ロッポンギ・ミッドタウン

 東京で有数の繁華街、六本木。その北西に建つ東京ミッドタウンは、六本木ヒルズと共に今の六本木を象徴する高層ビル群であった。

 竹林をイメージした外観をあたえられたミッドタウンは、北に広がる桧町公園と共に一種独特な都市空間を作り出す。そのビジュアルイメージは、六本木という街にあふれているセレブレティを形象する。


 あおいのRX-8は、そんな東京ミッドタウンの地下駐車場に滑り込んだ。

 コンクリート打ちっ放しの普通の駐車場からあがってきた先は、レストラン、高級菓子店が並ぶ商業施設の中であった。

 ファーのコートをまとったマダムの後ろを、スーパーの制服を着たスタッフが買い物カートを押してついていく。マンション内の自宅まで、購入した商品を届けるのだそうだ。

 思わずため息をついた。自分の知らない世界が、このミッドタウンには詰まっている。

「あおいの会社ってこのへんだっけ?」

「今は品川に移ったよ。六本木ってステータス的にはいいんだけど、やっぱ高いじゃん。駅も地下鉄しかないから、そんなに便利じゃないしさ」

 居心地はいいんだけどね、と言いながら、あおいはエスカレーターに乗る。さゆりとみのりもそれにならう。


 建物の外に出ると、トラスのキャノピーに覆われた広場に出た。左手にそびえ立つビルが、東京で一番高いと言われるミッドタウン・タワーだ。

「帰りにヨロイヅカの焼き菓子でも買っていこうか」

 あおいが正面の店を指した。そこは、テレビでも紹介されている、超有名パティシエが経営するスイーツ店である。

「いいね! 一度食べたかったんだ! みのりちゃんは?」

「あ、うん、私も…」

 さゆりは明らかにハイテンションになっていた。みのりはちょっと、ひいてしまった。

 店の前では客の列が、ガイドに沿って九十九折り《つづらおり》となっていた。

「いかにも都会ってカンジ。田舎じゃお菓子屋にこんな行列できないもんね」

「土日だからね。観光客が並んでいるんじゃないの? 私たちが帰る頃には、一段落していると思うけど」

 みのりは妙な胸騒ぎを感じていた。さゆりと同じで、上京してウキウキしていたからかと思ったが、そのような期待感とは全く違う感覚だった。

 胸の奥から、ジクジクとうずきがせりあがってくる。

 あおいとの会話に夢中になっているさゆりは、おそらく気づいてはいまい。

 蒼竜が東京に姿を現したのは、今日の13時だった。今は15時をまわっている。このままドラゴンが出てこないのか。事象イベントは変わったのだろうか。

「どうしたの? みのりちゃん」

 ずっと黙っているから、心配になったのだろうか。さゆりは小首をかしげた。

「ううん、なんでもないんだ。大丈夫」

 たはは…と笑いながら、胸騒ぎのことはごまかした。

「車酔いじゃないよね」

「大丈夫だよ。人が多いから、目移りしちゃって」

 それでも心配そうな顔をしている。母親の顔をしているな、とみのりは思った。自分も『みのり』と話していた時は、こんな表情をしていたのだろうか。

 外苑東通りに出た後、あおいは乃木坂方面に曲がった。みのりもその後をついていく。



 乃木神社の交差点を右に曲がり、乃木坂を登ったところにその建物はあった。

 そこは、御厨みくりや家の本拠であった。

 かつては屋敷であったが、現在では18階建てのテナントビルに変わっている。その最上階が、御厨本家の住居兼事務所だ。魔法屋は一階にある。若い女性客ばかりなのは、パワーストーンやタリスマンといった、若い女性に人気のあるチャームを取り扱っているためだろう。

「うまいことやってるね、御厨のじいさんは」

「ねえさんもパワーストーン売ればいいじゃない。マスヒデのバイトよりもずっといいと思うけど」

「仕入れ先がないよ」

「そういうの開拓するのも、店長の仕事だと思うんだけどね」

 ビジネスの事はよく分からないと、さゆりは首をふった。


 最上階に到着。インターフォンで取り次ぎを願う。ほどなく若い女性が扉の向こうから現れた。御厨の長老、御厨みくりや翠雲すいうん曾孫ひまご時恵ときえである。さゆりとは歳も近く、東京に出た時は買い物や観光につきあってくれる。とはいえ、ここ三年ほどはご無沙汰していた。

「お久しぶり、さゆりさん。元気そうでなによりだわ」

 気安く声をかけそうになった。危ない危ない。今の自分は、さゆりではないのだ。

「時恵こそ元気そうだね、じいさんたちは?」

 口をつぐんだみのりの代わりに、さゆりがそう尋ねた。三人は赤いカーペットが敷き詰められた応接間に通され、席を勧められた。

「お茶用意するから待ってて」

 時恵と入れ違いに、三人の老人が入ってきた。長老の翠雲と、その弟たちである。

「ふふ、時恵も金剛竜こんごうりゅうが来たので、ちょっと浮かれているようだ」

 明るい声を出したが、深いしわと長いヒゲに覆われた表情は、あまり変わっていないように思える。

「じいさん。すまないね、三時間も待たせちゃって」

「かまわぬよ。竜に傷つけられた者を助けるのも、竜殺しの使命だからのう」

 長老達もさゆりたちの前に座った。

 座るやいなや、老人たちはさゆりの隣に座る見慣れぬ娘に視線を向けた。

「紹介するよ、私の娘のみのりだ」

「安芸津みのりです。よろしくお願いいたします」

 みのりは立ち上がり、頭を下げた。ここでは一応、初対面なのだ。

「金剛竜に娘がいたなど初耳だな」

「何をかくそう、私だって初耳だよ」

「安芸津姓なのは?」

「私と稔の子供なんだってさ」

 ふむぅ、と、老人たちはうなった。それでもあまり驚いていないのは、竜と言う存在の特別性を十分理解しているからなのか、単に老いたからなのか。

「それにしても、子供の頃の金剛竜にそっくりだ」

「美人でしょ?」

 それには答えず、翠雲はじろじろと遠慮のない視線をみのりに送った。何か見定められているようで、みのりは居心地が悪さを感じた。

「兄者、そろそろ話を」

 翠雲の下の弟、浩二郎こうじろうがそう言うと、ようやく翠雲はみのりから視線を外した。浩二郎は言葉を続ける。

竜胆湖りんどうこほどではないが、この東京にもいくらか竜脈が残っている。ミッドタウンの北に広がる桧町公園も、その一つだ」

「毛利家の下屋敷跡だっけ」

「そうじゃ。我が御厨は毛利に仕えし竜駆七騎りゅうくしちき。ゆえに今も六本木を本拠としている」

「で、それがなにか?」

「あおいに作ってもらった竜脈観測機を、都内の竜脈数カ所に置いてもらったんじゃ。その結果、ここ数週間で竜気が大きく減っておってな。洗足池せんぞくいけ溜池山王ためいけさんのうの竜脈は消えてしまっておった」

「おじいさんたちが竜脈の様子が変だ、というので作ってみたんだよね、竜脈観測機」

 三長老の末弟、治三郎じさぶろうが言葉を、あおいが継いだ。

「あんた、今しれっとオーバーテクノロジーな話したね」

「まーねー。これでも凄腕導具鍛冶どうぐたんやですのでー」

 あおいはおどけてみせる。

「で、金剛竜も交えて、竜気が減っている原因は何かと考えようと思って…」

「竜が…きます」

 翠雲の言葉を遮り、みのりは言った。思わず、言っていた。

「みのりちゃん…?」

「竜が出るんです。東京に! 今日!」

 みのりの言葉が終わると同時に、バタンと、扉が開く音が響いた。部屋にいる全員が、入口の方へ目を移した。

 飛び込んできたのは、時恵だった。

 彼女の険しい形相の意味を、正しく理解したのは、みのりただ一人だけだった。

「六本木交差点に、竜が出たと今連絡が…!」

 時恵の言葉にざわめく室内。その中でみのりだけが、拳を握っていた。


(つづく)





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