炎華と翠樹のデジャブ

 みのりを背負って店内に戻ると、あおいが駆け寄ってきた。

「ねえさん! 大変だよ!」

「どうしたんだい?」

「いいから、こっちに!」

 あおいが子供のように袖を引っ張った。


 連れてこられたのは、家電売り場であった。

 売り場の目玉でもある、70インチの有機ELテレビの前に、人々が集まっていた。

 その人の山が、さゆりが姿を見せると、まるでモーゼの十戒のように割れた。

「?」

 テレビに映っていたのは、空飛ぶ赤竜レッドドラゴンだった。

 場所はどうやら六本木のようだ。先日訪れたミッドタウンタワーが映っている。タワーは窓ガラスを失い、廃墟のような無残な姿をさらしていた。

 音速で飛翔できる赤竜が飛び回った結果だろう。

 テレビを見たさゆりは、顔色を失った。

 赤竜を見たからではない。

 火の海となったミッドタウンタワーの麓に、翠色の鱗を煌めかせる、老いた竜の姿を認めたからだ。

(じいさん…!)

 それは、御厨みくりや家の長老、翠雲すいうんが真竜化した姿。緑柱竜エメラルドドラゴンである。

 宝石竜ジュエルドラゴンたる竜殺しドラゴンスレイヤーは、一生に一度だけ竜の姿に戻ることができる。これを竜化リ・バースという。

 しかし竜化は人としての姿を失うこと、すなわち命を終えることと同義である。

 翠雲は、赤竜と差し違えるつもりなのだ。

「う…ん…」

 背負っていたみのりが、うなされはじめた。

 目を覚まそうとしている。だが、竜気が足りないのだ。

 黄龍イエロードラゴンを倒した時、みのりにも竜気が入ったはずだ。今も、さゆりの背中を通じて、いくらか竜気が流れている。

 だが、みのりを再起動するには、まだまだ足りないのだろう。

 店員が、折りたたみの椅子を持ってきてくれた。みのりを座らせると、その頭に右手を置いた。


 赤竜は大きく息を吸い込むと、地表に向けて燃えさかる火炎を吐き出した。ミッドタウン周辺の建物が炎にくるまれ、引火した雑居ビルが溶解していく。

 緑柱竜は巨大な翼を広げて飛び上がると、ミッドタウンタワーの頂上に立った。

 飛び回っていた赤竜は、連なってデルタ翼となっていた四枚の翼をバラバラに羽ばたかせ、翠竜の正面に滞空した。

 緑柱竜は、大きい。体格は彩色竜の中で最も大きな蒼竜ブルードラゴンに匹敵する。操る力は樹木であり、戦いよりは治癒や防御に向いた宝石竜である。白竜との戦いで竜気を失ったみのりが短時間で回復したのも、翠雲の力があってのことだ。

 対する赤竜は、竜災ディザスター級の中では小柄である。巨躯を誇る緑柱竜と比べれば、全長は半分にも満たない。だが、その破壊力はあらゆる竜災級を超える。赤竜が竜災級筆頭なのは、その強烈な火力にあるのだ。

「この戦い、じいさんが圧倒的に分が悪い」

「どうして? ねえさん」

「赤竜は火、じいさんは樹だ。相性が悪すぎる」

 さゆりは首を横に振った。


 二匹の竜のにらみ合いは続いている。

 やはり彩色竜クロマチックドラゴンは、宝石竜ジュエルドラゴンを殺しにきている。白竜ホワイトドラゴンが果たせなかった使命を、赤竜が受けたのだろう。

 誰からか? それは麒麟の言葉の中にあった。

紫菫竜ヴァイオレット・ドラゴン…)

 彩色竜の女王にして全ての竜の母。ここに来て頻発する彩色竜の顕現は、全て紫菫竜の指図によるものであるらしかった。

(なぜここにきて、紫菫竜が目を覚まそうとしている?)

 その刹那、緑柱竜がミッドタウンタワーを蹴って赤竜に飛びかかった。赤竜は俊敏にその一撃をかわした。だが緑柱竜はそれを読んでいた。尾を振り回して赤竜の動きを止める。

「うまい!」

 動きが止まれば、体格に優れる緑柱竜のターンだ。両手を組んで振り上げると、赤竜の頭めがけてスレッジハンマーを叩きつけた。

 赤竜は自らが火の海へ変えた桧町公園に墜落した。

 緑柱竜は口を広げて竜息ブレスを吐いた。緑柱竜の息は烈風となり、赤竜の鱗を切り刻んでいく。

 だが、赤竜もやられたままではない。四枚の翼を羽ばたかせて上空へ飛び上がると素早くデルタ翼に変形させ、音速での飛行を始めた。そして緑柱竜のレンジ外から火球の砲撃を開始した。老いた巨竜の動きは遅い。赤竜の動きに追いすがることはできまい。火炎を蔦の盾アイビー・スクトゥムで防ぐのが精一杯だ。

 隙を見て世界樹の枝ユグドラシル・ブランチの魔法を投げるが、巨大な樹枝も赤竜の強烈な炎に炭となって届かない。

「どうするんだ、じいさん」

 蔦の盾で防御しつつ、緑柱竜はヒルズタワーの屋上に降りた。赤竜は赤坂上空にあって砲撃を続けている。流れ弾が麻布近辺に着弾し、高い火柱をあげた。

「あっ」

 ヒルズタワーをとらえた映像を見て、さゆりはある事に気づいた。翠雲は、ただ防戦しているだけではなかったのだ。

 そして、赤竜が赤坂の緑地上空に入った時だった。

「いまだっ じいさん!」

 さゆりの声と同時に、地表から樹木の槍が伸びた。高層ビルのような樹が何本も天を突き刺し、飛翔する赤竜の機動を遮ったのである。

 動きが止まった赤竜の体を、槍を這い上がってきた蔦がいましめる。

 ヒルズタワーの屋上から垂れ下がった緑柱竜の尾から蔦が伸びて、隣接する毛利公園の中に入っていた。これにより、緑柱竜は、この地域一帯の植物を統べる存在となった。

 赤竜はもがきながら火炎を吐き、槍と蔦を焼き切ろうとする。緑柱竜はヒルズタワーの側面を蹴って加速、翼を広げるといまだ動けない赤竜に迫った。赤竜は接近する緑柱竜に火炎を放った。だが緑柱竜は怯まず赤竜に突撃する。

 どのみち、死ぬ運命である。赤竜を道連れにできれば、それで良いと翠雲は思っているのだろう。

 炎に包また緑柱竜は赤竜を掴むと、首元に頭の角を突き立てた。そして右腕をねじ切ると、渋谷方面に投げ飛ばした。赤竜の体は表参道付近に落下して爆発した。

「やった!」

「勝ったの!?」

 テレビを見ていた周りの人たちが色めきたつ。

「いけないっ!」

 だが、そこに一つ、危惧の叫び声があがった。

 みのりが、目を覚ましていた。

「どうしたの」

「あれっ」

 画面のあるポイントに、みのりは左の人差し指を伸ばした。

 見れば表参道の上空に、巨大な虹の渦ができていた。

 炎をまとった緑柱竜も、表参道に向かって飛んだ。

「行っちゃダメ!」

 ガタッと椅子の足を鳴らして、みのりが立ち上がる。だが、よろけて倒れそうになる。

「あぶないっ!」

 すぐにさゆりが抱きかかえた。

「お母さん、プラ…」

 家電売り場にどよめきが起きた。

 赤竜は、まだたおれてはいなかった。表参道の炎の中で、むっくりと立ち上がった。そして上空の緑柱竜に向かって炎を吐いた。

 そして…。


 テレビ画面が真っ白に「焼けた」。そして暗転すると、映像が終わった。

 家電売り場に動揺が走った。

 なにが起きたのか。

「…」

 それを知るのは、この中ではただ一人、みのりだけであった。

「運命は、大きく変わらないんだ…」

「運命…?」

 みのりは、力なくうなずいた。


 その日、渋谷区を中心とした23区南西部で、大きな爆発が起きた。

 空中に火球が現れ、それはやがてキノコ雲へと姿を変えた。

 爆心地から半径1km以内は焼け野原と化し、およそ10~20万の人間が死傷した。

 争っていた赤竜、緑柱竜は姿を消し、代わりに白銀プラチナ色の竜が、爆煙の中を飛んでいたとの証言が多く寄せられたらしい。

 そしてその日の夜。行政からさゆりに呼び出しがかかった。明日T県庁にて、竜対策を検討する緊急のミーティングを開催するということになったからだ。

 家に戻ると、みのりはまた眠りについた。泥のように眠り続けた。

「明日は私だけでいく」

「それがいいだろうな」

 さゆりは鏡の前で、両腕を組んでいた。

「それにしても…」

「どうした?」

「みのりは輝銀竜が出てくることを、知っていたような口ぶりだった」

 その言葉には、鏡はなにもこたえなかった。

 何か知っているような気配はあったが、どうせ口を割ることはあるまい。22年のつきあいの中で、この鏡の性格アルゴリズムは把握している。主人の問いにすら拒絶する生意気な導具マジックアイテムであるが、これでも恋人の形見である。

「みのりのこと、頼んだよ」

「まかされた」

 それ以上のことを聞かず、さゆりは鏡との会話を終えた。


(つづく)

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