改章
第34話 喚起
いつだったか、マスターに訊いたことがあった。
「リレーションてどういう意味ですか?」
マスターはカクテルを作る手を止めずに、僕を真っ直ぐ見て答えた。
「つ・な・が・り」
フランスパンの彼女と舌切に出会った街で、八度目の彼からの呼出しを食らった。焼きたてのトーストが、口まであと三センチというところででんぐり返しを二回。彼の意識の中に入って、金平糖みたいな銀色の光から、細い針が刺さったような痛みを額に食らった。彼の目力には少しビビった。
部屋に戻ってくると、これまでの記憶が次々と脳裏に戻ってきた。閉じ込められていたのは傷ついた猫たちと、彼らにまつわる人々との記憶。それ以外は僕の歴史として、問題なく蓄積されていた。
最初に思い出したのは、緑色の瞳をした真っ直ぐ歩けない「三足」だった。夢を持てない少年セイヤとその家族。彼らに会ったのは、六ヶ所目の街だった。
セイヤはどんな青年になっただろう。
次に、下界に降りた最初の町で出会った、紫色の瞳をしたしっぽのない「短尾」。猫を傷つけていた少年とカロウ……いや、カノウ先生。
先生は今もご存命だろうか。
次は四ヶ所目の街で、藍色の瞳をした片方の鼻が詰まった「半鼻」。生き方の違うサユリとミキ。世の中が全部が浮かれていた時代だった。
二人は今の時代を、どう生きているのだろう。
更に五ヶ所目の街で、青色の瞳をした「無種」と、シスターたちに守られていた捨て子のアカネに出会った。無種は「ビスケ」と呼ばれていた。
アカネも二十歳を過ぎている。
最後に、閉じ込められることのなかった記憶。黄色の瞳をした上手に鳴けない「舌切」。脱サラして開いた【リレーション】のマスターと、仕事に煮詰まった小学校教諭のハルカ。
僕はこの店の料理で、煮たり潰したりしたトマトも好きになれた。
ああ、マスターのレッド・イヤーをもう一度飲みたかった……。
二ヶ所目と三ヶ所目の町では、傷ついた猫は現れていない。二つの町ではそれぞれ住んでいた五、六年の間は夢中で気配を集め、たくさんの成長した「玉」を飲み込んでいた。
ただただ広いところにいる彼が、これらの記憶を「玉」と一緒に抜き取ったのか、もしくは僕の中に鍵をかけて閉じ込めていたのかどうかは知らない。あるいは、閉じ込めていたのは僕自身なのかもしれないし。でも彼は、それについては何も飛ばしてくれていない。
どうして今、思い出したのだろう……。
思い出さなくても、記憶として残らなくても、天使としての仕事に支障はない。だけど思い出した。きっと、体の一部を失った猫と出会った人たちを忘れていたこと、彼らを今思い出していることには何か意味があるのだと思う。
次第に「玉」の成長が遅くなったこと、数が少なくなったこと、一つの街にいる期間が延びていること。それらにも関係があるのだと思う。何がどう繋がっているのかは、まだ全然わからないけど。
四匹目の「三足」の街では彼に呼ばれなかった。セイヤのとげとげの「玉」が消えたあと、羽の導くまま「舌切」の街に移動した。移ってすぐ、レンガの道でフランスパンを拾おうとしたときに彼に呼ばれた。それが七度目。そして、朝食をおあずけされた八度目に、僕は彼と会話をした。
僕は、あの日と全く同じメニューをテーブルに並べた。トーストとミルク、サイコロ状に切った冷えたトマト一個分、フライドエッグとベーコン。二千五百カロリーの朝食を平らげると、背中が疼いた。
九年かけてやっと一つ、成長した「玉」を飲み込んだ街との別れだ。羽が飛びたがっていた。八ヶ所目の新しい街へ。
ここはマンションの三十階。今僕は、ライトグリーンのカーテンが掛かった窓から、夜の街を見下ろしている。ここで、新たな出会いの予感が漂っているのを察している。胸騒ぎの原因、悪い予感とともに、この世の現状を悟っている。
そういえば、僕のリストラはどうなったんだろう……。
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