変章

第10話 棘玉

 小さな爆発の原因が何かを確かめるため、僕は夕飯を一旦やめた。降り続く六月の雨が、夕方過ぎにやっとあがった夜だった。椅子から立ち上がり、部屋のほどんどを占めている縮尺模型をのぞき込んだ。

 一見して何かが壊れたり、無くなったりはしていなかった。一通り見回したが、特に変わったところはないようだった。だけど不思議だ。カメラのフラッシュの何倍もの明るさの閃光が、部屋全体を一瞬真っ白にしたのは確かなのに。あれが、気のせいのはずがない。


 ライトグリーンのカーテンが掛けられたこのときの部屋では、壁のほうを向いて左手に模型の部屋が来るように食卓の位置を決めていた。さすがに卓袱台は卒業していたが、対面アウンターのある部屋よりはグレードが低い部屋だった。

 音は左側から聞こえた。外のはずはなく、確実に左耳が捉えていた。建物の間の狭いすき間をのぞき、小さな茂みの葉をかき分け、四方の隅々まで変化を探した。

 誰もいない街なら、羽を広げて自由に移動できるのに。自分の体も小さくなって、この小世界の中に入ることができたらいいのにと願った。が、そうはならなかった。

 しかたなく、僕はキッチンから長い菜箸を持ってきて、どかしたり、つついたり、突っ込んだりして、一ヶ所一ヶ所確認していった。南側から西側へと、縮尺模型を右回りに進んでいった。


 模型の中にはそれまでに「玉」は五つできていた。小さいものでビーズくらい、大きいもので人差指の爪くらいのもの。「玉」は成長するとともに少しずつ宙に浮き上がる。充分に成長すると、僕の背丈にまで浮いた。

 そうなったら飲み込んで、体内にしまっておく。たぶん呼び出されたときに、彼が密かに取り出しているんじゃないかな。ただただ広いところから帰ってくると、いつも体が軽くなった気がするから。


 五つの「玉」は爆発の前と同じ大きさで、同じ場所にちゃんとあった。探索はもう止めようかと考えながら、西側が終わって北側に移ったとき、ある家の窓で何かが光った。他の「玉」の光が反射したのか、部屋の明かりかと思ったがどうも違うらしい。小さな小さな光は、消えたり現れたりを何度か繰り返したから。

 六つ目ができたのだ。

 僕はその家の屋根を外した。小さな小さな「玉」は二階の子供部屋で、右へ左へと揺れていた。

 模型の中の建物はドールハウスみたいだ。小さなベッドや机、階段やトイレまで精密にコピーされている。実際の建物に入ったことはないから、百パーセントとは言い切れないけど、まず完コピなのだと思う。

 屋根もフロアも、ブロックを積むように重ねてあるだけで、簡単に取り外せる。体を小さくできれば、僕はこの小世界の中でいくらでもふかふかのベッドを手に入れることができる。だけど、残念なことにそうはならないから、冬は毛布、夏はタオルケット一枚の寝具にくるまって眠るしかない。ま、それで充分なんだけど……この家の子どもが、ちゃっとだけうらやましく思えた。


 左右に揺れる「玉」をよく見てみると、他のものと違うと感じた。ほんとうに小さくて、ビーズよりもまだ小さい。そっと手に取って目の前に持ってくると、違いがわかった。何やらとげとげがある。その分、他の「玉」よりも光が強い。彼の意識に入ったときに僕の額を目がけて飛んできた、あの金平糖の銀光みたいだった。おまけにとげの先端が鋭い。

 前にも同じような「玉」を見たことがあるような気がしたけれど、思い出せなかった。

 鍵をかけてしまわれていた、僕の記憶。

 とげとげの「玉」と屋根を戻し、その夜の巡回場所はそれで決まった。実際の家を見に行くことが、その夜の仕事になった。



 もう随分前から、街は眠らなくなった。

 コンビニの二十四時間営業が定着すると、それに乗じて夜型人間が増えていった。子どもたちは遅くまで塾に通い、大人たちは深夜の買い物に出かけ、高級な遊びにいそしんでいる。若者たちは一晩中踊り明かし、街は不夜城という言葉に相応しくなっていった。営業車の運転手たちは夜のラッシュに備え、取り締まりの目を逃れながら昼寝をしていた。

 僕のように、睡眠時間が二時間で済むなら楽であろうにと思うが、この世界では僕のほうが異分子だからしかたがない。いや、そうなったら困る。これ以上眠らない街になったら、僕はこの世界ではいっさい翔べなくなってしまう。


 だからもう何年も、やりにくくてしかたない。

 月が明るい夜には白い羽はいっそう目立つから。飛行機にしては羽ばたきがあるし、鳩にしては大きすぎる。白鳥がいる場所じゃないし。体が小さくなって鳥になれたならと、何度願ったことか。でも、彼はそうはしてくれない。こればっかりは、都合でどうにかなるものではないのかもしれない。


 後に『平和ボケ』と言われた時代があった。人々の危機感は薄れ、裕福な好景気が一生続く、そう勘違いしていた時代だった。



 残りの夕飯を済ませ、とげとげの「玉」の家へと向かった。

 空から街を見下ろす感覚は、部屋で縮尺模型を眺めるのとまったく同じだ。その家はすぐに見つかった。辺りに人影はなかったが、誰かが不意に出てきたり、窓を開けるとも限らない。万が一のことを考え、隣の家との狭いすき間へ慎重に降りた。

 玄関にまわると、大理石の表札に名字だけが刻まれていた。この家の誰が「玉」の主かはわからないが、気持ちを乱す気配が確かに漂っていた。空気も、どことなく淀んでいる。たたんだ羽が、そう感じていた。


   あの「玉」はどうしたらいいのだろう……。


 なぜとげとげができるのかを、彼から聞いたことはない。「玉」は、人の心の中にある善の分身のようなもの。善よりも、悪が打ち勝っているということなのだろうか。せっかくできた「玉」だから、なんとか善として成長させられればいいと思い、この家を見守ることにした。


 今ならわかる。

 彼の意識の中で金平糖の銀光が額に当たったとき、絶えず変化する椅子の背もたれを見ている僕の額に彼の指先が触れたとき、彼はとげとげの「玉」の意味を、やっと飛ばしてくれたから。

 それまでの僕は何も知らなかったし、記憶はしまわれていた。だからこのときの僕は、ただ知ること、見守ることしかできなかった。


 昼間にまた来ようとその家を離れかけたときだった。


 ニャン。


 猫が鳴いた。

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