灼熱のリバーストーン(2)

 名賀川ながかわの河川敷公園は、あの時と同じく炎の海と化していた。

 抜けるような晴天の中で、そこだけが闇の天蓋に覆われている。巻き上がった灰が黒い雪のように降ってくる。

 アクアのフロントガラスに、燃えカスがいくつも張りつく。ワイパーが動くたび、黒い筋がついていく。

 河川敷公園の入口となっている土手の道には、多くの消防車が並んでいた。付近には、公園から避難してきた人々が集まっている。

「ここから先は進入禁止だっ! 帰ってください!」

 アクアの前に、メタリックな防護服を纏った消防士たちが立ちふさがる。

「私、竜殺しドラゴンスレイヤーですっ!」

 みのりは助手席から躍り出る。

 竜殺しを名乗る制服姿の少女を見た消防士たちは驚きを隠せないようだった。

 だが、この中に、みのりの事を知っている者がいた。

「その、さゆりちゃんのむすめなんです!」

 ピンクのワンピース姿の早苗と、ユニフォームを着た草太だった。

「みのりちゃんだよね。さゆりなら、ドラゴンと戦っている!」

「さゆりちゃん、みんなを逃がして、一人で戦ってるの。早く、助けにいってあげて」

「はいっ!」

 消防士たちは道を開けた。

「ここも危ないので、逃げてください」

 早苗と草太、そして消防士たちにそう告げた。

 赤竜がくるという予感…いや、確信があった。

横堀よこぼりさん、ありがとうございます。私、行きます」

「戻ったら、独占インタビューよろしく!」

 みのりは微笑みだけを返すと、足首から光の翼をのばし、土手を下っていった。


 炎を障壁でかき分けながら、戦場へと向かう。炎の勢いが強く、視界がまったく確保できない。

「お母さん! どこ!」

 竜語ドラゴン・ロアで叫んだ。空気の振動を介さずにとおる竜語ならば、さゆりの耳に届くはずだ。

「みのりっ!」

 聞こえた。左に転回し、声の方へと急ぐ。

 炎壁の先には、シャンパンゴールドのシュシュで髪をまとめたさゆりがいた。

 簡易的な不破化インビンシブルをかけた服を破かれながらも、沙椒蛇サラマンダを退けていた。

 だが、もう限界だろう。手にした胡桃のウォルナット・スティックからも、魔力を感じることができない。

 その背後には、爆散した愛車ヴィヴィオのフレームが転がっていた。

「来てくれたんだね」

 みのりの姿を見て気が抜けたのか、さゆりは体勢を崩して膝をついてしまう。

「まったく、情けないね。最強の金剛竜ダイヤモンド・ドラゴンが、雑魚を相手にこの有様だなんて」

 さゆりの顔に浮かんでいたのは、無力な自分への自嘲だった。

「あたし一人の力で、なんとかしてやろうと思ったんだ。ハハッ。だけど無理だった。昨日のあんたみたいに、あたし、戦えなかったよ」

 沙椒蛇サラマンダを生み出した虹の渦が収縮していく。

金剛竜ダイヤモンド・ドラゴン…失格だね」

 ふらっと、さゆりは立ち上がった。その肩は、力なく傾斜している。

「そんなことないよ!」

 みのりは向き直って、さゆりの肩をつかんだ。

「そんなことないよ、お母さん。お母さんは…」

 何を、どう言えばいいのだろう。どんな言葉をれば、さゆりの絶望を救えるのか。

「…」

 みのりが、言葉を選んでいる時、

「くる、赤竜レッドドラゴン

 さゆりの、唾を飲んだ音が聞こえた。


 灼熱と同じ色の鱗を持つ巨竜が、ひときわ大きな虹の渦から姿を現した。

 みのりは背中からのばした光の翼を羽ばたかせると、一瞬で赤竜の頭上に飛び上がった。

「一瞬で決めるっ!」

 右手から伸ばした光の刃で、顕現したばかりの赤竜の首をはねとばした。

「クリティカルヒット…ってヤツだよっ!」

 どうと音を立てて、竜の頭が地面に転がり、いくつもの泡となって消えていった。

 みのりが地上に降り立つと同時に、赤竜の巨体は操り糸を切られたかのように力を失い、炎に包まれた地面へと崩れ落ちた。

 長い尾が川面に落ち、白い蒸気をあげる。

「みのり、まだっ!」

 そうだ。首を落とされたくらいでは、竜は死なない。人間のそれとは違い、竜の頭は武器であり、感覚器であり、そして手足と変わらぬ器官のひとつに過ぎない。

 特にこの地は、竜気に満ちあふれている。失った首を回復し、再動する程度のことなど、造作もないのだ。

 ならば意味はないのか。いな。首を落とせば、竜息ブレス咆哮ドラゴンシャウトは封じられる。その間に息の根を止めてしまえばいいのだ。

 立ち上がった赤竜は、前脚を大きく振りかぶると、力任せに叩きつけてきた。

 飛び退こうとしたが、脚がもつれた。なにかにつまづいたように、その場に倒れてしまった。

 見上げれば、竜のてのひらが頭上に迫っていた。

 障壁を展開したが、体勢が整っていない状態で作ったそれは、わずかに腕を押し返しただけで、ガラスのように砕けてしまった。

 レプリカという言葉が脳裏をよぎる。

 身を縮めて、防御態勢を取る。だが、あの大きな腕が落ちてしまえば、自分の命も終わりだ。

 だが。

 竜の手はみのりの体に届かなかった。

 重厚な障壁が、みのりを包んでた。

「お母さん!」

 みのりの目の前には、滑り込んできたさゆりがいた。右手を上に広げて、障壁を維持したまま、みのりの方に向き直った。

 攻撃に失敗したと知った赤竜は、翼をはばたかせて上空へと飛び上がった。滞空する赤竜の頭部は回復し、完全な姿へと戻っていた。

 赤竜は大きく息を吸い込むと、地上に向けて灼熱の炎を噴き出した。

「いけないっ!」

 沙椒蛇のものとは比べものにならない炎が河川敷を覆った。

 炎の津波は勢いよく土手を駆け上がり、あらゆるものを焼き尽くした。新芽を伸ばしはじめた草は一瞬で白い灰となり、アスファルトは溶けて黒い煙を吐き出した。

 視界の全てが炎で満たされていた。さゆりが作った障壁のドームの中は安全であったが、炎が生み出す強烈な熱気までは防げなかった。

 さゆりは汗まみれになっていた。竜としては耐えられても、人間の部分が悲鳴をあげていたのだろう。

 その点、純然たる竜の素体を与えられた金剛竜のレプリカは強かった。

 みのりは竜気を取り込み、魔力の回復を待った。さゆりはそろそろ限界だろう。障壁が消えれば、大やけどを負うかもしれない。

(そんなこと、私がやらせない)

 試しに指先に魔力を集めてみる。強い輝きをはらみながら、光は刃となっていく。

 障壁を出てジャンプし、赤竜の首を再度落とす。何度か頭の中でシミュレーションした後、

「お母さん。私、いくから」

 みのりは地を強く蹴って炎の海を飛び出した。炎の波を抜けたところで背中から光の翼を伸ばし、さらに高く飛び上がった。

 赤竜は四枚の翼を交互に羽ばたかせると、みのりから距離を開けた。明らかにみのりの「強さ」を警戒していた。

 だが、その動きもシミュレートしていた。上空で戦うと決めたのは、遠慮無く刃が振れるからだ。

「これならっ!」

 みのりの右腕が強く輝いた。空を貫くような長大な刃が、空間ごと赤竜を斬り捨てた。

 しかし。

 身体の半分を泡に変えながら、赤竜はみのりへ突撃してきた。

 20メートルを超える巨体が、少女の身体を吹き飛ばした。そしてそのまま、虹の渦の中へと消えていった。


 なぜ『みのり』が力を使い切って倒れたか。今なら分かる。

(レプリカの身体は、魔力を多く蓄えられないんだ)

 赤竜を倒しきれなかったのも、魔力が少なくて刃の威力が出なかったせいだ。

 みのりは泥の中で大の字になっていた。まだ水が張られていない田んぼの中に落ちたのだ。

 立ち上がろうとするが、身体に力が入らない。赤竜の突撃を受けて、体組織にダメージを受けたらしい。

 血まみれになっているかもしれない。骨を砕かれたかもしれない。腸がめちゃくちゃになったかもしれない。竜の身体には痛覚がない。だから、身体がどうなっているのか、全く分からなかった。首すら動かないのだから、視覚で理解することもできなかった。

 土手では消火活動が始まったのだろう。水蒸気らしい白い煙が空を覆いはじめた。

「みのりっ!」

 声が聞こえた。聞き慣れた声だ。

 それはそうだ。なにしろ、自分の声なのだから。

 また、意識が遠くなっていった。さゆりの声を聞いて、きっと安心したのだろう。

「お母さん、ここだよ…」

 残された力でそうつぶやく、みのりの視界は暗転した。


(つづく)

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