第24話 翻弄

 二週間ほど大学に通うと、サユリに関しての噂の内容がわかってきた。半鼻との情報を摺り合わせると、こういうことだ。

 ファミリーレストランでの話通り、サユリは複数の男子と交際している。交際といっても、真剣な付き合いは一人もない。遊び相手として、その時々で都合良く使っているだけだ。移動手段として、食事代を払う財布として、高価な品物を手に入れるカード代わりとして。高価な品物はすぐさま換金され、怪しげな薬に姿を代える。

 けれど、それを心底信じている者は一人もいなかった。

『サユリに限ってそんなことは絶対にない』

 誰もが、最後には口をそろえてそう言った。

 噂を流したのが誰かまでは突き止められなかったが、おそらくミキなのだろう。深夜の境内での会話から、そう推察できる。

 実際に数日、サユリの行動を探ってみた。友人たちが夜通しディスコなるところで踊り明かしている間、サユリは健全なアルバイトをしていた。夜はレストランでウエイトレス、授業のない日の昼間は書店で働いていた。そのどちらもを、大学の友人が目撃していた。仕事と授業の合間に、噂のような男子との付き合いができるはずがない。

 ミキはなぜ、サユリを陥れるような噂を流したのだろうか。結局、そのもくろみは失敗しているというのに。


 サユリとミキ、二人と同じ高校に通っていたという男子学生が言っていた。当時、ミキが付き合っていた男子を、サユリが奪ったという話があったと。彼の記憶が正しければ、二年の夏休みにそんな噂が流れてきて、同じ時期に、二人の仲がギクシャクし始めたようだったと。もしそれが本当の話なら、今でもミキはそのことでサユリを恨んでいるのではないかと思うと。

 ところが、真相はそうではなかった。真の原因に辿り着くのに、僕よりも半鼻のほうがずっと情報量が多かった。またしても、僕は万能ではないのだと思い知らされた。


 生まれたときから二人は、この街に住んでいる。

 この地域にマンション建設の話が出たとき、当然反対する者も多かった。神社を取り壊す計画まで出て、『公』と『私』の討論は長い期間行われた。最終的には境内を残し、マンションの屋上に鳥居と祠を設置することで話がまとまった。そう簡単に歴史ある聖地を失くすことなんてできないと思うが、法律的なことは僕にはわからない。

 新し物好きのミキの家族は賛成派だった。モデルルームを見学したあと、すぐに購入を決めた。一方、サユリの家はここからは離れていたので抗争には巻き込まれなかった。サユリは父親を早くに亡くし、母親と二人で暮らしていた。一軒家とはいえ築四十年以上の家は、それだけで古びて見えた。サユリは高校生になると母を助け、家計を支えるためにアルバイトを始めた。

 マンション購入を即決できるほど裕福な生活をしてきたミキと、自ら生活費を稼ぐサユリ。二人は高校二年のときに同じクラスになり、ミキのほうが先に声をかけた。お互い一人っ子であるために、姉妹のような親密な仲になった。ミキは甘ったれの妹、サユリはしっかり者の姉の役割を担っていた。フワフワと頼りないミキを、サユリがいつも見守っていた。ミキは強いサユリを慕い、次第に依存していった。

 しかし、その関係は長くは続かなかった。正反対の性格、正反対の生活、正反対の価値観によって、大きな亀裂が入ってしまった。


 二人が高校二年の夏休みの間のことだ。まだ差し迫って大学受験を意識する時期ではないが、生活のことを考えれば浪人はできないと、サユリは当時からアルバイトと勉強を両立させていた。小さい頃から苦労を経験していることで、浮かれた世の中をどこか冷めた目で見ていた。時は常に動いている。諸行無常、栄枯盛衰。浮かれていると、いつか大きなしっぺ返しを喰らうと懸念していたのだろう。

 ミキの父は経営コンサルタント、母は料理研究家とそれぞれ仕事に忙しく、どちらもが娘にまったく干渉しなかった。ミキは充分すぎる額の小遣いと、世の中の流れに従って遊びたい放題だった。日々を、浮かれ気分で過ごしていた。


「サユリ、もっと遊べばいいのに」

「そんな時間ない。これからバイトだし」

 二人は時々喫茶店で落ち合い、限りある時間でおしゃべりを楽しんでいた。しかし、その日は雲行きが怪しかった。

「そんなの、休んじゃえばいいじゃない。私これからディスコ行くの。ねえ、一緒に行こうよ」

「無理よ」

「たまにはいいじゃない」

 ミキの誘いに、サユリは返事をしなかった。

「どうせアルバイトなんだし、一日くらい休んだってどうってことないでしょ。ねえ、サユリの分も私が出すからさ」

 ミキの考え方に憤慨し、サユリは言い返した。

「どうせってどういうこと? アルバイトだろうが正社員だろうが、仕事は仕事。直前になって休むだなんて非常識なことできるわけないでしょ。それに、お金がないから遊ばないんじゃないから」

 感情的に声を荒げるサユリに、ミキは固まってしまった。

 その日を境に、二人の間がギクシャクし始めた。

 地に足がついていない流されるままのミキに、サユリは自分の考えを押しつけるようになった。もっとしっかり将来を考えるように、お金は大切なものだから無駄遣いを控えるようにと諭した。愛情という名の下に。自ら愛情をもって近づき依存したのだったが、そんなサユリをミキは疎ましく思うようになった。そしてあっさりと友情を裏切り、付き合っていた男子を奪われたという在らぬ噂を立てたのだった。


 そんないきさつがあったにもかかわらず、二人の付き合いは大学生になった今も続いている。ここでもサユリは、身に覚えのない噂を流されている。

 理解しがたい二人の真意までは、とうとう突き止められなかった。五度目の彼からの呼出しがあり、そのあとすぐに、僕は次の街へ移動したからだ。同時に二人のことも、半鼻のことも、記憶から消えてしまった。



 多くの人が好景気と華やかな時代に翻弄され、それが永遠に続くと勘違いした時代。大切なものを代償に、豊かな生活を手に入れた時代。半鼻のように片方の臭覚を失い、熟した甘い香りと、腐敗の悪臭を嗅ぎ分けられなかった時代。


   今このとき、二人はどう生きているだろう……。


 先を見越して流されず、将来を考えて堅実に生きたサユリは、幸せを手に入れただろうか。自由気ままに浮かれていたミキは、大きなしっぺ返しを喰らっただろうか。

 人生にはほんの小さなきっかけで、思いもよらないことが起こる可能性が潜んでいる。サユリは変わらず苦境に晒されているかもしれない。ミキは理想通りの男性と出会い、円満退社で明るい家庭を築いているかもしれない。


 あれから二十年。それを確かめる術は、僕にはない。

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