ある竜殺しの日常(1)
さゆりが作っておいてくれた昼食を食べ終わった頃、店の電話が鳴った。
「あー、みのり? お母さん。首相から竜災対策会議を開くので、参考人としてきて欲しいって連絡があってさ、今から東京に行くことになった。今日は戻らないから、安芸津の家でお世話になって。あおいには連絡してあるから。ちょっとしたら迎えに来ると思う。家の鍵は、いつもの場所に隠してあるから、
けだるそうな中にも声を弾ませていたのは、竜の顕現が相次いだことで、これまで散々冷遇されてきた
すなわち、さゆりの承認欲求が満たされたということだ。
店の入口の脇に置かれていた植木鉢に
正体を知られたかとも思ったが、「違う世界のさゆりの娘」という話をまるまる信じている可能性の方が高いようにも思えた。みのり自身だって、この世界に転生するまでは、みのりの正体が自分だったと思いもよらなかったのだ。
「責任だけ押しつけられて、精神的に参らなきゃいいけど。サユリ、ああ見えてトウフメンタルだから」
店に戻ると、鏡が甲高い声をあげた。
「自覚してるよ。豆腐メンタルって」
と言いながら、こつんと鏡を叩いた。
さゆりからの電話からおよそ三十分後。エンジン音が店の前で止まった。
「ん? あおいかな?」
それにしては、
ピンポーンと、呼び鈴が鳴った。あおいならば、呼び鈴など鳴らさない。誰だろう?
ゆっくりと店の扉を開けると、そこには細身の、紺色のスーツ姿の男がいた。
見覚えがあるなと思って、彼の背後にとまっているクルマに目を移す。「下野新聞」と書かれたホワイトのアクアだ。
そうだ。新聞記者の
彼には
「昨日、からすばキャッスルに
そういえば彼には、貸しがひとつあった。
店の中に通して、椅子を用意した。お茶を用意しようと思ったが、お湯がわいていなかった。
「あ、おかまいなく。アポもなく急におしかけてきたわけだし」
横堀は手に提げていた紙袋をみのりに渡した。
「私を取材しても、あまり面白い記事にならないと思いますが」
「いやいや、みのりさんのような美少女が、地元の人たちのために戦ってくれた、というのが、いいストーリーになるんですよ」
「ストーリーですか」
ひとりでに頬がほころんだのは、言うまでもなく美少女と言われたからだ。特に「少女」の響きがいいと、実年齢40歳のみのりは思うのであった。
「新聞もいまや、昔のようにただニュースや情報を載せるだけでは、売れないんです。新聞ならではの、新聞でしかできないアプローチができなかったら、ナウ・パックスのようなネット媒体に勝てませんからね。だから、ストーリーがほしいのです。それもフィクションではなく、事実に基づいたお話が。特に地方紙である弊社は、T県内で起きたことをしっかり掘り起こしたいと考えています」
仕事に対する真摯さや熱意を感じる。面白半分でみのりを追いかけている東京のマスコミとは違うということか。
「そういうことなら」
みのりの許可が下りると同時に、横堀はスーツの内ポケットからボイスレコーダーを取り出した。
横堀の質問が始まった。まずはみのり個人のこと、そして赤竜との戦いのこと、昨日の黄龍との戦いのこと…。
ストーリーがほしいと言うだけだって、横堀の質問は常に好意的であった。気になるキーワードがあると、スマートフォンを持つ手の親指を素早く動かす。
それにしても、美少女が一人いるだけで、これほど世間の心証が変わるものなのだろうか。
みのりが「さゆり」だった頃、長谷川というナウ・パックスの記者を名乗る男が突撃取材にやってきた。長谷川は、ネットで噂になっていた、竜の顕現と竜殺しの相関性を、失礼な口調で問い詰めてきた。
不愉快な思いをしていたところ、珍しく激昂した「みのり」が長谷川をまくしたて、追い出したのである。
今考えれば「みのり」も「さゆり」同様に、さゆりであった頃に無礼な取材を受けていたのかもしれない。
ただでさえ、政府の方針によってマスコミにバッシングされていた
だが、この世界では違った。みのりが白竜と戦った結果、美少女が人類のために戦っているというストーリーが勝手にできあがり、まるでオセロのように世間の目がひっくりかえったのである。
実際、ナウ・パックスの長谷川も、この世界では好意的であった。
これがポピュリズムかと、みのりはため息をついた。
しかし何にせよ、これから
横堀の取材は一時間に及んだ。一礼して去った下野新聞のアクアと入れ替わるように、あおいのRX-8が、
「取材? 珍しいわね、マスコミ嫌いなねえさ…みのりちゃんが受けるなんて」
「そんなに悪い取材じゃなかったしね。美少女の力は偉大だよ」
「ふうん」
みのりの美貌がどのようなエフェクトを発したのか、あおいはあまり興味がないようだった。
「それにしても、さっすが私のコーディネートは最高よね。超似合ってるじゃん、その服」
などと言いながら、あおいはスマートフォンでみのりの写真を撮った。
「旦那にNow-Manしよ」
「達樹さんは、私の事知ってるの?」
「知らないよ。出張多い人だから、私がどんな研究開発をしてるのか、多分よく分かってないと思う」
「それでよく夫婦生活破綻しないな」
「お互い忙しいと分かっているし、それを覚悟して結婚しているからね。一緒にいられない時間が多いのも、最初から分かっていたしね。ま、一言でいえば、その辺の夫婦とは信頼の強さが違うってことですよ」
ふふんと鼻を鳴らしながら、Now-Manの送信ボタンを押した。
「みのりちゃんの写真見て、どう反応するか楽しみ」
「そりゃもう萌えまくりでしょ。なにしろこのかわいさ、美しさだもの」
ポニーテールをかきあげウィンク。それをすかさず写真に収めるあおい。
しばらくしてあおいの夫、大和田達樹から返信がきた。
「誰この美少女? だって」
思ったより淡泊な反応だった。この夫婦は分かっていない。「さゆり」が渇望してやまなかった、若さと美貌を手に入れた感動を。そして、それによってもたらされた魂の安寧を。
再度、あおいのスマートフォンが着信音を鳴らした。
「そういえば、どこかさゆりねえさんに似ているかも、だって」
「鋭いな、達樹さん」
「実はねえさんの娘です、と返してみよう」
しかし残念ながら、そのメッセージへの返事はなかった。おそらく、仕事に戻ったのだろう。なにしろ、多忙な男なのだ。
「一度あきつ家に寄ってほしいと母さんに言われてるのよね。お店始まる前に行こうか」
「おふくろさんたち、私を見てきっと驚くだろうね」
「間違いないよ」
お互い、いたずらっ子のように笑いあう。
お泊まりの荷物を用意すると、留守番よろしくと鏡に告げ、店を後にした。
(つづく)
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