第4話 棘光

 無礼を承知で開き直ったものの、彼の反応を待ち構えて体が硬直した。けれど、何もなかった。椅子の主は眉ひとつ動かさず、ただ座ってくうを見つめていた。


 たいてい礼のあと、相手の健康を感じ合う。これは、本来なら僕たちには必要のないことだ。病気や怪我の心配ないから。なのになぜ礼をするかは、二人とも後天的に植え付けられた、いわゆる社交辞令ってやつ。

 彼は百メートル先から勝手に僕の意識の中に留まり、思考・経験・記憶を拾いながら一巡りして出て行く。僕はその場に立ってさえいればいい。疑問には答えを、不安には対処法を、反省には活を適切に飛ばしてくれる。喜びには……特には。

 次の彼の行動を、大人しく待つことにした。


 自分で言うのもおかしいが、性格は基本的に良い。おおむね穏やかで、ポジティブかネガティブかで選ぶとしたら、まあ、ポジティブなほう。それから、わりと食べ物に執着するタイプかと、今、新たに感じている。


    早くトースト食べたい……。


    今朝寝坊さえしなければ……。


    翔び過ぎたからだ……。


    だって「玉」が成長しないんだもの……。


    数も少ないし……。


    集まらないのは僕のせいなのか……。


    仕事がちっとも進まない……。


 これが、『拾う』いや、『拾われる』ということ。

 彼に拾われたことが、僕の頭の中でフラッシュバックする。もっと他にも疑問や不安があるのに、それに対する反応はない。百メートル先にいる椅子の主はいとも簡単に、僕の意識の中を出入りする。僕の中から出た彼はさっきと同じに、平然とくうを見つめている。

 しばらくそのままの状態が続いた。

 彼の意識が再び入ってくる気配はない。といっても気は抜けない。本当にこちらの気持ちなどお構いなしで、彼はなんでもが突然だから。


 なんだかじれったくなって、彼の意識にこちらから入ってみようと試みた。もちろん、ペナルティー覚悟。やり方があっているかどうかはわからないが、試しに、彼の額の辺りを凝視してみた。そして集中。

 予想外に、容易く意識を飛ばすことができたように思う。偶然だろうか? 吸い込まれるように入っていく。それとも、彼が導いたのだろうか?


 入られるのには慣れている。毎回のことだし、別に不快感はなく、頭の中が少しむずがゆくなるだけ。立場が逆の居心地も、そう悪くない。重力を感じず、フワフワと宙を漂っているようだ。羽で翔ぶのとは少し違うが。体に力を入れなくても平衡感覚が保たれている。柔らかい、透明なベールに包まれているようだ。


   彼の意識を『拾う』ことができるだろうか……。



 透明のベールがほどけていく。今度は白い霧の中にいる。どちらを向けば良いかも迷うほど真っ白だ。しかも辺り一面にはチラチラと無数の銀色の光が瞬いていて、余計に混乱させられる。眩しくて避けたくなるほど強くはないが、視界がふさがれているような不快感がある。


 徐々に目が慣れてきて、銀色の光一つ一つの動きが見て取れるようになった。光は四方から飛んできて、僕の体のすぐ近くを通り過ぎていく。ゆっくり動くものもあれば、超スピードで飛んで行き、縦に横にと飛んで来るものもある。同じところをグルグル回っているものもあれば、じっと動かないものもある。

 さらに慣れると、光の形状を確認できた。針のように細いもの、短冊状、まん丸、雫のような形と様々だ。大きさはどれも親指の爪くらいだろうか。数は限りなく。不思議なのは、これだけあるのに一つも僕の体に当たらない。僕が体を動かせば、光のほうが避けているみたいだ。


 一際強い光がすぐ近くに止まっている。金平糖みたいな形だ。他のものより目立って見えるのは、どうやらとげのせいらしい。

 そっと手を近づけてみた。捕まえられない。

 銀色の光は器用に指の間をすり抜けて、また近くに止まった。何度か試みたけど、すり抜けては止まるのくり返し。わずかに触れることも叶わない。

 むやみに触らないほうがいいのかも。


   あのとげとげに、激痛を食らうかもしれない……。



 光を凝視し続けたせいか、何だか目が回ってきた。体はいいが、気持ちのほうが耐えられない。


   戻ろう……。


 集中するため目を閉じた。何に集中すればいいかはわからないが、とにかく目を閉じてみた。視界は暗闇になるはずなのに、チラチラ光る銀色が消えない。気にしないようにすればするほど、一層増していく。

 もはや集中するどころか、思考は完全に止まり、溶けてしまいそうだ。勝手なことをして、彼が怒っているのだ。身の程知らずと。


   やっぱり「玉」が集まらないのは僕のせいなんだ……。


   これはきっとその罰だ……。


 だって僕は…。

 決して、手を抜いているわけではないのに。



 朦朧とする中、金平糖が僕の顔を目掛けて飛んでくるのが見える。スピードを上げながら、僕の額に当たって弾けた。細い針が刺さったように、チクリとした。


   ほらね、やっぱり痛い……。

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