036 普通の一日

 モモンガが思い悩んでいる頃、ペロロンチーノは一般メイド達の点呼をしていた。

 総勢四十一人居る一般メイド達。

「右からどうぞ」

 ファーストからナルまで流れるように女性の声が響く。

 同じ声はほぼ居ない。

 それらも専用の声優が担当していると思われるけれど、圧巻だった。

「歌は無理でも順番に声は発声できるんだよな?」

「おそらくは……」

 感情表現が豊かになってから色々と挑戦しているが出来ない事が多いのに驚く。

 通常であればゲームシステムとは関係なく、様々な事が出来るようになるものだが、どういうわけかゲームの仕様が生きている。

 教えても出来ないのは不器用だからではなく、NPCノン・プレイヤー・キャラクター特有の呪いの様だ。

「言われた言葉はちゃんと言えるのに……」

「暗示にかかった人間のようだ」

「仕様の割りにハラスメント行為は結構許容されているんだよね」

 身体に触れても逃げ出さない。相手が男性だと泣きそうな顔になるけれど。

 女性プレイヤーが確認したところでは裸になってもモザイク処理が自動で付かない。

 そう聞いてペロロンチーノが動こうとするのを姉が身体を張って止める。

「へ~い。タッチダウン」

「……お~う、姉貴~。俺には行かなければならない所が~」

 桃色の粘体スライムに足止めされる鳥人バードマン。それはまさに捕食されかけているかのようだ。

「性に貪欲なのは理解しているけれど、まだちょっと我慢なさいな」

 と、尻尾がたくさん生えている狐人間の餡ころもっちもちがペロロンチーノの頭を撫でる。

「節度を持って行動してくれないと困るんだよね」

「一応さ、この子達とか性奴隷じゃねーから。変な使われ方は……、後々禍根を残すよ。全部、ぶっ壊す破壊神が降臨するかも」

「せ、せめて見せろ~」

「見るだけなら……。それは街の様子とか色々と安定したら……ね。今はモモンガさんを刺激するだけだよ」

「全く困った弟だ。私の裸で我慢しておけ」

 と、ほぼ全裸だけど粘体スライムのぶくぶく茶釜はプルプルと身体を震わせる。

 粘体スライム好きにはたまらないのかもしれないが、ペロロンチーノは人間種の裸が好みだった。

 もちろん、人間に近い女性モンスターも見目麗しい、という条件が付くけれど。

「メイド達は水着までなら許容してやろう」

「ただし、混浴限定。当たり前かもしれないけれど」

「部屋で裸が見たいです」

「……それはまあ、いずれじっくりと観察出来る様になる。このまま冒険が進めば、だが」

 時間はかかっているけれど少しずつ進展はしている。

 問題はペロロンチーノ。と言いたい所だが、このまま冒険する自分達という事もある。

 元の世界に戻れないのだから黙っていても解決するとは思えない。ならば動き続けるしかない。

 男の子なので女に飢える時が来るかもしれない。正直、ぶくぶく茶釜以外は少し身体的に気になりつつある。

 好戦的な異形の種族。その影響を受けないとも限らない。

 ナザリックの中は問題なくとも外の世界の住民と触れ合う場合は色々と危険な事があるかもしれない。もちろん、性的に。

 完全に束縛するのは危険だと思うし、いくらかは発散させる事も必要だと思う。

 その方法はこれから議論していく事になる。


 メンバー達が苦悩している中、ブラック企業に勤めていて身体を壊していた元人間のヘロヘロは自室で悠々自適に暮らしていた。

 側には自らが生み出したNPC『ソリュシャン・イプシロン』が居て、大きな扇子のようなもので微風を送ってくる。

 粘体スライムの身体だが、居心地は悪くなかった。

 戦闘メイドでもあるソリュシャンも粘体スライム種の異形種である。

 普段の姿は人間の金髪ロールのお嬢様風ではあるけれど。

「ヘロヘロ様。何かお食事をお持ちいたしましょうか?」

「ん~? お腹は空かないが……。日がな一日ゴロゴロするのもいいものだ」

 自分は良いとしてもソリュシャンは延々と扇子を動かすばかりの作業ではいずれ退屈を覚えるかもしれない。新たな命令を欲したりする可能性もある。戦闘メイドなので。

 その辺りも考慮しておかないと本当に延々と同じ作業を繰り返させる事になってしまう。

 身体が粘体スライムだからといって、他の粘体スライムと触れ合うと興奮するかと思ったが、そういうことはなかった。

 人間的な感覚のいくつかは失われたような気がした。

 視界は意識すれば狭めることも広げることも出来る。

 痛みもあまり感じない。それは攻撃を受けていないからかもしれないけれど。

 天井まで自由に移動できたり、小さな物体を溶かすことも出来た。

 ゲーム時代の動きはほぼ再現できるところまで判明し、今は休息中。

 基本的に粘体スライムは分裂で増える。男女の区別はあまり意味が無い。

 その分裂はプレイヤーであれば出来ない仕様だが、NPCはどうなっているのか。

 基本の身体に様々な設定を付加したものだから単純なコピーはおそらく出来ない筈だ。出来てしまうとソリュシャンだらけになってもおかしくない。

 転移後の世界では今まで出来なかった事が出来る、事もあるので心配事の一つとなっている。

 ソリュシャン自身も知らない方法があるかもしれない。

 美人に囲まれるのは嫌いではないが、同じ顔がたくさんあるのは怖い。

 様々な変化があってこそだとヘロヘロは思う。

 外野を気にせず、日がな一日を怠惰に過ごす。

 今のところギルドマスターからお呼びがかからない限り、休む事を宣言している。

 精神を集中させていけば意外と擬似的に眠ったような状態になれる。

 ずっとは無理だと分かってはいるけれど。

 本来なら焦る筈だが、そういう感情は他の者と同様に抑制されてしまうらしい。


 戦闘メイド『ユリ・アルファ』の創造者にして女性メンバーの三人のうちの一人『やまいこ』は黙々と巨大図書室アッシュールバニパルの点検をしていた。

 半魔巨人ネフィリムという身体が大きく、顔も醜い種族だが周りが異形種だと気にしても仕方が無い気持ちになる。

 ゲームだからどんな種族を選ぼうと自由だが今は少し後悔している。特に容姿の面で。

 自分の肉体ではないから気にならなかったが、転移後の今は自分の肉体のように扱えるので気になってきた。

 見た目に反して細かい作業は出来るようだし、今のところ行動には問題は無い。

 気になるのは既に数日が経過した現実の事くらいか。

 それぞれのメンバーがそうであるように種族の特性に早くも慣れている自分が居る。

「……現実の自分は今頃……、何をしているのかな」

 そう呟いたところで精神的、肉体的に分離している今は別ものとして活動している。

 それ現実世界を知る事は今の自分にとってどれくらい大事なのか。

 そもそも違う時間軸を生きる事になったのだから『戻る』というのは適切な表現なのか、疑問だった。

 分裂したもう一人の自分と再統合する粘体スライムは互いの記憶を共有しているわけではない筈だ。

 離れた時点で他人となる。違う人生となる。

 それが通説だ。

 本体が今も寝たきりで精神体の自分の帰りを待ち続けているならばまだしも。

 確認しなければ真実かどうか分からない『シュレディンガーの猫』のような状態かもしれない。

 少なくとも自分は生きている。そして、それ以上の事は確認しようがない。

「第二の人生として生きるしか無いのか」

 人間であった自分の人生をすぐさま諦められるほどに強くはないけれど、種族の特性やらアバターの仕様などで精神的には強靭な気がする。だから、自然と納得していくかもしれない。

 この身体アバターこそが『やまいこ』としての『真』である、と。

「別れた方の意識もちゃんと存在して思考していると仮定するならば……。変な気分」

 精神的な繋がりが無いので相手側がどうなっているのか、知る事が出来ない。

 他の者も試している筈だし、無駄なら無駄と諦めるしか無いけれど。

 半魔巨人ネフィリムで一生を過ごすのは耐えられるのか。もちろん他のメンバーも同じだが。

 ゲームと同じ感覚で身体を動かせるのが唯一の救いか。

 見た目は化け物だが。

 やまいこと同様に図書室で本の整理や読書に励んでいる他のメンバーの姿もあり、賑やかな風景が広がっていた。

 魔法を行使する本。傭兵モンスターを召喚する本。一般的な読み物の本。

 そう数は膨大であった。

「……それにしても本ってこんなに溢れるほどあったっけ?」

 文字媒体は容量的に少ないからたくさん置けるけれど、自分が知っている様子とは少し違うような気がした。

 モモンガが追加したとも思えない。

 アバターが身体に馴染んで見方が少し変わったのか。

 なんであれ、全てを読むのに途方も無い時間はかかる気がする。

 巨大図書室アッシュールバニパルで働くアンデッドモンスターは骸骨魔法師スケルトン・メイジ死の大魔法使いエルダーリッチ死の支配者オーバーロードで、黙々と与えられた仕事に従事していた。

 骸骨魔法師スケルトン・メイジは下位種族。名前の通り、魔法を使うアンデッドモンスターだ。

 外見は人間や亜人と様々で背丈は小柄。

 上位の死の大魔法使いエルダーリッチは少し肉がついた腐りかけの死体といった風体をしている。

 更に上位はモモンガと同様に見事な白骨死体なのだがモンスターとしてのレベルは高い。

 高難度のダンジョンに生息している。

 それがここではギルドメンバーに使役される存在となっていた。

 ギルドの拠点ポイントで生み出されるNPCの他に金貨を消費して呼び出す傭兵モンスターも居て、それらも自分達の仲間として扱える。

 ギルド拠点に居る全てのモンスターは今のところ種族の差はあるものの自我があるようで、挨拶などを柔軟にしてくる。

 今のところモンスター達が襲ってくるような事件は報告されていない。

 声をかければちゃんと挨拶を返す。

「……そんなモンスターを倒すとなると……、複雑な気分だわ」

 ナザリック地下大墳墓以外は倒すかもしれないが、友好的なモンスターは躊躇するかもしれないと思った。


 ◆ ● ◆


 階層守護者『シャルティア・ブラッドフォールン』はお供の吸血鬼の花嫁ヴァンパイア・ブライド達と共に第一階層の定期巡回をおこなっていた。

 外部からの侵入について、外で作業しているギルドメンバーの目を盗むような上位者でもないかぎり、いきなり転移で現れることはほぼ無い。

 与えられた仕事だから文句は無いが敵が居ない状況というものは少し退屈を覚える。もちろん不謹慎だとは理解しているけれど。

「第一階層の内部構造は今日も安定しているでありんすね」

「はい」

 平原の中に無理矢理ねじ込まれた『ナザリック地下大墳墓』なので異常事態はすぐに知らせるように言われていた。それはギルドの存亡に関わる重大な案件でもあるので調査をおろそかにはできない。

 各階層は広大で天井も高い。それらの調査は一日で終われば御の字だ。

 最初は目視。

 次に一定距離にシモベを配置して異音の調査。

 現段階ではまだ目視の作業が続いている。

 NPC達が『至高の存在』と呼ぶギルドメンバーが慌しく動いているので命令が錯綜したりしていた。

『シャルティア、今はどこだい?』

 と、脳裏に響くのは自分の創造主『ペロロンチーノ』の声だった。

 姿は無いが姿勢を正すシャルティア。

「はっ。今は第一階層におります」

 シモベの吸血鬼の花嫁ヴァンパイア・ブライド達は通話の邪魔にならないように片膝をつく姿勢を取る。

『守護者はお前だけか?』

「はい」

『自分と同じ存在が現れるかもしれないが……。その時は慌てず、落ち着いて連絡をくれ』

「畏まりました」

『こうして伝言メッセージを送れるのは今のところ本物だけのようだ。敵方のシャルティアには通じないみたいだな。だから、見た目で疑わしければ魔法の使用を許可する』

「はっ」

『会議が長引いているが……。後で一緒に外に出ようか』

「い、一緒でありんすか!?」

『女心の分からない男だと思われたくないんでね。こちらが片付き次第、迎えに行く。それまで調査は継続しておくように』

「か、畏まりました!」

 魔法が解除された後、シャルティアは飛び上がらんばかりに喜んだ。

 自分の創造主と共に行動できるのは何よりのご褒美だという気持ちが湧いて来る。


 小一時間後にペロロンチーノは転移により第二階層に居たシャルティアと合流する。

 姿勢を正す様はゲーム時代に設定した覚えは無いが、他の階層守護者も似たような行動をとると聞いていた。

 それはそれで少し恥ずかしかった。

「お待たせ、シャルティア」

「い、いいえ、滅相もありません」

 自分が作り上げたとはいえ自我を持って行動するのは意外だった。

 設定はあくまで修飾に過ぎない。

 それが顕在化するとは誰も思っていなかった。

 攻撃力ではメンバーすら倒せるほどのレベル100のNPCだ。見た目は小柄だが先鋒を任せられる実力者。

 それでも一般プレイヤーの数に押されて倒された事はあるけれど。

「同じ存在対策としてお前の設定を一部変えようと思う。武装して第十階層に行くぞ」

「りょ、了解しました」

「あくまでの改変だ」

 安心させるように優しく言うとシャルティアは安堵したような顔になった。そうではなかった場合はこちらが不安になるけれど。

 柔軟に変化する表情はつい見惚れてしまう。

 自我を持つなら他のエロゲーキャラも持ち込めたらよかったのに、と思わないでもない。

 武装させたシャルティアと共に第十階層に向かい、モモンガに連絡を入れる。

 ギルドマスターに許可を取らないと不安に思う筈だから。

「報告にあった武装は赤いんですよね?」

『そう聞いてます』

 という言葉の後で玉座の間の出入り口にある大きな扉が開き、姿を見せるギルドマスターのモモンガ。

 ギルド武器を持参し、玉座に座る。

「アルベドが居ないのも珍しいかも」

「部屋に居ますよ」

 言葉からはモモンガはとても落ち着いているように感じた。

 いつもは何か足りないと騒ぎ出すような神経質さがあったが、今は特に気になる気配などは感じない。

 何事も少しずつ変化をつけなければならないとペロロンチーノは思った。

 さっそくコンソールからNPCのデータを呼び出してもらう。

「2Pカラーという概念は無いんでしょうね、きっと」

 こちらが赤なら向こうは青。そういう事であれば区別はし易い。

 都合のいい変化を望んでも現実は残酷だという事か。

「こちらとあちらの武装は同一。保存用として奪われては困りますから対処は必要でしょう」

「はい」

「いきなり襲ってくるモモンガさんだったら殴り倒してきますよ」

「お願いします。自分ひとりでは限界があるようです」

 神経質から弱気になって少し気持ち悪いな、とペロロンチーノは心配になってきた。

 元気付けているので逆効果になっては困る。

 少しずつでも外に出ていたようだから、もう少し様子を見ないといけないのかもしれないが、頑張ってほしいと胸の内で応援しておく。


 シャルティアの外装の改変は大きな事はせず自分が分かれば充分な範囲にとどめておく。

 武装に関してはどうしようもないので、後はキーワードのようなものが必要かどうかを考えておく事にする。

 性格的なものは不安を抱かせるから手はつけないでおくとして、いずれは戦う事になるのかは考えたくない。出来ればそれ戦闘は避けたいところだ。

「敵の規模は未知数……。こちらは近隣の街にも行けていない。分が悪い状況ですが、引きこもっていても不健康です」

「はい」

「偽者が入り込めるならこちらも向こうに入り込める筈ですよね?」

「理屈……ではそうでしょうね」

「しかもナザリックの中の事は誰より熟知している。隠し通せる秘密兵器があるとは思えません」

「……そうですね」

 モモンガが隠している秘密というのは個人的なもので恥ずかしさを覚えるものくらいだ。

 当然、メンバーもそれぞれ何がしかの個人的な所有物があり、他人に見せたくないものもある。

「ギルドの所属を外せるのはGMだけですよね?」

「ナーベラルの情報が正しければ……」

「仮に俺がここに居て、偽者が入り込むとどうなるんでしたっけ?」

「……名前が二つになると……」

「上書きではなく?」

 上書きなら二つになる事は無い。

 二つになるとしてもどちらが侵入者か見分けるのが難しい、という話しではなかったか。

 ここでNPCのデータに記号を追加したとしても相手方も同じ事をしている可能性がある。その場合は結局『いたちごっこ』になってしまう。

 実際に偽者というか相手方のシャルティアを連れて来て確認する必要がある。

 別に他のNPCでも良いんだけれど。

「実際に連れてこないと駄目か……。議論だけして解決できれば苦労はないですよね」

 シャルティアの改変を終えたペロロンチーノは頭を押さえる。

 頭脳戦は賢い人達に任せて異世界ライフを送りたい。それは素直な気持ちだった。

 そもそも争う理由は無いし、ゲーム時代と同様に悪のロールプレイに走るには情報が足りない。

 ゲームだからこその悪とも言えるけれど。それを本物の異世界に来てまで実践する必要があるのか。

「争いのある国があればどうします? 突っ込んで巻き込まれます?」

「……それはたっちさん次第でしょうか」

 もちろん弱い方の味方をする筈だ。さすがに無謀に突っ込んでいくとは思えない。

 どちらが正しきものかは事後にでも調べる。悪の側に就いてもたっちはおそらく反対しない気はする。

 ナザリックにとってメリットになりさえすれば善悪どちらでもいいわけだし。

「お約束ではありますが……。俺達はまだ世界にケンカを売っていません。だからこそケンカを売られる理由は無いですよね?」

「……はい。そうですね」

 モモンガの返事にペロロンチーノは頷く。

「なら、堂々としていればいいんじゃないですか? 悪のロールプレイはあくまでゲームのルールにのっとった楽しみ方の一つだ」

「………」

「やはり心配ですか?」

「そういう気質かもしれません」

 根っからの冴えない主人公の性格というのは中々大変な難物だと思った。

 賢い人間のげんを借りるなら『パラダイムシフト』が必要だと言っているところだ。

 とはいえ、あまりはっちゃけた性格でも困るか。

 急には変わってほしくない。それはきっと自分達の我がままだ。

「……本当に可愛いなモモンガさんは」

「気持ち悪いですよ、ペロロンチーノさん」

 二人だけで会話していては階下のシャルティアが困るかもしれない。一通りのチェックを終えて声をかける。

 他のNPC達も対処が必要になる筈だから、それはモモンガに任せた。

 仕事をしているモモンガの方がよく似合っていると思った。


 ◆ ● ◆


 第五階層で半魔巨人ネフィリムという種族の『武人建御雷ぶじんたけみかずち』は自身が生み出したNPC『コキュートス』と鍛錬を積んでいた。

 ただ単に日課にしていただけだが。

 氷のような透明感のある青白い身体を持つ蟲王ヴァーミン・ロードという昆虫型のモンスターは複数の武器を複数の腕で持って奮っていた。

 顔はアリ蟷螂カマキリに近く、二足歩行で歩く。

 尻尾があり、氷柱つららのような棘が生えている。

 氷で出来た蟲とも言える。

 身長は二メートル半ほどあり、同じくらい武人建御雷も背が高い。

 コキュートスの防具は己の外皮のみだが武人建御雷は甲冑に似た鎧と大太刀おおだちの武器を携帯している

 吹雪きが吹き荒れる第五階層なのだが、二人の視界には一切映っていない。

 それは視界阻害対策が施されているからだ。

 何の対処もしていないプレイヤーにとっては進行しにくい世界である。

「アバターとはいえ自分の身体にしっくりくるな」

「武人建御雷様。本日ノ稽古ハココマデナノデスカ?」

 くぐもった声は無理矢理人間の言葉を発している為で、いで蟲の顎から硬質的な音が響いてきた。

「何でも全力は身体に悪い」

 少しずつ世界に身体を慣らす作業はアスリートとしては基本中の基本。

 一日休めば取り戻すのに三日かはかかると言われている。だが、アバターはあまりそういう現実的な束縛は関係ないかもしれない。けれども日々のクセは甘く見ない。

 いつ何時、何が起きるか分からないものだ。

 敵の侵入は考えていなかったが、同一存在によって少し考えを改めようとは思っている。

 敵方のコキュートスが来ないとも限らない。

「序盤で全力を出す事態は想定していないが……。だらけられるほど甘い世界でもないんだろうな」

 魔導国の事は気になるけれど、他の地域にも行ってみたい願望はあるし、定番のモンスター退治も興味がある。

 どの程度の敵が居るのか。自分の技が通じるのか。それらを知る事は大事だ。


 第六階層で寛いでいた白面金毛九尾ナイン・テイルズの『餡ころもっちもち』はマーレと共に地上に出ていた。

 二足歩行する狐人間。九本のフサフサの尻尾をひるがえし、空を見上げる。

 突き出た鼻に切れ長の目と避けたように広がる口。

 身体は人間的だが体毛に覆われている。

 手足も人間よりは動物に近い造形だ。とはいえ、全裸は恥ずかしいので服は着ている。

 デフォルトだとチャイナ服が似合うようだが、ローブ姿だ。

「……キャラ付けで語尾に『コン』でも付けないと駄目かしら?」

 わざとらしいので自分で却下。

 ゲームの中でなら許される事も現実世界では顔を顰められること受け合いだ。

「しっかし、この大きな尻尾はよく千切れないわね」

 無理矢理九本の尻尾が尻から生えている。それをかなり乱暴に振れば大抵は千切れる筈だ。遠心力か何かでブチブチっと簡単に。

 ゲーム的な仕様の恐ろしさ、ともいえる。

 触ればモフモフ感が味わえるけれど。

「餡ころもっちもち様。遠出をなさる、のですか?」

 ついつい存在を忘れそうになるNPCに気がつき、マーレに顔を向ける。

「散歩。勝手に抜け出すとモモンガさんが心配しちゃうからね」

 行動範囲は人が居ない事が分かっている数キロメートル範囲。それでも結構な広さはあった。

 ゴチャゴチャした都会とは違い、事が凄い。

 大きな建物も無い。

 寂しいけれど嫌な気持ちにはならない。飽きたらなるかもしれないけれど。

「しっかし、遮蔽物がないと目立つもんだね~」

 丘を作っても目立つ気がするし、目立たないようにするには大規模な隠蔽工作が必要になる。

 無難なところで木を植えるのだが、平原に突如として森林が現れれば大抵は驚く。

 人の往来が無ければ特の問題は無いかもしれない。しかし、それはありえるのか。

 村も国も存在が確認された。ならば人もここまで来ていないとおかしい気がする。

 未開拓の土地とも思えない。

「その為の土地購入計画だったわね。きっと高いんでしょうね」

 領土として手に入れるより、借りた方が無難だ。

 そういう問題を解決すれば仲間たちも外で自由に活動が出来てモモンガもきっと安心する。

 霊廟の周りを移動しつつ辺りに目を向ける。

 森林以外は人工物が無く、かなり広範囲に渡って草原が広がっている。

 魔法を打ち込んだらさぞ目立つだろうな、見晴らしがいいから、と。

 さあ、今日から世界を焼くぞー、という明るい雰囲気を出したら面白いかもしれない。当然の如く、モモンガが頭を抱えて悩みだす結果になりそうだけれど。

「〈魔法の矢マジック・アロー〉」

 適当な地面に向けて魔法を放つ。

 側に居たマーレはいきなりの事に驚いたようだが、それは無視しておく。

 地面の一部が吹き飛ぶ。当たり前だが当たり前の事が起きた。

 ゲームでは時間が経過すると自然と地面が修復される。専用のオブジェクトを破壊する事とは違い、大勢がプレイするゲームでは再生成が起きないと不公平が発生するし、世界を削り取るようなことをすればゲームの進行が麻痺してしまう。

 ここが現実世界ならば再生成は起きない。そして、それは当たり前の事だ。

 アルベドの羽根は再生成される。

 魔法に至っては標的を定める目印は現れず、自分の意思で何処にでも当てられる。

 モンスターの集団なら的確に狙う都合のいい方法があるのだが範囲魔法の場合はどうなるのか。

 対象が無意味に広範囲に渡るのか。敵一匹ずつ的確に狙えるのか。

 コンソールを使わない方法は熟練のプレイヤーでなければ難しい。

「明日、あそこが元の平原に戻っているかの実験だ。何もしないように」

「分かりました」

「周りに配慮しろって言われると何も出来なくなるもんだね。派手に戦闘したくなるわ」

 そうだとしてもモンスターを召喚して倒すのは不毛だ。

 現地のモンスターに早く会いたいと思ってしまう。

 住民は安易に攻撃できないけれど凶悪そうな敵が居れば退屈しなくて済むかもしれない。

 そうではない場合、第九階層に引きこもる生活になってしまう。

 街にも行きたい。

 ストレスが溜まればきっと世界を焼く、と思う。

「そういえば、この世界に『四季』はあるのかしら?」

 あればそれは楽しみだ。

 自然豊かな風景を楽しむ上では欠かせない。

 特に人工物ではない本物の季節というものを。


 マーレとは別行動を取っているアウラはぶくぶく茶釜によって改変を試みられていた。

 身体的なことや所属に関してモモンガの監修の下だが。

「耳が無くなる……は無理と……」

「……それは酷いですね」

「首が長くなる、も無理と……」

 色を変えることは出来るが外装の形状までは影響を及ぼせない。ゆえに性転換も無理。

「個人設定のパラメータを直接いじれれば色々と出来そうなのね?」

「専用ツールがあれば……。でも、それは俺には抵抗があります」

「まあ、そうだね。モモンガさんのような紳士はこういう時助かるわ。もし一人だけ残ったらどんなことされるんだろう」

「皆さんのNPCに酷いことはしませんよ」

 性格的に優しいモモンガが変態的な行動はきっと取らない。その辺りは心配していないけれど。

 根拠は無いが、自分のNPCを任せても大丈夫だという確信があった。

「裸くらいは見ても良いし、触ってもいいわね」

 骸骨だし。そうぶくぶく茶釜は思った。

 健全な男子ゆえに何かと発散しなければ鬱屈した感情は溜まる一方だ。

 元の世界に戻れるわけでもない。長い年月を過ごすかもしれない。

 そういう時、大切な事は平常心を保つ事だ。

 アンデッドなので感情は抑制される。だが、心配事が常に溜まるモモンガはずっと何かを気にしている。

 そんな状態で暮らし続ければいつかは爆発する、かもしれない。

「私らが居ない時はどうなってもいいんだけど……。ギルドマスターはどっしりと構えていてほしいわ。それはそれとして……」

 アウラの設定を終えて、コンソールを閉じる。

「ナザリックが消えると困るなら、新たな拠点を作りましょうか? そうすればいきなり無くなっても困らないでしょう?」

「いきなり? いやでも……。急にはいいアイデアは浮かびません」

 荷物を持ち出すとしても膨大な量がある。

 それに各部屋の設定とか捨てるのは勿体ない。

 消えるかもしれないおそれは確かにある。ぶくぶく茶釜の提案はとても魅力的だ。

 だが、願望としては残っていてほしい。

 みんなで作り上げたナザリック地下大墳墓だから。

 ナザリック移転計画は将来的には必要になる。それは何となく理解した。

 無くなってはほしくないけれどグズグズしている内に全てを失う事になっては一大事だ。

 すぐさま他の仲間たちに連絡し、それぞれ下準備や覚悟などを決めておいて貰う。

 その間に現地調査と平行して新たな土地の確保などもしなければならない。

「魔導国側は存続しているんですよね」

「そうだとしても安心は出来ないわ」

 不確定要素が多く、ぶくぶく茶釜以外の誰もが答えに窮する。

「はい」

 本格的に移転するにはまだまだ調べなければならないことがたくさんある。

 外に出て見聞を広め、仲間達の行動範囲を広げる事も立派な目的意識に繋がる。

「ひとまず王都まで進む事にします」

「分かったわ。こっちは……南方を攻めてみようかしら」

 『スレイン法国』という国を避けて進めば砂漠地帯が見えてくる。

 その前に豚鬼オークの集落があるという話しだったのでモンスターの様子を見学するだけでも有意義だ。

「すぐに撤退できるように気をつけてください」

 と、モモンガがあっさりと了承したのでぶくぶく茶釜は驚いた。

 感情エモーションアイコンが出ないので外見的には見分けられないけれど。

「行っていいの!?」

「俺一人なら躊躇するでしょうが……。皆さんはきっと大丈夫だと思います」

「……随分と弱気ね。でも、期待に応えるわよ」

 確かにモモンガ一人ならば北と南に行くのに随分と時間を浪費する筈だ。だが、自分ひとりで世界を解き明かすわけではない。ギルドメンバーが総出で事に当たるのだから自信を持たなければ駄目だ。

 だからこそ、思い切った決断が必要だとモモンガは思った。

 全員が自分のような冴えない主人公という訳ではないし。閉じ込めるのも悪いと思ったから。

 日が経ってきて気持ちが落ち着いたせいもあるかもしれない。

「……砂漠……。茶釜さん。粘体スライムだと蒸発しませんか?」

「フィールドペナルティが発生するとは思えないけど……。留意しとくわ」

 モモンガが心配する理由はすぐに理解出来た。

 ゲームならまだしも現実世界として機能するならば粘体スライムは素で危険ではないか。

 水分補給は大事だし、日射病とかになったら笑われる。特に弟であるペロロンチーノはきっと爆笑する。

「一気に突っ切るわけじゃないし。そこは慎重に進むわ」

 ズリズリと音を立てて階下のアウラの下に向かう。

 至高の存在の会話の邪魔をしたくない、という気持ちが働くのか、どのNPCもピタリと会話を止める。それは何処となくゲーム的だった。

 やはり本物の生物とは違うのか。

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