みずいろの雨(2)

 雨の音に混ざり、トコトコと階段を降りる足音が聞こえた。

「おかあさん、おかえりなさい」

 パジャマ姿のみのりが、ぼんやりとした目でさゆりとあおいを見ている。

 まだ頬が赤い。それでも、ここ数日の様子に比べると良い方だ。

 なにしろ自分の力で、しっかり歩けているのだから。

「思ったより元気だね」

「うん。ただ、疲れていただけだし」

 あおいの言葉に笑顔を返すみのり。

「おかあさん、お風呂入りたい。汗でベトベト」

「はいはい。沸いたら呼ぶから。それまで上で寝てなさい」

「はぁい」

 みのりはあおいに会釈すると、二階へと戻っていった。

「じゃあ私も帰るから」

 店を出ようとするあおいの手首を、さゆりはすばやく掴んだ。

「あんたには聞きたいことがある」

「なによ、急に」

「お風呂の用意が終わるまで、そこで待ってて」

「…別にいいけど…」

 こうなったときのさゆりは、いつにもまして頑固である。それを知っているあおいは、さゆりの特等席に座ると、テーブルに伏せてあった女性誌を読み始めた。


 風呂を沸かす準備を終えたさゆりが、店に戻ってきた。別の椅子を引っ張り出すと、あおいの前に座る。

「あんたは、みのりの何を知ってるの?」

 机をダンと叩いて前のめりとなると、あおいの顔を下からにらみあげた。

「何よ、そんな恐い顔して」

 さゆりの勢いに押され、あおいは少しのけぞった。

「とぼけないでほしいね」

 姿勢を戻すと、さゆりは堅く手を組んだ。

「あんたはみのりに対して、達観していると思ってたんだよ。もしくは興味がないか、それとも好きじゃないのか。でも、なんとなく気づいたんだよね」

 ザーッと雨の音が響く。雨脚は強まる一方のようだ。雷光と雷鳴のディレイも間隔が狭まってきた。

「あんたは、あたしが知らないみのりの秘密を知っている。いや、あんたしか知らない、何かを知っているんだ」

 じっと、さゆりはあおいの目を見た。言い逃れは許さないと、その目が語っていた。

「スーパーの時も、今回も、みのりが倒れても平気な顔で「大丈夫」って言えたのは、彼女の不調の理由を知っていたからじゃないのか。そしてそれが、少し休んだだけで回復できる症状だと知っていたから、平然としていられたんじゃない?」

 あおいは、なにも言わなかった。

「どうなのよ」

「…じゃあ、正直に言うわ」

 あおいは、開きっぱなしだった女性誌を閉じた。スクッと立ち上がると、さゆりの横を抜け、鏡の前までやってきた。

 そして鏡のデコレーションを撫でながら、口を開いた。

「彼女…安芸津みのりの本当の名前は、FS-001.1M。ねえさんの細胞から作られたクローンよ」

 今度は、あおいがさゆりの目を見た。まるで観察するような目、さゆりの心の憶測を探るような、そんな視線であった。

「しかもただのクローンではない。金剛竜のクローンにして、ねえさんが一番キレイで強かった時期、すなわち18歳の時のねえさんをコピーした人造人間なのよ」

 さゆりは腕を組んだまま、大きくため息をついた。

「バカバカしい。さすがのあんただって、私のクローンなんて作れるわけないじゃない。ナンセンスだね」

 また沈黙。ゴロゴロと雷がくすぶる音が聞こえた。

「でもドラゴン自体は、紫菫竜ヴァイオレット・ドラゴン無性生殖リプロダクションによって増えてきたんだよ。他の竜もそう。竜に性別はない。プラナリアのように分裂してえていく。沙椒蛇サラマンダのように小型の眷属も赤竜レッドドラゴンの体から生まれたもの。ならば宝石竜ジュエルドラゴンだってコピーが作れるはず」

 窓が光ると同時に雷鳴が轟いた。近くに落ちたかもしれない。

「…まさか」

「冗談よ、全部冗談」

 肩の力を抜いて、あおいは首をすくめた。

「あのねぇ…」

「そんな力、私にあるはずがないし、宝石竜は人間と交わって有性生殖しかできなくなってる。仮にコピー技術があったとしても、身体だけならともかく、金剛竜ねえさんの力を持ったクローンは作れないんだよ」

 雨の音が静かになっていく。雷雲は、去ったのかもしれない。

「竜脈を測る機械を作ったじゃない。あれを使うと、竜それぞれが持つ竜気の量が分かるのよ。そして一体の竜が貯め込める竜気のキャパシティは、パピー、ヤング、アダルト、エルダー、エンシェントと、年齢によって増えることがわかった。竜は年月で劣化することがないから、老いれば老いるほど強くなる。これは人間としての特性を得て、年齢によって衰えるようになってしまった宝石竜も一緒。簡単に言い換えれば、40歳の姉さんと18歳のみのりちゃんじゃ、倍以上のキャパシティ差があるってことなの」

 コツコツコツと、雨粒が窓を叩く。さゆりは黙って、あおいの話を聞いている。

「そしてそれが、22年前に姉さんが輝銀竜プラチナ・ドラゴンに負けた理由。そして、今の姉さんなら輝銀竜に勝てるかもしれない理由」

「ふん、年を取ったのも、無駄じゃなかったってことか」

「ただ、みのりちゃんは姉さんが18歳の頃よりもぜんぜんキャパシティがないのよ。なぜかは分からない。遺伝の問題なのか、彼女の本当の母親さゆりに原因があるのか。何にせよ、彼女にあまり無理はさせられないよ」

 窓の外が、明るくなってきた。

「まあいいよ。輝銀竜との戦いは、私ひとりで行くつもりだったし」

「え?」

「仮にあんたが言うように、ただ疲れているだけだったとしても、あんなコンディションのみのりを連れて行けるわけないじゃない」

 当然でしょ、と、さゆりは笑った。

「あたしは、これからも、輝銀竜との戦った後も、あの娘と一緒に暮らしていきたい。ずっと一緒にいたい。血はつながってないし、ホントは赤の他人かもしれないけど、私にとってみのりは、ようやくできた家族なんだ」

「うん…」

「だからあの娘は死なせたくない。死なせられない」

 さゆりは首を横に振った。

「それに、あの娘と暮らせるなら、私は全てをなげうって戦える気がする」

「ねえさん…」

 あおいは何かをつぶやき、顔を伏せた。

 しばしの沈黙の後、二人の間にチャイムの音が流れた。

「あ、お風呂がわいた。みのり呼んでこないと」

 サンダルを脱ぎ捨て、上がりかまちに足をかける。

「言うまでもないけど、今回はあんたは連れていけないよ」

「どうして?」

「だって、ロードスターは二人乗りだからさ」

 ニッと笑うと、さゆりは階段の下へと向かった。


(つづく)


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