第16話 立聞

 短尾の言葉が気になった僕は、そのあとしばらく町の北側を中心に巡回することにした。縮尺模型の四分の一、一畳とちょっとの広さとはいえ、実際の町ではかなりの距離がある。夜に翔ぶのはどうってことはないが、日中歩いて巡回するにはあまりにも広すぎる。

 それに、この容姿は町に馴染まない。何処へ行っても居心地の悪さがあった。仕事だから仕方がないことだが。


 北側のほぼ中心に位置する、ある団地をまわっていたときのことだ。そろそろ小学生たちが帰ってくる頃かという、夕方前の時間だった。近くにあるスーパーで買い物を済ませた四人の主婦たちが、団地の敷地の入り口付近で自転車を止めて立ち話をしていた。

「カロウ先生、また奮闘したらしいわよ」

 大量の食材を買い込んだ一人が言った。袋の中身はお菓子や肉が主だから、きっと子供の多いお母さんだ。

「カロウ先生って誰?」

 安売りの洗剤を二箱、自転車の荷台にくくったもう一人が訊いた。

「ほら、カノウ動物病院よ」

 すかさずもう一人が答えた。この家はやけに野菜が多い。袋から大根の葉が飛び出していた。

「こんなペット禁止の団地のそばじゃ、商売にならないって言われてる?」

「そう。野良を拾っては治療やら飼い主探しやらで、本当にお金にならないらしいわよ」

「いつか過労で倒れちゃうって。だから、カロウ先生」

「その先生が奮闘って?」

 最後の一人が訊いた。紺色の洒落たワンピース姿で、仕事の途中のようだ。

「最近、憐れな姿で見つかる野良猫が増えてるんですって」

 最初の子沢山の主婦が言った。

「私見たことあるわ。車の交通量が増えて、はねられる猫が結構いるみたい」

「そう言えば私も。処理してる保健所の車を見たことある」

「この辺りはまだ空き地が多いから、野良の縄張りになってるみたいだものね」

 三人がそれぞれ発言した。

「それもあるだろうけど、カロウ先生が看るのは違うのよ」

 一回りして、子沢山の主婦がいきさつを話し始めた。


 団地の入り口のわきに右に折れる道があった。細い道は垣根で覆われていて、会話に夢中になっている四人に気付かれずにその道へ入れそうだ。僕はできるだけ気配を消して、彼女たちの手前で角を曲がった。垣根に背を向け、葉の間から流れてくる話を立ち聞きした。

 幸いその道の人通りは少なく、不審に思われることはなかった。しかも彼女たちは最後まで話に夢中で、目立つ僕は視界に入らずに済んだようだ。

 茶髪で白い肌、白い服装は当時の町には当然馴染まず、昼間の巡回は常に気を張っていた。今ならそんな容姿は特別ではない。携帯電話でも持っていたら、それをいじりながら誰かと待ち合わせをしている風を装える。けれど、あの頃はそんなわけにはいかなかった。携帯電話なんて、物語の中だけの話だった。ま、今でも携帯やスマホなど、僕には縁のないものだが。それでも最近は、ダミーを持ち歩こうかと考えている。


   ああ、あれも彼の都合だったのかも……。


 話はこういうことだった。

 団地に住む子供たちは、この団地がペット飼育禁止のために、しばしば野良猫を相手に遊んでいる。大人たちはえさを与えると敷地に居着くことと、衛生面に関して懸念を抱いたが、やめさせることはできないでいた。

 この半年ほどで子供たちが、傷ついた猫を立て続けにカノウ動物病院へ連れていったという。ハサミかナイフのようなもので故意に傷つけられた猫を、カロウ先生はもう何匹も治療しているらしい。

 事情を理解した先生は、子供たちから治療費を取らずに猫たちの面倒を見ている。出費がかさんで経営に支障をきたさないよう、遠くまで車で往診をしたり、真夜中の治療まで請け負っている。明らかな働き過ぎで、次第に『カロウ先生』と呼ばれるようになったのだ。

 傷ついた猫のほとんどが治療の甲斐なく、星となった。中には快復するものもいるが、もともとが野良であることと人に傷つけられたことで、飼い猫にするには困難であった。そういう場合は保健所に連絡するしかない。比較的若い猫であれば運良く飼い主が見つかり引き取られるが、悲しいかな、ほとんどがそうはならないのだ。


 そろそろ子供たちが帰ってくる頃だと、そこで話が終わった。

 短尾もその中の一匹なのだろうか。僕の部屋へためらいもなく入って来るくらいだから、誰かに飼われているのだろうか。

 話を聞きながら、頭の中は短尾のことでいっぱいだった。僕はその足でカロウ……いや、カノウ動物病院へ向かった。

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