第40話 君の笑顔

泣きそうな顔をしていた。


レストランから走り去った英里佳の顔を思い出すと、どうにも胸の真ん中あたりがキューっと締め付けられてモヤモヤする。


何か吐き出してしまいたいのに胸のあたりでつっかえているような違和感が、どうにも落ち着かない。



だから、これはエゴだ。



僕はただ自分の不快感を取り除きたいがために彼女を待つ。



彼女のためじゃなく、僕は僕自身のために彼女を待つ。



「……あ」



そしてその時が来た。


ドレスから制服に着替えた英里佳が、エレベーターから出て来て出入り口前で待っている僕の姿に気づいたようだ。


やっぱり着替えは女性の方が時間がかかるというのは本当らしい。



「やあ」


「歌丸くん……どうしたの?」


「迷惑だってわかってるけど、君が心配だったから居ても立ってもいられず先回りしてきた。途中まで一緒に帰ろう」



英里佳は僕の言葉になんだか困ったような顔を見せる。



「あの、でも……ここ、すごく高級で……もう来られないかもしれないし……」


「別にいいさ。そんなことより英里佳のほうがずっと大事だし」



僕は英里佳の方に歩み寄り、その手を取る。



「帰ろっか」


「…………うん」



ゆっくりと、彼女は僕の手を握り返してくれる。


僕はその手を優しく、しかし離さないように握り返して店を出る。


時刻はすでに夜空に月が上がっている。


西学区はかなり賑わう街並みだが、運営のほとんどが学生ということもあり昼の活気があったときとは装いが違ってほとんどの店が閉まっている。


一部に深夜営業の店もあるが、それすらも静かな物だった。


そんな街中を、僕たちは手をつないだまま歩いていく。



「……お父さんは昔、お爺ちゃんの仕事の都合で日本に来たの」


「うん」


「当時の生存率はフランスよりも日本の方が高かったから、こっちの迷宮学園に通うことになって、そこでお母さんと出会ったんだって」


「そうなんだ」



英里佳ってフランス人のハーフなんだなぁって、その赤っぽい茶髪を見た。確かに、なんかヨーロッパっぽい雰囲気がある。



「当時は今みたいに教師とかほとんどいなくて、授業はあのドラゴンが全部取り仕切っていたけど、施設とか食事とか凄く苦労して毎日すごく大変だったってお父さんもお母さんも話してた」


「うん」


「だからお父さんね、当時学生のまま先生の真似事をし始めて、新入生が死なないように必死に学長と交渉したりしたんだって」


「凄く立派だ。その人のおかげで僕もこうしていられるんだね」


「うん。本当に尊敬できるお父さんだった。卒業した後も、迷宮学園に送られる子供たちのために日本で教員免許を取ったの。


お父さんが大学生の時にはもう私は生まれてて、その頃のことは覚えてないけど……大学から戻ってきたらお父さんいつも私と遊んでいてくれてたんだって」


「お、おう」



つまり卒業後すぐですか?


あ、いや、僕のうちも他所のことは言えませんけどね。



「物心ついたころにはお父さんは迷宮学園で教師として活動して、主に迷宮での生存率を上げるための授業に熱心に取り組んでたの。


だからお父さんと会えるのは迷宮学園が長期休暇の時だけで、家にはほとんどいなかった」


「寂しくはなかった?」


「寂しかったよ。だけど、教師ってことでいろいろ融通してもらってて、毎週手紙を出してたの。


今日は何をした。こんな生徒がいた。こういうことが起きた。そんなことを写真と一緒に送ってきて、私もお母さんもそれが毎週楽しみで、返事の手紙を書くのが好きだった」



優しい笑顔でそう語る英里佳。


とてもいい思い出だったのだろう。


だが、その表情は雲っていってしまう。



「小学校に入学する前の冬休みにね、三日間だけお休みをもらったってお父さんが帰ってきたの。


私の実家の青森からこの迷宮学園まで往復で実質一日しかいられないけど、お父さんすごく笑ってて、帰ってきた瞬間に私のこと抱き上げてくれてた。


それで、約束したの。


私の小学校の入学式、絶対に無理してでも見に行くって」



「だけど」と言葉を区切った時、英里佳の手を握る力が少し強くなる。



「――お父さんはそれっきり、二度と帰ってこなかった」



足を止めて、無表情で、夜空を見上げる英里佳。



「手紙も来なくて、何度も送ったけど返事もなくて……それからしばらくして…………お父さんが死んだって通知書と、保険金が家に届いたの」



「私は、入学式にお父さんが来てくれなかったことに拗ねてて、お母さんがどれだけ心配していたのかも考えてなかった」



「通知書を見て……そしてようやく私はお父さんと二度と会えなくなったんだって知ったの」



「そして……お父さんが死んだ原因は……」



ギリッと、英里佳は唇をかんだ。痛いくらいに手を握られるが、僕はそれを何も言わない。



「あいつ……学長なんだね?」


「そう、だよ」



その眼に強い感情を滾らせて地面を睨み付ける。


怒りに震えているのか、泣いているのか今はわからない。



「あいつの、下らない……卒業レイドなんてふざけたイベントで……お父さんは、生徒を守ろうとして、それで……それで……!!」


「英里佳……」


「歌丸くん、私はね」



こちらを向き直る英里佳。


その眼には涙が溜められていて、今にも零れ落ちてしまいそうだ。



「たまに迷宮の中に入っていると、気が狂いそうになるの」


「スキルも使ってないのに、頭の中おかしくなって……その度に歌丸くんのスキルで正気に戻る」


「だって、おかしいでしょ? 私は、迷宮が憎い。ドラゴンを殺したい。お父さんを死なせたこの学園が許せない」


「なのに、なのに私……みんなと一緒に迷宮を攻略していて楽しいって思えてしまう」


「そんな私が、死ぬほど嫌になる」



手が潰れそうなほどに、痛かった。


だけど僕は声をあげなかった。


痛いのは、きっと僕の方じゃないと思ったからだ。



「迷宮が好きだって言う歌丸くんが嫌い」


「うん」


「迷宮を楽しもうとする歌丸くんが嫌い」


「うん」


「ドラゴンに気に入られている歌丸くんが嫌い」


「うん」


「本当は、私……歌丸くんが、大っ嫌い」


「うん」



ダムが決壊したかのように、とめどなく彼女の目から大粒の涙が零れ落ちる。



「そんな歌丸くんに頼らないといけない私が嫌い」


「うん」


「そんな歌丸くんが一緒にいて安心する私が嫌い」


「うん」


「歌丸くんに期待しちゃう私が、大嫌い……大大、大っ嫌い……」



僕は英里佳の手をしっかり握り返す。


今はもう、その手は力がこもってない。


僕が力を抜けば、すぐに離れてしまいそうな手を離さないように、僕はしっかりとその手を握りしめる。



「僕は君が好きだよ」


「君が嫌いだって言う、迷宮が好きだ。この学園が好きだ。学長のことも……きっと、君と同じくらいには嫌いにはなれていないと思う」


「だけど君が好きだ。そして君と出会えたこの学園を、迷宮をもっと好きになった」



僕は彼女に真正面から向き合って、もう片方の手をしっかりと握る。



「君がどれだけ僕のことを嫌ったとしても、僕は君が好きだよ」


「どう、して?」


「君が僕に手を差し伸べてくれた。何もできなかった僕に、君だけが僕に声を掛けてくれた」


「そんなこと……だって、あれは…………ただ、他に……組む人が、いなかった……から」


「うん、わかってる。だけど嬉しかった。


君が違うといっても、他の誰かが否定しても、僕は言うよ。


僕は君に助けられた。そして好きになった。僕自身がそれを認めてる」



泣きじゃくる子供のように、彼女はクシャクシャになった顔で僕を見る。



「なんで……そんなに……歌丸くんは……」


「君が笑ってくれたからだよ」


「笑って……?」


「そう。君の笑顔が好きなんだ。


だから、僕は君を泣かせるやつを許せない」



今、この時から僕のこの迷宮学園での目標が一つ決まった。



「学長を……ドラゴンを倒そう」



それは無謀だと笑われかもしれない。


だけど知ったことじゃない。


今僕は、歌丸連理史上、最大に怒髪天なのだ。



「あいつも言ってたでしょ?


本体を見つけて、それを物理無効の能力で攻撃すれば殺せる」



方法が明確にわかったのなら、後はそこに向かって突き進むだけだ。


それで彼女の涙が止まるなら――



「卒業までに本体を見つけて、物理無効の攻撃手段を確保して、あいつ――ドラゴンを倒す」



それで彼女の笑顔が見れるなら、安すぎてお釣りが返ってくるくらいさ。

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