黒羽の章

第40話 化身

 ただただ広いところ。ここはいつも変わらない。


   これで九度目だ……。


 前回からまだ、二年も経っていない。

 彼を唯一の主とする長椅子との距離は、百メートルから一気に縮まって、三メートルほどになった。椅子の背もたれは前回のときと同様、絶えず変化し続けている。



  中央の人は見守る人。


  まわりは常にうごめいている。


  これは世界の現状。


  急激すぎる変化は破壊を誘発する。


  留まらないから生まれない。


  生まれないから防げない。


  防げないから変化し続ける。


  そして増える。



 前に見たときは気づかなかった。背もたれの中央にいる見守る人は彼に見える。そして、僕のようにも見える。一瞬だが、羽のようなシルエットが浮かび上がり、すぐに消えた。


「いろいろバレたかな」


 背後で声がした。彼の声だ。


   神様が『バレた』って……。


 僕は心の中で思いながら、振り向いた。


「ダメか?」


   いや別にダメってことはないけど……。


 彼には全て伝わっている。

 彼は五メートルほど離れたところに立っていた。横に、彼の背丈の半分ほどもある大きな卵状のものがあった。彼はそれに右手を置いている。色は薄茶色。そう、ちょうど、栄養価の高いニワトリの巨大卵だ。

 僕はこれが何かを知っている。おそらく彼が、この卵の正体を飛ばしてくれたんだと思う。


「やたらファンキーな天使がいてな。口が悪いのはそいつの影響だ。クラブとやらで、DJとやらをしているんだと。おおっぴらに人間と交わるのはいろいろと支障はあるんだが、そいつはいっこうにやめないのだよ」


   天使がディー……ジェイ?


「だから、まどろっこしいから会話をしようって前にも言っただろうが」

「はい」

「別に、天使が人間界で仕事しちゃいけないって決まりはない」

「そうなんですか?」

「仕事するな、なんて俺は飛ばしたか?」

「い、いえ」

「な? したいことがあるならしていいんだ。ダメなことは、最初からしないようにこちらがコントロールしている」

「はあ」

「まあ、そんな天使は今までいなかったしな。まったく、あいつは変わったやつさ」

「はあ」

「だがそのおかげで、都合する金銭は少なくて済むからな。ありがたい」


   え……。


「ところで、さまざま思い出したな」


 彼の口調が変わった。右手は巨大卵に置かれたままで、まるで赤ん坊をあやすように優しく前後に動いている。


「はい」

「猫のことも、関わった人間たちのことも」

「はい。おかげさまで」

「何言ってんだ、お前だよ」


   は?


「鍵を掛けてしまい込んでいたのはお前自身だ。俺は何もしていない」


   「玉」と一緒に取り出していたのでは?


「いや」

「僕がなぜ?」

「俺に訊くな。自分のことだろ」


   はあ……。


「……そうだな。お前というより、人間たちが忘れたいことだったんだろうよ。その気持ちに影響されて、お前も忘れてやったというところだろう。彼らの傷ついた心を」


   傷ついた心……傷ついた猫……。


「お前は真面目すぎるから、真剣に彼らの心を受け取った。忘れたいと思う気持ちもそのまま受け継いだ。その心を浄化するために、猫を創りだした」

「猫を創りだした?」

「とげとげの「玉」が成長せずに消えたのは、猫、つまりお前の化身が、傷つきけがれた彼らの心を浄化していたのだよ。人間は自ら記憶を消すことはできない。よっぽどのことがない限り」


   猫たちが、僕の代わりに浄化を……。


「お前の代わりではなく、お前自身だ」


   あの猫たちは僕自身……。


「お前はこれからどうする? 半世紀、人間世界の移り変わりに、傷ついた人々の心に触れて、お前はこれからどうする」


   どうするって言われても、何のことだかさっぱりわからないですよ、神様……。

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