イミテーション・ダイヤモンド
みのりを戦いから遠ざけた理由は、プライドだけの問題ではない。
魔法を使って倒れた、昨日のみのりを思い出したのだ。
もし今、目の前でみのりが倒れたら、間違いなく取り乱してしまうだろう。ただでさえ劣勢だと言うのに。
それにみのりの力なら、自分が
もちろん、そんな事態になる前に倒す。絶対に倒す。
みのりを護りたい。そう思えるだけで、戦える。
さゆりは
戦いの詳細はあえて省く。
結果から言えば、さゆりの決意はただの虚勢に過ぎなかった。
倒れそうになったのは、自分の方だった。暗くなる意識になんとか抗うものの、体力の限界とともに膝をついた。
魔力が尽き、抜け殻のようになったさゆりの頭上を、熊さんの銃弾とみのりの魔法がオーバーパスする。
それはどちらも、みのりの力であった。
こんな
失ったのは美貌や、自信、そして竜殺しの力だけではなかった。体力も、他のものも、四十という年齢に至るまでに、あちらこちらに落としてきてしまった。
すでに消防隊による消火活動が始まっていた。霧がさゆりの服を濡らしていく。
「ほれ、しっかりするんじゃ」
肩を熊さんに支えられる。みのりが、愛車だったものの中から、ハンドバッグを持ってきた。バッグにはより強力な
「ダメだな、私は」
「どうして?」
みのりは小首を傾げる。
「一人で、勝てなかった」
ゆっくりと、熊さんから離れた。一人で立てない惨めな姿を、いつまでも晒したくはないからだ。
「仲間がいるなら、遠慮なく頼っていいんじゃよ。孤独の中で、一人戦うのはつらいことじゃ」
熊さんの言葉は、どこか重たい響きがあった。
さゆりは激しく
「それじゃ、意味ないんだよ」
だがその声は、さゆりの心には響かなかった。
「私は、
さゆりの目に、またしても涙浮かぶ。
「こんな戦いじゃ、意味ないんだよ!」
「そんなに簡単に、自分に失望しちゃダメ!」
喝が飛んだ。みのりの声だった。
こんな声を、この子は出せるのか。さゆりは呆然となって、みのりの顔を見つめてしまった。みのりもまた、気丈な目つきで、じっとさゆりを見返している。
「おかあさんは、
「最強なものか。あんたよりも弱いあたしが」
言ってはならない言葉を、言おうとしていた。
「みのりよりも弱い私が、最強なわけないじゃん!」
子供を前にして、なんて幼稚な言いぐさだろう。だが、さゆりの心は、もう限界であった。この状況に、自分の弱さに、さゆりはもう耐えられなかった。
「それは違うよ、おかあさん!」
みのりの視線は、さゆりをとらえて離さない。まっすぐに、さゆりの目を見ていた。
「私は、おかあさんより強くない! 強いわけがない!
「た、確かに金剛竜だよ、私は」
みのりの剣幕に押されながらも、なんとか言い返す。
「だけどね、そんなの、お肌の曲がり角を左折してはるか向こうに消えちゃったんだ」
熊さんから離れ、両手を広げる。
「見なよこの姿。ボロボロになった服をまとって、灰をかぶった今の私の、ぶざまな格好をさ」
「…」
「一体、こんな私のどこが最強なの?
みのりは真一文字に口を結んだままだ。何を言おうか、考えているのだろう。みのりはよく、このような沈黙を作る。
「おかあさんは、弱くないんだよ」
みのりはおずおずと、言葉を紡ぐ。
「力が発揮できないのは、おかあさんのダイヤモンドが曇っているせいなの。大事な人を失って、ずっと竜が出てこなくて、それでつらい思いをしていたから、輝きを失っちゃっただけなの」
「なんであんたが…」
みのりの頬に、涙が伝っていた。さゆりは言いかけた言葉を飲み込んでしまった。
「磨きなおせば、昔のような金剛竜になれる。私よりも強い竜殺しになれる!」
みのりはもう、涙を隠さなかった。
「だって…だって竜見さゆりは、…史上最強の
みのりの泣き声に、周囲の人達が振り向いた。そのまま大きな声で、まるで赤ん坊のように泣くみのり。
「なんだよ、あんたが泣くことないだろう、みのり」
みのりの頭をかき抱いた。こんなにも、自分の事で泣いてくれる人がいる。
「だって、おかあさんが…」
「悪かったよ。あんたに泣かれると、あたしもつらい。だから、もう泣くな」
みのりの頭をぎゅーっと抱きしめる。
「もう弱音吐かないって、約束してくれる?」
「わかったよ。約束する」
両腕でみのりを抱きしめた。みのりはまだ、ヒックヒックと泣き続けてる。
「さあ、たつみやに帰ろう。こんなところで長話してても、減った腹は膨れんぞ。息子の嫁が、うまい煮付けを作ったんじゃ。持ってこさせるから、みんなで食べよう」
そう言いながら、熊さんはわざとらしい笑い声をあげた。
さゆりとみのりは、軽トラの荷台で揺られていた。
もう、ごちゃごちゃと考えるのはやめた。考えても分からない。知りたくもない答えを考えて不安になるのもやめだ。
みのりを護りたいと思った気持ちは、嘘じゃない。力が、想いに追いつかなかっただけなのだ。
(竜見さゆりは、世界最強の竜殺しなんだから)
そうだ。私は最強の竜殺しだ。その気になれば
みのりの言うとおりだった。惨めで暗い生活が、さゆりの心に影を落としていた。勝手に孤独感を抱き、世間に背を向けていただけかもしれない。
みのりがいる。あおいがいる。鏡がいる。安芸津夫妻がいる。熊さんとター坊がいる。早苗と草太、そしてたつみ通りのみんながいる。無理して、明るく振る舞う必要なんて、どこにもなかったのだ。
そんな彼らを守れるのは、自分とみのりしかいない。いや、みのりも自分が、護らなければならないのだ。
「みのり」
みのりの頭をかき抱いた。
「あんたはホントに可愛いな」
「だって、おかあさんの娘だもの」
「そっか。そうだよなあ。あんたは、あたしの娘だもんな」
そう言いながら二人は笑いあった。
空はまた、青さを取り戻していた。植木鉢に隠した鍵のことは、聞かずにおいた、この子なら、きっと見つけていたに違いない。
しかしそれも、今となっては些末なことであった。
(つづく)
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