イミテーション・ダイヤモンド

 みのりを戦いから遠ざけた理由は、プライドだけの問題ではない。

 魔法を使って倒れた、昨日のみのりを思い出したのだ。

 もし今、目の前でみのりが倒れたら、間違いなく取り乱してしまうだろう。ただでさえ劣勢だと言うのに。

 それにみのりの力なら、自分がたおされても、一人で赤竜を退けてくれるはずだ。ある意味、みのりの存在は保険であった。

 もちろん、そんな事態になる前に倒す。絶対に倒す。

 みのりを護りたい。そう思えるだけで、戦える。

 さゆりは咆哮ドラゴンシャウトをあげ、胡桃の杖ウォルナット・スティックを光の剣に変えると、猛然と赤竜レッドドラゴンに突撃した。


 戦いの詳細はあえて省く。

 結果から言えば、さゆりの決意はただの虚勢に過ぎなかった。

 倒れそうになったのは、自分の方だった。暗くなる意識になんとか抗うものの、体力の限界とともに膝をついた。

 魔力が尽き、抜け殻のようになったさゆりの頭上を、熊さんの銃弾とみのりの魔法がオーバーパスする。

 それはどちらも、みのりの力であった。

 こんなざまでみのりを護るなどと、よくも言えたものだ。そんな言葉は、単なる自己満足に過ぎなかったのだ。

 失ったのは美貌や、自信、そして竜殺しの力だけではなかった。体力も、他のものも、四十という年齢に至るまでに、あちらこちらに落としてきてしまった。

 すでに消防隊による消火活動が始まっていた。霧がさゆりの服を濡らしていく。不破化インビンシブル付与エンチャントは、切れたらしい。

「ほれ、しっかりするんじゃ」

 肩を熊さんに支えられる。みのりが、愛車だったものの中から、ハンドバッグを持ってきた。バッグにはより強力な不破化インビンシブルの魔法をかけていた。

「ダメだな、私は」

「どうして?」

 みのりは小首を傾げる。

「一人で、勝てなかった」

 ゆっくりと、熊さんから離れた。一人で立てない惨めな姿を、いつまでも晒したくはないからだ。

「仲間がいるなら、遠慮なく頼っていいんじゃよ。孤独の中で、一人戦うのはつらいことじゃ」

 熊さんの言葉は、どこか重たい響きがあった。

 さゆりは激しくかぶりを振った。

「それじゃ、意味ないんだよ」

 だがその声は、さゆりの心には響かなかった。

「私は、金剛竜ダイヤモンド・ドラゴンなんだ。最強の竜殺しなんだ。それが、護るべき相手に護られるなんて」

 さゆりの目に、またしても涙浮かぶ。

「こんな戦いじゃ、意味ないんだよ!」

「そんなに簡単に、自分に失望しちゃダメ!」

 喝が飛んだ。みのりの声だった。

 こんな声を、この子は出せるのか。さゆりは呆然となって、みのりの顔を見つめてしまった。みのりもまた、気丈な目つきで、じっとさゆりを見返している。

「おかあさんは、金剛竜ダイヤモンド・ドラゴンなんだよ! 誰にも負けない、世界最強の竜なんだよ!」

「最強なものか。あんたよりも弱いあたしが」

 言ってはならない言葉を、言おうとしていた。

「みのりよりも弱い私が、最強なわけないじゃん!」

 子供を前にして、なんて幼稚な言いぐさだろう。だが、さゆりの心は、もう限界であった。この状況に、自分の弱さに、さゆりはもう耐えられなかった。

「それは違うよ、おかあさん!」

 みのりの視線は、さゆりをとらえて離さない。まっすぐに、さゆりの目を見ていた。

「私は、おかあさんより強くない! 強いわけがない! おかあさんダイヤモンド・ドラゴン に勝てる竜は、この世界にいないんだよ!」

「た、確かに金剛竜だよ、私は」

 みのりの剣幕に押されながらも、なんとか言い返す。

「だけどね、そんなの、お肌の曲がり角を左折してはるか向こうに消えちゃったんだ」

 熊さんから離れ、両手を広げる。

「見なよこの姿。ボロボロになった服をまとって、灰をかぶった今の私の、ぶざまな格好をさ」

「…」

「一体、こんな私のどこが最強なの? 赤竜ディザスター級にすら勝てない私がさ! 竜王キングドラゴンのはずないでしょ!」

 みのりは真一文字に口を結んだままだ。何を言おうか、考えているのだろう。みのりはよく、このような沈黙を作る。

「おかあさんは、弱くないんだよ」

 みのりはおずおずと、言葉を紡ぐ。

「力が発揮できないのは、おかあさんのダイヤモンドが曇っているせいなの。大事な人を失って、ずっと竜が出てこなくて、それでつらい思いをしていたから、輝きを失っちゃっただけなの」

「なんであんたが…」

 みのりの頬に、涙が伝っていた。さゆりは言いかけた言葉を飲み込んでしまった。

「磨きなおせば、昔のような金剛竜になれる。私よりも強い竜殺しになれる!」

 みのりはもう、涙を隠さなかった。

「だって…だって竜見さゆりは、…史上最強の竜殺しドラゴンスレイヤーなんだから!」

 みのりの泣き声に、周囲の人達が振り向いた。そのまま大きな声で、まるで赤ん坊のように泣くみのり。

「なんだよ、あんたが泣くことないだろう、みのり」

 みのりの頭をかき抱いた。こんなにも、自分の事で泣いてくれる人がいる。

「だって、おかあさんが…」

「悪かったよ。あんたに泣かれると、あたしもつらい。だから、もう泣くな」

 みのりの頭をぎゅーっと抱きしめる。

「もう弱音吐かないって、約束してくれる?」

「わかったよ。約束する」

 両腕でみのりを抱きしめた。みのりはまだ、ヒックヒックと泣き続けてる。

「さあ、たつみやに帰ろう。こんなところで長話してても、減った腹は膨れんぞ。息子の嫁が、うまい煮付けを作ったんじゃ。持ってこさせるから、みんなで食べよう」

そう言いながら、熊さんはわざとらしい笑い声をあげた。


 さゆりとみのりは、軽トラの荷台で揺られていた。

 もう、ごちゃごちゃと考えるのはやめた。考えても分からない。知りたくもない答えを考えて不安になるのもやめだ。

 みのりを護りたいと思った気持ちは、嘘じゃない。力が、想いに追いつかなかっただけなのだ。

(竜見さゆりは、世界最強の竜殺しなんだから)

 そうだ。私は最強の竜殺しだ。その気になれば輝銀竜プラチナ・ドラゴンも、母なる紫菫竜ヴァイオレット・ドラゴンも倒せる力を持つ。そしてこの世界には、私を倒せる竜はいない。

 みのりの言うとおりだった。惨めで暗い生活が、さゆりの心に影を落としていた。勝手に孤独感を抱き、世間に背を向けていただけかもしれない。

 みのりがいる。あおいがいる。鏡がいる。安芸津夫妻がいる。熊さんとター坊がいる。早苗と草太、そしてたつみ通りのみんながいる。無理して、明るく振る舞う必要なんて、どこにもなかったのだ。

 そんな彼らを守れるのは、自分とみのりしかいない。いや、みのりも自分が、護らなければならないのだ。

「みのり」

 みのりの頭をかき抱いた。

「あんたはホントに可愛いな」

「だって、おかあさんの娘だもの」

「そっか。そうだよなあ。あんたは、あたしの娘だもんな」

 そう言いながら二人は笑いあった。

 空はまた、青さを取り戻していた。植木鉢に隠した鍵のことは、聞かずにおいた、この子なら、きっと見つけていたに違いない。

 しかしそれも、今となっては些末なことであった。


(つづく)

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