六本木真珠(1)
それは、残酷な光景であった。
道は白く凍りつき、車も氷の山に変わっていた。歩道に並ぶ氷塊は、もともとは人間であったものだろう。
ビルもまるで白いペンキを吹きつけたかのように、氷の膜が覆っていた。それが陽を浴びてまるで真珠のように輝いていた。
さゆりとみのりは、老人たちに先んじて街へ戻った。
人々の悲鳴が響き、足下には凍てつく風が吹き抜ける。
まさに竜災。まさに地獄。ダンテが見た
「よくもこんな事を」
さゆりは吐き捨てた。竜から人々を護ることを第一の使命としてきた彼女にとって、この光景は断じて許せるものではなかった。
それはみのりも同様であった。
"ROPPONGI"のレリーフが飾られた首都高の高架に、それはいた。
青味がかった灰色の鱗、身体の割には小さな二対の翼。そしてヘラジカのような角。禍々しい曲線を描く爪をフェンスにつきたてていた。
「
そう。昨日吹き飛ばした蒼灰竜の成体だ。しかも、一体だけではない。
虹色の渦が六本木交差点の上にいくつも開く。吹き下ろす凍風と共に、蒼灰竜が降りてくる。
みのりはちらっとさゆりを見た。
「お母さん、どうするの」
「戦うよ。目の前に竜がいるんだ。竜殺しが逃げてたまるか」
聞くまでもない質問だった。さゆりは手にしていたHMDをかけ、
「あんたは、戦えるんだろ?」
「え?」
「昨日の
「バレてた? てへへ」
ごまかし気味に笑ってみる。さゆりはやさしく笑って、みのりの頭を撫でた。
思わず首をすくめた。くすぐったさと恥ずかしさがみのりの肌をまさぐったのだ。同時に、目頭がほわっと暖かくなる。
自分もよく『みのり』の頭を撫でていたが、こんな気持ちだったのだろう。嬉しくもあり、ちょっと気恥ずかしくもあり…。
「勝とうね、みのりちゃん」
「うん!」
二人は、蒼灰竜の群れに向き直った。
蒼灰竜の一体が、こちらに気づいた。翼をはためかせ、高架から下へと降りてきた。
「先手必勝っ!」
さゆりは
しかしそれは、蒼灰竜の肩を貫くだけに終わった。気合いを吐いて魔法を放つが、どれも竜を絶命させるに至らない。彼女の中の竜は、怠惰と自己嫌悪の中でいまだ惰眠を貪っているのだ。
仕方のないことである。自分もそうだったのだから。
(だけど、今の私の力ならっ!)
みのりが
「やるね、みのり」
「若い頃のお母さんと一緒だもん!」
『みのり』ならきっと、こう答えるだろう。彼女はさゆりをずっと励ましてくれていたのだから。
眷属が倒されたことに気づいた蒼灰竜たちが、まとめてこちらに向かってくる。凍った路面を滑りながら、氷の息を吐き出す。
さゆりが障壁を張る。真っ白な息は障壁をも凍らせる。だが、貫通されたわけではない。
「みのりちゃんっ!」
蒼灰竜の群れに光波爆発を叩き込む。巨大な爆発が竜の身体を吹き飛ばす。
「一体撃ちもらしたっ!」
最も大きな身体をした蒼灰竜が、白い爆煙をつきぬけ遅いかかってきた。
「やらせないっ!」
みのりが手をかざした。だが蒼灰竜は、翠の枝を何本もつきたてられ、絶命していた。
「ホッホッホ。待たせしてしまったかのう?」
「爺さんたち!」
三長老たちが、ようやく到着した。三人とも、身長ほどある長い杖を携えていた。
「ホッホッホ。それにしても下級竜の分際で我らが庭先に現れるとは、狩ってくれと言っているようなものじゃ」
氷に覆われていた街を、木の枝が飛んでいく。氷を割った
樹木の力を操る、御厨の技だ。
一体、また一体と蒼灰竜は倒されていく。
「さすがじいさんたちだ。無駄に歳はとってない!」
さゆりはうれしそうに手を打った。
十体以上いた蒼灰竜全てが泡に変わった。
「ホッホッホ。これで政府も、竜殺しが無駄飯食いなどと言うまいて」
蓮舟の小僧に見せてやりたいわと、翠雲は豪快に笑った。
だが。
直後、長老の身体がビクッと跳ねた。
うめきと共に、翠雲の身体が崩れた。口からは、真っ赤な血を吐いていた。
「兄者!」
治三郎が翠雲の身体を支えた。
翠雲の身体は、つららに貫かれていた。
「まさか…」
浩二郎が唾を飲んだ。
六本木交差点の方から、何者かが歩いてきた。
人だろうか。いや、この一帯で生きている人間は、みのりたち以外にいないはずだ。
ではなんであろうか。人ではないのだろうか。
その者は、白いマントを翻し、不敵にもこちらへ淀みなく歩いてくる。右手には長いつららに似た
「蒼灰竜は下級竜。その上には、
歩み寄る者を見ながら、浩二郎は言葉を続ける。
「まさか、あんな姿であったとは…」
この場にいる誰もが、その者の正体に気づいた。
蒼灰竜の飼い主が、姿を現したのだ。
(つづく)
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