この娘が本当の娘ならいいのに

時の過ぎゆくままに(1)

 光の球体が森の木々を巧みにくぐりぬけ、奥にそそり立つ岩塊に命中した。

 続いて飛翔した球体は、木々をなぎ倒して岩塊を砕き割った。

 石の上に腰掛けた制服姿の少女は「うーん...」と残念そうな声をもらす。

 林冠の上には青空が広がり、木漏れ日がふりそそぐ。三月にしては暖かい日。

 さゆりは胡桃の杖ウォルナット・ステッキを握って難しい表情を浮かべ、みのりは近くの岩に腰掛け、考えあぐねていた。


 さかのぼること二時間前。朝食時のこと。

 食卓には、玉子焼きとツナサラダ、そしてミニハンバーグが並んでいる。ツナサラダはできあい、ミニハンバーグは冷凍食品だ。

 長くひとり暮らしを続けていたさゆりの家事能力は、自分だけが快適に暮らせればよいとばかりに退化の一途を辿っている。

「おかあさんの魔法が、期待通りの効果が出せないのは、おそらく制御の問題が大きいと思うんだ」

 みのりは玉子焼きを切る。

「あんた、私が沙椒蛇サラマンダと戦っているの、見てたの?」

 さゆりはツナサラダを口に運んだ。

「熊さんが消防隊に事情を話していた時にね」

 玉子焼き美味しいとみのりが笑った。怠け者のさゆりであったが、カレーと玉子焼きだけは、自信があるのだ。

 この娘は本当に、笑顔がよく似合う。

 さゆりにも、みのりのように笑顔が似合う時期があったのだろう。しかし思い返せば、当時18歳のさゆりは、みのりのような愛らしい性格ではなかった。性格だけは、今もそれほど変わっていないような気がする。

「そういえばあんた、免許持ってたの?」

「持ってるよ。だって18歳だもん」

「ふうん。高校卒業後の進路は?」

「浪人かなぁ…。いろいろあって、受験できなかったんだ、私」

「そっか…」

 四月になったら、彼女みのりはどうするつもりなのだろう。このままたつみやにいてくれるのか、それとも元の場所に帰ってしまうのか。

「なんなら、ずっといていいんだよ。一緒に暮らそう」だなんて、まるでプロポーズのような言葉が脳裏に浮かんだ。

 だが、果たしてその言葉で、みのりを幸せにできるのか。彼女の将来を縛ってしまう、重い言葉だと受け止められやしないか。

「食べ終わったら、裏山でコントロールの練習しよ。特訓だよ、おかあさん!」

 そんなさゆりの葛藤など知りもせず、みのりはグッと拳を握ってみせた。そんなみのりも可愛らしかった。みのりは、なにをやっても可愛いのだ。


 髪をシュシュでまとめると、上がりかまちを降りて店の出口へと向かう。

「アー、キミたち、修行の前に今日の日課をやっていかんかね」

 いつもの誓いの言葉を言え、ということだ。

輝銀竜プラチナドラゴンを倒します」

「ます」

「みのりちゃんの手抜きっぷりが気になりますが、可愛いのでよしとします」

「やったぁ♫」

 すでに惰性と化したこの儀式だったが、その誓いを果たす頃なのかもしれない。彩色竜クロマティックドラゴンが連日顕現している中で、金鱗竜メタリックドラゴン竜王キングドラゴンたる輝銀竜あいつが、いつまでもおとなしくしているとは思えなかったからだ。


 さゆりの「ダイヤ磨き」初日は、とにもかくにも散々であった。みのりの指摘通りのノーコンぶり。威力だってバラバラだ。魔法のしあがりにムラがあるのは、基本的なことがちゃんとできていない証拠だ。改めて、今の自分の衰えぶりを実感することとなった。

 だが、落ち込んではいられない。落ち込まないと、そう決めた。弱気になる心に鞭打ち、何度も何度も魔法を撃つ。

「こうだよ、おかあさん」

 座ったまま、みのりが五つの光球ライトニング・ボールを生み出す。それらは、一度も木に触れることなく、軽やかに木々の間を飛翔した。

「あたしだって、あんたの歳の頃には余裕で出来たんだよ」

「その若い頃の力を取り戻すための特訓でしょ、おかあさん。昔できたから、なんて言っても、今できないと意味ないんだよ?」

 愛らしい外見と裏腹に、メンターみのりの言葉は厳しい。

赤竜レッドドラゴンはまた顕現するよ。多分、数日のうちに。おかあさんと決着がついてないから。それまでに、どれだけ昔の力が取り戻せるかだね」

 みのりは石から立ち上がった。

「ずっと18歳でいたいって、私のお母さんは口癖のように言ってたよ」

「お母さん?」

「そう。本当のお母さん」

 直後、バキバキバキと樹木が砕ける音が響いた。

「んもー、木を倒したらダメだって。熊さんに叱られるよ」

「あんたが変な事言うから、集中力が途切れたんだよ」

 みのりはため息をつく。

「でも、そんなの無理じゃない。できない話を何度も繰り返すより、今の自分に出来ることで、昔の自分を越えたほうがいいと思うんだよね。でしょ?」

「あ、うん…」

 本当のお母さん、か。

 さゆりはもう、みのりの話を聞いていなかった。

 みのりは自分の娘じゃない。当たり前の事だが、改めて言われると寂しく思う。

 そもそも、たつみやに来た時に、みのりはさゆりをママと呼んだ。稔が父だと言った。

 それも芝居かと疑ってはいたが、嘘がヘタなこの子が、そんな大仰な芝居を打てるわけがない。

 みのりの母親は、さゆりなのだ。もちろん自分ではない。別の世界や別の次元、異なる時間軸など、ともかくさゆり自分ではないさゆり誰かなのだ。

(みのりの世界にいたママは、私みたいに鈍くさい女じゃないんだろうな)

 それを思うと、なおさら悔しかった。悔しさの半分は、きっと羨望に違いない。

「おかあさん、手が止まってるよ!」

 教官殿の厳しいお言葉が飛んできた。

(集中、集中っと)

 その日始めて、さゆりの魔法は森の中をすりぬけた。


 その翌日はホワイトデーだった。さゆりはこの日、バイトを辞めたいと申し出た。忙しい時期だからと店長は引き止めたが、ここ最近の竜の動向を察して、さゆりの急な退職を認めてくれた。食事に誘われたが、いつものように断った。店長に誘われるのも、これが最後となるだろう。

 その二日後の3月16日。日課である午前の特訓を終えて、みのりと昼食のメニューの相談をしながら山を下りると、店の前に見慣れない車が停まっていた。

 藍色のコンパクトクーペだ。屋根の代わり紺色の幌がキャビンを覆っている。ボンネットの左右には四角い溝が刻まれている。リトラクタブル・ヘッドライトだ。点灯時にはライトがボンネットの中からせり上がる。

 どこかで見たことがある車だが、車名が出てこない。

 だが、このが好きな女なら知っている。

 店に入ると、予想通りあおいがいた。

 さゆりの指定席椅子に腰掛けてたあおいは、傍らに缶コーヒーを置いて、さゆりが読みかけた女性誌を読んでいた。

「このココナッツチアシードって、ぜんぜん効かないよ」

「そうなの?」

「ココナッツオイル使ったなんとかコーヒーとか流行ってたけと、私からすればあんなのナンセンス。ココナッツコーヒー飲んで痩せた人見たことないし、チアシード食べたて美人になった知り合いもいないし」

「相変わらずつまらない考え方してるね、あんた」

「嘘の情報に踊らされるよりはマシでしょ?」

 あおいはスッと立ち上がる。考え方同様、あおいの体はシャープで無駄な肉がない。だからパンツルックがよく似合う。みのりにパジャマぶかぶかと言われてしまったさゆりとは大違いだ。

「でも、顔だったら私、絶対勝ってるからね?」

「なに? またいつもの美顔マウンティング?」

 などと話ながら二人は店の外にでた。みのりは、見慣れない車をきょろきょろと見回していた。

「で、この車はなに?」

 待ってましたとばかりに、あおいはニヤッと口角をあげた。

「ねえさんの車だよ。壊しちゃったんでしょ、前の車ヴィヴィオ。だから新しい車を買ってきたんだよ」

「安芸津のご両親に悪いことしちゃったよ」

「ヴィヴィオの初期型だもの。20年も乗ってたんだし、どのみち寿命だよ。むしろ今までよく乗ってくれたと、父さんは言ってたよ」

「そう言ってもらえると、ありがたいね」

 あおいに誘われるまま、店の外に出るさゆりとみのり。

「ユーノス・ロードスターNA8C G limitedよ。かっこいいでしょ?」

「ユーノスって海外のメーカー?」

「マツダだよ、マツダの昔のブランド。私がマツダ以外の車、買うわけないじゃん」

 あおいが胸を張る。スレンダーなのに自分よりもボリュームがあるのが腹立たしい。

「でもさ、40のおばさんが乗るにはちょっとカッコよすぎじゃない?」

「何言ってるの。老け込まないように、かっこいい車に乗るのよ。ココナッツチアシードなんか飲むより、ロードスターの方がアンチエイジング効果あるよ。間違いなく」

 ココナッツチアシードを非科学的と言った同じ口で、それ以上に根拠のない理屈を断言するのだからたまらない。

「で、これいくらしたの? 払うよ」

 車の話となると、あおいはいつまでもしゃべり続ける。車知識にまみれた無限地獄から脱出エクソダスすべく、適当に話題を変えた。

「いいよ。中古車だし、半分は私の趣味で買ったんだし」

「ですよね」

「とりあえず機能の説明するからとりあえず運転席に座って座って」 

 イヤな予感がした。この車も例によって「さゆりスペシャル」なのだろう。

 社内にはカツ丼の残り香が漂っていた。そういえば、上がり框に大きな白いビニール袋があった。

 においをかいだ途端にお腹がすいた。特訓の後だし、今すぐにでもカツ丼を食べたかったが、あおいは説明を終えるまでさゆりを解放してくれないだろう。

「まずはヘッドユニット。ラジオチューナーとCDプレイヤー、そしてスマホやUSBメモリをつなげられるUSBポートを二つついてるわ」

「それはありがたいね」

 ヴィヴィオの古いヘッドユニットにはCDプレイヤーすらなかった。昔ながらにCDを借りてテープにダビングしていたのだ。

「ここまでは普通のヘッドセットと変わらないけど、すごいのはここからよ。まず、フロントガラスにHUDを投射するシステムがついているの。もちろん搭載しているのはDSx4v。だからカーナビの代わりにもなるよ。ただ視点操作はできないから、USBにヘッドセットをつなげて、音声認識でオペレーションを…。あとこのヘッドセットも、もちろん特別製で…。」

 この後さゆりは、45分ほどあおいの説明につきあわされた。みのりはロードスターの隣で、いつものようにニコニコしていた。


 車載機能の説明長話から解放され、あおいが持ってきたカツ丼を食べ終えると、時計の針は14時を回っていた。

 あおいはタクシーを呼んで、安芸津の家に帰っていった。残念ながら、ロードスターは二人乗りなのだ。

「せっかくだし、新車ロードスターで買い物に出かけようか。お夕飯の材料買ってこないといけないし」

「カレーが食べたいな」

「よし、カレーとポテトサラダにしよう。材料かぶってるけけど」

「わーい♪ みのり、おかあさんのカレー大好き!」

「よし、本当のお母さんに負けないくらい、腕によりをかけて、さゆりスペシャルカレー作っちゃうよ。ルーはバーモントだけど」

「うん!」

 せめてカレーくらいは、本当の母親に勝ってみたい。そんな気持ちになっていた。


(つづく)

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