灰とダイヤモンド(2)

 土手の上では、人々がスマホを天にかざしていた。

 彼らの目線を追って空を見上げると、そこには虹の渦が群れを成して漂っていた。

 幾重にもつらなった渦は、今まさに竜を産み落とさんと脈動している。

 目前に死の危険が迫っているというのに、ギャラリーはまだスマホで空を撮り続けている。危険な映像を撮ってNow-Manにアップし、ちょっとした英雄的行動を賞賛されたいとでも考えているのだろうか。

 しかし、ここすでに日常リアル非日常バトルの境を越えた空間だ。彼らを守る安全柵などはない。これから繰り広げられるのは、サーカスでも演劇でもないのだ。

「スマホをしまって早く逃げるんだ!」

 さゆりの警告は、ざわめきとスマホの疑似シャッター音の中に消えてしまう。炎の及ばない場所なら大丈夫だと思っているのか。先ほどと同じサラマンダが出るとは限らないのに。

 竜殺しの使命は、竜から人々を守ることだ。もう、手段を選んでいるいとまはない。

 さゆりは口を開け、大きく息を吸い込んだ。

「早く逃げろ!!」

 空に向かって、ありったけの声で叫んだ。

 刹那、雷鳴が轟き、烈風が吹き荒れた。

 竜の咆哮ドラゴンシャウト。音でありながら音速を超えるその叫び声は、発せられたと同時に衝撃波ソニックブームを生み、聞いた者を恐れさせ《おび》え、意思をくじき、物理現象によって弾き飛ばす。

 衝撃波シャウトを受けた虹は波紋を描いて消え去り、地上の炎も吹き飛び、そして人々の姿もなくなった。少々荒っぽいやり方だが、消し炭になるよりはマシだろう。


 渦は次から次へと造られる。一体、どれだけの竜が生まれようとしているのか。

 DSx4vでNow-Manメッセンジャーの音声チャットを立ち上げる。

「草太! 消防にも戦いが終わるまで近づかないように言って!」

「なんだって? お前の怒鳴り声のせいで、耳が痛くてよく聞こえない!」

「役立たずって言ったんだよ!!」

 一方的にメッセンジャーを切った。

 草太はバカだが、無能ポンコツではない。今のチャットとこれから展開される光景を見て、何を言いたかったのか察してくれるだろう。

 急いで不破化インビンシブルの魔法を衣服に付与エンチャントする。これでもう、今より服が破損することはない。これで、わずかに残った羞恥心に悩まされることもなく、竜と存分に戦える。

 ボトボトと、沙椒蛇サラマンダが産み落とされていく。

 その数、ざっと10匹。サイズは人間より一回り大きいくらいだろう。まだ子供の沙椒蛇か。

 しかし、数が数だ。そして小型であれ、成体と同様に無限に炎を吹き続ける。

 今のさゆりには、決して侮れない相手である。

 しかし、迷っているヒマはない。すでに沙椒蛇ヤツらは炎を吹きはじめている。人々を護るためにやるべきことは一つ。このなりそこないどもを瞬時に殲滅することだ。

 もう一度咆哮シャウトをあげた。沙椒蛇どもがすくむ。先手必勝。目前の沙椒蛇に光の球ボールライトニングを叩き込む。破壊できたのは半身だけだ。もう一発撃ち込んで消滅させる。その右側の沙椒蛇も光波爆発ライトウェーブ・バーストで吹き飛ばした。

 このあたりは竜気が濃い。確実にとどめをささない限り、沙椒蛇の体組織は無限に回復していく。

 しかし、それはさゆりも同じだった。竜気のおかげで、使った魔力が徐々に回復していく。

 そして 明らかに、先ほどよりも


 いける。そう信じられた。


 杖を下に振ると、その先に長い光の刃ライトニング・ブレイドが生まれた。横凪に振るう。光の刃は300メートルの長さまで伸び、全ての沙椒蛇を真っ二つにした。

 第一波、全滅。だが、頭上の虹は消えていない。すぐさま第二波が現れる。

 今度は中型の沙椒蛇が三匹。咆哮で動きを止めて一匹に突撃。光の刃で切り上げた。一瞬にして沙椒蛇は泡となった。そのまま飛び上がって体をひねる。次の沙椒蛇の頭にローリングソバット。輝く右足を受けて頭が吹き飛んだ。だが、まだ生きている。着地と同時にゼロ距離の光の球ボールライトニング。決まった。残るは一匹。遠距離からの光波爆発ライトウェーブ・バースト。今度は一撃で沙椒蛇を消滅させた。


 自分の力が、高まっていくのが分かる。

 なんだ、この高揚感は。

 さっきと今で、何が変わったのか。


 第三波。大型が五匹。

「まったく、どれだけ出すつもりなんだい!」

 その背後にいるだろう赤竜に叫んだ。しかし、その声は歓喜にあふれていた。

 勝てるという実感は、しぼんでいた彼女の心に自信の二文字を蘇らせた。沙椒蛇を殺すたびに喜びに震え、失望から解き放たれたさゆりの気持ちが強さに変わる。

 五つの光の球を生み出す。さゆりの体を離れたそれらは、ターゲッティングされた各個体めがけて飛翔し、沙椒蛇たちを爆散させた。

 今の私は、みのりと同じくらいに戦えているはずだ。

 その愉悦が、勝利に対する飢えが、みのりへの競争心が、彼女にさらなる戦いを求めさせた。


 第四波。今度は大型が一匹だけだった。

「たった一匹で、今の私に勝てると思ってないでしょうね!」

 さゆりは咆哮をあげると同時に。光の刃を叩き込んだ。

 だが。

 その刃は、沙椒蛇の体半ばで消えてしまった。

「あ、あれ…?」

 急に体が重くなる。目の前が暗くなる。膝から下に、力が入らない。


 昨日のみのりと一緒だ。

 魔力が、尽きてしまったのだ。

 さゆりを嘲笑う、輝銀竜プラチナ・ドラゴンの顔がフラッシュバックする。

 あの時と同じことを、またやってしまったのか。

 悔しさで奥歯がギリリと鳴った。

 戦いに夢中になっていて気づかなかったが、河川敷と土手は再度に炎に包まれていた。

 その中で彼女だけがだった。

 いや、無傷という言葉は、正確ではない。焼けただれた肌が次々に再生されていたのだ。周囲の竜気と、そしてさゆりの中の魔力によって。

 魔力が尽きたと同時に、限界まで使った肉体もきしみ始める。息があがり、激しく肩が上下する。

 さゆりはもう、立っているのがやっとという有様だった。


 上空で、虹色の渦が一つとなった。

 その中から、赤い鱗に覆われた、巨大なかぎ爪がついた腕が伸びてきた。傷ついた沙椒蛇を踏みつぶす。沙椒蛇は歓喜にも似た甲高い悲鳴をあげると、泡となって消えた。

 渦はやがて竜の姿を象った。

 複雑な形状の角と、炎にも似たヒレがいくつもついた頭。それを支える長い首。河川敷公園を縦断するほどの巨軀と、それを支える太い四肢。その背には、体色と同じく赤色の、蜂の羽に似た翼が大小二対伸びている。

 説明するまでもない。それは世界で一番有名な、炎を吐くドラゴン、赤竜レッドドラゴンだ。

 岩をも溶かす高温の炎に、鉄すらかみ砕く顎と、鋼さえ引き裂く鍵爪。まさに大地に竜災ディザスターをもたらす破壊の化身。あらゆる人々に恐れられた赤い魔獣。その力は竜王キングドラゴンにも匹敵するとさえ言われる、竜災ディザスター級の首魁である。

 赤竜は憤怒を含んだ赤い瞳で、さゆりを見下ろしていた。さゆりも気丈に赤竜をにらみかえすが、魔力が尽きた今でははったりでしかない。

 せめて竜気が魔力に転換されるまで時間があれば。体を支えられる力が戻れば。

 しかし赤竜は無慈悲にも顎を開き、強烈な咆哮ドラゴンシャウトと共に、真っ青な炎を吐き出した。

 即座に障壁を作って投げつけると、炎に覆われた草地を走り、土手の上まで駆け上がった。

 赤竜は腕を振り上げ、さゆりを八つ裂きにしようと試みる。避けようとしたが、力が入らなかった。とっさにかざした腕が折られた。人間なら、痛みで気絶していたかもしれない。

 折れた腕がゆっくりと再生していく。やはり、再生の速度が遅い。竜気の吸収が間に合わないのだ。

 沙椒蛇をけしかけたのは、さゆりを消耗させるためだったのか。そんな単純な策に、自分は乗せられてしまったのか。勝利に酔いしれ、自分の消耗に気づかず、赤竜の掌の上で踊っていたというのか。

 竜王キングドラゴンであるこのダイヤモンド・ドラゴンが!

「クソッ! クソッ…!」

 うめいた。勝利するたびに強くなったのは、さゆりが自信を取り戻せたからだ。だが今は、自信の代わり涙がわいてくる。

 22年前あの日から、まるで成長していない。なんてバカなんだろう。こんなバカな女が、金剛竜なんて。竜見の宗家だなんて、冗談にもほどがある。

 その場にへたり込んだ。魔力も気力も尽きた。

 もう、戦えない。勝てる気がしなかった。

 このまま赤竜の攻撃を受ければ、自分はラクになれるんだ。長く自分を苛んだ自己嫌悪からも、解放されるんだ。そんな気持ちにすらなっていた。

 再度、赤竜が叫んだ。目を閉じて最期の時を待った。

 だが、そのかぎ爪は、いつになっても振り下ろされることはなかった。


 銃声がした。ドスッと、何かが落ちた音がした。目を開くと、赤竜の爪がアスファルトの上に落ちていた。

「どうじゃ、部位破壊ってヤツじゃ!」

 まさか。

 そこには、白い軽トラックサンバーがあった。リアエンジンにしてリアドライブ。農道のポルシェとも呼ばれるニクいヤツだ。

 いつのまに、そんなところにいたのだろう。サンバーは、戦場のわずか300メートル先にあった。荷台には三八式歩兵銃を携えた熊さんが、運転席には制服姿のみのりがいる。

「サイパンじゃ、森に紛れてアメ公どもの頭を撃ち抜いていたんじゃ」

 手慣れた動作で排莢する。

「あんなでっかい爪など…」

 フォアグリップをサンバーの屋根に乗せ、熊さんは射撃姿勢を取った。

「外せって言われても外せんわ!」

 命中した弾丸は、着弾と同時にまばゆく爆発し、赤竜の爪を粉砕した。言うまでもない。みのりの付与エンチャントの威力だ。

「なにやってるの熊さん! あぶないよ!」

 軽トラックの運転席に座るみのり。荷台で銃を構える熊さん。なにもかもが、異様な光景だった。

「支援はワシにお任せじゃ!」

 熊さんはさらもう一本、爪を折った。だが折られた爪も、竜気を吸って回復していく。

 思わぬ横槍に怒り狂った赤竜は、まなざしを熊さんに向けた。咆哮と同時に青い炎を噴き出す。

 だが、炎は熊さんには届かなかった。

 運転席から降りたみのりが、赤竜に向かって手をかざしていた。その手に連動するように、キラキラ光る障壁バリアが熊さんを護っていた。

「おかあさん、ここは私に任せて! もうおかあさんは…」

 その姿勢のまま、さゆりに顔を向けた。

「みのり! あんたは手を出すな!」

 気を吐いて、みのりの言葉を遮ると、さゆりはふらふらと立ち上がった。

「これは、あたしの戦いなんだ」

「でも」

「おかあさんの言うこと聞けないの! みのり!」

 みのりの顔を見たら、弱気な心が吹き飛んだ。

 小憎らしくて、愛らしい、私の娘。そして好敵手ライバル。無様な姿は、母として、そして女として、この娘だけには見せたくない。

 みのりは肩をすくめて、クスッと笑った。

「そうだね、私はおかあさんの娘だもんね」

 熊さんの銃弾が、赤竜の頭にヒットした。赤竜はひるんで後退した。

「それでこそ、最強の竜殺しダイヤモンド・ドラゴンだよ、おかあさん」

 みのりは、にっこりと笑った。まるでその言葉を待っていたかのように。


(つづく)

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