時の過ぎゆくままに(2)
せっかくのオープンカーだ。幌はたたんである。
「うわぁ」
初めてのオープンカーに、みのりは目を輝かせていた。
「すごいね、おかあさん」
ロードスターはのんびりと山道を登っていく。見上げれば蒼穹。見回せば芽吹き始めた緑の山々。
「オープンカーって初めて運転するけど、いいね」
顔を風に受けて走る爽快感。これは素直に、あおいに感謝すべきだろう。ただ、髪がばさつくので、シュシュで髪をまとめた。
「この前乗った軽トラックも、ある意味オープンだったよ?」
みのりがクスクス笑う。制服から、さゆりが買った春着に着替えていた。やっぱりちょっと地味ではないかと、さゆりは思う。
「サンバーを愛している熊さんには悪いけど、軽トラの荷台とは段違いだね」
三日前の事を思い出して、二人は笑いあった。
山頂付近にある大きな建物を過ぎると、あとは新バイパスまでの下り坂だ。重力に任せて加速していくロードスター。ハンドリングは素直で走らせやすい。ただ、駆動形式の違いによる、カーブを曲がる時の挙動の変化に戸惑った。
隣のみのりも楽しそうだ。開放感に浸っているのか、ダウンヒルのスリルを堪能しているのかは分からなかったが。
みのりに叱咤のおかげで、さゆりは失いかけたアイデンティティを取り戻した。
自分を肯定してくれる存在というのは、本当に大切なものだ。みのりがそれを教えてくれた。誰かに存在を許されることで、人は初めて人間でいられる。
家族を持てなかった後悔と後ろめたさも消えた。なぜなら今は、可愛い
そう考えると、もう一人ではないんだと、心を強くすることができた。
「せっかくだし、ちょっと遠出して、隣町のショッピングモールまで行ってみようか」
「賛成!」
ショッピングモールは東の山を越えた先にある。最近新しいバイパスとトンネルが完成し、県内の東西の交通事情が格段によくなったのだ。
狭隘な裏山の道を抜けると、県を東西に横断する二車線のバイパスに出る。ここからはカーブも信号も少ない高速コースだ。アクセルを踏みこむと気持ちの良いエグゾースト・ノートと共にピンと回転計の針が跳ね上がる。ピックアップがよいエンジンだ。もしかしたら、あおいが何かしら細工したのかもしれない。兄に似て、機械いじりが大好きな妹なのだ。
「んーー! きもちいいー!」
バサバサと長いポニーテールをはためかせ、みのりは大きく伸びをした。
青い空の下を、群青のロードスターは東へ東へと走る。今日も雲は少ない。絶好のドライブ日より。
「よーし、飛ばすぞ-!」
「おー♪」
コーナーに突っ込んでヒールアンドトゥ。エンジンがうなり、ロードスターは鋭く加速していった。
向かうショッピングモールは、「からすばキャッスル」という愛称がつけられている。石垣と天守閣をイメージした建物に、敷地を巡る堀は、言うまでもなく烏羽城をモチーフにしている。田舎のショッピングモールらしく建物も大きく、地元の人には「籠城どころか核攻撃下でも買い物ができそう」などと言われていたりもしている。
生鮮食品コーナーをまわり、カレーとポテトサラダの材料を買い揃えた後、テナントに入っているブティックを冷やかす。
「今日は私が、おかあさんの服、選んであげる♪」
みのりも上機嫌だった。本当に可愛い。が、選ぶ服はやはり落ち着いたものばかりで、さゆりの趣味に合わなかった。でも白いパンツは気に入った。すらっとしたシルエットで、足が長く見えるからだ。
なにより先の沙椒蛇戦でパンツをダメにしたばかりだ。価格もリーズナブルだったので、買うことにした。
今度はグロッサリーに寄った。シャンパンゴールドのシュシュを見つけたからだ。
今髪をまとめているシュシュも、
子供の頃から金色のシュシュ、ないしはヘアバンドを愛用してきたさゆりだが、ずっと同じ物を使い続けているわけではない。鏡のような完璧な不破化を
なによりヘアアクセサリーも、時々によって流行廃りがある。せめてシュシュくらいは、流行に合わせて使ってみたいものだ。
ふと、みのりのポニーテールを見た。彼女のポニーテールを結んでいるのは、今さゆりが使っているシュシュと同じデザインだ。このシュシュは去年の夏に買ったものだった。
となると、みのりが飛んできた(と、さゆりは信じている)世界は、今の世界の時間と同調しているとの仮説が立てられる。そしてどのような経緯かは分からないが、みのりは本当の
となると、みのりがいた世界と今の世界は、本当に薄皮一枚で隔てられただけの、極めて類似した
「私、買うならこのデザインがいいな」
みのりが同じシュシュを両手に持った。
「どうしたの? このシュシュはダメ?」
「あ、いや。いいね。おそろいにしよう」
あははは、と、わざとらしい笑いをしながら、さゆりはレジへと向かった。
楽しい買い物は終わった。服を買ったり小物を買ったり。予想外の散財だった。
二人の髪には、買ったばかりのシュシュが巻かれている。
イグニッション。ヘッドユニットのDSx4vが起動し、フロントガラス一面にスプラッシュロゴが表れる。
「これ、外には見られないのかな…」
「たつみやで起動させた時は、外からは見えなかったよ」
どういう原理でフロントガラスに表示させているのか。AR表示領域には、特殊なフィルムが貼っており、ハーフミラーの原理で表示していると言っていた。どういうことなのか、さゆりにはさっぱり分からなかったが。
まもなく、周囲のステータスを示す様々なデーターが表示された。
運転の邪魔だから消そう。そう思ってボタンを押した。DSx4vは消えたが、代わりにおばさん達の笑い声が聞こえてきた。
「テレビのボタンもあるんだね」
どうやら、午後のワイドショーを受信したらしい。
「走行中は映像は流れません、だってさ」
Sound Onlyと、窓の端に表示されている。
ロードスターは堀を越え、往路で走ったバイパスに入った。みのりはヘッドユニットのタッチパネルを操作し、チャンネルザッピングしていた。
刹那、ピロンピロンとチャイムが鳴った。
「繰り返し速報お伝えします。12時40分頃、中国のゴビ砂漠に
「え、
「うん、今、
さゆりの意を悟って、みのりはボリュームをあげた。「繰り返します」とことわり、アナウンサーは同じ文言を再度言った。
聞き間違いではない。本当に中国に、ゴビ砂漠に竜が現れたのだ。
「中国って、竜脈が途絶えたんじゃ…」
「枯れそこなった竜脈だまりにの中に、潜んでいたのかもね」
映像を見ないことにはなんとも言えない。みのりがさゆりのスマホをいじって、ワンセグアプリを起動する。
信号待ちの間に映像を見る。雲がない砂漠の蒼天に黄金色に輝く、蛇にも似た姿の龍が飛んでいた。それは日本人がイメージする「龍」の姿そのものであった。
だが、往年の威厳はなく、やせ細った体で宙を舞う姿が、どこか痛々しくもあった。
それでも、人民解放軍の通常兵器では退けることはできない。老い衰えたとしても、黄龍は竜災級なのだ。
ライブ映像は流れない。何枚かの静止画が表示されるだけだ。
「人民解放軍は核兵器の使用を決定しました。繰り返します。人民解放軍は…」
見かけだけ資本主義然としているが、中国の実態は共産主義国家だ。あらゆる権限を掌握する政府の意思決定基準は、人道よりも効率を優先する。迅速な判断力はその
「いまから1時間後に核攻撃だって」
「それまでに
戦いの推移は見守りたい。アクセルを踏む足におのずと力が入る。
もっとも、黄龍が核で焼かれることはないと思うが…。
「中国にはもう竜脈がないから、もしかしたら倒せるかも」
核で焼かれた体組織を回復するには、竜脈も、黄龍自身の竜気も足りなそうだ。
倒せたら倒せたで御の字だろう。倒せなかったとしても、いずれゴビ砂漠近辺の竜脈が絶えて黄龍は死ぬ。人が住まない砂漠に顕現したのは、不幸中の幸いだった。
それよりもさゆりは、なぜ黄龍がゴビ砂漠に黄龍が出たのか、それが気になった。
裏山での緑竜出現以降、ここ数日の竜の顕現には、ある種の法則性があるとさゆりは踏んでいた。それが正解かどうかは分からないが、少なくともある条件下では蓋然性がある仮説であった。
だが、今回の黄龍出現は、そんなさゆりの仮説を完全に覆すものだった。
黄龍は、何に導かれたのか。その答えを見いだすためにも、とにかくニュースが見たい。
さゆりはさらに、アクセルを踏み込んだ。
急いでたつみやに戻ってみると、扉の前で待ちぼうけしている男がいた。カジュアルな格好の男だ。店の客かと思ったが、どうやら違うらしい。
「私、ナウパックスというネットメディアの記者をやっています、長谷川と申します」
さゆりが近づくやいなや、男は名刺を取り出した。
「はあ」
駆ける馬のマークが入った名刺を見る。住所は東京となっていた。わざわざここまで来たのだろうか。
「ここ数日の
「で、わざわざこんな山の中までやってきたと?」
一刻も早くテレビが見たいのに。望まぬ来客に対するいらだちが、さゆりの口に皮肉を言わせる。
「SNSで流れているネットの噂についてはご存じですか」
「しらないね。SNSはNow-Manしかやってないし」
「Now-Manにもその噂を取り上げるインスタンス・スレッドが作られていますが」
「主に知人への連絡用だから。それより、私に関する噂ってなに?」
長谷川なる記者は、やれやれと言いたげな顔をする。その不遜な態度が、さゆりをますます苛立たせる。
「こっちは忙しいの。早く用件を言ってくれない?」
「竜が、
ニヤつきながら、長谷川は答えた。
(つづく)
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