第15話 負け犬の遠吠え(二次災害)

『絶対に許さないで。必ず復讐を果たしなさい』



一通のしわくちゃな手紙を握りしめる一人の女がいた。


その女は表情はなかったが、今にも大粒の涙を流してしまいそうな、そんな弱さがあるように“彼女”には思えた。


だからなのだろう。


当時、彼女はよくわからないまま頷いてしまった。



『わかった……わたし、ぜったいに……おとうさんの――――』



――GUOOOOOOOOOOOOOO!




「…………っ」



聞こえてきたラプトルリザードの鳴き声に反応し、壁に寄りかかった状態で、榎並英里佳えなみえりかは意識を覚醒させた。


今まで軽く眠っていたのだと気付き、腕に着けた少女の割には武骨な時計を見る。



「……ふぅ……3分くらい寝落ちしてたんだ」



ラプトルリザード四匹に強襲を掛け、自分に注意が向いている間に捕食される直前だった一人の男子生徒が逃げ出した。


結果、英里佳は今まで一人で四匹のラプトルリザードから追走され続けていたのだが、今はようやく姿を隠して一息つけたのだ。


とはいえ、まだ近くに追撃者ラプトルリザードがいる以上、そう落ち着いてもいられない。


どうにか上層へと戻りたいところだが、逃げる途中で完全に迷った。


英里佳はすでに十層まで迷宮の変化パターンを完全に暗記しているが、現在位置がわからなければそれも意味がない。


たとえ地図が手元にあっても、現在地がわからなければ意味がないのと同じだ。



「弾は4発と予備の弾倉が2つ……ナイフは1本に、スタングレネードは1つ……」



彼女が装備している道具の残りを確認し、ため息を吐く。


強襲と逃走でスタングレネードはかなり使い込んでしまった。


せめて残り二つは欲しかったが、無いものはしょうがない。


この場で自分に何ができるのかを考える。



一つは救助を待つことだ。


警報が鳴ったのは英里佳も知っている。


すでに上級生や教員が動いているから、それも一つの手だろう。


しかし、すぐにこれは難しいと英里佳は判断する。


ラプトルリザードは嗅覚が人より敏感だ。


犬のように正確性はなくとも、この場に英里佳がいること自体はラプトルリザードも把握し、このあたりを探し回っている。


故に見つかるのは時間の問題だ。



ならばもう一つは自力で脱出を図ることだが、正直これも難しい。


迷っている状況で迂闊に動き回るのはさらに危険だ。


下手をすると救助が来てくれる可能性は潰えるし、遭難だけで命を失う可能性がある。



「いったい……どうすれば……」



自分の絶望的な状況に英里佳は恐怖を覚え自分の肩を抱く。


とても寒い。


寒さで手足が震え、心が死んでいく。


そんな絶望的で抽象的で決定的な恐怖が英里佳を蝕む。



その時だ――



――カツンッ



「ッ!!」



ほとんど反射的だった。


小石が転がるような音がした。


それもすぐ近くから。


英里佳はほとんど無意識で左手から隠しナイフを取り出し、その方向に攻撃を放とうとし――



「――――え」






死ぬかと思った。


いや、本当に危なかった。


ラプトルの目を掻い潜って英里佳がいるっていうポイントにシャチホコに案内してもらったまでは良かった。


幸いにも、シャチホコは昨日のことで英里佳の声をしっかり覚えていたのだ。


エンぺラビットの知能の高さは本当に驚きだ。


だが、僕が死を予感したのはそこではない。


近くにラプトルがいるのを知っていので声を出さすゆっくり近づいて肩を軽く叩こうと思ったら、突然英里佳がこちらを振り返り、そしてナイフを突きつけてきたのだ。


ナイフは僕の喉スレスレで止まったが、あやうく漏らすところだった。



「う、歌丸……くん?」


「……や、やぁ英里佳。助けに来たよ」



びっくりしすぎて声がすぐに出なかったが、ここは男として余裕をもって微笑む。


昨日までの情けない僕とはおさらばさ!



「ご、ごめんなさい」


「あ、う、うん、だだだだだだいじょじょじょじょじょぶっ」



駄目だった、後から来るタイプの恐怖だった。


とりあえず深呼吸して落ち着こう。



「えっと……あの、歌丸くん、一人なの?」



英里佳は僕の後ろの方を見て、そんなことを尋ねた。



「あ、うん。三上さんたちには止められたんだけど、なんか我慢できなくて来ちゃった」


「来ちゃったって……」


「あ、でも、ちゃんと根拠はあるよ。ほら、僕にはこいつがいるし。


こいつのおかげでラプトルと遭遇することなく安全なルートでここまでこれたんだ」



頭に乗っているシャチホコを指さした。



「シャチホコ……もしかして、ナビしてもらったの?」


「そうそう。


英里佳の言った通り、こいつ迷宮の内部構造をしっかり把握していてさ、英里佳の声を頼りに案内頼んだら見事こうして合流できたってわけ」


「………………」



僕がそう説明すると、なぜか英里佳がとてもびっくりしたような表情をしていた。


まぁ、とりあえずこいつのナビ能力の信憑性が高まったなら帰りも問題なさそうだ。


おかげで僕が囮になってラプトルをひきつけるなんてことせずに済んでよかったよかった。



「まぁそんなわけでさっさとこの場から逃げよう。


シャチホコ、案内できる?」



「きゅぅ……きゅきゅ」



僕の頭から降りたシャチホコが周囲を警戒したように慎重な足取りでその場から歩き出す。



「行こう」

「う、うん」



シャチホコの後を極力音を立てないようについていく僕と英里佳。


時折遠くからラプトルの鳴き声が聞こえてくる。



「歌丸くんは……どうして来てくれたの?」


「どうしてって……そりゃ助けに来るでしょ普通」


「どうして?」



振り返ると、英里佳は本気で困惑した様子で僕の方を見ている顔をしていた。



「私は……君に迷惑しかかけてない。


昨日だって……私の自業自得で……今日だって、歌丸くんがここに来る理由なんてどこにもないんだよ」



なんか、本当に僕がここに来ることなんて夢にも思ってなかった感じのようだ。


いやまぁ、期待されるような立場じゃないことはわかってるんですけどね。



「理由って言われても………………その、僕にとっては英里佳はもう友達だからさ。だから死んでほしくないというか……英里佳が大変だって聞かされてジッとしていられなかったんだ」


「友達……?」


「うん、友達」



英里佳はきょとんとした顔だ。


あ、やっぱり彼女の中では僕って友達認定はされてなかったんだなぁ……


わかってたけど地味に傷つく……



「……私たち、昨日会ったばっかりだよ?」


「駄目、かな? いやまぁ、僕も人に嫌がられる自覚はあるけど……」



ゲロ吐くし、ゲロ吐くし、ゲロ吐くし…………あ、うん、なんか僕昨日に引き続き今日も吐いてばっかりじゃないか?



「そ、そうじゃなくて……だって……私は」「きゅきゅ!」



英里佳の言葉を遮るように、突如シャチホコが慌てたように鳴きだして僕の頭の上に飛び乗った。



「どうし――っ!」



シャチホコに尋ねようとした直後、耳鳴りがした。


これは“聴覚共有”だ。シャチホコが勝手に発動させたようだ。



「GRRRRRR……」



ラプトルの鳴き声がする。


しかし、これはあまり近い場所にいる様子ではない。



「HA、HA、HA、HA、HA!!」



だが、かなり近くからラプトルとは全く生き物の息遣いが聞こえてきた。


そしてその声はかなり近く、そして今なお近づいてきているのが足音で分かった。



「何か、正面から近づいてくる」


「っ――私の後ろに下がって」



英里佳は僕を守るように前に立ってナイフを構えた。


音のデカい拳銃を使えばラプトルをこの場に引き寄せることになるという判断からだろう。


僕も学生証をフリック操作して、アイテムストレージの中に収納していた直槍を手元に出した。


聴覚共有はすでに切ったが、普通の状態の耳でも聞こえてくるほど近い足音が迫ってきた。



「BOW‐WOW!!」



僕らの前で数m離れた位置で止まり、全身の毛を逆立てて威嚇するのは一匹の黒い毛皮の狼だった。



「ブラックハウンド……!」


「え? じゃあコレって今日の討伐対象?」



なんとも嬉しくないタイミングでのブラックハウンドの登場。


なんでこんな時に来るんだよこいつ。


ラプトルだけでも厄介なのに…………と、思ったらよく見るとこのブラックハウンド怪我をしている。


もしかするとラプトルに襲われてそこから逃げてきたのではないだろうか?



「今は戦ってる場合じゃない……だから戦闘は避けるよ」


「それには賛成。どうすればいいの?」


「まず、目を離しちゃダメ。


そのまま下手に刺激しないようにゆっくりと左に動いて」


「う、うん」



英里佳がジリジリと緩慢とした動作で左の壁ににじり寄っていくので、僕もそれを真似して左側に寄っていく。



「GRRR……!」



ブラックハウンドは僕らとは反対に右側の壁に寄っていきながらこちらを見ている。


口から涎を垂らしており、そして血走った眼で僕を見ている。


……あ、やっぱりシャチホコ同様にこの場で一番弱いものに狙いを定めるのが迷宮生物モンスターの習性なんですね。



「……ぅ、く」



僕が狙われていると改めて実感すると、手が震えてきた。


しかし、その手の震えはすぐに止まる。


英里佳が僕の手を握ってくれたのだ。



「大丈夫、歌丸くんは私が守るから」



……やだ、イケメン。


などと内心でボケてしまうが、その言葉に僕は安心感を覚える。


そして互いにゆっくりと動きながら、最終的にお互いに目的方向へと立ち位置が完全に入れ替わる。



「GRR……」



ブラックハウンドは唸り声をあげながらこちらに完全に背を向けた。


そのまま走り出してこの場から去る。


僕も英里佳もそう思って安堵した直後だ。



「WOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOON!!!!」



「え」「な」「きゅ」



突如その場で遠吠えをあげたブラックハウンド。


そしてそのまま一目散にその場から走り出す。



「……今の……もしかして、だけどさ」


「……うん」



あのブラックハウンドは負傷しており、ラプトルから逃げている最中だった。


ともすれば、今の遠吠えの行動の意味は何か……考えるまでもない。



「……走るよ」

「うっす」「きゅっす」



英里佳に手を引かれてその場から全力で走る僕たち。



「GUOOOOOOO!」

「GYAOOOOOOOO!!」



背後から聞こえてきたラプトルの鳴き声に、僕はたまらず叫んだ。



「あの糞犬、ぶっ殺す!!!!」



あの畜生、僕らを囮に使いやがった!!





「はぁ!?」



武中幸人たけなかゆきとは教員という立場も忘れ、三上枝織みかみしおり苅澤紗々芽かりさわささめの報告を受けて大声をあげてしまう。


それによって周囲の待機している生徒や教員の姿勢が集まったことに気づいてすぐに小声で確認する。



「歌丸、本当にまた迷宮に入ったのか?」


「……はい。すいません、止めることができませんでした」



申し訳なさそうに語る三上。


彼女にとっても、歌丸の行動は予想を超えるものであった故に、咄嗟に止められなかったのだ。


そしてなにより……



「歌丸くんが入った直後に……その……信じられないと思うんですけど入り口が消えたんです」



迷宮変性ディジェネレイトか……」



迷宮変性


それは文字通り、迷宮の構造変化が起きる現象のことであり、歌丸が迷宮に入った瞬間に起きたのだ。


本来は小規模なものが毎日午前0時に起きるとされており、月の変わり目に大きな変性が起きる。


極々稀だか、何の前触れもなく迷宮変性が突発的に前倒しになる場合もあるが……今回はどう考えても何者かの意図を感じる。


いや、何者かなどとぼかすことでもない。


迷宮変性を起こせるのは、条件付きの例外を除いてただの一頭のみ。



「学長……いったい何を考えてるんだ?」



奴は生徒に対して興味を持っている。


だが、いくらなんでも歌丸連理うたまるれんりという個人に対して向けられるその関心度合いは他とは違い過ぎる。


優遇してるのかと思えば、彼を窮地の作り上げてしまっている。



「あの、すぐに救助に行きますよね?」



恐る恐るという風に確認してくる苅澤に、武中は苦虫をかみつぶしたような表情で答える。



「……救助隊はすでに準備できているが、一度迷宮変性が起きてしまった以上は遭難による二次災害を防ぐため、もう一度内部の構造の把握が必要だ。

出発は予定より遅れることになる」


「そんな……!」



歌丸は英里佳より遥かに弱い。


そんな彼が本気のラプトルリザードと対面すればどうなるかなど想像に難くない。



「とにかく、救助には全力を注ぐ。


今日のところはお前たちは寮に戻っていろ」



そこまで言って武中は情報をほかの教員と共有するために去っていく。


残された三上と苅澤はその場で立ち尽くす。



「……止められなかった」


「詩織ちゃん……」


「昨日、見てたはずなのに……歌丸が、どれだけ榎並英里佳のために無茶をしたのかわかっていたのに……アイツは助けに動くはずもないって高を括ってた」


「それは、仕方ないよ……私だって、歌丸くんがあの場で動くとは思わなかった」



いやそもそも、動いていいはずがないのだ。


歌丸は本当に何もできない。


そんな奴が動いたところで足を引っ張るだけだ。


なのになぜ、それでも彼は動くのか。


正直、理解ができなかった。



「歌丸くんは……いったい、何を考えてるんだろ……」



弱くて、無力で、それでいて人のことを人一倍心配する彼は良い人であると苅澤紗々芽は認めているが、それでも……



「私……なんか歌丸くんが……」



――怖い。



その言葉は口には出さなかった。


出したら、なんだか今日一緒に行動したことを全部台無しにしてしまうような気がして、言えなかったのだ。


しかし今、この時から歌丸の中にあるを苅澤は感じるようになったのであった。

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