灼熱のリバーストーン(1)
みのりが目覚めたのは、午前も残り1時間といったところだ。
大きく伸びをすると、さゆりが用意してくれていただろう、枕元の水を飲んで布団を出た。シーツも布団も汗で湿っている。下着やパジャマが濡れていないのは、さゆりが看病してくれたからだろう。
さゆりの予備のパジャマを着ていた。やはり、腰や足がぶかぶかだった。22年の年月は、女の身体をこうも変えてしまうのか。残念な気持ちになりながら、階下へとおりた。
家の中には人の気配がなかった。さゆりは買い物に出ているか、もしくはクマさんの家にでも行っているのか。店のテーブルの上には「街に出てきます。何かあったらケータイに電話してね」と、電話番号が書かれたメモが置かれていた。
二階に戻って制服に着替えると、ベランダに出て布団を干した。
そんな時だった。
「すいません、安芸津みのりさんですか?」
と、足下から男性の声が飛んできた。
「私ナウ・パックスの記者をしているものですが」
あの記者には見覚えがあった。さゆりであった頃、
以前のように、六本木の事件について、追及するつもりだろうか。まだ身体から疲れが抜けきっていない。問答をする気力もなかった。
無視して部屋に戻ろうとすると、「ちょっと待ってください!」と、予想外に明るい声で呼び止められた。
「ナウ・パックスではネットで注目されている、あなたの特集を作りたいと思っています。お手間はとらせませんので、写真とインタビューお願いできませんか?」
ネットで注目? なんのことだろうか。
その質問に答える前に、多くの人たちがこちらに向かってくるのが見えた。
マイクを持つ人、カメラを担ぐ人。ワイドショーなどでよく見る光景だ。
「すいません、安芸津みのりさんですよね。テレ赤の
「
「
眼下に集まっているのは、どうやら各メディアの記者たちらしい。
マスコミといえば竜殺しの敵。民王党政権と一緒に竜殺しヘイトを煽る憎き存在だが、不思議と彼らからは敵意を感じない。
むしろみのりの
昨日の戦いの、何が知りたいのだろう。
とりあえず話を聞いてみることにした。話をしているあいだに、竜殺しを責めるような流れになるなら、店に戻ってしまえばいい。
店から出ると、マイクが一斉に突き出された。カメラのレンズも全てみのりの方に向いている。
「壮絶な六本木の戦いから一夜明けましたが、現在のお体の調子はいかがですか?」
第一声は、みのりを気づかうような質問だった。予想もしない展開に、どう対応すればいいのか分からず、黙ってしまった。
「昨日の報道でみのりさんへの注目を集まっていますが、今はどんなお気持ちですか?」
という、予想外な質問が飛んできた。
そういえば。ナウ・パックスの記者も似たような事を言っていた。
「注目? 誰がですか?」
「あなたがです。安芸津みのりさん」
「え? 私?」
「ネットで話題になっているの、ご存じないのですか?」
寝ていたのだ。知るわけがない。なによりスマホを失った今、みのりが使えるネット端末はないのだ。その先の世界でどう騒がれているのか、今の彼女には知りようがなかった。
要領を得ない顔をしていたみのりを見かねて、マスコミ陣の一人がスマホを取り出し、一本の動画を再生した。
それは、昨日の戦いを空撮した動画だった。光の翼を背負ったみのりが、フィギュアスケーターのように氷床を滑り、冷気を吐く白竜と戦っていた。
「この報道映像とネットの動画で、今みのりさんが美少女竜殺しとして国民の注目を浴びているんですよ!」
「!」
美少女!
なんてステキな響きだろうか!
「いや、そんな…美少女だなんて」
照れ笑いしながらも、数少ない自尊心を刺激されて、みのりは有頂天になっていた。
「こんなに美人のみのりさんが、これまで注目されなかったのは不思議ですね。竜殺しとして活動された事はあるのですか?」
「い、いえ…」
「では、昨日の六本木での戦いが実戦デビューですか?」
「ええ、まあ…そんなところです」
「高校の同級生は、みのりさんが竜殺しだとご存じなのですか?」
「え、いや…その…」
浮ついた気持ちも、答えづらい質問が続いて落ち着いてきた。
美少女。
かつて私は、そう呼ばれていたことがある。そう、20年以上も前のことだ。
全てがキラキラ輝いて、私の好きなものが全て揃っていて。そんな美しい時間。その中で最も美しかったのは…
「…」
美しかったのは…
…。
みのりは、黙ってしまった。
虚無感がにわかに、みのりの胸を支配したのだ。
「あの、みのりさん?」
「あ、ごめんなさい。その、プライベートの質問は答えづらいので、やめてもらっていいですか?」
そう、みのりは、今のみのりは、自分の存在を証明できる情報が何一つないことに、気づいてしまったのだ。
その後の問答は、ありきたりなものとなった。
そんなインタビューの最中の事だった。
南の空に、黒い煙があがっているのが見えた。
報道陣の中にも気づいた人がいたようだ。
場が、にわかにざわつきはじめる。
(あの煙は…)
脳裏に、
おそらくあそこには、さゆりがいるだろう。
「すいません、誰か、私をあの煙のもとへ…
その一言で、マスコミ陣も事態を察したようだ。
「なら、ボクが」
言ってくれたのは、下野新聞の記者だった。スーツ姿の、細身の青年だ。
「地元だから、河川敷までの道も分かります」
「すいません、大至急で」
「
「おそらく…まちがいなくっ!」
みのりの言葉で、報道陣もそれぞれのクルマへと戻っていく。目の前にスクープが転がっているのだ。これを拾えなければ、マスコミ人となど言えないだろう。
「記者さん、お願いします」
「
ドアに「下野新聞」と書かれたトヨタ・アクアの助手席に乗り込む。
「すいません、オレも乗せてもらっていいですか?」
助手席の窓を叩いたのは、ナウ・パックスの記者、長谷川だった。
「バスなんで、足がないんですよ」
「リアシートに。早く乗って!」
窓越しに、横堀が言った。
「すいません!」
長谷川がリアシートに滑り込む。
「飛ばしたほうがいいですよね?」
「任せます」
横堀はサイドブレーキを解放すると、アクセルを踏み込んだ。
アクアの前輪が砂利を掻き出すと、彼谷の急な坂を下っていく。
「ぐっ!」
エコタイヤが
山道になれていない長谷川が、横Gを受けてうめき声をあげ、アシストグリップを握りしめた。
煙の勢いが増しているのは、遠目から見てもわかった。
「もっと速く走れますか!」
「任せてください!!」
走り慣れている横堀のアクアは、車体を流しながら彼谷の坂を駆け抜けた。
(つづく)
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