収斂する世界
「じゃ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃーい」
デミオに乗り込むさゆりを、みのりは左手を振って見送った。さゆりはめずらしく春らしい薄桃色のスーツ姿。みのりは昨日買ってもらった、桃色のスプリングセーターに白のスキニーパンツ。選んだのはあおいだった。
良い天気であった、左手を青空に向けて、大きく伸びをした。右腕は、まだ欠けたままだった。
入口の札はCLOSEのまま。店内に戻ると、店舗と居間をつなぐ上がり
「ん? ワタシか?」
キイインという音と共に、鏡が甲高い声をあげた。
「他に誰もいないでしょ」
「ま、そうだな」
「私がいた世界と、この世界の出来事について、ちょっと考えたいの。手伝ってくれる?」
「いいですとも」
鏡は再度、キイインと鳴った。
★3/10。金曜日。
「みのり」が「さゆり」の元にやってきた日であり、同時にみのりがこちらの世界に来た日でもある。言い換えれば、鏡はこの3/10という日を基準として、鏡は並行世界の「負けたさゆり」をみのりに転生させている、ということになる。
「3/10に召喚している理由は、アオイがミノリの元となる素体を持ってくるのが3/1だからだ。そこから「負けたサユリ」を呼び出すのに10日かかる。それだけのことさ」
さらにこの日には、
イベントが集中しているこの日は、まさに特異点と呼ぶにふさわしい。
「その日に緑竜と蒼灰竜が顕現するのは?」
「たまたまだろう。並行世界の中には3/10にミノリが生まれなかった時間軸もある。だが、その二竜は変わらず3/10に顕現している。おそらくなんらかのプログラム通りに動いているのだろう。それら全ての要素がからまって、見事に特異点化しているということだな」
「仮に私たちが輝銀竜に負けたら」
「サユリはまた別の時間軸の3/10に、ミノリとして転生することになるだろう」
さも「当然だ」と言わんばかりの、鏡の態度であった。
★3/11。土曜日。
この日は、前の世界では大田区上空に
さゆりの行動も変わっていた。前の世界ではみのりと楽しく駅前のスーパーで買い物していたが、この世界では翠雲に呼ばれて六本木の御厨ビルまで行くこととなっていた。
「どちらの竜も、御厨の三長老の抹殺…いえ、
「そう考えるのが妥当だな。こちらの世界でより賢い白竜が現れたのは、
「眠っているはずの
「そうだ。だが、一つ、紫菫竜には大きな誤算があった」
「誤算?」
「キミの存在だ。まさか金剛竜が二人、それも完全に竜として覚醒した金剛竜がいたなどと、紫菫竜は思いもよらなかっただろう」
「そうかもね」
もっとも、それこそがこの世界に「みのり」が作り出された理由だろう。
「なにしろサユリはあのていたらくだ。竜としての自信も、女としての自信も失った今のふぬけたサユリなら、
「女としての自信は関係ないと思いますけどねー」
みのりはジト目で鏡を睨んだ。キインと鏡が短く鳴った。どうやら、咳払いのつもりらしい。
「キミの世界では、蒼竜は
「その前に赤竜は、乙ヶ宮を襲ってるわ」
★3/12。日曜日。
この日はどちらの世界も同じく赤竜が現れた。草太が監督を務める少年野球を見に行った時、狙ったように赤竜が眷属の
「赤竜はサユリが孤立するのを待って襲ってきたのだろうな」
竜災級最強の赤竜をけしかけてきたのは、未覚醒の
特に金剛竜としての力を出し切っていない、さゆりは。
「赤竜の作戦に変化はなかったようだな」
「そうだね。こちらの世界の赤竜も、お母さんの消耗を狙っていたように思う」
「なるほど。3/12は、二つの世界とも
★3/13。
「前の世界では、13日から15日までの三日間、「みのり」師匠に魔法の特訓を受けたよ」
「だが、こちらの世界では
「そして東京に赤竜も現れた」
ふうむ、と息(?)をついて、鏡は黙ってしまった。
「昨日の黄龍の出現は、いささか威力偵察らしい雰囲気もあったと聞いた」
「お母さん、言ってたね。黄龍が死に際に言葉を残してたって」
「黄龍は、何を知りたがっていたのだろう、と考えたら、一つの答えに行き着いた」
「なに?」
「キミだよ。キミの存在だ。おそらく今の紫菫竜は、サユリよりもミノリの方が気になっているように思う。キミの存在は紫菫竜にとっては完全なイレギュラーだからな。少なくとも、紫菫竜が狙う金剛竜抹殺の邪魔になっているのは間違いない。そしてもうひとつ」
「もうひとつ?」
「この世界の紫菫竜は、ミノリのミッションに気づいている。だからサユリに訓練する暇を与えず、絶え間なく彩色竜を繰り出しているのだろう」
いまのさゆりでは、他の
みのりの役目は、未覚醒なさゆりのサポートをすると同時に、彼女の中に眠っている
みのりの体は、所詮レプリカだ。金剛竜の力を100%引き出せるが、竜気のキャパシティが少なすぎる。いまだ欠損している右腕を見れば、失った竜気の吸収も遅いように思われた。
つまりみのりは、どこまでいってもさゆりのサポートユニットに過ぎないのだ。
だからさゆりを覚醒させなければならない。それができなければ、人類は紫菫竜か輝銀竜によって、滅ぼされるしかなくなる。
昨日、輝銀竜に吹き飛ばされた青山の様子を見よ。隕石を落とされたシドニーの景色を思い出せ。あのような地獄が日本各地に、いや世界中に広がっていくのだ。
「と考えると、今は非常に危険な状態だ。なにしろ紫菫竜は、もう一枚牌を握っているのだから」
「…蒼竜…」
鏡は、キイインと鳴った。
チクタクと、柱にかけられた古びた時計の音が、やけに大きく聞こえる。
ややあって、みのりが口を開いた。
「どうでもいい話なんだけど」
「なんだ?」
「あんたの理屈っぽい話し方。稔と話しているような気分になる」
「ワタシを作ったのはミノルだし、コアとなっているZ80はミノルが使っていたパソコンのCPUだ。どこかしら人格が似通うところはあるだろう」
それとも、と鏡は言葉を続けた。
「
「そうかな」
「さあ。ワタシはただ、ミノルとサユリに作られただけの魔法生物だ。創造主の考えをはかるような、不遜なマネはできないよ」
「そう考えるとあんたも、
「フフ、違いないな」
その言葉を最後に、鏡は沈黙した。
そういえば今日はホワイトデーであった。誰になにを返すあてがあるわけではないが、今日くらいは平和に一日が終わればいいなと、みのりは思った。
(つづく)
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