第20話 謝罪

 うららかな春の陽射しが沈んだ頃、しめやかに通夜が行われた。弔問客は数えるほどで、玄関に置かれた提灯のあかりは、早々に消されてしまった。少年の家だった。

 垣根のすき間から見た遺影の顔は、以前見た赤鬼のような形相とはまったくの別人だった。ずっと若く、にこやかな優しい人物に見えた。その写真が撮られたとき、少年はよちよち歩きくらいか。その頃はきっと、小さな我が子を愛おしんでいたであろうに。


 ニャーゴ。 「こっち」


 短尾に呼ばれた。僕は家から離れる短尾についていった。


「あの子のお父さん、亡くなったんだね」


 ニャーゴ。 「交通事故」


「そう、事故……」


 ニャーゴ。 「酔っぱらって」


「そう、酔っぱらって……」


 ニャーゴ。 「近くにいた」


「誰が?」


 ニャーゴ。 「あの子」


「まさか……」


 ニャーゴ。 「偶然」


「そうか……」


 僕は、この世にある最も悲しい偶然だと思った。


 その後、カノウ先生の仕事はかなり楽になった。もう、『カロウ先生』と呼ばれることはないだろう。警察はというと、最後まで有力な情報を得られなかった。

 僕は少年のことをカノウ先生にも警察にも話さなかった。僕はそうする立場にないから。現実には存在しているが、人ではないから。そもそも少年の犯行だという証拠がない。

 やがて張り紙は全て剥がされ、傷ついた猫の事件は風化していった。



 ふと思い立ち、カノウ動物病院へ行ってみた。先生と話をしたいと思ったわけではなかったが、自然と足が向いた。

 病院には先客がいた。その先客は出てきたわけではなく、かといって入る様子でもなく、動物も連れていなかった。ただただじっと、入り口を見つめているだけだった。とても押しのけて中へ入れる雰囲気ではないし、したくない。離れたところから、様子を見ることにした。


 先客はあの少年だった。少年は左手を胸まで上げると、すぐに下ろした。少ししてまた上げると、またすぐに下ろした。右手には、何か白い物を持っている。

 同じ動作を何度か繰り返したあと、少年は小さく深呼吸をすると、意を決したかのように白い物を戸のすき間に挟み込んだ。そしてすぐさま、僕のいるのとは逆の方向に駆け出した。

 白い物はおそらく手紙だ。

 特に確かめる必要もないのだが、僕はもう少しだけ病院に近づいた。


 立ち去る人影に気づいてか、初めて僕を見たとき目を白黒させた女性が中から戸を開けた。ひらひらと落ちた白い物を拾い上げ、半分に折られたそれを開いた。女性もすぐさま中へ引き返し、大きな声で言った。

「先生、たいへん」

 足元のゴミ箱にでもつまずいたのか、カシャンと軽い音がした。戸の鐘もカランコロンと小さく鳴っていた。



 僕は来た道を戻った。もうカノウ先生に会う必要はなくなったから。


 ニャーゴ。


 背後で猫が鳴いた。振り向くと、短尾だった。


「やあ。来てたのか」


 ニャーゴ。 「来てた」


 短尾が教えてくれた。少年の手紙には、カノウ先生に宛てて謝罪の言葉が書かれていたと。それから、『もう二度としない』とも。

 短尾は僕を追い越して、道端の茂みへ入っていこうとした。僕はその背中に問いかけた。


「そのしっぽ、あの子にやられたの?」


 短尾は立ち止まって振り向き、紫色の瞳を一瞬輝かせた。


 ニャーゴ。 「忘れた」


 三度目に、短尾はやっと答えてくれた。

 その日、模型の中のとげとげの「玉」は消滅した。

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