については現状君が気にする必要も意味もありません」


「……何か知ってるんですか?」


「知ったところで意味のないものですし、向こうも君に何もできません。


少なくとも今は、ね」


「そういう濁され方すると余計に気になるんですけど」


「では一つだけ」



出ていこうとした学長がこちらを振り向いて、指を一本立てた。



「歌丸くん、君はではありますが特別ではありません」


「は?」


「君は誰かに選ばれたわけでも見出されたわけでもない。


今君がここでこうしているのは正真正銘君自身が勝ち取り、作り上げた力です。


私がそれを保証します。君は特別ではない。


寧ろ君はその対極に位置する、もっとも不憫な少年でした。


ですので、今ここにいることをどうか誇って、これからも励んでください」



貶してるのか褒めているのか、よくわからないそんな言葉を残して学長は今度こそ去っていく。


病室に残ったのは僕と眠っている英里佳の二人だけだった。



「僕は……特別じゃない……」



そんなの、当たり前じゃないか。


僕がヒューマン・ビーイングになれたのだって結局は僕が病弱だからなったというだけの結果に過ぎないわけだし。


不健康な生活を送っていれば、おのずと慣れる不摂生の象徴みたいな職業ジョブだ。


だからそれを特別だなんて僕は思っていない。



そのはずなんだけど…………なんか、ちょっとモヤモヤする。



「はぁ……」



もう一回眠ろうと目を閉じようとした。


その時、妙に左手が温かく感じて何気なくそちらを見た。



「……ありゃ?」



そこで僕はその左手で英里佳と手をつないでいることに気が付いた。


なんか自然な感じで、つないでいるのが当然みたいな感じですぐにわからなかった。


突っ伏して腕を枕にしているため、少しだけめくれた袖から、わずかに傷痕が見えた。


今回の救出作戦で、英里佳の腕に残った矢の痕だ。



「英里佳……ごめんね」



なんとなく、そんな謝罪の言葉を口にした。


そもそも彼女があんなことになったのは、僕が英里佳との特性共有ジョイントを解除したからだ。


そうするべきじゃなかった。


あの時僕は、無理をしてでもポイントを獲得して、特性共有ジョイントの枠を増やしておくべきだったのだ。


英里佳のリスクを軽んじた、僕の失策だ。



「――謝るのは、私のほうだよ」


「え……お、起きてたの?」



英里佳は顔を上げて僕のほうを見た。



「……あのドラゴンが入ってきた瞬間、私も設定しておいた意識覚醒アウェアーが発動したの」


「そうなんだ……よ、よくそのまま寝たふりしてたね」



てっきり一波乱起きるのかと思った。



「歌丸くんが休んでるときに、その……暴れるべきじゃないと思って……すごく嫌だったけど、我慢した」


「……そっか……ありがとう」


「……それで、さっきの声ってなんのこと?」



どうやら僕と学長の会話も聞いていたようだ。



「そっちは正直僕もさっぱり……なんか前にもどっかで聞いた覚えのある声が眠ってるときに聞こえてきて……それで学長の声が聞こえて目が覚めた」


「なんて言ってたの……?」


「僕のことを虚ろな者だとか……それで、僕が人なのかって聞いてきた……よくわからない声だった。


そういうのって、英里佳は経験ある?」


「私は別にそういうのはない、かな…………ほかにそういう事例みたいなのは聞いたことがないかも」


「だよね。普通こんなの聞いてるって人がいたら僕はまず精神科での診断を勧めるし」



まぁ、考えても仕方のないことだし、学長が気にするようなことでもないと言ってたのだからそうしよう。



「それより歌丸くん……本当に、ごめんね」


「え? 何が?」



英里佳は僕の左手を握ったまま、僕の袖をゆっくりとまくり上げる。



「……この傷」


「え……ああ、クリアスパイダーの攻撃の痕だね」



右手にはもともとラプトルリザードに噛まれた傷跡もあったが、今はそこに加えてクリアスパイダーの散弾を受けた跡が両手にある。


僕の腕は少なくとも肘から先は肌がボコボコになっていてちょっと気持ち悪い感じになっていた。


というか、全身には噛み傷も残っているので、もう全身がグロい。我ながらよく生き残れたものだと感心するぞ。



「私……守るって約束したのに、結局歌丸くんを守れなかった」


「そんなことないよ。


僕は英里佳が攻撃を弾いてくれなかったらあの場で何度も死んでいたよ」


「ううん。


前も……その前も……私が……私が歌丸くんの手を引いては走っていれば……遭難だってしなかったもん」


「あ、いや……それを言ったら僕も悪ふざけしたのが悪いのであって……半ば自業自得というか」



いやまぁ、一切得してませんけどね。



「そんなこと、ない…………私、わかってたはずなのに……歌丸くん、凄く無理するって知ってたのに……」


「いやでも、結果的にみんな無事だったわけだし……」



なんだか空気が重い。


ここはもっとお茶らけた感じで場を盛り上げて話をまとめよう。



「ほら、結果オーライってことでめでたしめでたしなわけで――」

「めでたくない! 何にも、めでたくないよ!」



駄目でした。


というか、本当に僕は駄目だ。


泣かせたくないって、そう思ったはずなのに…………英里佳が今、泣いている。


僕のせいで泣いている。



「私は……歌丸くんが傷ついて……それを見た時、凄く嫌だった……!


私の前から、いなくなっちゃうんじゃないかって……怖くて、怖くて……嫌だった……本当に、嫌だった……」



ぎゅっと、彼女の僕の手を握る力が強くなる。



「あの時だって……本当は、凄く止めたかった」


「あの時?」


「歌丸くんが……囮をするって言いだしたとき。


怪我をするかもって、そう思ったのに……止められなかった」


「そこは、僕の自己責任だよ。僕だって負傷は覚悟していた。


英里佳がこの傷のことを気にすることはないよ」


「でも…………私は、止められなくて、守れなくて…………私だけこうして無事で、歌丸くんが大変なの……嫌だよ……そんなの、嫌なの」



僕は本当に馬鹿だ。


僕は英里佳に傷ついて欲しくないと思っていた。


だが、その一方で英里佳も同じ気持ちだったんだ。


英里佳も、僕に傷ついて欲しくなかったんだ。


僕が英里佳のことを想っていたように、英里佳も僕のことを想っていた。


僕は僕自身が傷つくことは平気でも、その結果英里佳が心を痛めているんだって、今になってようやく理解した。



「英里佳」



今度は僕が手を握り返す。


相変わらず握力は英里佳よりも弱いけど、今の僕にできる精一杯でその手を握り返す。


それでも足りない気がしたので、僕は右手も使って英里佳の手を包む。



「僕は弱い。


だから、きっとこの先も傷つくことは避けられない」


「だけど、私は……」



納得は、できない。


そういいたいのだろう。



「うん……でも、僕は嬉しかった。


君はあの時、人を助けたいって言ってくれた」



英里佳はあの時、確かに言ったのだ。


自分を助けてようとしてくれた人たちを助けたいって。



「僕が一番やりたいと思ったことを、君は手伝ってくれた。


それが本当に嬉しかったんだ」



僕はきっと、これからも同じことがあれば同じように動くだろう。



「僕はたぶん何度も傷つくし、怪我するし、今みたいに寝込むかもしれない。


結局のところ僕は強くないから、それはもう仕方ないって受け入れるしかないんだ」


「私は……歌丸くんに、傷ついて欲しくないよ……」


「うん。


僕も英里佳を泣かせたくはないよ」


「だったら」「だから」



僕は英里佳の手を今までより強く握る。



「僕を守って欲しい」



きっと、これ以上に男として最低な告白はないだろう。


それでも僕は、止まりたくないんだ。


自分が傷ついてでも、前に進みたい。


そんな僕を見て涙を流す彼女がいる。


なら、妥協点はこれくらいだろう。



「僕が傷つかないように、僕の隣で、僕を守って欲しい。


僕は弱いから、無理でも無茶でもしないとまともなことできない。


そんな無理を……英里佳に支えてほしい」


「…………」



英里佳の返事を待つ。


断られたら、まぁ仕方ない。


考えうる限り最低な部類に入るこの言葉で、彼女が僕のことを失望するのならそれもまた仕方のない。


結果的に彼女がそれで泣かなくなるのならまた本望だしね。


だから今、僕は答えを待つ。


沈黙が続く。


長い長い沈黙。


実際のところまだ十秒もたっていないのだろうが、僕にはそれが何時間にも感じられた。


自分でも情けないことを言っている自覚があるから、英里佳の顔をまともに見れない。



――ぎゅっと、僕の右手が温かくなった。



視線を下げると、英里佳も両手で僕の手を優しく包んでいた。



「約束する。


私が、今度こそ歌丸くんを守るよ」


「…………いいの?」


「うん」


「……たぶん、僕も英里佳も……すごく傷つくことになるよ」


「うん」


「傷痕とか……いっぱい……残ると思う。


嫌な目に遇うことだって、たくさんある」



「歌丸くん」



名前を呼ばれて、僕は視線を上げて英里佳の顔を見た。


そこには、もう泣いている彼女はいない。


優しく、どこか嬉しそうに微笑んでいる彼女の、僕の好きな表情があった。



「男の子にとって……傷は勲章だって、言ってたよね?」


「うん」


「だったら……私もそうだよ。


歌丸くんを守るために、歌丸くんと一緒につく傷なら……それは私にとってただの傷じゃない。


私が、君と一緒にいたんだっていう、大事な思い出になる」



頬が熱くなっていく感覚がした。


胸の奥から熱が込み上げてきて、鼓動などしないはずの胸が苦しい。



「私は……矛盾してると思う」



「歌丸君に、傷ついて欲しくない」


「もっと自分を大事にしてほしい」


「他人のことなんて放っておいてほしい」


「だけど……人のために頑張る君に憧れた」


「人のために傷つくことを恐れない君がカッコいいと思った」


「自分よりも他人を守りたいって言った君を、守りたいって思った」



彼女の言葉が、胸にじんわりとしみこんでいく。


それが温かい熱となって、全身を巡っていく。



「ただ……一つだけ……心配なことがあるかな」


「……なに?」


「歌丸くんは…………私が傷だらけになっても……その……」



その先を、言わせたくなかった。


言わせる必要性すらないと、断言できた。



「嫌いになんてならない」



手を放し、彼女の肩を掴んで引き寄せる。


僕は真正面から、至近距離で彼女の目を見て断言する。



「僕はこの先なにがあっても、絶対に君のことを嫌いになんてならない。なってやるもんか」


「歌丸くん……」



至近距離で見つめあう。


その時、おもむろに英里佳が目を閉じた。


――どうして?


そんな疑問が頭に浮かぶのに、気付いた時には僕は勝手に体が動く。


そうでなくても近い英里佳との距離を、体を前に出してさらに縮めようとして…………



「――わああああああ!?!?」

「――ひいぃぃいいい!!??」



――バタンッ!!



「「!?」」



病室の入り口から大きな音がして僕も英里佳も咄嗟にお互いの距離を離して入り口のほうを見た。



「いたた……」

「び、びっくりした……」



「……氷川に、湊先輩?」



入り口には、強引に体をねじ込んで扉を開けて体を重ねた状態で倒れている二人の姿があった。



「……何してるんですかいったい?」



そして、その後ろにはなんだか呆れ顔の詩織さんもいた。




「……………あの、三人ともいつからそこに?」


「~~~~~~~~~~~~っ!!!!」



僕がそう質問した瞬間、英里佳が脱兎のごとく窓から飛び出していったのであった。


あの、ここ確か四階…………

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