銀色の残照
政府が緊急避難宣言を出して六日目の金曜日。順調と言えないまでも、避難は進んでいた。
週末に近づくにつれ、避難を開始する世帯の数は増えていった。主要道路はグリットロック状態が続き、列車のダイヤも大きく乱れていた。
これも避難計画をしっかり立てなかった行政のせいなのだが、北関東緊急避難担当大臣に任命された某が「そもそも竜が来なければ逃げる必要もなかった。我々の不手際ではない」と無責任な発言を行い物議を醸し出していた。
こんな緊急事態がむしろ稼ぎ時になっているのは、
さゆりのコメントが欲しいマスコミからの質問攻勢も猖獗を極め、たつみやの前には多くの報道車が集まっていた(例によって固定電話とFAXは電話線を抜いている)。
マスコミの取材に応じない理由は二つあった。一つはめんどくさいこと。もう一つは、自分のコメントがどう使われるか不安があったからだ。
そして、乙ヶ宮市民の、さゆりに対する怨嗟は日を追うごとに増していた。駅前の馬瀬川の演説会もより観衆を呼び、大きな騒ぎになっていると聞いている。
馬瀬川の活動に政治的な意味などない。すべてはあの男の、天井知らずな承認欲求のたまものであった。それは選挙が終わっても毎日のように駅前広場で演説していることでも分かる。
竜殺しの過激な悪口を並べ立て、民衆の怒りを煽り、自分への賛同者を増やす事で、満たされているのである。さゆりはそんなルサンチマンの種にされているのであった。
「馬瀬川のおかげで不満分子が駅前に集まってくれるから、たつみやにデモ集団が押し寄せない。そう考えれば、あのアナウンサー崩れも役に立ってると思えるかもよ」
あおいらしい皮肉であった。
失われていた左腕は、土曜日に快癒した。マスコミや市民に一挙手一投足監視されている今のさゆりに、「クルマに乗る」という選択肢はなかった。
「この国のマスコミは、ホントどうしようもないね」
「戦前からこんな調子なんじゃ。民衆に
『今、子供を連れた老人が店内に入っていきました。背中には猟銃とリュックを背負い、右手には紙袋を提げています』と、実況中継されてしまった熊さんは、テレビを見ながら苦笑いしている。連れられてきた子供、すなわちター坊は、向こうの部屋でみのりと遊んでいる。
たつみ通りのみんなや、同族会へ避難を促したが、誰一人として肯んじなかった。
この熊さんに至っては、ついていくとまで言い出した。若くして散ったあの世の戦友たちに、自分も国にために戦って死んだと言いたいのだという。
「何言ってるの。戦う前に死ぬよ、熊さん」
輝銀竜は顕現と同時に、周囲1~5kmを焼き尽くす、核爆発をエミュレートした火球を生み出す。しかもその核熱は竜の力だ。紫菫竜の隕石と違い、
「わかる? ついてきたって犬死にするだけ。かえって戦友に笑われるよ」
「…ならばこれを、ワシだと思って使ってほしい」
そう言って熊さんは、背負っていた三八式歩兵銃をさゆりに手渡した。
「前みたいに魔力が尽きて戦えなくなった時、その銃が役に立つかもしれない」
「いらないわよ、こんな戦前の銃なんて」
さゆりは露骨に迷惑そうな顔をした。
「今まで黙っていたが、その銃…実は外見と口径が一緒なだけの、レプリカなんじゃ」
「え?」
「『あんちえいじんぐ』のつもりで、若い頃使っていた銃に似せてもらったんじゃよ。中身は新型のライフルだからの。信頼性も高い」
熊さんは笑いながら、リュックからいくつか紙箱を取り出した。
「さゆりちゃんには内緒で、みのりちゃんに作ってもらった弾もある。使ってくれ」
この場合、銃刀法の扱いはどうなるのだろうか、などと思いつつ、予備のために貸してもらうことにした。
「ター坊、帰るぞ」
奥の部屋から、みのりと一緒にター坊が出てきた。
「じゃあね、みのり姉ちゃん」
「さようなら。またね」
「負けないでね、さゆりおばちゃん」
さゆりは拳骨をもって返事とした。
金曜も、土曜日も、みのりと同じ布団で寝た。
他愛もない会話をしていたように思う。だけどそれが、楽しかった。
この娘がきてくれて、どれだけ心強かったか。紫菫竜の時も、さゆり一人であれば不安がぬぐえなかったかもしれない。輝銀竜と決闘を申し込まれた時、人知れず恐怖に震えていたかもしれない。
そのネガティブな感情を、みのりが削ってくれたのだ。
「おかあさん。私も行くからね」
「ダメだよ、そんな身体なのに」
「大丈夫。もうなおったし。マジックポイントも満タンだよ」
「でもね…」
さゆりは言いよどむ。ここ数日、自分の言葉に力が無いと思い知らされた。たつみ通りや竜見同族の人たち、そして熊さんも、彼女の説得には応じてくれなかった。
だから、これ以上言葉重ねても、みのりを翻心させるのは無理だと感じた。
「私、自分のママを守れなかったの。一人でこの世界に、逃げてきたの」
「うん」
「おかあさんなら、分かるよね。家族を守れなかった悔しさ」
痛いほど分かる。
「おかあさんが負けるとは思わない。でも、もし負けたら、私はまた、ママを失うことになっちゃう」
そう言われたら、さゆりは何も言い返せなかった。自分が死んだ時のバッファーとして、彼谷に残ってほしいと言おうとしていたが、その説得文句も、もはや使うことはできなかった。
さゆりは、ため息をついた。みのりの負けん気、頑固さは、ここ二週間で何度も思い知らされた。
「そうか。わかったよ」
納得せざるを得なかった。
「二人で、がんばろう」
さゆりとみのりは、布団の中で、お互いの手を握りあった。
そしてついに、約束の日曜日がやってきた。
(つづく)
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