第23話 境内

 部屋のほとんどを占める街の模型は、僕の住んでいる部屋を中心に正確な縮尺でできている。半鼻が示したとげとげの「玉」は、その中の西側の端っこにできていた。

 真反対の東側の端っこに、彼女たちが通う大学があった。家からの通学が困難な者は大学の近くにある寮や、契約しているアパートに住んでいる。とげとげの「玉」のできた辺りからは、電車で通うことになるだろう。わざわざ家賃だけでなく、電車賃までかかる場所に部屋を借りるのは考えにくい。ということは、ここがとげとげの「玉」の主の自宅だということになる。

 その辺りに一軒家はなかった。マンション群に隠されるように、小さな神社があるだけだった。好景気に流されて、次々に建ったマンションのどこかの一室に、「玉」の主がいるのだろう。


 マスコミの煽りもあり、人々は古い家を引き払ったり土地を売ったりして手放した。こぞっておしゃれな高級マンションに移り住んでいった。新築を数年で引っ越し、常に真新しい部屋で快適な生活を手に入れた者もいただろう。大人も子供も若者も、のちに大きなしっぺ返しを受けることなど思いもせずに……。

 街はますます眠らなくなった。夜の巡回で翔ぶときは、かなりの高度まで上がることを強いられた。さすがに、実際の街の端から端までは歩けない。

 街の南側には大きな繁華街があった。大学生たちの遊びや、ファミリーレストランの彼女たちが言っていた合コンなどは、ここらで行われるのだろう。僕は、ギラギラと輝く街を見下ろしていた。


 ミャッ。


 猫の鳴き声が聞こえた。正確に言えば、猫が鳴いていると感じただが。半鼻の声だった。姿は確認できなくても、場所は羽が知っている。外壁がレンガ色の高層マンション、そのエントランスの前に半鼻がいる。

 これだけ建物が密集していると、窓から住人に見られてしまう可能性がある。僕は直接地面に降りず、マンションの屋上を目指した。

 屋上は一メートルほどの高さの柵で囲われていた。中央辺りに水を溜めておくタンクと、頑丈そうな鉄の扉があった。夏の花火大会では、ここで住人たちが宴会をするのだろう。夜空を彩る大輪の花を、ここではパノラマで愛でられる。さぞ綺麗だろうと想像した。

 僕は階下に降りるため、扉を開けた。普通なら鍵がかかっているはずだ。管理人がタイミングよく忘れたとも思えない。無論、これは彼の都合。階段を下り、半鼻のいるエントランスへと急いだ。階段では誰一人すれ違わなかった。四階あたりだろうか、一度だけ足が止まった。


 エントランスの前で、半鼻はきちんと座って待っていた。


 ミャッ。 「ご苦労様」


 半鼻は小首をかしげて、僕を労ってくれた。


「四階かい?」


 ミャッ。 「そう」


   やっぱり……。


 ミャッ。 「こっち」


 半鼻が歩き出した。どこへ行くのか尋ねると、神社だと答えてくれた。そういえば、屋上の隅にも小さな鳥居と祠があった。もしかしたら、この場所は古くは神社の敷地だったのかもと思った。地域は他に人寄せの手段はなく、開発の煽りを受けてしかたなく、マンション建設に切り売りしたのかもしれない。残された神社は今では短い参道と境内だけで、ひっそりと時代の移り変わりを見つめているというところか。

 どのマンションも完成前に買い手が決まり、完成するとあちこちから新しい住人が移ってきた。四階の彼女の家族はもともとこの辺りに住んでいたが、新しい物好きの両親はマンション暮らしを喜んだ。そう、半鼻が教えてくれた。

 三人のうちの誰だろう。サユリ、ミキ、あるいは濃いめの化粧の子。彼女の名は一度も会話に出てこなかった。ファミリーレストランでの雰囲気からすれば、サユリである気がする。


 境内に人気ひとけはなかった。神主は敷地内に住んでいないようだが、植木の手入れは良くしてあって、歴史のある神社への愛情と崇敬すうけいの念が見て取れた。


 ミャッ。


 半鼻が警戒を知らせた。

 人が来る。深夜二時になろうとするこんな時間に、誰だ。僕らは拝殿の裏に隠れ、気配を消した。

 現れたのはミキだった。その後ろから、サユリがついてきていた。

「ミキ、もうやめなよ」

 攻め立てるでなく、穏やかな口調でサユリが言った。

「何をよ」

 ミキのほうは荒々しい。サユリに背を向けたまま顔を見ようともしない。機嫌が悪いのが、ぶっきらぼうな口調と態度でわかった。

「あの噂流したのミキでしょ?」

「だったら何?」

「全部自分のことじゃない」

「だから?」

「もうやめなよ。いつか後悔するよ」

「あんたには関係ないでしょ、ほっといて」

 ミキはそう言い捨て、最後までサユリと目を合わさずに帰っていった。

「きっといつか後悔するよ……」

 残されたサユリはもう一度同じ言葉を呟き、帰っていった。


 二人の会話から、とげとげの「玉」の主はミキだとわかった。ミキはどんな噂を流したのだろう。自分のしていることをサユリの仕業として、何を後悔するというのだろうか。

 僕は半鼻と約束した。ミキがどんなヤバイことをしているのかを知るために、明日から彼女たちの通う大学へ行ってみようと。


 社会の変化とともに、僕は容姿を気にする必要がなくなっていった。若者だらけの大学内を歩いていても、好奇な目を向けられることは一切なかった。時おり別の国の言語で話しかけられたが、支障なく会話ができた。そんなときは決まって、彼の都合に感謝した。大学内の学食で、安くてボリュームのある食事ができたことにも。味に関して、一切彼に責任はないのだから。

 講義にも紛れ込んだ。歴史と経済の授業を何度か傍聴したが、僕にはどちらも不要だと思った。半鼻も自分のテリトリーを離れ、大学内にねぐらを見つけていた。右の鼻を不気味に思われてちょっかいを出されたり、追い回されることもなく、自由に移動しているようだった。

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